第4話 桜色の困難

谷崎桜、人生何度目かの嫌な事件です。腕の中にはスケッチブック。目の前にはクラスメイトの男の子。たまたま出会って、話しかけられてしまった。絵を描きたいのに。世間話に付き合っている暇はない、とはっきり言えればいいけれど、かれこれ1時間は話されている。夏休み前から書いていた絵がやっと完成して、文化祭のための絵を描きに外に昨日から出ている。運動部の頑張っているところを絵にしたいと野球部の顧問である担任に言ったら快く端っこでスケッチすることを許してくれたのだ。蒼の誕生日プレゼントを選んだり何なりでなかなか進まなかったあの絵も完成してやっと人物画が描けるとワクワクして出てきたのに、時間も限られているというのに。

「谷崎さんさぁ、夏休み中暇な日ってない?クラスのやつら誘って遊びに行かない?」

「あいにく暇な日はないの。文化祭のための絵を描きたいから。」

これはちゃんと本心だ。

「えー、2人じゃないよ?ほら、佐々木とか誘おうよ。谷崎さん仲いいでしょ?」

「…ねぇ、そういう話はほかの人としてくれる?桜、予定あるから。」

こんな時間があるならスケッチがしたい。それに、担任にこの時間までに行くと告げてある時間があるのだ。さっと、横を抜けようとする。

「いいじゃん。普段あんまりしゃべらないんだし。」

「っ、要件があるなら簡潔に言って!」

ついキツイ口調になってしまう。いけない、いけない。

「好きなんだよ、だから喋りたいの。谷崎さんと。」

「桜には彼氏いるんだけど。」

「だから何?」

「田中くんなんか眼中にないって言ってんの!」

男の子からの告白。桜が軽いと思われているのか、蒼がいると言っても迫ってくる人もいる。いや、むしろ諦める人より迫ってくる人の方が多い。桜のファーストキスだってそんなふうに迫ってきた人に奪われてしまった。ファーストキスはレモン味だとか言うけれど好きでもない人からのキスはただ、不快感しか感じない。それ以来告白、そして信頼できる人以外と二人で話すというのは嫌なのだ。

「とにかく、ごめんなさい。もう行っていいかな?桜部活の途中だから、」

有無を言わさず今度はなんとか横を通り抜けた。田中くんは帰宅部だったはずだ。夏休みの中わざわざ補習でも受けに来たのかそれとも、あの為だけに来たのか。どちらにしても桜には考えられない思考をしている。本当にご苦労なことだ。

「志賀ちゃん~」

「谷崎、来たか~。今ちょうどバッティング始めたとこだぞ。」

「ほんとだ!昨日はピッチングをスケッチさせてもらったからバッティング描きたかったんだ~。ありがとう、志賀ちゃん」

「文化祭で飾られるんだろ?楽しみにしてるからな~。」

危ないからと近くにはいけないが、フェンス越しで一番近くの場所に椅子を置いてくれてる。昨日もこんな感じだったな、と、椅子に座る。長い間放置してあったからだろう。すごく暑い。どうしようもないのでそのまま座ってダラダラ流れる汗をふきながら描いていく。夢中になりすぎて、3本あった飲み物がなくなった頃にはバッティング練習は終わっていた。

「谷崎だ、何今日は俺を描いてくれた?」

「鈴木くん、どこにいたの?」

クラスメイトに話しかけられ、にこやかに返事をする。彼のように普通に話しかけてくれるだけなら桜だって普通に返すのに。

「え、あそこ!」

「あー、なら描いたかも!顔みてなかったからどうだろ、この絵かな、」

ぱっと並べてみる。あ、うん似てる。そうだ、鈴木くんだこれ。

「まじで描いたのか!今度その絵くれよ!」

「スケッチでいいの?」

「おう!谷崎の目に写ったから描いて貰えたんだろ?!」

「それなら、時間あったらちゃんと描いてくるよ。時間なかったらスケッチになっちゃうけど。」

鈴木くんはニカッと笑った。蒼かあさちゃんがいたら写真を撮りたいと言い出しそうなレベルの自然な笑顔。この笑顔がずっと続くなら桜もそれが描きたい。だけれど、今回の桜のテーマは努力、なのだ。部活動で輝いてる人を描こうと決めたんだ。

