第3話晴美

 養母の死を機に、私、朝田晴美は結婚後に初めて、堤家の敷居を跨いだ。

 五年ほど人が住んでいなかったので床板が軋んでいたが、華美なものや怠惰を嫌う養母らしさは変わっていなかった。

 木材や畳の古い臭いが迎え、私は歯で歯を砕いてしまいそうなほど噛みしめた。

 実親に虐げられた過去、養女として堤家に育てられた事実、三人の他人と過ごした日々が嫌でも甦ってきたのだ。

 私が腹立たしい感情を持て余していたところ、他人の一人、堤陽一の息子が一枚の写真を見付けた。

 写っていたのは中学を卒業した私と正装の養母、男子制服の学ランに坊主頭の明夫、黄色の帽子に水色のスモックを着た陽一の四人だ。

 昔の写真を飾っておくことで、私たち四人が家族だと主張しているのだと考えると、私の内側から殻が破れる音が聞こえ、限りのない不快を感じた。

 一体私たちをどうしたいのか、養母はその写真を飾る額縁の裏に遺書を隠していた。

 陽一が読む、的を得た冒頭文が誘い、私の脳裏でビデオテープのように流れてくる。


 私は経済的には中流のサラリーマン家庭に生まれたが、物心が付くと両親に違和感を抱き始めた。

 父は優しくしてくれるどころか、私の名前を呼んだ記憶がない。

 母は父の気を引こうと必死な様子で、私にしてくれたことといえば食事と風呂の準備くらいだ。

 私がなにかを発言すると、それはお父さんに言いなさい、お父さんに甘えなさい、と返された。

 父も母と似たような態度で、両親は互いに責任転嫁し合っていた。

 母に対してはそれ以上に素っ気なく、毎日手の込んだ料理を作ってもらっても、父はテレビを見ながら黙々と口に入れるだけだった。

 一方、私の食事は毎回質素で最低限のもので、父のために作ったおかずの残りでさえ皿に並ばなかった。

 後から知った言葉で言うと、私は幼くして疎外というものを痛感した。

 小学校に入学すると、私は言われなくても父に甘えることを諦め、母に頼らず身の回りのことは極力自分一人でやるようになった。

 私の部屋の掃除にワンパターンの食事の用意はもちろん、学校の宿題も誰の助けもなく行った。

 親子の会話も団欒もなかったが、目立った荒波もなく、比較的平和だった。

 だが私が小学二年生に進級すると、両親に変化が起きた。

 私を持て余し疎外していた二人は、あからさまに私を邪険にし始めた。

 私が初めて異変に気付いたのは、父が母と結婚した経緯を語ったときだった。

 当時父に熱を上げていた母が私を身籠ったと告げ、父は己の保身と世間体のために仕方がなかったそうだ。

 もともと母に愛情 はなく、私のことは「他人が産んだ他人の娘」としか見ていなかった。

 そして数ヶ月前、父に好きな女ができたが、母と結婚しなければならなかった原因のせいで離婚が進まないとも告白した。

 当時の私には父の言葉すべてを理解できなかったが、要は私が邪魔なのだということはなんとなく把握した。

 これまで父の態度が素っ気なくて当然のことだった。私への愛情など、始めからなかったのだから。

 以来、父は私の目を見てくれるようになった代わりに、そのつど私を殴った。

 凄まじい男の力に殴られ続けては近いうちに死んでしまうと思い、私は父に姿を見せないようにと家の隅々に隠れた。

 これは中学の身体検査で初めて知ることになるが、女性の握力が最大でも三十キロであることに対し、男性の握力は平均五十キロで、ラグビーをやっていれば六十から七十キロまでになり、リンゴを素手で潰せるようになるそうだ。

