4 過去からのメッセージカード
マスターの助言を受けて、僕が決意を決めてから約一週間がたった。
僕は今日も変わらず朝の日課になっているカフェ未来でのモーニングコーヒーを楽しんでいた。
「宗一郎さん聞いてますか?」
いつものようにマスターの入れてくれた渋いコーヒーが目を覚ませていく。
「宗ちゃん? 聞いてるの?」
えぇ、聞いてますとも、あえて返事をしていないんですよ?
今日お店に来てから、やたらと二人はそわそわしていて。
僕を挟んで座ってから、今日は、今日はと連呼している。
存じておりますとも、3月、それも14日。
えぇ、あえて知らんぷりしていますとも。
ところでマスター、なんでそんなにそわそわしているんでしょうか?
僕のほうをチラチラ見ながら、なんでそんなにそわそわしているんでしょうか?
普段絶対にこのお店に置いていないような、女性向け雑誌がカウンターに置かれているのをチラチラ見ながら。
貴方からは特に甘いものはもらっていませんよね? そもそもいい歳したおっさんですよね? 何でいつ渡してもらえるのかな? みたいな感じでそわそわしていらっしゃるんでしょうか?
「宗一郎さん、今日は本当にいい天気ですね。太陽がまぶしくて、すごくきれい」
未来ちゃんは朝日が差し込む窓を眺めながらこちらをうかがっている。
まぁ、朝ですからね。月がきれいですね。って言われないだけまだいい気がしますがね? 朝だから助かりましたね、本当に。
「宗ちゃん、今を大事にできない男の人は嫌われるのよ? こないだマスターも言ってたでしょ? 宗ちゃん今日も今なのよ」
千川さんはすごくいいこと言ってる感じなのに目がこっち見てないんですよね。
それこそ。わたし、死んでもいいわ。って言われるよりいいですよ? そもそもこの意訳の仕方は重いんじゃないですかね?
そんなことを考えていると、目の前にマスターからお代わりのコーヒーが置かれる。
ため息をついてから、コーヒーに手を付けようとしたときマスターが口を開いた。
「お、オハコンニチハ」
おい! どうしてそうなった? なんでその映画持ってきちゃったの? Here's Johnny.じゃないよ! それホラー映画だから! それ持ってくるくらいだったら、戦争に出た青年が卓球の大会出たりエビ漁船乗ったり超有名な顔のマーク作ったって話のほうにあるでしょう? そっちの映画の名台詞持って来いよマスター! その作品で彼のママが言ってたでしょ?
まぁ、中身は知っている。味も知っている。なぜなら確かに中身は食べてしまいましたから。とてもおいしかったです。
って、違う違う。そもそもマスターから何かもらった覚えは全くないんですけど?
僕は頭を軽く振ってから、その場でわざとらしく咳払いをする。
途端に二人? もとい、三人の視線を感じる。
「きゅお、……今日は、そうだね」
なれない咳ばらいをしたもんで噛んでしまったようだ。
恥ずかしい気持ちを抑えて、自分のビジネスバックをから小さな紙袋を二つ取り出す。
「はい、二人とも、こないだのお礼だよ」
さっきまでそわそわ落ち着かない感じの二人だったが、途端に顔が明るくなった。
「開けてみても良い? 宗ちゃん?」
「開けてみてもいい? 宗一郎さん?」
相変わらず仲がよろしいようで。
僕は二人にどうぞと、手を差し出す。
「駅前の有名なクッキーだ! ありがとう宗一郎さん!」
「手作りではないのね。男の人だし、それもそうか、私も結局買ってきたものを渡したし……」
何だろう千川さん? 素直に喜んで無いようですけど? 貴方の大好きなクッキーですよ? それも駅前の開店と同時に並ばないと買えないやつですよ? 千川さんも駅前の有名なお菓子屋さんのチョコレートだったじゃないですか? 正直言って、受け取ったときは賢治と二人で半ば死を覚悟したもんですよ? 口が裂けても言えませんけどね。え? 何? 不満なの?
