第5話 紫色の休暇
夏休み、お盆休み、僕の一番の楽しみの時期だった。夏の課題さえ早めに終わらせてしまえばあとは遊び放題。お盆休みはいつも忙しい両親ができるだけ予定を開けて遊びにつれていってくれた。とは言っても経営が忙しくなってからはそんなことはほぼない。家族揃う時間は僕が帰らないことが多いことも原因だが、なかなかない。
「紫音?どうかしたの?」
「あ、準備終わった?あかね。」
コウは昨日、家から迎えが来て、さくちん先輩と蒼ちん先輩、あさは今朝、蒼ちん先輩のお兄さんが迎えに来て帰っていった。夕方出ていくのは僕とあかねだけらしい。後をつけられていたさくちん先輩の話を無理矢理あかねから聞き出したのが昨日のこと。僕にはどうしようもないので、写真を預かっておくことになった。
「うん、待たせてごめん。」
「いや、昨日夜遅くまで話してたし、起きるの遅かっただろうから準備も遅くなるのは目に見えてたから平気。」
どうして僕はこんな言葉しか出てこないんだろう。もう少し優しい言葉でも出ればいいのに。幼なじみだから一番近くにいるのに幼なじみの関係がが邪魔をするかのようになんだかから回る。
「…行こうか。」
せめて男だということを見せようと黙ってあかねの鞄を持った。
「し、紫苑!それ重いからいいよ!」
「これくらい、男だから…もて、るし!!」
思っていた以上に重い。軽々と持つなんてことは出来ない。それでも僕には僕の維持がある。
「…紫苑本当に力ないんだから、貸して。」
「あかね、僕も男なんだけど?」
いつもは自分の容姿が中性的であることを精一杯利用してきた。だけど、あかね一人の前では男らしくいたいとも思う。
「…もう、じゃあ、お願いします。」
よろよろっとしながらもなんとかお互いの家の付近までついた。バス停から5分の距離はありがたい。二つの荷物を抱えてよろよろ歩いていたので何度も心配されつつもなんとか乗り切った。
「しぃ兄おかえり~!」
「あーちゃんもおかえり~!」
「みお、りお、ただいま。」
あかねの家の前でふたりが座り込んでいた。隣の家は今はあかねのお父さんだけが暮らしている。あかねの弟の徹は、あかねが一人暮らしを始めたと同時に日向性のまま、離婚したお母さんの方で暮らしている。学区は同じなので会おうと思えばいつでも会える距離だ。
「紫音、荷物ありがとね。」
「鍵あるの?」
「あ、徹に電話するの忘れてた…。」
あかねが徹に電話して徹が来るのを一緒に待つ。自転車で10分の距離は長いようで短いらしい。何でもない話をしていたらすぐに徹が来てしまった。
「あーちゃん、しぃくん。久しぶり~、おかえり~!」
「あーちゃんが帰ってきたって言ったらゆきちゃんまでついてきた。」
「いいじゃん。あーちゃんはうちの姉でもあるんだから!」
相変わらずうるさい姉弟がさらに場を賑やかにする。
「じゃ、徹も来たみたいだし僕は家に帰るから、じゃあまたね、あかね、ゆきね、徹。」
三人それぞれの名前を呼び、妹たちの名前を呼んでいえに入る。約三ヶ月ぶりだろうか。ゴールデンウィークに帰ったのが一番最後だった気がする。物のなくなった僕の部屋はずいぶん広い。置いていった写真集や雑誌、アルバムが本棚を埋め尽くしているだけで、あとはクローゼットに押し込んである。これでも去年の雑誌を持ってきたりはしたのだが、やはり普通の人に比べたらものは無い。
「しぃ兄の部屋、みおとりぃちゃんで掃除したんだよ~!」
「みぃ姉が布団出して、りおが掃除機かけたんだよ!」
「ん。ありがと。」
ポンポンっと頭をなでてやるとすごく嬉しそうな顔をする。みおはもう中学生のはずだがまだまだ子供っぽい。二人とも外見は年相応に見えるし、姉妹に見えるのに精神年齢はきっと同じくらいだ。
「ちょっと僕休んでもいい?」
「うん、またご飯の時に呼びに来るね!」
