番外編3 陽一の手 中編

 「陽一、どうしたの? 珍しいじゃない」

 俺が電話をかけた相手は、兄でもあり姉でもある明夫、いや「あみ」だった。

 星野を決して「あみ」と同類と決め付けたのではない。

 ただ「あみ」が相手になれば、きっと良いヒントを得られると思ったからだ。

 俺は、星野を匿名にして職場での騒動を説明した。

 「なるほど。確かにそれは騒動になるわね。でも、だからと言ってあたしと同じ立場とは限らないわ」

 確かにその通りだ、と俺は頷いた。

 「でも、彼が本気で悩んでいるならば、一度うちに来るように勧めたらどうかしら? そうそう、太一は元気にしているの?」

 「ああ、元気だ。それに、養母さんの教えをしっかり受け継いでいるぞ」

 「そう、陽一は相当嬉しそうね。太一のことになると、声が高くなるもの」

 「そうか?」

 「そうよ」

 俺は正直、気恥ずかしかった。自分が親バカだと自覚しているせいでもある。

 それとは別で、俺と兄は約束の日時を決めた。

 兄は社長として社員を束ねる立話なので多忙ではあるが、せっかくならば成長した太一の姿を見せたかった。

 そういう理由で、俺は金曜日、自宅での夕食に誘った。

 兄はその誘いに喜んだ。四年ほど前、俺は兄から太一を遠ざけていたせいで、兄に自分自身を否定させてしまった。

 太一は亡き妻、美空みくのようにおおらかな性格だというのに。

 俺はそれを、和解した今でも後悔している。

 だからこそ、太一にはよりおおらかで寛容に育ってほしいので、兄の存在が必要なのだ。

 いつか太一が養母の教えを未来の孫に伝えるためにも。


 そして、約束の日。

 「大きくなったわね、太一」

 「あ! あみ伯父さん!」

 我が家に兄、明夫がやって来ると、太一は一目散に駆け寄った。

 「……その呼び方、どうにかならないかしら。どっちつかずじゃないの」

 兄は苦笑しながらも、太一の頭を撫でた。

 俺はそれを静かに見守った。

 四年ほど前までは想像もしていなかった光景だ。

 「ね、早くご飯食べよう! お父さんと一緒に作ったんだ!」

 「太一、料理ができるの? すごいじゃない」

 太一は兄の手を何の躊躇いもなく引いた。

 他の子どもではできないことだ。

 俺が兄のことを太一に分かりやすいよう説明しながら育てたからこそできることだ。

 夕食の間は、太一の学校生活が話題の中心だった。

 兄は興味深そうに頷き、太一の声にしっかりと耳を傾けている。

 その様子はプロであることを醸し出している。

 職業病とでも言うのか、仕事での振る舞いは私生活で隠すことはできないようだ。

 やはり兄を呼んで正解だと思った。

 兄ならば、星野のことをきっと理解して、救ってくれるだろう。

 俺にはできない方法で。


 「太一、お前まだ宿題が残っているんだろう? 自分の部屋でやっていなさい」

 夕食の片付けを終え、お揃いのエプロンを外すと、俺は太一になるべく優しく言った。

 「えー、あみ伯父さんはー?」

 案の定、太一は兄が帰らないか不安になった。

 「大丈夫だ、まだ帰らないよ。お父さんと大事な話をするだけだから、お前は部屋にいなさい」

 「……はーい」

 太一は不服そうに頬を膨らませ、自室に向かった。

 パタン、と扉が閉まる音がすると、俺と兄はリビングの椅子に静かに座った。

 「……それで、その後はどうなの? 陽一」

 「それなんだが……」

 それから俺は声を潜めて、星野の噂がさらに膨張していることを打ち明けた。

 静かに聞く兄の顔は真剣だった。

 そして俺が話し終えると、兄は女物のバッグをごそごそと探り始めた。

 「大体のことは分かったわ。もしかしたらあたしの専門外かもしれないけれど」

 それは、星野がただ女装好きなだけの、身も心も男性だという意味だ。

 兄は性同一性障害者やニューハーフが社会で活躍しやすい環境を提供する会社を経営している。

 兄は、そういう意味で「専門外」と言っているのだ。

 けれど、これは兄が星野と会ってみないと分からない。

 それを承知の上で、俺は相談したのだ。

 兄は俺の気持ちを理解してくれていたのか、スッと一枚の小さな紙を俺に渡した。数日前、電話で持って来ると約束した「あみ」の名刺だ。

 「あたしを指名するよう、彼に伝えて。後は本人次第よ。他の職員の態度が改善されないようだったら、彼の部署異動も検討するべきだわ」

 的確な兄のアドバイスに頷き、俺は「あみ」の名刺を受け取った。

 「ありがとう、義兄さん」

 「……この父子の呼び方、いい加減どうにかならないかしら」

 ため息をつく兄は、確かに「兄」や「伯父」と呼び辛い服装をしていた。

 兄は小さいリボン柄のワンピースに、ワンポイントが施されたストッキングを履いていた。

 そして髪は左下に、飾りの付いたゴムで結わえていた。

 普段は紙を下ろしているのかましれないが、食事に誘われたので邪魔にならないようにしたのだろう。

 亡き妻も髪が長かったが、育児の邪魔にならないように三つ編みで纏めていた。

 「仕方がないよ、癖になっているんだから」

 美空のことを思い出すと涙が出やすくなるので、俺は珍しく兄に笑ってみせた。

 兄はそんな俺にこう言った。

 「陽一って、本当に不器用ね」

 同じく笑った兄の顔に、俺は重ね見た。

 星野が堂々と女の姿で街を歩いている姿を。

 彼はとても自由で、幸せそうだった。

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