第4話明夫とあみ

 二十年ぶりに再会した姉と弟は、あたしの顔を見ようとしなかった。

 あたしは養母の訃報を受けたので喪服を着たけれど、それが二人の気に障ったのかもしれない。

 あたしも気まずくて二人の顔から目を背け、葬儀中も床を見て歩いた。

 姉と弟の言い分を理解していたけれど、こればかりはどうしようもない。

 あたしには、名前が二つある。

 一つは明夫、顔すら覚えていない実親から授かり、十八歳まで公私統一して使った。

 もう一つはあみ、あたしが密かに自分で命名し、現在名乗っている。

 男と女の名前、どちらも持っているのは、あたしが性同一性障害者だから。

 障害といっても、五体不満足でもなければ、知恵の発達が遅れているわけでもない。

 心と体の性が一致していないこと以外、健全な人とはまったくといって良いほど変わらない。

 けれどあたしは、そのたった一つの違いが辛かった。

 当時、周囲にはこのことを理解してくれる人が一人もいなかった。

 実親ですら異端者扱いし、あたしを矯正させようと児童養護施設に預けた。

 それがいつだったかは、もう記憶にない。

 当然のことだけれど、施設に預けたところであたしの心が男になることも、体が女になることもなかった。

 施設の先生はあたしを単なる一人の子どもとして見ようとしたけれど、男の子と女の子のどちらかとして接するべきか戸惑っていた。

 あたしも自分自身をどうしたら良いか分からず、いつの間にか施設にいる皆を避け、顔を見せまいと俯くようになった。


 やがて孤立した生活に慣れると、一人の男の人が施設にやって来た。

 あたしの最初の養父となる人だった。

 名前は忘れてしまったけれど、顔立ちはそれなりに良くて爽やかな人だった。

 「さあ、明夫君。行こうか」

 人柄も良さそうなその人に手を引かれ、あたしは新しい家へと向かった。

 だけどその人とあたし、二人きりの生活と同時に地獄の日々が始まった。

 あたしが引き取られて三日ほど経つと、その人のあたしを見る目が変わった。

 昼は優しかったけれど、夜になるとあたしを裸にして、下着すら身に付けることを許されなかった。

 体のあちこちを触られ、特にお尻やあそこへ伸びた手はしつこかった。

 「明夫君は心だけは女の子だから、カッコイイお義父さんに触られても気持ち悪くないよね?」

 その人は毎晩、荒い息で同じことを言った。

 触られたのはあたしのものではなかったけれど、あたしは怖くてなにも答えられなかった。

 それを良いことに、その人の言葉は止まることを知らなかった。


 けれど、それが一ヶ月ほど続くと、その人はそれまで繰り返してきた言葉を言わなくなった。

 代わりに、あたしの体の性を強調し始めた。

 あそこを指でなぞられ、小さい、可愛い、など感想の一つ一つを口に出された。

 その人の大きなあそこを触らせられることもたまにあった。

 最初は、その人はあたしのような子どもを馬鹿にしたり、からかっているのかと思った。