「…ねえ鈴木くん。夏休み中時間がある時素振り見せてくれない?文化祭のための絵鈴木くんの絵を描きたい。」

「それはいいけど、俺毎日部活だから、部活の後とかでいい?いろは荘の前素振りできるとこあるよな?」

鈴木くんは蒼とも仲良くて、1年生の頃はよく遊びに来ていたから、いろは荘のこともよく知ってる。

「うん、あるよ!ありがとう鈴木くん!」

「蒼にも会いたいし、気にすんな!」

いい人がモデルになってくれる。これでモデルは決まった。志賀ちゃんのところにお礼を言いに行こう。そう思って立ち上がったとたんにくらりとし、あ、これやばいな、熱中症かな、熱中症ってどうやって対処すればいいんだっけなんて頭では冷静になりながらふらっと体がバランスを崩した。

「ったた、」

「大丈夫か、谷崎?!」

「志賀ちゃん?」

どうやらここは保健室らしい。

「お前、軽い熱中症だってよ。ちゃんと水分補給したのか?」

「したよ、ちゃんと!」

「鈴木も心配してたぞ、目の前で倒れるから。そんであいつが今いろは荘まで行ってる。」

蒼を呼びに行ったのだろうか。今日は蒼は一日部屋にいるはずだ。美術部はみんな美術室に、写真部は今日は自由だって言ってた。

「桜!」

「蒼…」

本当に呼びに言ってたんだ。蒼を見た志賀ちゃんはさっさと保健室を出ていって、代わりに鈴木くんが保健室に入ってくる。

「拓也、ありがとう。桜、帰るぞ。部屋でゆっくり寝ろ。」

「でも、スケッチ、」

「桜の体調の方が大事。拓也に聞いたぞ。部活終わりに来てもらってスケッチさせてもらうんだろ。だから今は我慢。」

小さく頷いて、美術室に荷物を取りに行ってくる、という蒼をそのまま保健室で待つ。

「谷崎、今日告白ってか、絡まれてた?」

「なんで?」

「…後輩が話してたんだよ、」

あの場所は練習中の野球部員からは見えないけれどよく野球部が使う水道からは見える位置にある。

「…そうだよ、なんか一時間くらい延々と話された。」

やんわりと断っても全然聞く耳持たなくて、避けようとしたら阻まれて。はっきりと告白されて、ハッキリとフったことでなんとか通れたけれども。

「…あいつ、前にストーカーしてたから、気をつけろよ。」

「え?」

そんなの初めて聞いた。

「俺、中学一緒だったんだけど、隠し撮りしたり、あとをつけたり、写真を家に送りつけたり、イタ電もあったな。」

「…家って、桜、一人暮らしなんだけど…。」

「なるべく1人で帰らないことと、ひとりで部屋にいないことだな。」

鈴木くんの注意に頷く。ストーカーなんてものには負けたくない。みんなに迷惑はかけたくないから、あーちゃんだけに相談してみようかな…。蒼に話したら、すぐにでも田中くんに攻撃しかねない。

