5 歪な日常
あれから何日たったのだろうか?
今の僕は、寝ているのか?
今の僕は、起きているのか?
今の僕は、生きているのか?
今の僕は、死んでいるのか?
何もかもがわからない、でもイラナイ、そんな考えもいらない、何もいらない。
ゆっくりと目を開くと、そこにはテーブルの足が見えた。
斜めに広がる世界が、現実を思い出させる。
違う、こんな世界が見たいんじゃない。
目を閉じる。
真っ暗な闇の世界の中を僕は彷徨っている。まるで何かに吸い寄せられるように小さな光に意識が持っていかれる。
「あぁ、……あぁ、この先にいるんだ」
暗闇が消え、まばゆい光の中に、愛してやまない彼女がそこにいる。
「あぁ、優奈、君がいれば、僕は……」
この思い出の中に、僕は生きていたいと願う。
「宗一郎さん! 宗一郎さん!」
身体がゆすられる。
遠くで声がする。
「宗一郎さん! 宗一郎さん!」
僕はゆっくりと目を開ける。
ここが現実の世界なのか、それとも夢の中なのかすらわからない。
「あ、あぁ、優奈ちゃん。おはよう」
目の前にいる女の子に挨拶をする。
窓の外から朝日がさしているところからして、実際に朝なのだろう。
腰を下ろした目の前の彼女は首をかしげて不思議そうにしている。
「宗一郎さん? 優奈ちゃん? それより大丈夫なんですか? 二日もお店に来なかったから、私心配で心配で、家に来てみたらドアのカギ開いてるし、宗一郎さん倒れてるし」
僕は体を起こして自分の格好を見てみる。
上下黒のスウェット、部屋着のままどうやら二日間、床で横になっていたようだ。
頭の中にもやがかかったような気分、何だろう? 体がすごくだるい。
僕が何も答えないでいると彼女は僕の目の前で手を上下に振る。
「もしもーし? 宗一郎さん? 大丈夫ですか? 水族館の後の話で寿命がどうとか言ってたから余計に心配で」
「あぁ、大丈夫だよ? 優奈ちゃんは心配性だなぁ」
彼女に返事をして笑顔を作る。
彼女は僕の返事に何かおかしなことを耳にしたようで、顔が引きつっている。
「優奈ちゃん? 私は未来ですよ? 宗一郎さん?」
あ、あれ?
未来? 何を言っているんだ? 君は優奈ちゃんだろう?
「まぁ、いいや、それより早く着替えてお店に来てくださいよ! みんな心配してますよ?」
未来と名乗る女の子は、立ち上がると、あたりを見回している。
「ここが、宗一郎さんの部屋かぁ」
まじまじと部屋を見回す。
「そっか、この部屋に入ったことなかったっけ?」
僕も立ち上がり、彼女に声をかけた。
「前に勉強教えてくれてた時は、お店か私の部屋だったから、宗一郎さんの部屋には来たことなかったよ」
「とりあえず着替えてくるから、先にお店に行っててもらっていいかな?」
僕は彼女にそう提案する。
彼女はまだ心配そうにこっちを見ていたが、何かに納得した様に頷くと玄関のほうに向かっていった。
「わかりました。じゃぁ、お店で待ってますね」
遠くから彼女の声が聞こえる。
今の時間は朝9時過ぎ。寝すぎたのか? よくわからない。
「優奈が待ってくれている。とりあえず急いで準備しないと」
自分でも何かがずれている違和感があるのだけれど、何がずれているのかわからない。
さっきの彼女の言葉が引っ掛かっている。
この部屋に入ったことがない? 一緒に住んでいるはずなのに? 何を言っているんだろう?
ひとまずシャワーを浴びて、身支度を整える。
普段着に着替えて、家を出た。
「ここは? あれ? 何だろう?」
頭が痛む。
想像していた風景と今見えている風景が違う。
あれ? お店? お店って何のことだ?
家を出て、お店に行かなくちゃ?