 後から考えると、確かに男性である父の暴力をまともに受けていたら、今日の私は存在していなかっただろう。

 そんな私を無視するどころか、母もまた私に手を上げるようになった。

 娘を手段に使っても見向きすらしない父に愛想が尽き、母は別の男を作った。

 母はもともと身なりに気を遣っていたが、ブラウスや膝丈スカートなど清楚な服を着なくなった。

 外出するときは特に化粧が派手になり、背中や胸元など露出の多い服装が増えた。

 父への凝った料理や私へのご飯と味噌汁だけの食事は絶え、父は外食、私は給食とカップラーメンで飢えを凌いだ。

 両親は毎晩のように喧嘩をし、食器の割れる音が家中に響いた。

 口論の内容は嫌でも耳に 入り、そのほとんどが離婚する際の私の親権を擦り付けることだった。

 二人はそれぞれの不倫相手との再婚を望んでいたが、どちらも私を引き取りたくなかったのだ。

 ならば私がいなくなれば良いという考えに辿り着いた母は、父と口論する代わりに私を酷く殴るようになった。

 初めて疎外感を覚えたときに気付かなかったショックに、私は心がグンと沈んだ。

 これ以上心に傷が付かないよう、私は一人ぼっち、自分の周りには他人しかいないと言い聞かせ、母の暴力に耐えた。

 今では考えられないが、子どもだった私は母から逃げることも近所の住人に助けを乞うこともできなかった。

 二人の他人が離婚と再婚を果たすまで殴られなければならない、本当は嫌だけれど自分がいなくなるしかない、と思っていた。

 しかし小学四年生に進級すると、私は突然真っ暗な世界を抜け出すことができた。

 近所に住む他人の一人が痣だらけの私を見て、虐待の疑いがあると児童相談所に通報したのだ。


 後日私は児童養護施設に引き取られたが、他人二人のその後の行方は知らない。

 私は施設に入ると同時に治療を受け始めたが、痣や傷は一向に回復の兆しが見えなかった。

 私の心も太陽のように晴れることなく、あの人たちにはできなかった警戒心剥き出しの目で多くの他人を牽制してきた。

 後に養母となる堤郁子も対象の一人だったので、決して近付こうなどとは考えてもいなかった。

 だがその人は私の姿を見るなり、ふわりと抱きしめた。

 そして、今日からあなたのお母さんよ、と言った。

 感じたことのない温もりに、私は訳が分からず泣いてしまった。

 私はそれが悔しくて、せめて声は出すまいと唇を噛んだが、これまで抑えていた苦しみが涙となって溢れるばかりだった。

 そのせいで痣だらけの体は火照っていたが、不思議なことに痛みを感じなかった。


 その日の出会いから十五年間、私は堤家の世話になった。

 養母に美味しい食事を作ってもらい、料理や家事を教わった。

 さらに高校まで通わせてくれたので、養母にはそれなりに感謝していた。

 けれどその心は、私が二十五歳で嫁いでから次第に薄れていった。

 過去の地獄を繰り返したくない一心で、真面目で平凡な男を選んだが、夫婦仲がうまくいかなかったのだ。

 実親に虐待された後、女手一つで育てられた私は「おしどり夫婦」というものを知らず、夫にどのように接すれば良いか戸惑った。

 幼いころから友人を作らなかったので、私には相談できる相手がなかったが、今さら他人に過去を晒したくはなかった。

 悩んだ末に、私は結婚するまで控えていた、オブラートのないストレートな表現をすることにした。

 すると夫は嫌味だと憤慨し、私が良かれと思ってやったことを頭ごなしに否定されて悔しかった。

 それ以来、私は毎日夫と意見をぶつけ合った。

 頭の固い夫はネチネチと私の表現力だけを指摘し、私はそのたび反論した。

 結婚からわずか一年後、夫はついに寝室を分けた。

 その前はすでに寝台をも分け、その後の夜の営みはほとんどなかったが、子作りは生活が落ち着いてからと理由を偽り以前より断っていたので、かえって都合が良かった。

 私も夫も三十代になると諦めたかのように口論はばったりと止んだ。

 私たちは目を合わせることもなくなったが、夫は私の手料理だけは気に入っていたのか、今でも黙々と残さず食べる。

 まるで手のかからない動物を飼っている生活が今日まで続いているが、私も夫も離婚は考えていない。

 夫は私のことを住み込みの家政婦を雇っているつもりでいるようだ。

 それに私は夫にどう思われていようと、会社員の妻で専業主婦という平凡なステータスを手放したくないのだ。

 だが私が求めていたステータスは、十五年経っても私の心を満たしてはくれない。

 原因はおそらく虐待された過去だけでなく、他人に囲まれて育った環境にもあると、私は思う。

 未婚の養母に、後から養子としてやって来た二人の男の子、明夫と陽一という平凡ではない他人。

 特に明夫は心が女だというオカマで、やることなすことすべてが女そのものだった。

 私がどんなに注意しても言葉遣いは女のまま、服はピンクや赤のものに目が移っていた。

 平凡を選んでほしいという私の願いは叶わず、ついに明夫は男としての人生を捨ててしまった。

 今では髪を伸ばし、化粧までしている。洋服はもちろん、女物だ。

 そんな明夫を一度も責めることなく、養母は未婚のまま生涯をまっとうした。

 私はそんな人たちが恥ずかしかった。

 では比較的平凡に近い陽一が誇らしいかといえば、そうではない。

 陽一が男として生き女と結婚しても、陽一の息子が生まれても嬉しいとは思わなかった。

 陽一が真っ当な道を歩んだとしても、それはあくまで他人の人生であり、陽一の息子は私と血の繋がりのない他人に過ぎない。


 無関心、無関心、無関心……。


 自己暗示することで、私は自分自身を正当化してきた。

 だがそれは永く保たなかった。

 私は年齢を重ねるにつれ自分自身をも恥じ、惨めに思うようになった。


 実親に甘えたくても頼らなかった。

 死にたくないと父から逃げても、母親の暴力には耐えた。

 廃墟と化した惑星で孤独に生きているようだった。

 その星から脱出した後、養母の包容が嬉しかったのに、素直に泣くことができなかった。

 育ててくれたことに感謝していたのに、それ自体を恥じた。

 明夫と陽一を義弟と認めたくないのに、二人を意識してしまう。

 あの人たちのような生き方をしたくないのに、自分の中に流れる二人の血を打ち破ることができない。

 平凡を望んで結婚したのに、自分で自分の幸せを壊してしまった。子どもがほしくても、虐待の繰り返しを恐れて作れない。

 陽一に息子が生まれて嫉妬しているのに、それすら認めたくない。


 理屈にならない矛盾だらけの人生は私を蝕み、私は汚物を追い払うように他人に強く当たってしまう。

 それでも過去と事実は変わらず、負のサイクルは止まらない。

 やがて私は、心の中で同じことを何度も叫ぶようになった。


 一度死んで、人生をリセットしたい!


 養母の訃報が届き、陽一が遺言を読み上げている間も、その願いは変わらないはずだ。

 変わってはいけない。

 それなのに、養母はなぜこんな手紙を遺したのだろうかーー。

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