「学校にいる時はなるべく友達から離れないようにな。佐々木とかよく一緒にいるだろ。」

「うん…。」

半信半疑。本当に起こる可能性と起こらない可能性は半分半分。考えるだけで頭が痛くなる。

「桜ー、帰るぞ、拓也も、本当にありがとな。」

桜も蒼の真似してお礼を言って、先に保健室を出た蒼を追いかけて保健室を出る。鈴木くんもすぐに保健室を出てきた。

「…あっつ…」

日差しが桜たちを眩しく照りつける。暑さと眩しさとがすごく嫌で、でも、嫌じゃなくて不思議な気分。

「あさ、部屋に連れてくから。女子同士の方がいいだろ。」

蒼なりに倒れた桜を気を使ってくれたんだろう。

「俺じゃ看病なんてまともにできないし。あさとあかねに頼むけど、俺もちゃんと協力するから。」

「うん」

蒼は優しい。厳しい時もあるけれど、それも全部優しさゆえだと桜は思う。ただ、たまに暴走すると手をつけられない。それが怖い。

「部屋入ってて。すぐ呼んでくるから。」

「あ、うん、」

もう少し、蒼といたいんだけどな。やっぱり、鈴木くんの言ったことは半信半疑とはいえ怖いことに変わりはないし、好きな人と一緒にいたいと思うのは普通でしょ?

「桜ちゃ、桜先輩!」

急いで着てくれたらしいあさちゃんは思い切り手抜きのジャージ姿。

「あさちゃん…。」

「大丈夫?ですか?」

「うん、大丈夫。蒼が大げさなの」

それだけよ、と微笑んでみる。

「とりあえず熱中症なら、涼しいとこにって、桜先輩の部屋暑すぎ…エアコンつけるよ?です。」

あさちゃんがなにもかもしてくれる。…あ、桜、あーちゃんとコウくんに帰ること言ったかな。蒼伝えてくれたかな。今日、蒼は夜ご飯どうするんだろう。ちゃんと食べるかな、ケチャップばかりかけずに…。コウくんとあさちゃんは自分でなんとかするだろうけど、あーちゃんとしおくんは大丈夫かな?

「桜先輩、何か私ができることある?ですか?」

「じゃあ、蒼とあーちゃんとしおくんの夕ご飯、コウくんと作ってあげて!」

ほぼ毎日桜が4人分作ってた。風邪をひかない限りは。食費を毎月もらって、4人分の材料買って。美味しいって言ってくれるのが嬉しかったり、ご馳走様って笑顔で言われるのが好きだった。

「うん、わかった、です。」

「ごめんね、材料追加で買ったりしたらお金は渡すから!3人から食費もらってるし」

「はーい、」

あさちゃんはコウくんに電話してくる、と言い外に出る。電話をする時に人がいると部屋から出るのはあさちゃんの癖だ。

「桜先輩、私買い物ついでに冷えピタとか買ってくる!蒼先輩呼ぶからちゃんと寝てて。ください、です?」

「はーい、」

それからまもなくしてあさちゃんの宣言通り、蒼が入ってきて桜の近くに座った。水飲むか、とか暑くないかとか、いつも以上に過保護だ。

「蒼、ご飯はあさちゃんたちと食べてね。作ってもらうように伝えたから。」

「あぁ、」

やっと落ち着いたのか、ベッドの横にぽんっと座る。

「…倒れるまで気づかなかったのか。」

「うん。」

気づかなかったよ。

「…心配した。」

「…うん。」

わかってる、保健室に駆け込んできたあの顔で。心配だって顔に書いてあったんだよ、そんな顔してたこと気づいてたのかな蒼は。

「…目の前真っ暗になった。」

「…うん。」

「心配かけんな。馬鹿野郎。」

なんてドラマみたいなんだろう、などと考えるくらいには桜に余裕はあるんだろう。…心配してくれるのが、蒼がそばにいてくれるのが、蒼の頭の中に桜がいることが嬉しいなんてちょっと場違いかな。

