第7話三つの約束
「『ーーだが私には一つ問題があった』だなんて義母さん、結婚すれば良かっただけなのに、なぜわざわざ俺たちを引き取ったんだよ?」
「陽一、あんたの常識はどうでも良いから、早く続きを読みなさいよ!」
「ってぇ!」
陽一が私の遺書を読み上げる途中で己の感想を口走り、晴美は陽一の肩を強く叩く。
二人に少しずつ距離を縮めていた明夫は、ハンカチを目に当てて鼻を啜っている。
「やだ、明夫、泣いているの?」
「姉さん……こ、そ」
晴美が振り向くと、明夫はこの場で初めて晴美の顔を直視する。
晴美もまた、涙をボロボロと零していた。
ハンカチを顔に当てていないため、晴美の場合、とくに目元の化粧崩れが目立つ。
「……義姉さん、義兄さん、二人だけで睨めっこをするなら、俺一人で読むからな」
陽一が顔を上げると、晴美と明夫は泣き顔を揃えて私の遺書に視線を戻す。
せっかく二人に変化が現れたというのに、陽一は相変わらず頭が固くてせっかちな男だ。
これまで何度思ったことか、嫁の美空さんはなぜ陽一と結婚してくれたのだろうか。
晴美の夫といい、美空さんといい、わが子の伴侶選びは実に不思議で仕方がない。
それはさておき、私の願いを叶える際の問題だが、これがなければ子どもたちと出会うことはまずなかっただろう。
今では感謝している当時の問題とは、父親というものだった。
子どもを授かる方法や、男と長続きしなかった母親の姿を知っていても、父親の存在は知らなかった。
重ねて言うが、私と血肉を分けた男は、私が生まれる前に第二次世界大戦で戦死したのだ。
そんな私は自分一人の力では決して子どもを作ることができないと理解していても、子どもの父親となる男と一緒になろうとは考えもしなかった。
それでも子どもがほしいと駄々をこねるところは皮肉にも、自己中心的だった母親との血縁関係を認めざるを得なかった。
呆れるばかりの矛盾を叶えようと方法を調べていくうちに、児童養護施設から養子を引き取るという手段に辿り着いた。
それから育児書を読み漁り近辺の施設の所在を調べること八年、私はついに晴美と出会う施設へと向かった。
ーー晴美、明夫、そして陽一。
お前たちのおかげで私は家族を持ち、母親として幸せな人生を送ることができた。
お前たちがいなければ、私は生涯暗雲から抜け出せずにいただろう。
まあ、六十、あるいは七十歳で逝ってしまうほど躾に熱を入れ過ぎてしまったが、どうか大目に見てやってくれ。
お前たちには私の母親や、二十代の私のような生き方をしてほしくなかったのだよ。
この際だから明かすが、私が特に厳しく教えた道徳のほとんどは、実は私がお前たちに教わったことだ。
お前たちの身に覚えはないだろうが、お前たちの存在そのものが私に教えてくれたことを、私がそのまま教え返したと言っても過言ではない。
それが今でもお前たちの心に染み付いているかは分からないがね。
だから、どうしても伝えたいことが三つある。決して忘れないように。
まず一つ目、己の生い立ちのせいにし、自らの人生を決め付けたり、己の手で人生そのものを台無しにしないように。
これは、特に晴美、お前に気を付けてもらいたい。
なにしろ、姉弟で一番頑固で意地っ張りだからな。それに思い込みも激しい。
もちろん、明夫と陽一にも。
お前たちに比べると私の子ども時代はまだ良かったのかもしれないが、それでも虐待に変わりない。
そんな私は結婚こそしなかったものの、こうしてお前たちに恵まれた。
どんなに苦しい暗雲でも、黄金の光が必ず裂いてくれる。
今からでも遅くないから、これからは未来を己の手で創っていくんだ。
二つ目、なにがあっても生きるように。
晴美と陽一もなにかしら考えたことがあるかもしれないが、特に明夫がいつとんでもないことをやらかすのではないかと、私はずっと冷や汗をかいていたんだよ。
明夫には、複雑な悩みがあったようだからね。それも、身内にすら簡単に打ち明けられないようなことを。
確かに今、命を絶てば、その瞬間から嫌なことが終わるだろう。
だけど同時に、これから先起こるかもしれない幸せも絶対にやって来なくなる。
私自身、二十代のうちに人生を終わらせなくて良かったと思っているのだから、間違いないよ。
まあ、人生は闇と光を併せ持つ地球のようなものさ。
そして三つ目、私が逝った後、お前たちには他人として別々の人生を歩んでほしい。
ちなみに私のわずかな遺産は、お前たちが巣立った児童養護施設に寄付するよう、すでに手配が済んでいる。
独立し、遠くで輝くお前たちが親の金を当てにするものではないからな。
話は戻るが、血縁だけが絶対の絆でなければ、他人の絆もまたしかり。
晴美、明夫、陽一。それはお前たちが一番良く分かっているだろう?
同じ子ども時代を共有したのだから。
それに覚えていないだろうが、陽一は赤ん坊のころ、晴美と明夫の頑なな心を解してくれたのだよ。
どんな姿をしてどんな人生を歩んでも、お前たちが私の家族であることには変わりないのだから。
ああ、最後にもう一つだけ。
「『ありがとう、私の星たちよーー母、堤郁子』」
陽一が読み終えると、晴美と明夫は抑えていた声を上げて私を弔い、陽一も二人に倣った。
「義母さん、義母さん……!」
「ごめんなさい、義母さん……!」
体を寄せ、肩を抱き合い、三人は声が枯れるまで私を呼びながら泣いてくれた。
ようやく三人の心が、本当の姉弟になった瞬間だった。
私自身が空気に溶け広がっていくのを感じながら、三人を見届けた。
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