第6話 茜色の不信感
いろは荘に戻ってきてから、紫音の様子がおかしい。誰にも相談はできなくて、いつも通り振舞おうとするけれどなんだか、から回っている気がする。いやおかしいのはいろは荘に戻ってきてからじゃないかも?思えばバーベキューの日にゆきねから変なことを聞かれたんだっけ。それからだ。紫音がおかしいなと思い始めたのは。それでも、すごく変なわけじゃない。ただ、あれっ?と首をかしげたくなるだけなのだ。食事やら買い出しやらの誘いが紫音じゃなかったり、食事の時に隣に座ってるのが紫音じゃなかったり、四人の食事が三人しかいなかったり。でも、誘われて行けば紫音もいるし、話もするし、四人の食事が全員揃わないことだって全くないわけじゃない。だけどなんだかおかしいのだ。言葉にはうまくできないけれど違和感を感じる。
「あーちゃん?」
「あかね先輩、絵の具!」
「ぁ、」
ぼーっとしてたらしい、塗らないはずの制服に色が塗られている。
「や、やっちゃった…。」
「コウくん、あさちゃんに連絡して、何か服持ってきてもらって!桜がいいっていうまで入ってきちゃダメよ!」
写真部は自由に撮ることを前提としていて、夏休みの活動は少ない。それが今は助かったかもしれない。コウくんはすぐに席を立った。空気が読める後輩は、こんな時頼りになる。桜先輩があたしの制服を剥ぎ取って、桜先輩自身が絵の具を使う時にいつも着ているカーディガンをかけてくれる。
「スカートは汚れてない?…スカートも脱いでくれる?準備室こもってていいから。」
「…すみませんお願いします。」
流石に女子同士だとしても下にジャージも何も履いてないと、スカートを脱ぐのは恥ずかしい。
「桜ちゃ、先輩、持ってきました~。」
美術準備室に入って5分くらいたったころ、あさちゃんの声が聞こえた。面倒だったのだろう。あさちゃんは部屋着のままだ。本当は制服でないとダメだけれど堂々と来てしまえば特に何も言われない。運動部は面倒だからと運動着で来ることも多いくらいだから変わらない。
「あかね先輩、これ。サイズ合うと思うけど、合わなかったらごめん。です。」
だいぶ使えるようになったとはいえまだまだ下手な敬語だ。くすっと笑ってから、服を受け取る。あさちゃんは小柄だ。ぎゃくに私は背も高いしでかいほうだ。それでも合うと言われたということはあさちゃんには大きくて来ていなかった服だということだろうか。
「…ぴったり。」
シンプルだが、生地がいいワンピースだ。
「親が送ってきてくれたんだけどサイズ合わなかったんだ、です。よかったらあかね先輩、もらってくださいです。」
「えぇ?そんな、それはダメだよ、」
「親にサイズ合わないことを言ったら誰かにあげろって。桜ちゃんには少し丈が長くて。」
さっと想像する。桜先輩で少し丈が長い。あさちゃんに着せたらどんなことになるんだろう。そんなことが気になってしまう。
「あさちゃんありがとね。これからどうする?」
「宿題やりに帰る、です。」
「じゃあついでにコウくんに入っていいよって伝えてくれる?」
「うん。」
あたしもありがとう!ってあさちゃんに声をかける。
「こんな服で絵をかいてもいいのかな…」
そんなふうに不安になってしまう。
「大丈夫。汚しちゃいけない服をあさちゃんが貸すわけないしもらってとまで言ってたから、…本当にあさちゃんのサイズにはあってなかったから。」
桜先輩はあさちゃんが服を着てみたところを見ていたらしく、笑いそうになってる。
「大丈夫、ですか?」
「ぁ、コウくん。うん、大丈夫よ。」
今日の失敗はこれから少しずつ取り返していくしかない。まず面倒だからって着替えを持ってこないのはやめよう。準備室を更衣室替わりに使っていいことにもなっているんだし、どうせなら有効活用してやるという手もあるんだから。それに紫音がおかしいなんて考えてあたしまでおかしくなっちゃ元も子もない。でも平常心でなんていられるわけないから、失敗しても大丈夫な格好を最初からしてしまえばいい。
「あかね先輩そのワンピース似合いますね。」