「蒼…えっと、ごめんね…、あと、ありがと。」

きゅっと服の裾を掴む。

「…おぅ。」

ごめん、より、ありがとう、を伝えたい。こんなにも想ってくれる人が居る。そのことへの感謝を。

「…ごめん、邪魔した?ですか?」

「そ、そんなことないよ!あさちゃん!」

ガチャっとドアが開く音など桜には聞こえてなかったらしい。

「邪魔だよ、あさ。」

「熱中症で倒れた彼女の看病してくれって大慌てで私の部屋に飛び込んできたの蒼先輩でしょ、です。」

蒼の顔をじっと見てみる。急に真っ赤になったから本当みたいだ。

「えへへ、」

「何笑ってんだよ桜。」

「蒼、慌てたんだぁ」

沈黙は肯定。真っ赤になる顔も肯定?うん、きっとそう。あれもこれも全部。

蒼のことなんでも分かってるはずだけど新しい発見もいっぱいみつかる。

「…悪いかよ。」

「へへっ、悪くないよっ!」

ただ、嬉しいなんて思っちゃダメかな?だから、笑ってしまうの。

「桜先輩、お粥食べれる、ですか?」

「うん、ごめんね、あさちゃん。」

「困ったときはお互い様。それに蒼先輩が写真集二冊買ってくれるって。butterflyの買ってもらうんだ~。」

私だって物欲で動いてるんだから気にしないで、とあさちゃんは笑った。その姿に安心して桜は目を閉じた。少し眠りたかった。

「桜。起きたか?」

目を開けたら蒼がいた。

「…今何時?」

「18時。」

「…結構寝てたね。」

「寝不足と熱中症が重なったんじゃないか~?どうせ昨日もスケッチ見ては構図を考えてたりしたんだろ?」

あら、バレてる。何でだろう。

「今日はもう構図考えるなよ。明日は明日で外じゃなくて中でできることをすること。それから、拓也のメアド。さっき渡された。」

鈴木くんを本当に信頼しているから桜にメアドを渡すんだろう。電話番号でないのは鈴木くんが遠慮しているからなのかもしれないし、単にメールを使いたいだけかもしれない。もしくはLimeをしていないという可能性もある。

「拓也がさ、Limeやれば楽なのにって言ったら、『ガラケーでもできんの?』って。まさか、まだガラケーとはな…」

「ガラケー…パカパカするヤツ?」

んー、っと一瞬考え込む。桜は高校入学と同時に初めて携帯を持ち、しかもそれがスマートフォンと呼ばれるものだったのでガラケーと呼ばれるものを持った試しはない。中学の頃はパソコンメールや家電いえでんで何とかしていたし、夜出かける時はお母さんの携帯を借りていたし。

「そうそう、それ。ガラケーだとまたなんか勝手が違うらしいんだよな、よくは知らないからなんとも言えないんだけど。」

「そうなんだ~。」

メールアドレスを受け取って、登録してお礼のメールだけしておく。

「桜先輩、おかゆ、持ってきた、です。」

「あさちゃん、コウくんも。」

「飯できたんで、呼びに来たんですけど蒼先輩後にしますか?」

「おぅ、そうして。桜が食べたら食器一緒に持ってく。」

蒼が優しい顔をする。いつも思う。後輩たちを見るとき、蒼は本当にお兄さんみたいな顔をする。実際は末っ子なのに、お兄さんにしか見えない顔。

「桜、食べれそう?」

「うん。寝たらちょっと回復した。」

そのままベッドから起き上がってローテーブルに置いてもらったおかゆに手をつける。…美味しい。

「梅干、苦手だったっけ?」

「ううん、大丈夫。」

桜の方からは見えないところに梅干が置いてあったみたい。蒼が差し出してくれた。

「なんか落ち着くね、こういうの、」

幼い頃熱を出した時、お母さんがおかゆを持ってきてくれた。梅干をのせただけのおかゆ。それが妙に美味しく感じて風邪の時はそのおかゆが楽しみで仕方なかった。

「お盆は家に帰る?」

「一応な。俊くんと雛ちゃんが自分が迎えに行くって、譲らなくて大変だったよ。」

「あはは、そうなんだ。」

「桜は?」

どうだろう、とつぶやく。

「仁くん受験生だし…。」

「桜も受験生だろーが。」

桜はいいんだよ、もう行きたい学校だって決まってる。一浪してでも二浪してでも入りたい学校があるんだ。

「仁くん、難しい大学行きたいんだって。桜が帰ったらご飯行こうってみんな言ってくれるから、仁くんの勉強時間削ることになっちゃう。」

「そんな気にしなくてもいいんじゃねーの?仁だって、イトコとはいえ一緒に住んでる桜の家族だろ。」

仁くんはすぐに人が変わるんだ。急に怒りだしたり、急に優しくなったり、でもそんなこと、蒼は知らない。仁くんとはそれなりに仲良かったみたいだから、家でのことはふせておく。

