第十一話
「誰に似ている?」
そうしてしばらく経った頃、一道と天跳の耳に、林の中から近づいてくる足音が聞こえた。里哉が帰ってきたのだ。木々の陰の奥から現れた里哉は、その両腕に、何本もの傘をぶら下げていた。
「お疲れ、里哉さん」
天跳はその傘の一本を受け取って、すぐに天井へ登り、先ほど布で仮修復した箇所に傘を組み込んだ。
それを見ていた一道の頭に、ふと疑問が浮かんだ。そういえば、剥がれた傘はどこに行ってしまったのだろう。地上に落ちてきた様子はない。となると、この国の外か。傘は国の外に出られるのだ。いいなあ、と思ったが、傘をうらやましがっても仕方がない。
「じゃあ、俺は、他の破れた天井に傘を張ってくるぜ」
そう告げると、天跳は残りの傘を持って去っていった。
里哉と二人きりになり、一道はいくらかの気まずさを覚える。――何か話しかけようか。おかえり、とでも言ったほうがいいか。いや、この国に帰ってきた里哉に、その言葉は言いたくない――。
悶々としていると、里哉のほうが先に口を開いた。
「来て、一道」
里哉は、一道を林の中に呼んだ。
「こっちに水を置いてある。食べ物も、少しだけど取ってきたよ」
一道が付いていくと、林に入ってすぐの所にある木の根元に、ペットボトルに入った水と、少量の果物が置いてあった。ペットボトルは五〇〇ミリリットル容器のものが二本あった。果物のほうは、リンゴとかバナナとかそういうものではない。野イチゴ、桑の実、グミの実、ヤマモモ……昔、林や山で遊んだときによく採って食べた、木の実、草の実の類だった。
「こんなものじゃ腹の足しにはならないだろうけど、我慢してくれ。水はこれだけあれば足りるかな? 足りなかったら、また言って。でもまあ、大事に飲んでくれよ。この国にある水は泥水だけだからね」
一道はうなずき、とりあえず里哉に礼を言った。
二本のペットボトルに目をやる。一本は昨日自分が渡したジュースの容器だが、もう一本のペットボトルを、里哉はどこでどうやって入手したのだろうか。一緒に持ち帰った果物の種類を見るにつけ、里哉が町の店などで買い物をしてきたとは、到底思えない。里哉はお金を持っていないんじゃないのか。だとしたら、もう一本のペットボトルは、そこらで拾ったものかもしれない。少し気持ち悪いが、贅沢を言っている場合でないことは重々承知だ。
とりあえず、今は一〇〇〇ミリリットルもの水分はいらない。一道は、昨日自分で空けたペットボトルに入った水を飲み、果物を食べた。
里哉にも果物を勧めたが、里哉は昨日と同じく「それはおまえの食糧だから」と言って食べようとしなかった。
果物と水で食事を済ませたあと、一道は、立ち去ろうとした里哉を捕まえて、昨日に引き続き、もとの世界に帰ろうと説得したり、いろいろ話を聞こうとしたりしたが、里哉はやはりまともに受け答えをしようとはしなかった。
+
その日の夜、一道は、床の中で主に二つのことを考えた。
一つは里哉のこと。
もう一つは、天跳というあの土人形のこと。
それらは共に、今抱えている大きな疑問であった。
里哉は……。
里哉は、本当に、もう以前の里哉ではないのだろうか。
里哉がどういうつもりでいるのか、土人形たちの味方なのか、自分の味方なのか、それがよくわからない。相変わらず一緒にいるとそっけない態度だけれど、でも、里哉はこの国の食べ物が土でできていることを教えてくれたし、今日だって、自分のために食糧や水を持って帰ってきてくれた。里哉の心の中には、まだ、ちゃんと友達としての自分がいるのだ。それは間違いない。きっと。
しかし、やはり里哉は変わってしまった。それもまた確かである。この国にきてから何かあったに違いない。悪魔の鏡のかけらが少年の心臓に刺さった童話のごとく、里哉の心からもとの世界への想いを忘れさせてしまう何かが、あったのだ。
ひょっとすると――里哉は、この国の食べ物を口にしたのではないか?
こんな、非現実的な、不可思議な国の食べ物だ。そういう、魔力じみた効果が宿っていても、おかしくはないだろう。一道はこう考える。里哉が初めてこの国に来たときも、土人形たちは、自分のときと同じように、マレビトを歓迎する宴を開いた。そして里哉は、何も知らずに宴で出された料理を食べてしまった。そのことによって、里哉は、この異世の国に魂を奪われてしまった。
それでも、里哉の心は完全にこの国のものになってしまったわけではなく、まだいくらか残っている里哉本来の部分が、決してこの国の料理を食べないようにと、自分に忠告してくれた……そういうことではないだろうか。
今の里哉の中に、たとえわずかでも、以前の里哉の心が残っているのなら。
だったら絶対に、里哉をもとの里哉に戻してみせる。そして、里哉と一緒にもとの世界に帰ってみせる。あきらめるものか、と、一道は決意を新たにした。
天跳は……。
天跳は、誰かに似ている。それが誰なのか、どうしてもわからないが、天跳と話していると、なんだか懐かしい気持ちになる。
天跳も土人形だ。ということは、天跳を作った人間がいるはずだ。それが自分の知り合いなのかもしれない。里哉の作った土人形である仄美は、どこか里哉と似た雰囲気を持っていて、それゆえ、一道は仄美と初めて会った気がしなかった。天跳もまた、自分のよく知っている人間が作った人形なのであろうか。
一道は、自分と縁の深い、もしくは単に身近にいる人間の顔を、一つ一つ思い浮かべていった。母、父、祖父、祖母……叔父、叔母、従兄弟……友達、クラスメート、学校の先生……。けれど、どれも違う。ならば、もしかすると今までに数回とか一回とか会っただけの人なのか? その可能性も踏まえてもう一度記憶を手繰ってみたが、不思議なことに、天跳の作り手だと確信できるほど天跳に似ている人など、どう考えても思い当たる節はないのであった。
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