素直にふたりは出ていった。置いていったカメラ雑誌をパラパラめくってみる。…もう少し物を置いていっても良かったかな、いやそうしたら、いろは荘の僕の部屋の物がなくなる。どちらにせよ昔からものを買う事が少ない。両親の会社が軌道に乗る前は今のようにお小遣いだのなんだのはもらえたものの少なかったからその時のくせだ。会社経営とはいえ、普通の暮らししかしていなかったのだから。
「しぃくん、ご飯よ。」
「…母さんか…。ただいま。」
「おかえりなさい。」
いつの間にか寝ていたらしい。僕はまだぼーっとする頭を左右に思い切りふって起き上がった。
「りぃちゃんとみぃちゃんがしぃくんの好きなハンバーグ作ったのよ。」
「あのふたり料理できるの?」
「二人とも一年でだいぶ上達したわよ。しぃくんに作ってあげるんだ~!って」
僕が前に帰ってきた時はそんな素振りは見せなかったのに。一体何があったんだか。ほんの少し離れていただけでも妹たちの成長を感じてしまう。
「しぃくんみたいに賢くなるって勉強もしてるし、ほんとあの2人はしぃくん大好きなんだから。」
「ははっ…、」
二人から好かれるのは嫌じゃない。普通、それなりの歳になれば兄妹仲なんて悪くなってもおかしくはないだろう。背中合わせでゲームしたり勉強を教えたり一緒に買い物に行ったり。そんな感じの関係にヒビは入っていないようだ。
「そういえば、あかねちゃんの荷物しぃくんが持った?昔みたいに持ってもらってないわよね?」
嫌なことを掘り起こされる。昔力が全然なくてもっともっと小さかった頃。今も決して大きくはないが、背の順で女子よりも低かったころ、僕よりだいぶ大きかったあかねが荷物を持つのを手伝ってくれていた時期があったのだ。
「持ちました~。」
「そう、なら良かった。あ、明後日ねあかねちゃんたちの家族と家で食事しようって話になったの!悟さんも弓ちゃんも来るわよ~。」
「え、いいの、その2人一緒にしても。」
「えぇ。あの2人友人としてうまくやってるのよ。男と女の関係はダメだったみたいだけれど。不思議よねぇ。」
あんまり考えていないのかのんびり母さんは話す。せっかちな弓子さんとのんびりな母さんが友達だというのは何の冗談なのだろうかと、常日頃から考えてしまう。
「さて、ご飯食べに行こうか。パパも帰ってきたのよ~。明日明後日は二人揃って休みを作ったの。明日は久しぶりに遊びに行きましょ。そうね、どこがいいかしら、」
「…みおとりおが楽しいのはショッピングじゃない?」
「あらダメよ。みんなが楽しめるものにしなきゃ。」
母さんは楽しそうに僕の背中を押した。家族みんなで楽しむ、それは母さんの口癖だ。ひとりがつまらなかったら、それはみんな楽しくないんだ、といつも言っていた。
「映画はしぃくん苦手だものねぇ。」
「そうだね。」
考えることが楽しくて仕方ないらしく、ニコニコとキッチンへと降りていく。肉のいい匂いが花をくすぐった。
「紫音おかえり。」
「ただいま、父さん。」
父さんはスーツが良く似合う。センスのいいネクタイを外してボタンを一つ外して椅子に座ってる姿が様になっている。
「父さんは何でも様になってずるいな…。」
「ん?なんだ、褒めても何も出ないぞ?」
「みおりおも身長結構高いのに僕だけ低いんだよな~。」
モデルをやっているみおは背が高く顔立ちも綺麗だ。黙っていたら年相応、それよりもう少し大人っぽいくらいに見える。僕なんか黙っていたら中学生に間違えられることもあるのに。
「冷めるから食べよー!!」
雰囲気をぶち壊したのはりおだ。こういうところはまだまだ子供っぽい。
「そうね、さ、しぃくん席について。」
食事は全員揃って席に着いて。父さんの号令の後に僕らも続く。そして箸をつけることが許される。
「しぃ兄、おいしい?」
「しぃ兄、こっちも食べて。」
りおとみおがかわるがわるで聞いてきたり、何かを勧めて来たりする。
「美味しい美味しい、ほら冷めるから二人も早く食べな。」
「りぃちゃんもみぃちゃんもしぃくんのいうように早く食べなさい。」
こんなふうにご飯を食べてる時間、あかねは何をしてるんだろう、…いや、あかねのことは僕には関係ないっ!