「そうだねー。」

そのまま黙っておかゆを食べ終え、蒼を追い出すようにして桜は寝るふりをした。明日、部活に行ったら部室であーちゃんに相談しよう…。

そのまま、何も深く考えることなく寝入っていったのだろう。桜が目覚めたのは夜中だった。

「…物、音…?」

いやいやいや、ありえない。夜中に田中くんがストーカーに桜の家に来るとか絶対ありえない。流石に扉を開ける勇気はない。蒼たちいろは荘の住人だったら、先に連絡が入るはずだから、ま、間違いの可能性だってあるよね…。

鍵はかけてるし、チェーンもかけてる。だから、入ってこれない、よね…?小さく丸まって布団をかぶる。もう寝ちゃおう。もう、寝よ。

伸びをして起きる。郵便受けの中に手紙。

「…え、」

桜が鈴木くんと話してた写真。桜が蒼と家に帰ってきた時の写真に…桜が授業中あくびをしてた写真。スカートを授業中にたくしあげて仰いでるような写真まである。

「や、やだ、ホンモノのストーカー?」

視線を感じることは普段から少なくない。蒼とつりあわないっていう女の子の目、嫌な好意の目。だけど、写真を送られたのは初めてだ。家を特定されるのは正直仕方が無い。だって、学校すぐ目の前だから。でも、どれが桜の部屋かなんて確定できやしない。入口は学校前から見えないし、洗濯物は原則部屋干しで、これもまた学校から見えないようにしてる。布団を干すとしても土日くらいにしか干さないし、布団見たところで誰が誰のかなんてわからない。

「が、学校行こ…。」

朝ごはんはパンだけ焼いて、いつもみたいにきちんとは作らない。蒼に先に行くと連絡を入れ、学校に向かった。朝早い時間なら、補習の人も来ないはずだから。

「ぁ、桜!おはよ!」

「おはよう、優茉ゆま。吹奏楽部の朝練?」

「そうそう。吹部は補習の邪魔にならない時間にしか練習しないからね。あ、そういえば昨日、田中にさ、桜と遊ぶ約束したから私もこないかって誘われたんだけど、桜OKしたの?」

