二、その日
「ぷっ。あはははは!!!」
オープン時間前の和風レストラン"
その狭い厨房に、活きのよい笑い声が響き渡る。
「笑いすぎですよ、木崎さん」
「だってこれ"浜竹駅西口ユミクロ女性専門店オープン!!"って書いてあるのよ? これを赤田君にって。ぷははっ!!」
「何かの間違いですって。勢いよく渡してきたから、思わず貰ってしまっただけで……」
そう。
あれはどう見ても僕以外に渡している様には思えなかったんだから、仕方ないことだったのだ。
「やるわねーそのティッシュ少女! 面白すぎ!」
って、僕の弁解は一つも聞いてくれないんですね。
というか、ティッシュ少女って……。
「あのー確かにティッシュ配りの少女でしたけど、そのネーミングセンスはどうかと」
「いいじゃない。ティッシュ少女! ぷぷっ」
さっきから僕を散々嘲笑っている茶髪でセミロングヘアーの女性は、認めたくはないが僕の上司。
言ってしまえばバイトの分際である僕よりも、上の位であらせられる社員様だ。
「まあ、問題はそこじゃないんですけどね」
「何よーこれを渡されたこと? 前から私も言ってるでしょ、赤田君は体から女々しさがにじみ出てるのよ。見間違えられたくなかったら、もっと普段から男らしく豪快にいきなさいよ」
「男らしくですか……」
そんな社員様に、僕はこうして気さくに話ができるくらい仲良くしてもらっている。
まあ、いくら打ち解けた仲でも、この流れの中で、
『実はティッシュじゃなくてラブレターを渡されたと思ったんですよ!』
なんてことを言えるわけでははないが……。
「こういうのは男性には配らないようにって説明されてるはずだし。いっそ開き直って認めちゃえば? 赤田ちゃん。いいわね、赤田ちゃん。ぷぷっ!」
要するにあれは、ラブレターはおろか単なるティッシュですらなかった。
なんと、あろうことか女性向け広告入りのティッシュだったのだ。
今の僕の気持ちが誰にわかる?
屈辱極まりないこの気持が。
「さすがにちゃん付けはやめてください」
「いいじゃない、ぴったりぴったり」
だめだ。動揺を隠しきれていないからか、一方的に弄られまくっている。
くそー。馬鹿にされたまま黙っているものか。
ここはなんとか反撃に出ないと。
「そういうことなら、僕も木崎ちゃんって呼びますよ」
「うわー。そう言われてみると気持ち悪いわね。ちょっと今本気で寒気がした」
よし。
「自分がやられて嫌なことは、他人にしないことです。幼少期に習いましたよね?」
「ちぇーっ」
調子の良かった木崎社員の威勢が少し弱くなった。話のすり替えによるカウンターは成功だ。
おかげで僕自身の動揺していた気持ちも少し和らいできた。
「あーあ、もうこんな時間か。私は行くけど、くれぐれも調子に乗って女子更衣室には入らないこと」
「言われなくとも、誓って入りません」
そんなことをしたらバレた瞬間、この人にボコボコにされる。
「なら、いいけどー」
女性の割に僕と大差ない身長の彼女は、その身の丈を活かして学生時代はバレーボール部の主将をやっていたと訊く。
今やスレンダー系女性としてなりを潜めているつもりらしいが、当時鍛えたであろう気迫や凄みといったオーラは健在。
つまるところ、高校時代帰宅部だったという僕には十中八九勝ち目などない。
そんな相手がいる手前、女子更衣室に入るなどといった変態行為は、言語道断アホの所行というわけだ。
「ってことで小分け下準備よろしくねー」
「はいはい」
「じゃねー……って、ん?」
立ち去ろうとして直ぐに彼女は踵を返し、まるで何かに気づいたように、じっと僕のことを見つめてきた。
「なんですか、僕の顔に何かついてますか?」
「あーなんかちょっと具合悪そうね。これ、あげるわ」
どこからともなく取り出したのは……
「……マスクですか」
「そう」
使い捨てタイプのマスクだった。
「あ、ありがとうございます」
突然すぎて戸惑ってしまったけど、貰えるものはありがたく貰っておく。
丁度くしゃみが出やすくなっていたところだし。
「間違いないわよ、この3Dマスク」
「はあ。そうなんですか」
今更ではあるが、木崎社員はいつもマスクをしている。
厨房での料理を担当しているから、職業柄衛生面に配慮しているのだろうが、彼女の場合はもう少し変わっていて、これが言葉通り"常"なのだ。