 だけどそうではなく、その人は幼い男の子が好きで、自らの欲を満たすために男の子の姿をしたあたしを引き取った。

 その人にそう告げられ、あたしはショックを受けた。

 ちぐはぐなあたしではなく、この体しか見られていなかった。

 差別でもなく、偏見でもない。

 だけどそれ以上に酷なその人の玩具にされていると考えただけで、あたしは今までにないほど鳥肌が立ち、吐き気がするようになった。

 恐怖に恐怖が重なり、あたしはついに逃げ出した。


 その日の朝、あたしは黒のランドセルを背負い学校へ行くふりをした。

 その人は、爽やかな昼の顔で、あたしを見送った。白々しい笑顔だった。

 登校時間が過ぎるまで公園の公衆トイレに身を潜め、小学生の集団の気配がなくなると、トイレの個室から飛び出した。

 児童養護施設を出た日の記憶を頼りに、あたしは一日かけて施設に辿り着いた。

 その日の夜、施設の先生は警察に通報し、二度と養父と呼びたくない人は児童虐待およびわいせつ行為の疑いで逮捕された。


 地獄の日常が終わって半年後、あたしは心の傷が癒えぬまま、四十代の夫婦に引き取られた。

 今度は養母もいるから大丈夫だろうということだった。

 だけどその夫婦は、先生の期待と信頼をすぐに裏切った。

 養母だった人はドブ臭いもののようにあたしを見るだけで、あたしに一切関わろうとしなかった。

 その夫はあたしのお尻やあそこを平手やなにか板状のもので打った。

 体の痛みであたしが泣いても、その人は嘲笑うだけで暴力を止めなかった。

 夫婦間の会話はまったくなかったようで、養母だった人は夫の行為までも見て見ぬふりをした。


 怖い! 怖い! 怖い!


 切り傷にレモン果汁が染みるように、心の傷が急激に疼きだした。


 これ以上、なにをされるか分からない!


 そう思ったあたしは、またしても小学校に登校するふりをして逃亡した。


 その後施設から巣立つ際は養子ではなく里子になったけれど、やはり過去の地獄が甦るだけだった。

 泣いては施設に逃げ、引き取られては里親に虐げられて泣く。

 この繰り返しはあたしが小学四年生になるまで続き、実親はついにあたしを迎えに来なかった。


 そのころあたしは男の人はもちろん、女の人でさえ怖くなって目を合わせないようにしていた。

 顔を見せなければ、口さえ利かなければ、ただの男の子としか認識されない。決してクレーターだらけの表面しか見せない月のように。

 外見で性を判断されることは不本意ではあるけれど、それが自力で自分自身を守る唯一の方法だった。


 そんなとき、最後の養母が施設にやって来た。

 名前は堤郁子、結婚もせず一人で養女を育てていると、施設の先生たちが話しているのを聞いた。

 その養女は二年前まで、あたしと同じ施設にいたということだったけれど、今まで施設内の子どもたちと話をしたことがなかった上に、あたしは施設とよその家を往復していたので、認識がなかった。