…話がねじ曲がっている。桜は誘われたけれど約束した覚えはない。

「…してないよ?」

「よかったー、桜が緑川くん以外の男子とクラス会以外で遊ぶわけないしと思って断ったから、安心した。」

よかった、優茉が断ってくれて…。

「てか、田中も桜には緑川くんがいること知ってるはずだよね~、何考えてるんだか。」

「あは、はは。」

曖昧に笑ってしまう。それ以外にどうすればいいのかがわからない。

「佐々木~、音出し始めるよ~?!」

「あ、うん!じゃ、桜またね!」

「うん、じゃーね!」

片手をあげて優茉は去っていく。桜も美術室に向かう。美術室にはまだ誰もいないはずだ。

「…あれ、あさちゃん?」

荷物を美術室前に置いて職員室に行こうと考えていた桜の思いはから回るところだった。

「桜先輩。おはよです。」

「ぁ、うん、おはよう。」

なんで、あさちゃんが朝早くから美術室にいるんだろう。確かにあさちゃんたち写真部も美術室を使っている。とはいえ、夏休み中はほぼ自由状態だったはずだ。

「朝早い時間の写真撮りたくて。ほら、上から登校してくる人たちとか、部活中の人たちとか撮るの。です。」

「そういうことか~、」

「桜先輩はどうしてこんなに早い時間から来てるの?」

あーちゃんに相談しようと思ってたけど、あさちゃんに相談するのもありだ、いやでも、どうすればいいんだろ…。桜の頭はもう考えられない。

「あ、えっと、補習に会いたくない人が来てるみたいで、だから早く来ようと思って。」

「へ~。そういえば、昨日こんなの部屋のドアに入ってて。蒼先輩に聞いたらなかったって言ってたから私だけかもだけど、これ、桜先輩だよね?です。」

桜の部屋に届いた封筒と同じものだ。

「え、」

「…撮り方が下手だからただのストーカーってとこかな。これだと位置的には真横か…横顔見えるし斜め前らへんもありえるかな。」

「写真だったら音聞こえるじゃない?」

「スマホなら無音カメラってのもあるよ。…赤外線カメラで撮ったと思われる写真はないから、やっぱスマホだと思うな~。」

写真だから真剣なのかわからないけど、こんな誰に取られたかもわからないようなの、あさちゃんに見られたくはなかったな。

「…桜先輩、誰にも恨まれるようなことないと思うから、恋愛関係かな、…もしかして蒼先輩の部屋と私の部屋を間違えたか…?」

「あさちゃん…?」

あさちゃんがポツポツと考察しているみたいだけど桜にはあまりわからない。男の子の考え方も女の子の考え方もわかりたくなかったから、何も考えなくなったら、何もわからなくなった。何も考えなかった日々を今更悔やんだって無駄なのに、悔やむしかない。

「…なんで部屋わかったんだろ…」

「桜先輩は下の階だからよく見える、とか?…もしかして蒼先輩が私の部屋にご飯食べに来た時を見てて桜先輩の部屋がわかったのかも。で、桜先輩の部屋を出て私の部屋に来たから私の部屋が蒼先輩の部屋だと勘違いしたとか!逆もしかりだけど。」

えっと…桜の部屋を出た蒼を見つけて桜の部屋を推測。で、蒼が入った部屋を蒼の部屋だと推測して、それがあさちゃんの部屋だった…ってことかな?

「おはよーございます。」

「あーちゃん、おはよ!」

早いねと言おうとして時計を見て時間を確認する。あ、もうこんな時間なんだ。

「あとは、コウくんかな。写真部は今日も自由?」

「ぁ、桜先輩、コウくんお休みするそうです。」

「…ごめん桜先輩。夜中に物音がして見たらあの写真が入った封筒でそれで、写真みてそのあとすぐあかね先輩に相談した、です。男子陣には知られたくないかな、とか勝手に思って。」

あさちゃんの言葉がズシッと響く。冷静に考察していたように見えたし、他人の写真といえど気持ち悪いことこの上ないに決まってる。それをひとりで抱えることなんてできるわけない。そして、桜のことを気遣ってくれたのだろう。だから相談した相手があーちゃんだったのだろう。

「力になれるかわからないですけど、話したいこと話してください。対策、一緒に考えましょ、桜先輩。」

あーちゃんがニコリと笑って桜の手をとった。あさちゃんも真似して桜の手をとる。

「ごめんね、ありがとう」

こんな先輩、面倒だろう。桜だったら絶対に嫌だ。助けようなんて思わない。

「…あのね、始まりは」

熱中症で倒れる前から予兆はあった、それを静かに話した。

「…視線に、写真…。それから知らないアドレスからのメール、どんな感じなんですか?」

「うーん…好き、とか谷崎を幸せにできるのは俺だけだ、みたいなのとか…?あと、蒼と別れろとか。」

簡単にまとめると最初は視線次にメール。それからしばらくは何もなかったけど田中くんに告白された次の日には撮りためてあったのかと言いたくなる量の写真。きっと一年二年の時のピンク色の髪の写真も混ざってるから、長く撮られてたのだろう。…気持ち悪い。

