「宴のごちそう」其の四

 一道は慌てて振り向く。しかし、気づかぬうちに近くに来ていた里哉は、すでに一道の背後を通り過ぎていた。里哉はそのまま、一道のほうを見るでもなく、立ち止まらずに去っていって、鍋の中の料理を向こうにある皿に盛りつける。

 なんだ、今のは。聞き違いか?

 一道は箸でつまんだ唐揚げを皿の上に戻し置き、その皿にじっと目を落とした。


 ツチクレ。

 ツチ。

 ――土。


 里哉は確かにそう言った。

 里哉の言った「それ」というのは、この唐揚げのことだろうか? いや、まさか。皿に乗っているのはどう見ても本物の唐揚げだ。箸で持った感触だって、衣がからりと揚がっており、それでいて衣の下の肉の弾力がしっかりと伝わってくるものだった。唇に近づけたときはほのかな熱さえも感じ取れた。それに、なんといってもこのにおい。程よく香辛料の効いた食欲をそそる揚げ物のにおいは、土のそれなんかとは似ても似つかない。

 里哉は一体何を言いたかったのか。

 訝しく思いながら、一道は一応、皿に鼻を近づけて、あらためて唐揚げのにおいを嗅いでみた。


 すると――。


 先ほどまでとは違う、ひやりと鼻の管を冷たくするような香りが、温かな唐揚げのにおいに混じって吸い込まれた。

 意識すればするほど、その香りは強くなっていくようだった。土だ。なるほど、確かにこれは土のにおいだ。幼稚園の頃、園の庭や公園の砂場を掘り返して遊んだ記憶。小学生のとき、課外実習で近所の畑に行き芋掘りをした思い出。そんなものを呼び起こさせる、懐かしいにおいである。

 一道は、唐揚げの乗った取り皿をそのままテーブルの上に置いた。隣の少女が見ていない隙に、それを大皿と大皿との陰に隠すように押し込めた。

 お腹はすいている。

 もう、空腹で倒れそうなくらいだ。

 唐揚げをあきらめた一道は、今度は椀の形の取り皿を手に取り、それに湯気の立つスープを注いだ。細かい油の粒が浮かぶ黄金色のスープには、肉や野菜もたっぷりと入っている。

 木のスプーンにスープと肉一つをすくい、スープを冷まそうと息を吹きかけたとき。

 また、里哉の耳打つ声が聞こえた。


「泥水と木の葉と木の枝。食べちゃだめだ」


 いつの間にか後ろにいた里哉は、それだけ言って、またしても一道が引き止める間もなく去っていく。

 寸刻里哉の後ろ姿を見つめたあと、一道は、再びゆっくりと椀の中のスープに目を移し、スープのにおいを嗅いだ。

 雨上がりのあと陽射しで蒸されたような泥のにおいが、湯気に混じる。

 嗅げば嗅ぐほど、そのにおいはまごうかたなき泥のそれへと変わっていった。

 一道は、スープの皿を取り落とすようにテーブルへ置いて、周りのテーブルを見回した。どのテーブルの上にも数え切れないたくさんの料理が並んでいる。まさか、これらの料理が、すべて――。

 その疑念が頭をよぎった途端。

 それまで周囲を満たしていた料理のにおいが、一瞬にしてむせ返るような土のにおいへと変わった。


(――ここは)


 体の底から、ぞっと寒気が溢れた。

 一道は慌てて里哉の姿を捜した。その場から動かずとも見つけられるほどの近い場所に、里哉はいた。その姿を見留めるやいなや、一道はもどかしく人波を掻き分け、里哉のほうへと歩み寄った。

 人の壁が残り二、三人分の厚さとなる距離まで近づいたところで、一道は声を張り上げ呼びかけた。

「里哉!」

 その声に、里哉は一呼吸置いて振り返り、一道を見て困ったように顔をしかめた。

 一道は思わず歯噛みした。しかし、すぐに構わず残りの人の壁を押しのけて、里哉の前までたどり着いた。

「里哉、ちょっと来い」

「……今、忙しいって言っただろ?」

「来いって言ってんだよ」

「少し待ってくれないか。何も今でなくても……」

「いいから、来るんだ!」

 一道はほとんど叫ぶように怒鳴りつけた。

 周りにいる人々がふつりと会話を途切れさせ、何事かと一道に注目する。その視線を無視して、一道はただ一心に里哉を睨みつけた。


 数秒の沈黙ののち、里哉は、わかったよ、と溜め息混じりにうなずいた。

 里哉はそばにいた者に料理の鍋を預けて、頭を下げた。

 そうして身軽になった里哉を見て、一道は少し不安になり、とっさに里哉へと手を伸ばした。が、捕まえようとしたその手首を、里哉は素早く体の後ろに引っ込めた。

 一道はむっとして、すかさず作務衣の上衣の裾を掴み、引っぱった。すると、里哉はちょっと眉を寄せたものの、一道の手を振りほどくことはせず、素直に一道について歩き出した。

 人波は移動の邪魔にはなったが、周りの人々は、あえて二人の進路を妨げようとはしなかった。テーブルに集まる人々の群れから抜け出すなり、一道は、広庭の出口の一つへと一目散に走った。

 一道は足が速いほうである。けれど、里哉の足に合わせると全力では走れない。そのことをいくらか不安に思ったが、どうやら広庭にいる者たちが二人を追ってくる気配はなさそうだった。

 それはそれで不審であった。

 一道は、出口のすぐ前まで来たところで振り返り、ひとり人々の群れから離れて台上に座る理土に、目をやった。

 理土はこちらを見つめながら、ただその口元に、型を取ったような笑みを浮かべているだけだった。

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