第六話

「宴のごちそう」其の一

 理土が広庭と呼んだその場所は、地面が苔のようなやわらかな芝生で覆われた、見晴らしの良い広場だった。理土の屋敷の庭よりもずっと広々とした、その広庭の周りは、膝の丈ほどの低い生垣で囲まれている。生垣のそばには、ところどころに大きな乳白色の岩が置かれていた。生垣は何ヶ所かで途切れており、そこから広庭へ出入りできるようだ。

 広庭の中央には、清潔感ある白い布を被せた細長いテーブルが、何十と並べられていた。テーブルの上は、種々の料理が盛られた大皿で溢れんばかりである。まだ皿の置ける隙間のあるテーブルには、今も次々と料理が運ばれてきている。広庭の端にある簡素な板壁、板屋根の建物から、皿を持った人が出てきたり、皿をテーブルに置いた人がまた建物に戻っていったりしていた。どうやらあそこで料理を作っているらしい。また、広庭の隅では、すでに自分の役目を終えたのか、それとも宴が始まるより早く来すぎたのか、地面に腰を下ろして談笑している人たちの姿も見られた。


 料理を運ぶ者も、地面に座っている者も、みな理土が近くに来ると、姿勢を正して深々と頭を下げた。

 理土は広庭の中央辺りまで進んで足を止め、庭を見回して言った。

「もう、ほとんどできているみたいね。少し早いけれど、宴の主役のマレビトも到着したことだし、そろそろ始めましょうか」

 待たせては悪いものね、と、理土は一道を振り返って微笑んだ。

「さあ。まだ家にいる者たちを、すぐに集めて」

 理土がそう命じると、近くにいた者の一人が、少し離れた所に建っている木でできた塔のような建物に向かって、大きく手を振った。すると、塔の上から鐘の音が響き渡った。


 塔へ手を振って合図を送ったのは、大人だった。

 この理土という女の子の年齢は不詳だ。数年前に会ったときとまったく姿が変っていないのだから、外見どおりの歳ではあるまい。だが、とにかく見た目は今の一道よりも幼い、ほんの子どもである。そんな理土の言葉が大の大人たちまでもを従わせている様は、一道の目にはいささか奇異なものとして映った。

 理土は一体何者なのだろう。

 周りの人々の態度から、理土がこの「国」を統べる者であるというのはどうやら本当らしいが、それ以外のことはまだわからない。そもそもこの「国」とはなんなのか。ここに住んでいるのであろうこの人々は、果たしてどういう人間なのか。この人々も、里哉と同じように、もといた町で行方不明になってここへ来たのだろうか。


(そうだ、里哉は)

 里哉を捜すために広庭に来たことを思い出した一道は、その姿を求めて庭を見回した。

 すると、こちらを見つめている、一人の少女と目が合った。年の頃は十二か十三くらいだろうか。少女は、会釈の代わりというように少し小首をかしげて、一道に微笑みかけた。理土のものとはまた違う、ふんわりと温かみのある笑みだった。

 ――あの子に、里哉のことを尋ねてみようか。

 そう思い、一道は少女に近づこうとした。が、その矢先に、広庭にいる人々がわらわらと一道の周りに集まってきた。

 人々は四方八方から一道を取り囲んで、口々に話しかける。

「ねえねえ、何かお話をしてよ」

「外つ国の話を聞かせてくれよ」

「私たち、マレビトに外つ国の話を聞くのが楽しみなの」


 突然そんなことをせがまれ、一道はうろたえた。

 トツクニ。マレビト。耳慣れないそれらの言葉の意味はよくわからないが、たぶん彼らはこの「国」の外の世界のことを話してくれと言っているのだろう。しかし「外の世界の話」なんて漠然としすぎている。一体何を話せばいいというのか。とっさに思いつけず、それでも人々が「早く早く」「なんでもいいから」と瞳を輝かせて急かすので、一道は仕方なく、本当なら今日家に帰ってから観るつもりで楽しみにしていた連続テレビアニメの筋を、初回のストーリーから順に話していった。

 こんなことでいいのかな、と不安に思いながら話し始めたが、みんなは一道の話に熱心に耳を傾けた。子どもだけでなく、大人たちもだ。

 一道を中心にひしめいたまま、身じろぎせず話に聞き入る人々のせいで、一道はますます身動きがとれない。


(こんなことしてる場合じゃ、ないんだがなあ……)

 困惑しながら、一道は周りを取り囲む人々の顔を見回した。集まってきた彼らの中に、里哉の姿は、ない。

 里哉の顔を捜し求める一方で、同時に一道は無意識のうちに、人々の風貌を観察する。

 この「国」にいる人々の服装には統一感がない。洋服もあれば和服もある。高価そうな服もあれば粗末な服もある。かといって、粗末な服を着ている人が高価そうな服を着ている人に遠慮している様子もなく、服装が身分の上下を表わしているようには見えない――お姫様然とした着物をまとった理土は別としてだが。なんというか、いろいろな映画の役者たちが、それぞれの役の扮装のまま一堂に会したような光景だ。


 けれど。

 服装も顔立ちも年齢も性別もまちまちであるこの人々は、みんな、どこか似ている。

 明らかに何らかの共通点がある。彼らは一つの「国」の民なのだと思える。いや、一つの民族と言ったほうがいいだろうか。

 だが、彼らの間にあるその共通点がなんであるのか、このとき一道にはわからなかった。


 広場のあちこちで明かりが灯り始めた。

 ぽっ、ぽっ、と夕闇の中に咲いていく、ほんのりと温かな色の光。広庭を囲む垣根の所々にも灯っている、それは、炎ではなく、電気とも違っていた。光は、テーブルのある場所を囲んで並べられた石燈篭の彫り模様を透かし、燈篭の周りに、輪郭を薄闇に溶かしたやわらかな丸を描く。

 「外」にも、もう夜が迫ってきている頃だろうか。いや、ここでは傘が空を覆っていくらかの光を遮っているから、外よりも暗くなるのが早いはずだ。とはいえ外にも夜が来るのは時間の問題である。一道は、家で自分の帰りを待っているであろう家族の顔を思い浮かべた。


 広庭にはどんどん人が増えてくる。やってきた人々は一道の周りに集まり、やがて料理のテーブルの周囲はどこもかしこも人でいっぱいになった。

 ぱん、と誰かが手を鳴らした。

 理土であった。

 理土はいつの間にか一道から遠く離れ、テーブルが固まった場所の向こうにある、広庭を一望に見下ろせる高さの台の上で、悠然と座っていた。

 一道を含め、広庭にいる者全員が理土に注目する。

 一同の目を残らず集めてから、理土は微笑んでその唇を開いた。

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