「…証拠も何も無いとどうしようもないよね。」

「…田中くんとは決まってないしね…。」

また三人で考え込む。

「桜先輩、しばらく私の部屋に泊まりこむ?ですか?」

「あ、それならあたしの部屋に。あさちゃんの部屋は蒼先輩の隣だし、写真も届いたわけだし。」

「迷惑じゃないの?」

巻き込まれたくはないはず。面倒なはず。何も言わずに見守っていたっていいはず。

「全然。桜先輩は私のお姉ちゃんみたいなもんだし。です。」

「あたしや紫音の食事を作る方がはるかに迷惑でしょう?学校終わったあとも土日も疲れていても毎日ですし。」

そんなことない!そう反論した。桜は好きで作ってるんだ、桜が勝手に作ってて、桜が勝手に満足してて。食べてくれるのが嬉しくて、笑ってくれるのが嬉しくて。そんなふうに言葉が溢れ出す。

「同じことですよ。あたし達が勝手に関わろうとしてるだけです。」

「それに、先輩助けたいと思っちゃダメなの?」

「…ありがと…じゃあお言葉に甘えて、あーちゃんの部屋に泊まらせてもらおうかな。」

「はい。あ、布団だけは持ってきてくださいね?」

軽く、頷いた。部活中は何事もなく美術室で構図を考えて、あーちゃんの絵の相談に乗って、あさちゃんの夏の課題を手伝って、桜にとっても平穏な一日を過ごした。くーっと伸びをして一つあくびを落とす。あさちゃんと、あーちゃんとゆっくり歩いていろは荘へと向かう。

「あーちゃん、今日何食べたい?」

「え、今日あたしのリクエストでいいんですか?じゃあ、冷やし中華食べたいです!」

「冷やし中華いいな~。私今日は何にしようかな~。」

足音が後ろからする。それに気づかないふりをして大きな声で話す。晩御飯の話でもするしかない。

「…桜先輩、後ろ…」

「…うん…気づいてるよ。」

気づきたくない、でも気づいてしまう。足音と気配と、得体の知れない恐怖。そんなもの桜は求めていない。桜が求めてるのは笑顔と友達とそれからわけのわからない楽しさだ。ただ、一緒にいるだけで笑える、ただひとつのことで話が盛り上がる。そんな楽しみが欲しいだけなんだ。

「…あ、帰ってきた。」

「しおくん?!」

しおくんがいろは荘前のブロックの上にで座っていた。

「あかね、なんで今日もひとりで学校いったの?!」

「別にいいでしょ!ひとりで学校行けるし今日は美術室にこもってたわよ!」

しおくんの視線があーちゃんに向いてないことがわかる。しおくんの目線の先は桜たちよりさらに先。

「ねぇ、あかね…あれどういうこと。」

しおくんが小さくつぶやく。

「わからない。」

「…早く部屋に入ろう。」

しおくんが桜たちをかばうように後ろにたって背中を押す。ちらっと振り返った先には田中くんがいた、きがする。

「あ、しおくん今日は冷やし中華だよー。」

「冷やし中華大好きです!」

気にしない、気にしないふり。桜は何も知らない。そう言い聞かせて、部屋に入るしかなかった。

「ただいま。」

蒼とあさちゃんと共に出身中学付近まで帰ってきて、そこからまた歩いて自宅へと帰った。戻るか迷っていたけれど、ひとりでいろは荘にいるのは怖かった。

「さくちゃんおかえり~。」

「椿さんただいま。お母さん達は?」

今日はお盆休みをとるために仕事を片付けるって言ってたのに、玄関に出てこない。椿さんは掃除中だったのだろう。さっきまで聞こえていた掃除機の音が聞こえなくなっている。

「渉は料理中。菫ちゃんは呼んでくるからリビングで待ってて。お母さんもいるから。」

ちょくちょく会うとはいえ、家で家族に会うのは久しぶりかもしれない。通える距離ではあるけれど、一人暮らし、に高校に入る前は憧れていたんだ。ほっと一息ついて座り込む。おばあちゃんはにこやかに笑ってお茶とお菓子を出してくれる。桜は笑いながらお母さん達を待っていた。誰にも心配をかけないように、笑っているしかなかった。

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