「あはは、ありがと。」
まさかコウくんからそんな言葉が出るとは思わなかった。
「絵の具無事落ちたから、干しとくね。帰りに乾いてなかったらその格好で帰ることになるけど…」
「まぁ、浅葱も堂々と私服だったし、大丈夫でしょう。」
「それもそうね。さて、桜も続き書かなきゃ~」
桜先輩が毎日、デッサンしていたのを部屋から見ていたあたしはどの構図になるのかワクワクしながら桜先輩の絵を横目で見て、自分の絵に向かう。あたしは、自分の絵には自信が無い。キャンバスに描く絵も好きだけど、表紙レイアウトやらのデザインも好きだ。でも、それだけで生きていけるかと問われれば無理だろう。桜先輩や、蒼先輩は美大に進むと決めているらしい。あさちゃんだって写真にまっしぐらだし、紫音は、実家の家業であるブランドのカタログの写真を撮ることも多い。コウくんはわからないけど、彼はまだ1年生だ。…あたしだけなんだかふわふわしているみたい。気づけば紫音のことばっかりで、集中力も散漫になっているんだから。
「……何色だったっけ…。」
「黒って言ってませんでしたっけ。」
「そっか、クロアゲハだ。」
見たものをしっかり描くタイプの桜先輩とコウくん。反して頭で描いた創造物をそのまま描くあたし。 桜先輩とコウくんは二人とも見て描くタイプだけど、細かいところはすごく違う。まず、風景画と人物画で違う。コウくんは風景画の方が得意だというし、桜先輩は珍しく風景画を書いて夏休み前に四苦八苦していた。
「あーちゃん、気をつけてっ!」
ぼーっとしていたのだろう。桜先輩の声がはっきり聞こえると同時にバシャッと水がこぼれる音がした。
「あぁぁぁぁ!!!!」
高校生活の中で一番大きな声が出た気がする。水は私のキャンバスに見事にぶっかかっていた。
「…描き直し…」
また下書きから始めなければいけない。
「あ、あの、」
「あーちゃん、今日は帰ろうか。多分このまま続けててもまたなにかやらかすだろうからさ。」
桜先輩はあくまで優しくでもきついことを言う。こんなこと珍しい。それだけあたしがやらかしてるってことだ。
「はい、帰ります…。」
「制服は帰りまで乾かしてあーちゃんの部屋に持ってくから。」
「お願いします。」
荷物整理してトボトボと歩く。あーぁ、まさか帰れって言われるとは思ってもなかったなぁ。二年間で初めてだ。どんなに調子が悪くても気づかれたことは無く、熱を出して休んだ日に前日の調子を聞かれた友達はいつも通りだったよ、と言っていたらしい。体調のことでも何でもあたしが隠したことは紫音以外が気づいたことは無かった。
「あかね?部活じゃなかった、そんな服持ってたっけ?」
「え、あぁこれは、」
「…誰にもらったのか知らないけど似合うじゃん。」
「ほんと?!」
素直に嬉しくなる。紫音に服装を褒められるなんてすごく久しぶりで嬉しい。
「あ、でもね、この服は、」
「あかねのことを好きな人にでももらったの?そいつセンスいいね。」
話を聞いてくれない。紫音は何を考えているんだろう。
「じゃ、僕やることあるから。」
…やっぱりおかしい。説明すらさせてくれないなんて。あたしのこと好きな人なんて知らない。聞いたこともない。プレゼントだとかそんなものでもないことくらい説明させてよ。
「最近の紫音おかしいよ!ねぇ、」
背中に叫んだけれどすぐに扉がしまった。紫音は聞いていなかったのかな。それとも…聞こえないふりをしたのかな。
「あーもう信じらんない!!」
珍しいと自分でも思うくらいの声を上げて、階段を駆け上がり蒼先輩の部屋のドアを叩く。
「なんだよ、忘れ物かしお、…あかね、今日美術部あるだろ?」
「やらかしすぎて帰されました。…あと相談乗ってください。」
「相談って、あかねも?さっきまでしおの相談聞いてたんだけど。」
「紫音の?」
紫音が誰かに相談なんて珍しい。いつも自分で解決しちゃうんだ。自分で全部やってしまうんだ。小さな決断も、大きな決断さえも。中学受験の時も全部そうだった。私には事後報告だった。