休憩中だろうと退勤して店を出ようと、いついかなる時も彼女は例外なくマスクを着用している。彼女の素顔を知っているのは店長だけというくらいなのだ。
もしかしたら顔に傷でもあるのではないか、なんてことを言う人もいるが、木崎さんにそんなことを言ったら最後、どんな仕打ちがまっているのか計り知れないため、そこには絶対に触れてはいけないという暗黙の了解すら存在する。
まあマスクの上から覗くその整った目つきからして美人だろうというのが、在籍している十名弱のアルバイターたちの通説となっているのだが……。
果たしてどうなんだろうか。
僕自身、3年経っても見たことないくらいだから、そろそろ見てみたいような、見てみたくないような、そんな状況。
真相は謎。木崎社員は気さくではあるが、そんな謎多き人でもある。
それは、ともかく。
「菌をまき散らさないようにくれぐれも気をつけなさいよ。赤田ちゃーん!」
「だからちゃん付けは……って、くっ」
どうやら反撃の効力は長続きしなかったようだ。
やっぱり、子供騙しは通用しませんよね。
「さてさて……」
気を取り直して作業再開といこう。
マスクを装着っと。
「はっ――クション!!」
危ない危ない。マスクが早速役に立ってしまった。
これを期に僕は、木崎社員のことをもう少し見直さないといけないのかもしれない。
※ ※ ※
田舎な実家からこの都会に出てきて、今冬で3年目。
大学を2年で中退し、いわゆる"自分探し"をしている僕は、一人暮らしをしながら食いつなぐためにこの街でアルバイトをして働いている。
俗に言うフリーターってやつだ。
なんだかんだでここには長いこと住み着いているので、バイトにもこの街にも慣れきったと思っていた。
それでも、時には予想外の出来事も起こるようで。
「なんだかなー」
まあ、今回のようにここまで冗談抜きで女性に見間違えられたのは産まれて初めてだったわけで。(木崎社員が僕を女呼ばわりするのにはジョークが含まれているはずだ)
正直なところショックが大きい。
たしかに僕は平均的な成人男性と比べると背格好がこじんまりとしていて、加えて童顔だということは自覚している。けれど、これはさすがに何かの間違いであってほしい。
というか、間違いだろう?
だとしたらだ。
なぜ僕はティッシュを渡されたのか。真剣に考えてみよう。
例えばそう。
あのティッシュ少女の視点で考えると――
あと少しで配布のノルマが達成されるというのに、駅前は閑散としてきてしまった。
頭を抱えていると、いかにも受け取ってくれそうな優しさに満ちたオーラを放つ僕が登場。
『しめた! あの人だ!』
と、僕が男だと知りつつも、
『よろしくお願いします!』
なんて言って、ティッシュを差し出した――
とか。どうだろう。
「割と合ってるんじゃないか?」
これならあのラブレターを渡すかのような仰々しい格好にも説明がつく。
僕が男だと分かっていたからこそ、申し訳ないという思いを込めて、あんな改まった渡し方をしたのだ。きっとそうだ。
『前から私も言ってるでしょ、赤田君は身体から女々しさがにじみ出てるのよ。見間違えられたくなかったら、もっと普段から男らしく豪快にいきなさいよ』
それでも、木崎社員のその言葉が頭の中から離れない。
一応、明言しておくが、僕の心の内はオネエだとか、そういう所謂性同一性的なものを孕んでいるわけではない。乙女心を持っているとか、素行が女性っぽいだとかそんなことは一切ないのだ。
加えて弁解すれば、普段の振る舞いを他人に指摘されたことは一度もない。
そう。あの木崎社員以外には……。
あの人は例外だ。ノーカウントだ。
だから断言できる。僕は心身共にしっかりと男だと。
だったら何だ? 痩せていてあまり活気がなく、こうして考えこんでしまうところが何となく女々しいということなのだろうか。
男のくせに就職もせず、こうしてだらだらとアルバイトを続けている日々。そういう私生活から自然と女々しい雰囲気が醸し出されているのか?
「くそー」
ふと、壁にかかった大判のカレンダーを見る。
明日は日曜。
ティッシュに書かれたユミクロ女性専門店のオープンも明日。
ということは、ティッシュ少女がまたあの場所にいる可能性は高い。
「白黒はっきりさせるか」
僕は一つ決心をして、また作業へと入っていった。
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