「座敷迷路」其の二
「ここは行き止まり、か」
一つ前の部屋に引き返し、さっきの部屋への襖を閉めて、また別の襖を開ける。
「しかし……ここって、理土が暮らしてる家なんだよな? 変な家だよなあ。なんだってこんなややこしいとこに住んでんだ……。理土は迷ったりしないのかな」
無人の座敷を延々さまよい続けているうちに、一道はなんだかそら恐ろしくなってきた。気味悪さをごまかすかのようにぶつぶつ独りごちながら、それでも、さらに新たな部屋へと進む。一道は、その後も何度か行き止まりの部屋に突き当たり、そのたび進路を修正した。
それにしても何もない。もう数え切れないほどの座敷を通り抜けたが、どの部屋もわずかな装飾品が置いてあるくらいで、わざわざこうして探索する意味などなさそうな所ばかりだ。迷路のような間取りも不可解だけれど、誰かが使っている痕跡もない部屋がこれほどたくさん存在すること自体も、謎だった。ただ、これらの部屋に人の出入りがないわけではないらしい。そう思う根拠は、香の匂いだ。一道は香炉の置かれた部屋を幾つも通ったり、覗いたりしてここまで来たが、それらの部屋には、必ず香を焚いたあとの匂いが強く残っていた。何か名前があるのだろうが一道にはわからない、いろいろな花や木の香の匂いは、部屋によって一つ一つ違うものだった。しかし、そのような部屋であっても、香を焚く以外に何かをした形跡は見つからないのである。
特に注意を引くものがあるわけでもない部屋を調べ歩く。そんな、ただただ単調な作業にも飽きてきた頃であった。
それまでと同様に期待も薄く踏み込んだ座敷で、一道は思わず足を止めた。
座敷は左右が壁で、奥のみが襖となっていた。その襖が、今まで見てきたものと比べて、随分と異質だったのだ。
他の部屋の襖は、色や図柄はそれぞれ違えど、どれも淡色僅色の地味な絵や模様が描かれている、あまり印象に残らないものだった。けれども、その部屋の奥にある襖には、全面に色とりどりの小花が散りばめられており、それだけ明らかに趣を異にしている。
一道は襖に近づく。
近くで見て、気づいた。襖に描かれている模様を最初は花かと思ったが、どうも違うようだ。だいたい同じくらいの大きさをしたいろんな色の模様は、どれも細長い花びらが広がった野菊か何かの花にも見えるけれども、よく見ると、その円模様の中に描かれた柄が、花らしからぬものもある。鮮やかな赤一色の円、藍色の円の中に白い円、紫の円の中に白い帯の輪があって、その輪の中にまた紫、などは花にもありそうであるが、橙色の円の中心部から外に向かってぐるりと白い渦、とか、あるいはその渦が三本、とか、そんな花があるものなのだろうか。まして、渦の中に蝶が舞っていたり、帯の輪の中に鳥の影が飛んでいたり、円の中にその円よりも少し色合いの濃い花模様が散らされていたり……これらは明らかに花ではあるまい。
しばらく眺めたあと、そうか、と一道は合点した。
この襖の模様は、傘だ。たぶん和傘という、普通の傘よりもずっと骨の多いやつ。その傘を真上から見たらこんな形になる。円模様が野菊の花に思えたのは、円の中に傘の骨を表す線が描かれていて、それのせいで、円が花びらを広げたのに似た模様となっていたからだ。
傘。雨を防がなければならないこの国を守るもの。それがこうして襖の絵になっているのは、何か意味があってのことか?