「珍しく相談のってくださいってくるから何かと思えばあいつの中で答えは出てるみたいだし、ただ話聞いてただけだったけどな。まぁ、ここで話すのもなんだし、入れよ。紅茶でいいか?」
「ぁ、おじゃまします。あとお構いなく…。」
相変わらず、ものはある方なのに綺麗に片付いた部屋だ。物が溢れている桜先輩の部屋に、パソコンと机のみが増えた物のない紫音の部屋のちょうど間ぐらい。ただ、桜先輩の部屋はものが溢れていても片付いているのでよしとしなければならないだろう。部屋が片付かないあさちゃんの部屋だってある。
「ほら、ミルクティーじゃなくて、ストレートでいいよな。」
「はい、ありがとうございます。」
人の部屋に入るとどうしても眺めてしまう。それはきっと私だけじゃないはずだ。
「物珍しい物でもあったか。」
「あ、いえ。すみません物色するみたいなことしてしまって。」
「別に大丈夫だぞ。で、相談ってなんだ。」
どうしよう、どうやって、何から話そうか。
「…最近紫音が変なんです、」
ぽつりと話し始める。
「うまく言葉にできないけど、なんだか違和感を感じるんです。」
なんて言葉にすればいいかやっぱりわからない。そんなにいいわけじゃない頭を必死にフル回転させるけどわかるわけがない。
「…最近話したか?」
「いえ、なんだか避けられているので、挨拶くらいです。」
そうこの避けられている理由が全くわからない。あたしは紫音に避けられるようなことをした覚えは全くないのだ。
「紫音と話した方がいい。としか俺にはいえないな。あいつの事情は正直よくわからないし、知ってたとしても俺から話すのは筋が違う。しかも、さっきの相談もな、『気づいちゃったんですよ、でもこんなこと気づきたくなかった、』だのなんだの、主語がないから意味が、わからない。」
下手くそだが紫音の真似らしい。紫音は解決したことを自分の中だけで押し止める。他人に話す時もそう。紫音のワールドですべては語られるのだ。
「…そうですか…。」
「あかねはさ、紫音のことどう思ってんの?」
「蒼先輩、それはどういうことですか?」
あたしの質問に蒼先輩は呆れたようにそしてさも当然のように答えた。
「好きか嫌いか。それ以外なら恋愛対象かそうでないか。」
「…恋愛対象…、そんなわけないじゃないですか!第一紫音に迷惑かかりますもん。紫音モテるんですよ?可愛い~って。」
あたしは笑い飛ばした。あたしと紫音はずっと背中合わせの幼なじみだ。困ったら助け合う。でも深いところまではお互い詮索しない。そう、それが暗黙のルールだ。
「それならそうと普通に接してやれ。そのうち紫音も普通に接せられるだろ。」
「…はい。」
「なんか、納得いかないって顔だな。悪かったな対して相談もしてやれなくて!」
ほっぺが膨らんだりはしてないけど蒼先輩がむくれているのがわかる。
「いえ、蒼先輩ありがとうございます。紫音には今まで通り接してみます。」
「おー、そうしろそうしろ。で、あかね、俺からもひとつ聞きたいんだけど。」
「はぁ、」
「桜、なんかあった?本人に聞いても浅葱に聞いても誤魔化されるし、しおは知らないっていうし、」
そんなことは無い。紫音だって立派な協力者だ。桜先輩のあの写真を預かっているのが紫音なんだ。
「最近、部屋にいることも少ないしな。飯の時も俺の部屋で作ること増えたし、」
あたしも、誤魔化すしかない。桜先輩が自分から話さない限りあたし達は誰にも何も言わないと約束したのだ。
「勘違いじゃないですか?」
「なわけないだろ。明らかにおかしい。何かを隠しているのも知ってるし、気づいてないのコウくらいじゃないか?」
「もし知っていたとしてもあたしからは何も言えませんよ。」
「そうか…。まあ話してくれるまで気長に待つか。」
話してくれるまで気長に待つ、なんて余裕があるんだろう。お互いのことをわかっていて、お互いのことを信頼しているんだろう。それは、恋人だからできうる関係性なのかな。幼なじみのままのあたしと紫音にはありえない関係性なのかな。
「ありがとうございました、蒼先輩。失礼します。」
「あんまり力になれなくて悪いな。」