「ごちそうさま、僕部屋に戻るね。」
何も無い部屋で何をするというわけでもなくカメラをいじる。初めて写真をとったとき、まだ裕福ではなくてカメラは安物だった。鳴り響くシャッター音やファインダーから覗く景色の魅力に僕はどんどんとりつかれていったんだろう。興味を持つことが少ない僕が唯一続けられている趣味なのだから。写真を整理するのも嫌いじゃない。だけどアルバムにまとめるのは苦手だ。なんだか窮屈に感じてしまう。…こうして見てみるとあかねの写真があまりない。一緒にいる時間は長いのになぜか少ない。突然控えめに扉を叩く音がした。
「紫音、入るぞ?」
「父さん、どうかした?」
「久しぶりなんだ、男同士話したりしてもいいだろ。」
「何を話すか知らないけどどーぞ。」
父さんは椅子を勝手に出して座った。僕は定位置のベッドの上だ。
「…前からものは少なかったが改めて見ても何も無いな。」
「いろは荘の部屋も備え付けのベッドとベッドと同じ高さにあわせて買ったサイドテーブルくらいしかないよ。あとは本棚かな。」
余計な物は置かない主義だ。ベッドの下にある収納スペースにカメラ雑誌はいれてあるし、家に持って帰ってきて保管したりもしてる。料理は作れないけど最低限のものはあるし、物は少なくても生活はできている。
「テーブルくらい買えよ…、」
「運ぶの面倒だし。」
「いついろは荘戻るんだっけ?」
んー、と帰る日を思い出す。
「今日が11日だから、18かな。」
「18日、紫音もあかねちゃんも送っていくからテーブル買っていこう。」
えー、と思いきり顔をしかめる。
「あと1年半のためにテーブル買うの?」
ベッド、洗濯機、冷蔵庫は備え付けだったし、サイドテーブルさえあればなんだかんだで生活はできる。テレビだってテレビ台を使わずにに置いているのはいろは荘で僕だけだ。
「お前そう言って布団とサイドテーブルしか買わなかったもんな…」
流石に布団はあまりがなかったし、僕のベッドには棚がついているのでサイドテーブルは家になかったので買うしかなかった。テレビはずっと僕の部屋においてあったもの(ただしあまり見なかった)だし、テレビ台は気に入るものがないといって買うのをあきらめさせた。
「僕には必要なかったから、」
「でも、部屋で勉強することもあるだろう。サイドテーブルでするわけには、」
「基本的には学校に行くか、図書館に行ってやってる。家にいるとカメラいじっちゃうし。それにどうせお昼ご飯買いに外に出るからそのまま外で勉強した方がはかどるんだ。まあ台風とか来たら別だけど。」
「パソコンとかはいいのか?」
パソコン、パーソナルコンピュータ…。僕はよく意外と言われるが機械を扱うのは得意ではない。しかし、パソコンは魅力的だ。
デジカメや携帯の写真の印刷がスムーズになる。幸い、機械に強い蒼ちん先輩がいるし、あさもコウも普通以上にはパソコンを使いこなせていた。…あかねが使えるんだ。僕に使えてもおかしくはない。
「珍しく迷ってるな。じゃあ今度テーブルとパソコン見に行こう。」
「でも通信料の問題とか、」
「気にするな。…気になるなら出世払いでいいぞ。」
僕は大きく頷いた。次の日は家族5人揃って遊びに行く。みおとりおはショッピングやらカラオケやら映画やらが好きだが、僕は美術館や個展の方が好きだ。お互いに納得いくのは両方が叶うところ。というわけで、車で何時間かかけて空港についた。
「空港?」
「ショッピングもできるし、写真も撮ろうと思えば撮れるだろ?」
昨日カメラを持ってこいと父さんが言ったのはこのためだったのか。
「ねーねー、しぃ兄!みてみて、飛行機飛ぶ寸前だよ!」
「ほんとだ。」
言うよりも早くみおとりおはガラス窓に向かって走り出した。その背中をゆっくり楽しそうに母さんが追いかけて僕と父さんがその後をさらにゆっくり追いかける。1日空港で僕らは家族水入らずとやらを満喫した。食べて、買って、写真を撮って、笑って、疲れて車の中で母さんもみおもりおもぐっすりと眠っていた。
「助手席に紫音のせてよかったよ。」
「母さんじゃ寝ちゃうからね。僕もりおとみおの間には座りたくないよ肩凝るし。」
