「宴のごちそう」其の二
「みんなそろったわね。それじゃあ、宴を始めましょう。みんな、一道から外つ国の話を聞くのはまた今度にして、今晩はゆっくりくつろがせて差し上げなさいな。せっかくの食事の邪魔をしては、だめよ」
理土の言葉で、一道を取り巻いていた人々は、名残惜しそうな顔をしながらもその場から離れていった。
そして宴が始まった。
楽団が古風な楽器を広げ、祭りのお囃子のような、楽しげで、それでいて穏やかで、どこか懐かしいメロディーを奏で出す。その演奏を聴きながら、他の人たちはテーブルに群がって思い思いに料理をつつく。
どうやらこの宴というのは、要するに豪華な食事会であるらしい。自分のための歓迎の宴と聞いて、何か面倒なことやとんでもないことがあるのではと内心気が気でなかった一道は、特に何をすることもされることもないようだとわかってほっとした。
だが、一道は、みんなに混じって食事をする気分にはなれなかった。
相変わらず里哉の姿はどこにも見えない。本当に、この広庭にいるのだろうか。
「あの……召し上がらないんですか? 一道さん」
やわらかな声に振り向くと、そこにいたのは、先ほど一道に微笑みかけたあの少女であった。
淡い色をしたワンピースの長袖から覗く、細い手首。その手に持った、料理を取り分けた皿――まだ口を付けていないものだろう――を、少女は一道に差し出した。
一道は首を横に振る。
その反応を見て、少女は不安そうに眉を寄せた。
「お料理、お口に合いませんか?」
「いや……」
一道は慌てて、さらに強くかぶりを振った。気遣ってくれるのはありがたいが、今は料理どころではないのだ。
(やっぱり、この子に聞いてみるか)
一道は、少女にちらと目をやった。さらりと眉にかかる前髪の下で、透き通った薄い色の瞳が優しげに瞬いた。
なんとなく、この子は話しやすい相手のように感じた。初対面なのに、不思議と初めて会った気がしない。一緒にいると落ち着くのだ。
「あのさ」
と、一道は無意識に笑顔を作って少女に話しかけた。
「君、里哉、って男の子がどこにいるか、知らないかな」
「ああ、里哉さんをお捜しだったんですね。……里哉さんでしたら、あちらの
少女は、広庭の端にある木の建物に手を向けて示した。宴の準備をしていた人たちが料理の皿を運び出していた建物だ。
ありがとう、と少女に言うが早いか、一道は食事に興ずる人々の中を掻き分け、調理舎へと向かった。
調理舎の前まで来ると、ちょうど建物から一人、体格に不似合いな大鍋を持った人が出てきたところだった。袖の短い作務衣らしきものを着て、それと揃いの色の布を頭に巻いて、以前祖父に連れていかれた居酒屋で見た、和風の制服のような格好の――。
一道は立ち止まった。
相手も一道の顔を見て足を止める。
その姿こそ、一道の捜し求めていた相手であった。
「里……哉……」
一道はかすれた声でその名を呼ぶと、それきり息を詰まらせ、言葉なく里哉の顔を見つめた。
本当に、ここにいたのだ。
ずっと会いたかった、そして、もう二度と会えないかもしれないと思っていた相手。
その人が今、目の前にいる。
ここに来る前、思いがけず里哉に出会い、里哉を追っていたときには、驚きと混乱とでそれどころではなかった。里哉との再会を喜ぶ余裕などなかったが、今、湧き上がってくるうれしさを、一道は感じていた。里哉が「そこにいる」。その実感が秒を追うごとに膨らんでいき、たちまち胸をいっぱいにして、笑顔となって頬へこぼれた。
一道は思わず、里哉に向かって手を伸ばした。
しかし、里哉はその手を避けるように歩き出した。
「ごめん、今忙しいんだ」
無感情な作り笑みを一道に向けて、里哉はそれだけ言い残し、皿を持って広庭の中央のテーブルへと去っていった。
あまりにもそっけないその態度に、一道は呆然として固まった。
どうしたらいいかわからず、もうこちらを振り返ろうともしない里哉の後ろ姿を凝視したまま、立ち尽くす。
先ほど胸に湧いた安堵が急速に冷えていった。
おかしい。あれが本当に里哉だろうか。物心ついた頃からの遊び相手で、互いにいちばん仲のいい友達だった里哉が、自分に対してあんな態度をとるだろうか。先ほどの里哉の笑みは、一道の知っている里哉とは別人のもののように見えた。
あそこにいる里哉は――もはや、里哉ではない……?
どうして。何があった。
激しい混乱が、頭骨の内からめまいとなって一道を襲う。
しかし、考えてみれば。里哉が妙なのは今に始まったことではない。ここに来る前、「外」で自分に会ったときから。いや、さらに言えば、なんの前触れもなく姿を消したそのこと自体が、妙ではないか。
そうだ。里哉は突然いなくなって。学校に来て傘を盗んでいって。それを追って捕まえようとした自分と顔を合わせても、その再会を喜ぶそぶりも見せず、言葉も交わそうとせず逃げ出したのだ。そして、傘を盗みに町に戻ってきていながら、家族のいる家には一度も帰ってきていない。
なぜいなくなった。
なぜ逃げた。
なぜ家に帰らない。
それらの答えが、先ほどの里哉の態度に集約されているのだろうか。
一道は、我知らず里哉から目をそらして、うつむいた。
自分は、どうすればいい。
里哉が生きていたのはいいことだ。行方不明になった里哉がどこかで命を落としている、という最悪の事態は、とりあえずまぬがれた。けれど。それを除いて次に最悪の事態が、起こっているのかもしれない。
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