ペコリと頭を下げて、階段を降りる。
「…やっぱり、わかんないなぁ…」
つぶやいて、あさちゃんからもらった服のままだったことに気づき、あたしは部屋に戻った。もらったものとはいえ紫音に誤解されるなら着ない方がいい。あたしのことを好きな人にもらっただなんて、紫音はあたしがモテないことをもちろん知っているはずなのに何を言ってるんだろう。
紫音とは違いものがあるあたしの部屋は、なんだか考え事をするにはごちゃごちゃしている。
いつもならすぐにつかむ小説も今日はなんだか読みたくない。小説を読みながら聞くためのCDプレーヤーも使いたくない。夏休みの課題もなんとか終わらせた今部活に出たいところだがあいにく今かえされたばかりだ。
「紫音、話してくれないかな…。」
そのままあたしは眠りについていたらしい。目が覚めたのは20時頃だった。
「起きた?」
「桜先輩…」
「ごめんね、鍵あいてたから、入ってきちゃった。」
不用心だから気をけてね、と桜先輩が笑う。
『あかね!昼寝するなら鍵はちゃんとしめて寝ること!何かあったらどうするの?僕が必ず気付くとは限らないんだからね?』
紫音の怒った声が私の脳内で再生される。去年何度も言われたセリフだ。必ず紫音が気づいてくれて必ず起こしてくれた。紫音はいつもそばにいてくれる。紫音はいつも、あたしを守ってくれていたのかもしれない。
「しおくんが18:30頃に夕ご飯呼びに来たの知ってる?」
あたしは首をよこにふった。
「あまりにもよく寝てるから交代でこの部屋に張り付いてたの。あ、お腹すいてない?ご飯持ってきてるよ。」
桜先輩が電子レンジ借りるね、と、おかずとご飯を持っていく。もらった服のままであることを避けるために部屋にもどったというのにあたしはまだ着替えてなかった。ワンピースから部屋着のワンピースへ。早着替えを終わらせたあたしはぐっと伸びをして座った。
「あ、着替えたんだ。はい、熱いから気をつけてね。」
「いただきます、」
ご飯、唐揚げ、キャベツ、ポテトサラダ。お母さんと家族みんなと暮らしてた頃のような食事だ。桜先輩の料理は家庭的で本当に落ち着く。
「あーちゃん、ごめんね、何日もおじゃまして。」
「いいですよ。まだあのストーカー続いてるんですよね?」
桜先輩はあたしに気を使ってか、日中は学校にいるし、寝るくらいでしかあたしの部屋には来ない。遅い時間に外に出るのはということで、21時までにいろいろ終わらせて来るから最近たくさん話してる。
「うん…。」
「あたしとしては桜先輩に何かあった方が困ります。」
桜先輩の目がまん丸になる。もともと丸い目がさらに丸くなっていく。
「だって、さみしいじゃないですか。桜先輩がいないのはもちろん、笑ってなかったり、暗い顔してたり、そんなの。」
さみしいし、辛い。
「あーちゃん、ありがと…」
「さて、この話は終わりです!…うん、美味しい。」
唐揚げをほおばる。
「唐揚げはレンジでチンってわけには行かなかったからトースターで焼いてみたよ。」
料理は苦手だが料理の道具やらレンジやトースターはちゃんと部屋にある。
「電子レンジもトースターもあるとは思わなかったよ~。」
「ねぇ、桜先輩、先輩は幼なじみがおかしいと思ったらどうしますか?」
「しおくんのこと?」
「と、友達に相談されたんです!」
こんなの嘘だとわかっているだろう。だけど桜先輩はそんなこと気にせずに笑って答えた。
「まぁ桜は蒼とあさちゃんが幼なじみみたいなもんだから、おかしいと思うっていうか、普段からおかしいこと多いからなぁ…。でも、話を聞くことから始めるかな…」
蒼先輩と同じことを言う。カップルで思考というのは似てくるのだろうか。
「話もできない状況なら?」
「んー、しばらくほうっておくかな。時間たった方が話せるかよしれないし。」
あたしに今気長に紫音を待つことができるだろうか。あたしにそんな余裕はあるのかな。紫音と話せない日々はなんだか物足りない。
「…桜先輩おはようございます。」