両側から肩に頭を置かれて痛くないはずがない。父さんの飴を向いて手渡しながら後ろを見る。疲れたんだろう。朝からはしゃぎっぱなしだった。帰ったらゆっくり風呂に浸かろう。きっとみおもりおも長風呂で二年前の日常のようにイライラしながら二人が風呂を出るのを待つんだ。
「あ、そういえば紫音。またみおにカタログの服着せるから写真頼めるか。」
「こっちにいるあいだならいいけど。」
「おお、ありがたい。じゃ表紙デザインはまたあかねちゃんに頼むか。」
「僕らに頼んだら安上がりだと思ってないよね父さん?」
ふざけた口調で聞いてみる。なんだかんだバイト代として僕らにちゃんとお金はくれるんだから別に文句はない。
「ばれたか、」
ふざけた調子で返される。こんな感じが丁度いい。
次の日は朝9:00頃に起こされた。昨日でかけて疲れていたんだろう。僕が寝坊することも珍しいことではない。これからきっと女性陣は買い物に行ってくるから留守番よろしくと頼まれるくらいだろう。あかねも僕も戦力外通告を受けるのを待つだけだ。
「しぃくん!あかねちゃんとパパたちとお留守番よろしくね」
パジャマのまま階下へ降りていくともう着替えを済ませたあかねがいた。徹とあかねのお父さんも一緒だ。父さんと仲良く話している。ちなみにパジャマ姿は僕だけ。とたんに何故か恥ずかしくなる。しょっちゅうパジャマ姿は見合っているとはいえひとりパジャマはこんなにも恥ずかしいのか、冷静に分析する。
「着替えてくるっ…」
恥ずかしさで顔が真っ赤になるってこういうことか、なんて考えながら部屋に戻る。高校生らしいあたりさわりのない格好。アパレル系企業の社長、デザイナー夫婦の子供がそんな格好だとは誰も思わないだろう。
「あ、紫音出てきた。」
「なんであかねが部屋の前にいるの。」
「お父さんたちの話についていくの苦労するのよ。それに紫音いないと…」
ごによごにょと口ごもりながら僕より少しだけ背の高い幼なじみは照れくさそうに笑った。可愛いとか言ってやらない。代わりに鼻をつまんで言ってやるんだ。
「僕がいないと何も出来ないの?」
「鼻つまむな!チビのくせに」
「うるさい!あかねは僕より低くなれよ!」
まだまだ高校生、まだまだ伸びてやる…。
こんなふうに喧嘩になってしまうのはきっと僕がまだまだ幼くて、あかねもまだ幼いからだろう。あかねに負けたくないという気持ちが強くてまだ何かと張り合おうとしてるんだ。
「ねぇ、夏の課題終わった?」
「蒼ちん先輩の誕生日には終わらせてたけど。」
「あぁ、そうだったね。」
会話が続かない。
「あかねは?!」
こういう時はどんなことを問うべきなんだろうか。僕は考えながらあかねにあたりさわりのないことを聞く。
「数学わからなくて。」
「お、教えようか。」
「嘘教えないなら、」
今までの自分のふざけた態度が今になって嫌になる。こんなことなら普段から普通に教えておくべきだった。
「普通に、ちゃんと教える。」
「じゃあお願いしようかな。」
あかねのこんなにも綺麗な笑顔を見たのは久しぶりかもしれない。最近はずっと怒らせるか喧嘩ばかりだったから。越えたい関係は越えられない。臆病ばかりが心を占める。なんてただの言い訳なんだろう。
「ぁ、お母さんたち帰ってきたみたい。」
「火起こしさせられるかな。」
「調理に関しては戦力外通告受けてるもんね。」
庭に出て火起こし中の父さんたちの手伝いをする。ほぼ父さんたちがやってくれるのは少し面白くない。
「あーちゃん、女の子なのにこっちなんだね。」
「徹、世の中にはね料理好きの男性がいるの。だからね、女性も必ず料理ができなくてはならないことはないのよ。」
「いいわけか。」
あかねがとたんにこっちを向いてきーっと声を出す。学校で喧嘩してもあまり聞かない声だ。いろは荘のメンバー、いや僕の前でよくする顔だ。声だ。
「紫音だってできないくせにー!!」
「あかねより壊滅的ではないけど?ちょっとしょっぱくなりやすいだけで」
すぐに塩を入れてしまう僕と、どこから間違えたのか食べ物にもならないあかね。どちらがましか一目瞭然だ。