――この襖の向こうには、特別な部屋があるのかもしれない。
一道は警戒しつつ、襖に手を掛け、そろりと少しだけ開けてみた。
襖の隙間から中を覗き込む。その状態で、できるかぎり部屋の隅々まで見渡したが、室内には誰もいないようだった。一道は、とりあえず安堵して部屋の中に入った。
その一室は、やはりそれまでに通ってきた部屋とは、様子がまったく違っていた。
三方にある砂壁をぼんぼりの明かりが照らしている座敷。その畳の上には、艶やかな日本髪の人形。金糸銀糸も使って刺繍された手鞠。色違いの、大きなものや小さなものが、一固まりに置かれたいくつかの独楽。胴部分のところどころへ、貝殻の裏を覆う虹色の光沢が埋め込まれた、小さな鼓。鈍く光を反射する金色の鈴。牛をかたどった赤い首振り張り子。波打つような形で広げられた絵巻。そんな物たちが、足の踏み場もないほどごちゃごちゃと散らかされていた。
座敷の四隅で灯るぼんぼりの明かりが、様々な玩具の影を揺らめかせる。
ここ以外の部屋は、明かりといえば、どこも例の光る石が一つか二つ置いてあるだけだったので、他に比べればこの部屋は明るい。それでも、一道にはまだ多少薄暗く感じられたが、日の光が直接射すことのないここ「コトヨノクニ」の住人にとっては、きっとこれくらいの明かりがちょうどいいのだろう。今までに通ってきた部屋は、この「国」に暮らす民にとってもおそらく暗すぎる、いかにも住人の生活圏から外れた部屋、という感じだった。今いる部屋は違う。他の部屋にはない、豊かな彩色が存在するこの座敷には、箪笥や鏡台といった家具もちゃんと置かれていた。
(ここは……理土の部屋か?)
一道は室内を見回しながら、さらに数歩、奥に踏み入る。
「もしかすると……あの迷路みたいになってた座敷って、理土以外のやつが、簡単にこの部屋に来れないようにするためのものなのかな」
また知らず知らず口に出して、そんなことを考えつつ、一道は、足元の玩具を踏まないよう注意して部屋の中を歩く。
ふと、一道の目が部屋の奥の床に留まった。
床の一部分が、そこだけ四角く畳を切り剥がされて、畳の下の床板を露わにしている。
近づいて目を凝らすと、露出した床板の端に窪みがあった。丸みを帯びた半月型の窪みは、ちょうど片手の指を差し込めるくらいの大きさである。
「……扉?」
そう呟いて、一道は床板の窪みに手を伸ばした。
これが扉だとすると、扉の下はどうなっているのだろう。箱程度の空間で何か大切なものを入れておく場所なのか。それとも、この屋敷には地下室でもあるのだろうか――。
しかし、一道の手は、窪みに触れることなく途中で止まった。
いつの間にか止めていた息が、一気に肺の中に流れ込んだ。それを吐き出し、一道は中途半端に伸ばした手を引っ込めて、立ち上がった。
だめだ。なんだかすっかり怖気づいてしまった。もう心臓が限界だ。扉の向こうがどうなっているのか、気にはなるけれども、これ以上の深みに足を踏み入れるのは、怖い。
この扉を開けた瞬間、理土が背後から現れるような気がする。それは考えすぎかもしれないが……実際、広庭へ行ったのであろう理土が、そろそろ朝食を終えて屋敷に帰ってきてもおかしくはない。それに、土人形たちの食事が終われば、また里哉に会って話をすることができるかもしれないし、だったらすぐに広庭へ行ってみたほうが……。
と、いろいろと理由を探してみても、本当のところは単に逃げ腰になっているだけであった。自分でもそのことがわかって悔しかったが、一道はとりあえず、屋敷の探索をここで切り上げることにした。
一応、また来ようと思えばこの部屋にたどり着けるよう、帰り道では道順を頭に入れながら、通ってきた座敷を一つ一つ引き返した。もちろん開けっぱなしにしておいた襖はすべてもと通り閉め直して、通るべき襖の位置と共に、その襖の柄や、床の間の装飾、欄間の模様など、それぞれの座敷の特徴を記憶していった。
香炉のある部屋の、部屋によって異なる香の匂いは……記憶するべきかどうか。いつも同じ部屋で同じ香を焚くとは限らないのではないか。それよりも、香炉のある部屋の襖を開けてしまったことによって、匂いが隣の部屋に流れ込んだであろうことのほうが、問題かもしれなかった。自分が屋敷の中を探ったことを、理土に勘付かれてしまうかもしれない。それはそれで仕方がない。というより、今さら気づいても、もうどうしようもないことであった。
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