「宗ちゃん? どうしたの? 大丈夫?」
マンションの入り口で声をかけられる。
誰だろうこの綺麗な人は? 同級生の麗子さんに似ているけど。
「お店に顔出さなくなったから心配してきてみたのだけれど。珍しいわね。私服? 今日はスーツじゃないのね」
相手はどうやら僕のことを知っているらしい。
聞きづらいけれど聞かなければならないだろう。
それにお店のことも知っているようだし。
「あの、えっと、どちら様でしょうか?」
「宗ちゃん? 何の冗談? さすがの私も怒るわよ?」
「いや、その、申し訳ないんですけど。麗子さんのお母さんとかでしょうか? 似ていらっしゃいますし、それとお店ってどこのことでしょう?」
僕の受け答えが意外だったのか。目の前の女性は目大きく見開いて愕然としている。
「え? 宗ちゃん? 何を言っているの?」
愕然としている目の前の綺麗な女の人は、頭を左右に振って、状況を整理しているようだ。
「……二日も店に顔を出さなかった。……記憶がおかしくなっているの? それとも――」
一人でぶつぶつ呟いている。
何だろう少し怖いな。
目の前の女性は雑念を消すように頭を軽く振ってからこっちを笑顔で見て。
「ここにいても仕方がないし、とりあえずお店に行きましょう」
そう言って僕を連れてお店に向かってくれた。
乾いたドアの音とともに目の前にひろがる空間。
どこか懐かしさを感じられるその場所に、入ると元気な声が飛んできた。
「もう! 宗一郎さん! 遅いじゃないですか!」
僕は彼女の声に安心して隣のカウンター席に向かう。
でもなぜだろう? 僕のことを宗一郎さんと呼ぶのはなぜ? いつもならお兄ちゃんと呼んでいたはずなのに?
「未来ちゃん。ちょっと聞きたいんだけれど」
僕の隣にいた綺麗な女の人はそう言って彼女の横に行く。
「宗ちゃんの様子がちょっとおかしいみたいなんだけど、分かる?」
「あ! 千川さんもそう思います?」
僕が席に着くと目の前にブレンドコーヒーが出された。
前を向くとマスターが笑顔を送ってくれる。
「私、今日の朝心配で家を見に行ったら、玄関が開いてて、部屋に入ったら宗一郎さん倒れてて……」
「宗ちゃん倒れてたの?」
彼女の声をもう一人の人が遮った。
「いや、倒れてたっていうか? 正確には横になってたっていうか? 地面に寝てたんですよ。 それで私ゆすって起こしたら……。私のことを優奈ちゃんって呼んで……」
その言葉に綺麗な女の人は愕然としている様子だった。
「ちょっと、ちょっと待ってくれる? 未来ちゃんのことを優奈ちゃんって呼んだの?」
事実を再確認するように、おうむ返しに質問している。
「そうなんですよ。優奈ちゃんって誰なんですか?」
「それは、その人は……」
綺麗な女の人はそこまで言って僕のほうを見る。
何を言っているんだろう?
優奈ちゃんは目の前にいるじゃないか。
「宗一郎君、お腹空いていないかい?」
ふいにマスターに声をかけられる。
「そうですね。起きたばっかりだし、何か食べ物を貰えますか?」
僕はマスターの方を向いて答える。
隣からはひそひそと声が聞こえるけれど何を話しているのかまではわからなかった。
間も無くして、目の前にトーストが置かれる。
大切りのトーストにバターが塗ってある。香ばしい匂いに食欲がそそられた。
「宗ちゃん? 私のこと本当にだれだかわからない?」
トーストを頬張っていると隣から声をかけられた。
僕は綺麗な女の人に首を振ってこたえる。
「じゃぁ、この子は誰だかわかる?」
そう言って今度は隣の女の子を指さす。
「何を言ってるんですか? 優奈は僕の妹ですよ?」
僕の答えに綺麗な女の人はがっくりとうなだれた。
反対に優奈ちゃんは目を見開いて驚いていた。
マスターの方を見ると頭を押さえている。
何だろう? おかしなことを言ったのかな? 僕にはわからないな。
「これは、重症じゃな」
マスターはぽつりと声を漏らした。
何が重傷何だろうか?
トーストはサクサクで、バターがほのかに甘くとてもおいしかった。
僕はそれから毎日朝起きると、お店に足を運んでいる。
優奈は家に帰ってこない。
どうやら住み込みでお店のお手伝いをしているらしい。
親父の単身赴任についていった母が心配するんじゃないかとも思ったが、僕が毎日顔を出していれば問題ないだろうと思ったから、連絡はしないことにした。
綺麗な女の人はどうやら麗子さんと言うらしい。
何か腫れ物に触る様に接してくる彼女はどことなく寂しそうに時折僕を見ている。
優奈ちゃんは優奈ちゃんで、笑ってはいるのだけれど、何か寂しげだった。
何だろう?
何かがおかしい。
僕の周りがおかしい。
マスターはいつも通りパイプをふかしているが、どことなく怒りとも、悲しみともとれる瞳をこっちに向けてくる時がある。
何だろう?