「昨日一昨日のご飯はどうしたの、」
「僕が作ったよ。あーちゃんに食材持たせたら大変だからね。そこは父さんとあーちゃんそっくり。」
なるほど、と僕は頷く。長く家族ぐるみで付き合っているけれどあかねのお父さんが料理をしているところなんて僕は見たことがない。
「あかねは高校出たらどうするんだ、戻ってくるのか?」
「戻るつもり…。私が戻ったら徹はどうする?」
「僕も戻るよ、お父さんとあーちゃんをキッチンに立たせたら大変なことになるし。でも、あーちゃんにはそろそろお米くらい炊けるようになってもらわないと…。」
徹の言葉につい僕は吹き出す。いろは荘に引っ越したばかりの頃、大変なことが起こったことを思い出す。
「確か米を包丁で切ろうとしてたんだよね~、皮を剥く!とか言い出してさー!水の量が違うだろうとか洗剤で米を洗うとかは想像してたけどさすがに米を包丁で切るのはさすがに料理下手の僕でも予想しなかったな~。」
「…それだけじゃないよ。お米、とぐだけにしたからといておいてって言ったら、研石持ってきたんだよ。基本的にはしっかりしてるし、頭もいいのになんでこうなるんだか…。」
徹とふたりしてわざとらしくため息をつく。
「お父さんもお米たけないでしょ?!」
「あかねと一緒にするな!たけます~。」
「水分量を間違えるがな。」
奥で作業していた5人が出てくる。肉、イカ、野菜、そば。トレーに盛られているのはこれから焼く材料たちだ。
「弓ちゃんったら、違うでしょ。おかゆにしちゃうんでしょ?」
「そうだな。初めて見た時はびっくりしたぞ。ゴミクズを料理と言い張るし、粥を普通に炊いたと言い張るしな。」
あかねのお母さんは相変わらずキツい言い方をする。
「弓ちゃんそれはひどくないか?」
「ひどいも何も事実だろ。」
元・夫婦の口喧嘩は圧倒的に女の方が強い。負けたあかねのお父さんはしょぼんとして、肉を焼き始めた。
「お父さん、しけた顔してないでよ~、お肉がまずくなるよ、ね、お母さん。」
ゆきねが笑顔でいう。どうやらゆきねはあかねのお母さんに中身までそっくりなようだ。
「パパも焼くのヨロシクね。」
父さんが母さんにトングと肉を押し付けられる。こういう時、焼く担当はどうしても男になるらしい。僕、父さん、あかねのお父さん、徹が基本的に炭の近くに立ち、あかねは材料には触らせてもらえない。さすがに焼くだけなので僕達は失敗なんかしない。あかねだったら危険だが、あかねも自分が料理が下手なことは理解している。
「あーちゃんは太る担当だから、ゆっくりしてていいよ。」
「…太らないし…。」
あかねはむくれたまま、火のそばにいる僕達の近くにいる。あかねの役割は毒見と称される味見役だ。毒見役と呼ばれていたのにいつの間にか太る担当と呼ばれるようになったのは、あまりにもあかねが太らないからだ。もともとあかねとあかねのお母さんは太りにくい体質らしい。ガリガリではないが細いことには変わらない。
「みお、食いすぎるなよ!お前明日仕事だろ。」
「黒烏龍茶ガブ飲みしてます~!いざとなったら気合で下すから!」
「下品だからやめなさい。みお。」
上から父さん、みお、僕。あかねたちの家族に比べて僕達は若干幼い。歳もそうだけど精神年齢が幼い。
「みおちゃん充分細いじゃない。」
「みおは太りやすいけど運動すればちゃんと減るからねー!」
あかねがみおにはなしかけるとみおは自慢げに笑う。あかねとみおは楽しそうに話し始めた。
「あかね、できたから味見!」
僕は2人の邪魔をするように皿を差し出す。一瞬の間が生まれた。やばい。どうしよう、これ、なんだかみおに嫉妬したみたいじゃんか。
「ちょっと紫苑待って、」
なんだかんだ受け取られて、会話は強制終了されたままみんな食べ始めていく。始終賑やかにバーベキューは行われた。僕のあの行動はなかったようにすすめられる。もちろんそれでいい。あんなの一時の気の迷いだ。妹と幼馴染が話してることに嫉妬だなんてありえない。
「しぃくんとあーちゃん、二人とも今どうなってんの?」
「な、何言ってるのゆきね、」
