第十話
「剥がれた傘」其の一
今さら無駄だとわかってはいたが、一道は、里哉が去っていった道をたどって歩き出した。
天跳が付いてきて、例によって、外つ国の話を聞かせてほしいと言った。一道は、少々うんざりしながらも、また漫画やアニメのストーリーを話す。天跳も含め、この国の人々は基本的に友好的なので、一道も彼らを無下にするのは気が引けるのだった。
話しているうちに林の前まで行き着いた。やはり林の手前で道は途切れており、たぶん、里哉はこの辺りから林に入って外に出たのだろうと思われるが、ここから先の道なき道筋はもう見当がつかない。
一道はとりあえず道端に腰を下ろした。
天跳もそれに倣う。
一道は漫画の話をいったんやめて、天跳に聞いてみた。
「ここら辺で待ってれば、里哉、帰ってくるかな」
「ああ、たぶん会えるんじゃねえの?」
「そっか……」
ここで里哉を待つことに、さして意味があるわけでもないが、一道はそうすることにした。屋敷にも戻りたくはないし、天跳が一緒では、林に入って国の出口を探すこともできない。もっとも、里哉に付いていくわけでないなら、出口を探すのは邪魔されないかもしれないが、そうだとしても、それはすなわち、自分一人で出口を探すことが無駄であることを意味する。昨晩のことを思えば、実際それは無駄なのだろう。
一道は未練がましく林の中へ目をやった。いくら見つめていたところで、そこに外の世界へと続く道が見えてくるわけもない。
溜め息をつく一道に、天跳が言った。
「一道はさあ、なんで、そんなに外つ国に帰りたいんだ?」
その質問に、一道は当惑し、寸刻答えに詰まった。
一道にとって、自分がもといた世界に帰りたいと願うのは、至極自然な願望である。あえてその理由を尋ねられるとは、思ってもみなかった。
「なんでって……。そんなの、当たり前だろう。俺の家は外の世界にあるんだから」
「外つ国に家があるから、外つ国に帰るのか?」
「そうだよ。普通、家があればそこに帰るだろ?」
「だったら、この国に家を造りゃいい。そうすりゃわざわざ外つ国に帰る必要はないぜ」
「いや、そういうことじゃなくてさ……」
一道は大きくかぶりを振った。
「家っていうのは、家族って意味もあるんだよ。俺が帰らなかったら家族が心配するし、俺だって、家族に会いたい。学校の友達にも。だから……」
「友達なら、里哉さんがいるじゃねえか」
「それはそうだけど。でも、他の友達だって大事なんだよ。それに……そう、学校――。学校に行かなきゃいけない。俺、まだ中学生だから、ちゃんと中学校卒業して、それから高校行って、大学行かないと」
「別にいいじゃねえか、そんなこと」
天跳はつまらなそうに返した。
「チューガッコーとかコーコーとか、それって、外つ国に住んでるやつにとって必要なことなんだろ? ずっとこの国で暮らすんだったら関係のねえことだ」
「だから、俺はずっとこの国にいる気なんかないんだってば」
一道は思わず語気を荒げた。
天跳は怪訝そうに眉を寄せる。
「わっかんねえなあ。なんだってそんなに向こうの世界に執着するんだか。外つ国と比べりゃ、この国のほうがずっと住み心地のいい世界のはずだぜ」
「そんなことあるわけないだろ」
「そうか? 聞いた話じゃ、外つ国ってのは、毎日みてえに嫌なことばっかり起こってる世界だそうじゃねえか。いじめとか、自殺とか、泥棒とか、殺人とか。まるで鬼の国だ。ここで暮らしてる俺たちにしてみりゃ、滅法恐ろしい所だがなあ」
別に、向こうの世界でも毎日そんな事件が起こってるわけじゃ――と言いかけて、一道は言葉を呑み込んだ。
殺人やら自殺やらを身近に感じることなど滅多にないが、ニュースを観れば、いつだってその手の話題には事欠かない。確かに自分がもといた世界では、毎日毎日、どこかで恐ろしい嫌な事件が起こっている。
「ここには……そういうこと、全然ないのか? いじめも、自殺も、泥棒も、殺人も……」
「ねえよ。外つ国の奴らは、なんだってそんなことするんだろうな? まったく不思議なこった」
天跳は腕組みして首を捻ってみせた。
「おまえの
「うん、そりゃあ……」
しぶしぶうなずき、一道は面白くない顔でうつむいた。
天跳の言っていることは本当だろうか。この異世の国というのは、外の世界のように心汚い者などおらず、いさかいも苦しみもなく、永遠の平和が続く楽園のような所なのだろうか。
だから、里哉も元いた世界を捨ててこの国に留まろうとしているのか? いや、しかし――。
ぶちん
と、不意に、頭上で奇妙な音がした。
一道が見上げると同時に、天跳が舌打ちして立ち上がった。
「ちくしょう、またかよ」
「何、天跳。どうしたの?」
一道は、音のした辺りへ視線をさまよわせる。
天跳は「あそこだ」と傘の天井の一点を指差した。
いくらか離れた天井のその箇所へ目を凝らすと、天井に穴が開き、そこから雨の糸が垂れ落ちてきている。
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