いい匂いがして目が覚めた。どうやら桜先輩が朝ごはんを作ってるみたい。基本的に、朝ごはんは桜先輩とあたしが桜先輩の手作りご飯を食べる。たまにあとのふたりが乱入してくるけど、塩さえいれなきゃ米はたける紫音と、ケチャップさえいれなきゃ割と料理はできる蒼先輩。パンを焼くだけでも四苦八苦するあたし以上の料理べたはいないのだ。
「あーちゃんおはよう、はい、食べよ!」
桜先輩と他愛のない話をしながら朝ごはんを食べ、部活へと向かう。昨日乾かしてもらった制服は洗濯機に突っ込んで今日はもうジャージで登校だ。ジャージを持っていって向こうで着替えるのは面倒だし、下書きをすぐにでも書き終えて色を塗り始めたい。
「…あれ、写真部今日部活あったの?」
あたし達より先に誰かがいるなんて珍しい。
「あ、やっときた、谷崎さん。隣の子ちょっと席外してくれる?」
やばい、直感がそう言った。
「谷崎さん話すらさせてくれないからここに来たら絶対いるかなって。」
女の力は男には通用しない。あっという間に桜先輩を男に取られてしまった。口パクで蒼には言わないでとあたしに伝えた。
「…紫音…。」
電話をしながらあたしは校舎から走った。蒼先輩に知られるのはまずいかもしれない。でもそれより大変なんだ、紫音はまだ寝てるかもしれない、アパートに急ぐ。コウくんはあの状況を見たら絶対に蒼先輩に伝えてしまう。だからその前に紫音に助けを求めるしか、他にない。本当は蒼先輩にいうべきだろう。でもそれじゃ桜先輩が必死で隠してる意味がなくなる。でも大丈夫かな、紫音と話せるかな
「なに、朝からうるさいな、」
「紫音助けて。桜先輩が、」
「…もしかしてあれ?」
「美術室…急いでいって…」
紫音はすぐに部屋を飛び出して、走り出した。あたしがつく頃には収束していた。紫音が男を抑えていて桜先輩はうずくまっていた。
「先生、呼んで」
「あかね、今はさくちん先輩を部屋まで送ってあげて。で、コウと一緒にここに来て」
大事にはしたくないらしい。あたしは頷いて桜先輩をあたしの部屋につれていって、コウくんを呼び出した。コウくんは特に不思議に思わないらしくおとなしく何も言わずについてきた。
また美術室に戻ると紫音は嬉々と男を縛っていた。
「ちょっと何してるの?」
「え、拷問しようと思って」
嬉しそうに言う。見た目だけなら可愛らしいのにこの言動はどうにかならないのか本気で疑いたくなる。
「さてと、僕はこれを補習室に返してくるからさ、ふたりは部活でしょ?コウ、あかねをよろしく。」
先輩だというのにこれ扱いをした紫音はニコニコと去っていった。普通にしゃべれた、はずなのになんだか物足りない。話した時間が短いからだろうか。それとも、普通に話したと思ってもやっぱり話せていないのだろうか。
「…なんかあったんですか?」
「…あ、いや、特には、」
「浅葱も桜先輩も、あかね先輩も、しお先輩も俺と蒼先輩になにか隠してますよね、」
気づいていたんだ、
「でもま、あかね先輩としお先輩フツーに話せたみたいで良かったです。最近のふたり見ていられなかったし。」
「へ?!」
「ギクシャクしすぎでしたよ。ほんとに。」
あぁ、さっきのはちゃんと傍から見ても話せていんたんだ。安心した。
「そ、そろそろ絵書こうか!」
「あ、はい!」
絵を書こうと言ったとたんにコウくんの目が輝いた。
「あ、明日写真部も部活あるみたいですよ。浅葱がみんなでコラージュ作るんだ~って嬉しそうに言ってました。」
「写真部ほんと仲いいよね…。」
「いや、俺達も仲悪くは無いでしょう?むしろいい方かと。」
「うんそれは否定しない。」
でもなんだか壁がないんだ。みんな写真が好きだって思いっきり言い合ってる。あたしは美術が好きだしそれ以上の特技はない。でも、それで食べていきたいかと言われればまた別。趣味で続けるだけでいい。私はそんなにうまくはないんだから。桜先輩もコウくんも絵に一生懸命でそこに壁を感じてしまうんだ。
「ただいま~。」
「しお先輩、てっきり帰ったのかと」
「部活とはいえ男女2人を美術室に残すのもな~って思って。あれ、あかねまだ下書きなの?」
