「宴のごちそう」其の三


 ――いや、落ち着け。と、一道は自身に命じる。

 そんなに深刻な事態かどうかは、まだわからない。もっとちゃんと里哉と話をしてみないと。自分が勝手に動揺しすぎているだけかもしれないのだ。

 一道は顔を上げ、再びその視線の先に里哉の姿を捉えた。里哉はせわしく、手に持った大鍋の中身をあちこちのテーブルの皿に足して回っている。里哉がそっけなかったのは、もしかしたら、単に、本当に話をする暇もないほど忙しかったからというだけなのかもしれない。

 待つことにしよう、と一道は思った。

 里哉の手がすくのを待って、あらためて話しかけてみたら、またさっきとは違う反応が返ってくる可能性もある。一人で悶々と考え込んでいても埒があかない。とにかく、里哉は今、元気な姿で目の前にいるのだ。昨日まではこうして里哉の姿を見ることもできなかった。それに比べれば、遥かに心を落ち着かせてもいい状況ではないか。


 一道は、いつの間にか固く握っていた拳をほどいて、テーブルのほうへと歩き出した。

 もといた辺りのテーブルに戻ってきて、テーブルの上の料理を眺める。

 こんなときに食事をする気にはなれないと思っていたが、大皿にたっぷりと盛られた湯気の立つ料理を目の前にして、おのずと口の中に唾が湧いた。直後に腹の虫が鳴く。情けないその音が、二度三度、立て続けに響いた。そういえば今日は昼飯も食べていないのだ。食事代わりにと用意したリュックの中の菓子類は、結局口にする間がなかった。胃袋は何時間前から空っぽになっていることか。そこへきてこのご馳走のにおいであるから、お腹がすかないわけがない。

 一道は、料理皿の手前に用意されている取り皿と、箸とを手に取った。

 そのとき、


「里哉さん、見つかりました?」

 と、先ほどの少女がまた話しかけてきた。

 一道は少女のほうを向いてうなずく。

「会うには会えたけど、でも、今は忙しいって」

 一道はそう答え、向こうのテーブルで料理を配っている里哉に目をやった。

「あれって、いつごろ暇になるのかな」

「そうですね。……後片付けは料理を作る者とは別の者がやりますから、この宴が終われば、里哉さんは手がすくと思いますが……。でも、珍しい」

「何が?」

「里哉さんが、こんな早くに調理舎から出てくることが。まだ宴が始まって間もないのに。料理も全部でき上がってはいないでしょうし。いつもなら、里哉さん、料理が全部でき上がるまで調理舎から出てこなくて、それまでは配膳を他の者に任せていたんですけど……」

 少女は少しの間首をかしげていたが、ほどなくして、一道を見つめ微笑んだ。

「里哉さんのことは、お食事しながらゆっくり待っているといいですよ。今夜は一道さんを歓迎するための宴なんですから。遠慮せずに、どんどん召し上がってくださいね」

「ん、ありがと」

「この料理を作るの、わたしも手伝ったので……一道さんに食べていただけたら、とてもうれしいです」

 はにかむ少女につられ、一道の表情も蕩けるように緩んだ。

 一道は少女に見とれていた。

 少女は、ぱっと人目を引く派手な容姿でこそないが、その整った顔立ちには、見れば見るほどいつまでも見つめていたくなるような、視覚に心地よい、素朴な美しさがあった。


「じゃあ……いただこうかな」

 一道は少女の言葉に応え、テーブルの上に並べられた料理の数々を見渡した。

 赤、黄、緑の野菜と一口大の肉を混ぜて、とろりと餡をまぶした炒め物。煮汁が身の芯まで染みていそうな、茶色い魚の煮物。香ばしいにおいが昇り立つ、唐揚げ、天ぷら。きらきらと油の粒が輝く、黄金色のスープ。それから、団子や饅頭などの菓子類も、大皿に山と積み上げられている。

 どれもこれもおいしそうだ。まず何から食べようか。

 これほどの空腹時に迷っている余裕はない。真っ先に引きつけられたのは、揚げ物のにおいのたまらない香ばしさだった。特に唐揚げは一道の大好物の一つであった。一道は、大皿の横の取り箸を引っ掴み、まだジュウジュウと音のしそうな唐揚げを取り皿に乗せた。

 唐揚げを口元に運び、その大きな固まりにかぶりつこうと口を開く。

 そのとき、耳元で囁く声がした。


「食べるんじゃない、それは土塊つちくれだ」


 一道一人に聞こえるだけの小さな声であったが、それは里哉の声だとすぐにわかった。

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