わからない。
何が違うんだろう?
わからない。
そんなこんなで一週間が経ったある日、いつものようにお店に顔を出していると唐突に優奈ちゃんが言い出した。
「私、買い物に行きたい!」
僕はすぐに頷く。
「千川さんも一緒に行こうよ!」
けれど僕の横に座っている麗子さんは首を横に振った。
「ありがとう、でも、私、そろそろ耐えられそうにないわ。明日から、しばらくここに顔を出すのやめるわね」
僕のほうを何とも言えない寂しそうな表情で見てから、麗子さんはそう言って、お会計をすますと店から出て行ってしまった。
「宗一郎さん! 追わなくていいの?」
優奈ちゃんは僕のほうを見る。
なぜ追わなくてはいけないのだろう?
「宗一郎さん! 貴方は、貴方は――」
「未来! よしなさい。彼自身が向き合わなければ進まない話じゃ」
マスター彼女の言葉を遮る様に唸る。
僕にはわからなかった。
僕のことなのに僕がわからない。
彼女は誰だったんだろう?
何か大切なことを忘れている気がする。
何を忘れているのかさえも思い出せない。
僕は、何だろう?
麗子さんがお店に来なくなって、三日が過ぎた。
今日は、優奈ちゃんと駅前のお店に買い物に来ている。
「何か欲しいものがあったら、何でも言ってね?」
僕は隣を歩く彼女に声をかける。
「はい。ありがとうございます」
最近の彼女は元気がない。
麗子さんがお店に顔を出さなくなってから、なおさら元気がない。
何か元気が出るようなものを買って上げれたらいいのに。
そんなことを考えながら二人並んでショッピングモールを歩く。
ぬいぐるみやさんや、洋服屋さん、色々なところを回っても彼女の反応は希薄だった。
ジュエリーショップを通りかかったとき、彼女は指輪を見ていた。
「買ってあげようか?」
彼女は僕の言葉に目を見開いて驚く。
「いえ、そんな、うれしいですけど、今じゃなくて、その」
なんだかよくわからない言い訳をしてる。
僕は彼女を連れて、お店に入り、一緒に見て回る。
「私、こういうのは初めて見ます」
彼女は興味津々に、色々なショーケースの商品を見ている。
僕は指輪を一つ購入して彼女の前に差し出した。
アクセントも何もない、シンプルな銀の指輪。
「え!?」
彼女はぽかんとしている。
「プレゼントだよ」
僕の差し出した指輪を彼女は受け取ろうとして、手を伸ばすのをやめた。
「それは、……今じゃないです。そうだ! 明後日、明後日受け取ります」
彼女はそう言って、今日一番の笑顔を僕に向ける。
「私、今日はちょっと寄るところがあるんで、先に帰りますね! それじゃぁまた明日お店で」
その日はそうして別れた。
次の日の朝お店に来いくと、今日は麗子さんがお店にいた。
僕は麗子さんに挨拶をして、最近の日課になっているカウンター席に腰を掛ける。
「宗ちゃん? ちょっといいかしら?」
僕がコーヒーを飲んでいると、麗子さんに声をかけられた。
「宗ちゃん、何かしたいことはない? このままだとあと三日であなたは……」
最後の方が小さい声で聞き取れなかった。
気が付くと、麗子さんの頬を涙が流れた。
僕は驚いて席を立って、彼女のほうを見る。
「え? あれ? 違うの、これは違うのよ」
そう言うと彼女は逃げるように店から出て行ってしまった。
僕はそんな彼女を目で追うことしかできなかった。
しばらくしてから、僕は元のカウンター席に座る。
何かが違う、ずれている。
あたまのなかを違う考えで抑え込められたような感覚が襲う。
わからない。
わかろうとしていないのか?
わからない。
「宗一郎さん、明日、明日デートしましょう!」
僕はふいに声をかけられる。
声のほうを向くと、満面の笑みの優奈ちゃんが立っていた。
「明日のお昼に、遊園地前に待ち合わせでいいですか?」
僕は彼女の提案を受ける。
少し沈んでいた心が軽くなっていくのがわかる。
明日は優奈ちゃんとデート。
兄妹でデートっていうのも変な感じだけれど。
うれしいものは嬉しい。
今日はその後、少ししてから家に帰った。
僕は全てを忘れてしまっている。
僕、笹塚宗一郎が死ぬまで、あと二日だということさえも。
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