 その子の養母が、あたしを引き取りたいと言ったのだそうだ。

 養母は三ヶ月間施設に通い、ときには後に姉となる養女を連れて来たけれど、あたしは警戒して屋外の遊び場にある木陰などに隠れていた。

 この人も、今までのよその人たちと同じ。

 そう決め付けていたけれど、三ヶ月目に入るとあたしはふと、この人が本当のお母さんであれば、と思うようになった。

 養母には善人の「仮面」が見えなかったのだ。

 それでもあたしは自分の勘を信じられなくて、試しに養母にちぐはぐな姿を見せてみた。

 すると養母は驚きも嘲笑いもせず、ただ涙をぼろぼろと流した。

 それが演技ではないことを確かめるため、あたしは顔を俯かせハンカチを手渡した。

 養母は震える手で、そっとハンカチを受け取った。


 その後、養母は流した涙の量以上に深い愛情を注いでくれた。

 ただ躾は非常に厳しく、心と体がちぐはぐだからと言ってあたしだけを大目に見ることも、同情することも一切なかった。

 あたしをありのまま見てくれて、目くじらを立てる姉に内緒で好きな色の洋服を買ってくれることもたまにあった。

 そんな養母に、あたしは最後まで笑顔を見せることも心を打ち明けることもできなかった。

 あたしが過去の地獄を拭い切れないでいたこともあったけれど、理由はそれだけではなかった。

 中学に入ると男子制服を着用し、規則に従い頭を丸坊主にしなければならなかった。

 それに加えて声変わりや成長期といったあたしの内外の変化に、嫌悪で動転するようになったから。

 初めから自分のものでない体が、本来のあるべき姿から日々、より遠ざかっていった。

 浴室からトイレなど、あそこを晒す場所では吐き気や涙が止まらなかった。

 学校に行くと、音楽の授業では女の子の歌声を妬み、休み時間では男の子の口から出る下ネタが耳に入って怒りを覚えた。

 一度だけ、あたしを支配する負の感情を養母に相談しようと思ったけれど、あたしはそれができなかった。


 養母は性同一性障害者ではないから。


 たとえあたし自身に偏見がなくても、心も体も女の人である養母があたしのすべてを理解できるなんて、絶対にあり得ない。


 友だちが一人もいなかったあたしには、他の人に相談できるはずがなかった。

 苦しみの渦に呑み込まれ耐えられなくなり、あたしは十八歳で家を出た。


 その後昼は明夫としてアルバイト、夜はあみとしてニューハーフのショーパブで働いて二十代を過ごし、三十歳であたしと同じ立場の子のための会社を設立した。

 業種は経験のあるショーパブの他に、バーや、スタッフの美意識が高い美容院がメインとなっている。

 最近設けた相談窓口では、同じ悩みを持つ子が後を絶たない。

 あくまであたしが社長として経営する中小企業だけれど、どうにか利益を出せるのは、スタッフが同じ立場の子たちのために一生懸命頑張ってくれているから。

 あたしは成人してから同じ立場の仲間に恵まれたけれど、とてつもなく大きな二つの悩みが今日まであたしを解放してくれなかった。


 一つは、あたしの体のこと。


 三十八歳になっても、あたしの体は望んでいるものではない。

 つまり、男性の体のままであるということ。


 働くことで経済的余裕が多少できたけれど、性転換手術にいまだ踏み出せずにいるから。

 何度もその手の病院に向かった。そのたびあたしは看板を見るなり踵を返してしまった。

 あたしが家を出た後も心配してくれたのか、病院へ行く前後と当日の三日間は決まって養母の顔が脳裏に浮かんで離れなかった。


 変えたいと渇望していたこの体を、養母は十八歳までの八年間育ててくれた。

 その体に傷を付けて、養母は悲しむに違いない。


 気付いたら、あたしは化粧と洋服という装備だけで女の人になりきっていた。

 養母の葬儀でも例外なく、ワンピースの喪服を着た。


 そしてもう一つの悩みは、癒えることを知らない心の傷。


 幼いころ男の人に虐げられてきたあたしは、いまだ一度も恋をしたことがない。

 「好き」という感情を持てなかった。

 学生時代は生徒間の差別を避けるため、どれほどカッコ良い男子がいても、極力関わろうとはしなかった。

 また、関わろうという気にすらならなかった。

 男子の実態というものは、子どもも大人も大して変わらないと知ったから。

 それでも一度社会に出たら、どんな理由であれ、自分のわがままは決して通らない。

 仕事では冷や汗を握りしめて耐えているけれど、本当は男の人と目を合わせることすら怖い。

 幼い男の子やあたしと同じ立場の子たちには抵抗を感じなくても、声が低くてがっしりとした筋肉、心も体も男の人が目の前にいるだけで、あたしの体は岩のように硬く重くなってしまう。


 体も女の子だったら、虐待されなかったかもしれないのに。

 もしくは心も男の子だったら養母に負い目を感じることも、姉と弟の気を荒立てることもなかったのに。


 性さえ一致していたら、そもそも施設に預けられることもなかったのに!


 ちぐはぐな姿はあたしの苦しみを少しずつ憎しみに変え、あたしに死を望ませるようになった。

 ときには包丁を握りしめ、男性器を狙ったことも何度かあった。


 これさえなければ!

 いや、男と女、どちらでも構わない。


 一度星になって、心と体の性が一致した姿で人生をやり直したい!


 けれど臆病な心のせいで、今日まであたしの肌に刃先が触れることはなかった。


 ーーお義母さん。


 あなたは、心配ばかりかけてきたあたしや、手を取り合えない姉や弟のために、どんな思いでこの手紙を遺してくれたのかしら。

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