「剥がれた傘」其の三


「天跳」

 一道は、すぐ隣にいる相手を呼ぶには大きすぎる声を出した。

 天跳はびくりと肩を跳ね上げて、一道のほうを向く。

「な、なんだ、一道」

「俺……。今度、どっか天井が破けたら、そのときは、天跳の代わりに俺が塞ぎにいくよ」

 天跳は目を丸くした。

 天跳の顔に驚きと戸惑いが浮かび、やがて、それは困惑へと変わる。

「何言ってんだ……。無理に決まってんだろ、危ねえぞ」

「そんなのわかんないだろ。俺、運動神経はいいんだよ。大人より子どものほうが体が軽いから、高い所には登りやすいしさ。――それに、俺は雨に濡れても大丈夫だから」

 一道のその言葉に、天跳は息を詰まらせた。

 天跳は瞬きもせずに一道を見つめ、それから頬を緩ませると、体ごと一道のほうへ向けて座り直した。

 天跳は、一道の頭に手の平を乗せて言った。

「ありがとうよ、一道。――けど、いいんだ。これは俺の仕事だからな。気持ちだけもらっとくぜ」

 天跳は目をつぶり、にっと笑った。

「なあ、一道」

 両手を膝の上に置いて、天跳はまっすぐに一道と目を合わせた。

「俺は、一道のことも里哉さんのことも好きだ。だから、二人がずっとこの国にいてくれればいいと思ってる」

 天跳は、一道に片手を差し出した。

 それは握手を求める仕草だった。

 一道は躊躇した。誰になんと言われようとも、自分はこの国に留まるつもりはないし、里哉をここに残していく気もない。だが、天跳には一切の害意がないこともわかっている。そんな相手に対し、握手さえも拒むのは憚られた。

 迷った末に、一道は結局、天跳から顔をそむけて握手に応じた。

 天跳の手を握ると、ぴたりと冷たい土の感触が、一道の手に伝わった。触ってみれば、やっぱり土なのだ。


 そのあとも、里哉が帰ってくるまで、一道は天跳と話をして過ごした。一道は天跳にいくつかのことを尋ねた。

「ねえ天跳。天井に開いた穴から国の中に雨が入ってくるってことは……逆に、傘をはずせば、天井から国の外に出られるのかな」

「おいおい、変なこと考えんなよ。あのなあ……この国の中と外とじゃ、世界の仕組みがいろいろ違ってんだ。だから、外つ国へ出るときも、この国へ戻ってくるときも、必ず『道』を通って、少しずつ体を慣らしていくんだよ。道ってのは、この国と外つ国とが混じり合う、中間の空間だからな。それを介さず国の外に出ようとするのは……そりゃあ、無茶ってもんだぜ。道をたどってきてさえ、おまえ、具合が悪くなって倒れたそうじゃねえか。天井なんかからいきなり外に出たら、出られるかどうかは知らねえが、そんなことしたら、体がどうなっちまうかわかんねえぞ」

「……そうなんだ」

 一道はごくりと唾を飲んだ。

 天跳の言うことが本当だという証拠もないが、試せば命の危険もあるかもしれないとなると――天跳の口ぶりからすれば、その可能性は充分にありそうだ――ちょっと確かめてみる、というわけにもいかない。


「そういえば……」

一道はもう一つ、気になっていることがあった。

「天跳は、なんで、里哉のこと『里哉さん』って呼ぶんだ? どう見ても天跳のほうが年上なのに」

「ああ……うーん、なんでだろうな。まあ、里哉さんは、この国にとって大切な、腕のいい料理人だから」

「へえ。あいつ、ここではそんな扱いなんだ。……けど、仕事でいうなら、天跳の天組の仕事だって、この国にとってはすごく大事なんだよな? なのに、天跳のほうだけ里哉のこと『さん』付け? 里哉は天跳のこと呼び捨てだったし……」

「ああ、それは、俺がそう呼んでくれって、里哉さんに言ったからだろうけどさ。……そうだなあ。やっぱ、里哉さんが土手の血筋のもんだから、ついつい『さん』なんて付けて呼んじまうんだろうな」

「え?」

 意外な答えに、一道は思わず聞き返した。

 土手――。一道の暮らす町に、何百年も昔から住んでいる一族で、本家は工房付きの大きな屋敷を構える、陶芸家の家系である。同じ土手の姓を持つ里哉の家は、その親戚筋に当たる。

 陶芸家といえば、粘土、すなわち土を扱う職人だ。言われてみれば、土人形の国であるこの異世の国と、なんらかの関わりがあってもおかしくはないかもしれない。

「土手の一族って、この国にとって、何か特別な意味を持ってるの?」

「そうらしいな」

「らしいって……」

「実を言うと、俺もよくは知らねえんだ。詳しい話を聞きたけりゃ、林のそばに住んでるフタリメさまを訪ねるといいぜ」

 林のそばに住むフタリメさま。確か、仄美もそんなことを言っていた。


「天井の傘だがな……よく剥がれるのは、なんでか、決まって林に近い所の傘なんだ。国の真ん中のほうは、たぶん安全なんだよ。だから今じゃ、林のそばに家を建てて住んでるやつはいねえ。フタリメさま以外はな。会いたけりゃ、林に沿って歩いていきゃあ、フタリメさまの家はすぐ見つかる」

「フタリメさまって人は、傘が剥がれるかもしれない林のそばに住んでて、大丈夫なの?」

「あの人はそこから動かねえんだ。まあ一応、フタリメさまの家の上の天井は、無地の黒や灰色の傘で組んでるから、大丈夫だとは思うがな」

「その色の傘だと、剥がれにくいの?」

「ああ。これもなんでだかは知らねえが」

「ふうん……」


 いつか機会があれば、そのフタリメさまとやらの所に話を聞きにいってみようかと、一道は思った。知りたいのはこの国を脱出する方法であって、この国の民であるフタリメさまが、それを自分に教えてくれるとは思えないが、それでも、もしかしたら、何かわかることがあるかもしれない。

 そんなことを考える一道に、もどかしそうな様子で身を乗り出し、天跳が言った。

「さあて、一道。そろそろまたこっちが話を聞く番だ。外つ国のことをもっと教えてくれよ。マレビトは、フタリメさまでも知らない色んなことを知ってるからな」

「……うん」

 またそれか、と、一道は内心閉口しつつ、天跳に聞こえないよう小さく溜め息をついた。

 この国の人々は、果たしていつになったら外つ国の話に飽きてくれるだろう。毎日この調子で話をしていたら、そのうち話せることがなくなるのは時間の問題のような気がする。

(毎日……? いやいや、何考えてる。俺は、そんなに長くこの国になんて……)

 胸によぎった不安を掻き消すように、一道は天跳に向けて、戻るべきその世界の話を勢いよく語った。

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