普通だ、普通に話しかけてくれてる。ここ数日の、あのなんだか遠慮したような話し方じゃない。
「昨日、ミスって絵の具を制服とキャンバスにぶちまけちゃったの。」
「どんくさいなぁ、」
「それでね、昨日あさちゃんがあの服をサイズ合わないからってくれたの。ね、コウくん。」
言いたいことを聞き逃されないうちに言ってコウくんに同意を求める。コウくんはすぐに頷いてくれた。
「…あさの親のセンスかな?上品だったし。似合ってたよ。でも気に入らなかった。」
紫音が、あたしにさみしそうに笑った。
「うちの洋服着てよ。あかねはうちの服着て笑ってるのが一番マジだよ。」
「マシって失礼な!」
「母さんセンスだけはいいから。よくあかねたちにも服作ってたでしょ。それが一番にあってたから。」
家の宣伝でもしたいのか、と言いたいけど紫音はそんなわけがない。
「僕が、あかねに似合う服、探すから、だから他人からは服、もらわないでよ…。」
「…なに、紫音あさちゃんに嫉妬でもしてるの?」
「そ、そんなわけ!あかねに一番近いのは僕だし?僕がいなきゃあかね何も出来ないでしょ!」
コウくんの目が気になるけれどそれよりも紫音と普通に話せてる今が嬉しい。この時間が長く長く続けばいい。それだけでいい。だって、紫音との距離が一番近いから。きっといつかは離れていってしまうんだけどせっかくの幼なじみだ。長く仲良く付き合いたい。いつかあたしは恋愛して紫音も恋愛して離れ離れになる。それまでは一番近くにいたっていいじゃない。
「あかね先輩も、紫音先輩も桜先輩のことはいいんですか。」
「あ、」
ふたりして声が重なる。
「やばい、僕鍵締めてきてない!」
「それは大丈夫、あたしがしめてきた!」
「だから遅かったんだ、よしとりあえず一旦帰るよ。コウは部活してる?」
「はい。」
「ならまたま戻ってくるから!」
慌ただしく二人で美術室を出ていく。
「桜先輩!」
「あーちゃん、」
「大丈夫ですか?」
あたしと紫音の声が重なる。
「うん、腕つかまれてキスされそうになったくらいかな。その前にしおくんが助けてくれたから。」
「…一応紫音が懲らしめたとはいえまた何かあったら困りますから、やっぱり蒼先輩に話しませんか?」
「蒼に暴走させたくないの。蒼、昔桜とあさちゃんを守るために何度か問題起こしてるから。」
桜先輩は困ったように笑った。
「でも、」
「助けてくれてありがと、でも、もう迷惑かけられないよね。」
「ひとりで耐えることなんかない!」
気づいたらあたしは叫んでた。
「辛いなら辛いって言っていいんです。暴走させたくないならあたし達でとめましょう。紫音とコウくん、桜先輩にあさちゃんとあたしの5人で止めればどうにかなるかもしれません。桜先輩が傷つくのも蒼先輩が傷つくのも見たくないですから、あたし達じゃ力になれませんか?」
あたしたちは、先輩達のほんの少しの力にでもなれないのかな。何か少しでも手伝えないのかな、先輩達の心の隙間を、埋められないのかな。傷ついてるのを救えないの?
「でも、これは桜の問題で、」
「もう遅いですよ、僕もあかねもあさも巻き込んでるんだから。」
「紫音!」
紫音の言い方にあたしはつい紫音を止めようとする。
「あかねは黙ってて。」
紫音があたしを止めて続ける。
「でも誰も迷惑なんてしてない。むしろさくちん先輩の力になりたいって言ってるんです。僕らじゃそんなに頼りないですか?」
あたしの言いたい事を紫音は一気に言い切った。
「…ごめんね、二人とも…ふたりのいうとおりにするよ。」
そしてその夜みんなで紫音の部屋に集まってことの次第を話した。あたしはなんとか紫音と普通に戻った、と思いたかった。
桜先輩のことになると普通に話せるのにあたし達のことだと全く話せない。あたしのこと、紫音のことだと話すのをためらってしまう。いつになったら、ちゃんと話せるんだろう。なんだか、胸がむかむかしたまま夏休みは終わってしまった。
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