「だって気になるじゃん。あーちゃんは口開けばしぃくんかいろは荘の子たちのことばかりだし。ね、付き合ってんの?」
「付き合ってない!紫音とはそういう関係じゃないから!ただの幼なじみ!」
あかねのただの、という言葉が突き刺さる。向こうにはただの幼なじみというだけの感覚しかない。そんなことわかりきっているのになぜ僕はショックを受けているんだろう。幼なじみの壁を超える超えないなんて僕の意識だけであかねの中では問題にもなっていないだなんてずっと前からのことじゃないか。いや、僕は理解したくなかったのかもしれない。現実とやらを。
「そうそう、僕より背の高いあかねと付き合うわけなんかないでしょ、ゆきね。」
「身長なんて関係ないよ、」
「いいからこの話はおしまい!」
泣きそうな顔をしているだろう。僕はこれ以上無駄に顔を崩したくなくて無理やり笑った。
いろは荘に帰る日まで僕は無駄に忙しく過ごそうとした。机やパソコンを買いに行って、カタログの写真を撮って。毎日公園に行って。毎日ぼーっと過ごした。
「あかねちゃん、待たせたかな?」
「あ、いえ、全然待ってないです。」
父さんの車に乗って一緒にいろは荘に帰る。後部座席の僕らは何も語らず空気が重い。嫌な沈黙が流れる。
「じゃあ、また帰ってこいよ!またな!」
送ってくれた父さんは机とパソコンをセットすると、そそくさと帰ってしまった。僕の沈黙に耐えられなかったらしい。チャイムがなる。一人でいたい時のチャイムは本当に嫌だ。
「おかえり、しおくん。」
さくちん先輩が笑顔で僕に笑いかけた。
「さくちん先輩、ただいまです。」
確か今朝帰ってきたと言っていたはずだ。
「みんなでご飯食べに行かない?」
「あ、はい。」
「あーちゃん誘っておいてもらえ、」
「ごめんなさい。あかねのことさくちん先輩から誘ってやってください。」
僕はいつにもなくしおらしいだろう。いつにもなく言葉にも表情にも元気がないだろう。でもどうしようか。つい最近、現実を理解したんだというのに。つい最近、僕は僕の気持ちに気づいたというのに。
「あ、うん。わかった。」
さくちん先輩が不思議な顔をした。いつもの僕なら、迷わずあかねを誘いに行く。誘いに行こうとしたさくちん先輩やら蒼ちん先輩をとめる勢いでもあった。なのに、今日の僕は他人から見てもおかしいんだろう。気づいてしまったら、しばらくは間を置かないと僕は整理ができない。今まで感覚で生きてきた。勉強なんかいい例だ。感覚でテストも受けて、感覚で解いて、それでだいたいわかるし合ってたんだから。友達付き合いだってなんとなくだったし、誰がどう思うかなんて関係なかった。好きな写真だって基本的には感情的に撮る。感覚や感情だけではもうあかねと話せない。どう思われてるかとか、少しでも壁を超える方法とかそんなことばかり気になるんだ。…僕らしくない。
「どうやって、伝えればいいんだよ…」
気持ちってこんなに難しかったっけ。僕ってこんなにも自分の思ってること伝えられなかったっけ。
「あー、もうやめだやめ!考えるのやめた!」
いまはいちいち口にしないとなんだかダメな気がするんだ。口にしないと事実にならなくて、口にしたら事実になってしまう。きっとそんなことはないのだけれど、どうしてもそんな気がするんだ。
「好き、」
あかねが。あかねのことが僕は好きだ。壁を越えたいだとか、超えられないとかそんなことは問題ではなくて、ただ僕が臆病なだけ。でも今更好きだなんてどう伝えようか。…いや伝えないのもいっそありかもしれない。そしてお互い離れるんだ。幸い僕らは男女。いつかは必ず離れられる。大学で離れる可能性だって、来年、クラス分けによっては校舎が変わる可能性だってあるんだ。…今だけだ、きっと。こんなに近くにいてこんなにも苦しいと思うのは。辛いと思うのは。伝えられるわけがない。…いままでと同じように接しよう。それでも一番近い距離は僕だ。僕以上にあかねと近い距離のやつなんて誰もいないんだから。
「…好き…」
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