「でも、すごくうれしいわ」
はぁ。最後の一言が無かったら、買ってきた甲斐がないというか、まぁ、予約して置いといてもらったんだけど。
落ち着いてコーヒーを飲みだす僕の前に、眉をピクリと動かしてカウンター越しにマスターが仁王立ちしている。
だから何で? マスター男ですよね? むしろ漢だよ。あなたは素晴らしい。それが何で不満そうに仁王立ちしてるんでしょうか?
むむむっと言うかのように、眉をまたピクリと動かす。
仕方なく、僕はビジネスバックの中をあさる。
と言っても、カバンの中には何も入ってなかった気がする。
不意に紙のカバーがされた文庫本が目に留まる。
あ? これは前に買ったやつか。
もう読み終わっているしちょうどいい、これを渡そう。
「はい、マスター」
なんか知らんが、洋物ホラー映画の台詞を突然言い出したマスターにはお似合いだろう。
僕は一冊の本をカウンターに置く。
「こ、これは……」
マスターは紙のカバーの着いたその文庫本を手に取るとぺらぺらめくりだした。
「推理小説もので、なおかつさっきコーヒーくれた時、急に言い出したようなホラー系だよマスター。あ、でも日本作家のだから、その点は許してね」
マスターはぺらぺらと本をめくった後、改めてこっちを見る。
相変わらず眉をピクリと動かしてこっちを見据えている。
何だろう? 結構怖いんですけど?
すごく長い時間、時が止まったように感じた。
実際は十秒にも満たない短い時間だろうけど。
「わし、……わし」
マスターの眉がまたピクリと動く。
仁王立ちしているマスターの肩が震えている。
え? 何? 日本人作家嫌いだった?
「サスペンスもの大好き! ありがとう宗一郎君!」
「あ、そう? それはよかった」
満面の笑みで喜ぶマスター。
何だよ。だったら変な間を作るなよ! 妙な心配しちゃうだろ? まぁ、読み終わった本だから、別にいいんだけど。そもそも渡す予定もなかったし。古本屋に売ろうかと思ってたし。
そんなことを心で呟いていたら、妙な視線を感じた。
「ふーん? へー?」
「ほー? そうねー?」
左右両方から、謎の疑問符と謎の視線を感じる。
なんで? 別に今回はへんなことしてないよね? なんで訝しげに見られているの? 僕は男の人にはそういう興味はありませんよ? さすがにそんな感じの誤解はないよね?
「お父さんには、無くならない物で、私たちには食べ物なんだ?」
「マスターは良いわね。ずっと手元においておける物で」
あれ? やっぱり二人ともすごく仲がいいよね? もう間違いないよね? 仲良しさんだ。
「宗ちゃん? 今日は、もちろん予定ないわよね?」
「宗一郎さん? この後絶対暇ですよね?」
二人が同時にそういうと、僕を挟んで火花を散らす。
視線が僕ではなく今度はお互いにぶつかり合っている。
だからやめて、お願いだから、やめて。胃が痛くなるからやめて。
「千川さん? たまには会社に行ったほうがいいんじゃないですか? 社長令嬢なんでしょ?」
燃え盛る炎のけん制が飛ぶ。
「未来ちゃん? 未来ちゃんこそ、ときどきはお店の手伝いをしたほうが良いんじゃないかしら? マスターも喜ぶわよ?」
氷の言葉はその炎すら凍てつく勢いで食ってかかると、お互いに譲らない姿勢に出ている。
あぁ、今日はマスターのほう見ても駄目だわ。
なんかもうね。さっき渡した文庫本を食い入るように読みだしてるもん。
マスター? 現実から逃げてないで少しはこっち見てね? 今を大事にじゃなかったの? マスター? おーい?
「出かけるなら、早めに行きなさいね? 今日はどこのお店言ってもカップルであふれてるだろうからね」
マスター? 本読みながら適当なこと言わないでもらえませんか? せめてこっち見て言いません?
くそう、あげた小説の犯人出てきた瞬間に名前に丸でもしておいてやるんだった。
僕は目の前に置かれたデニッシュにメイプルシロップがかけられていく様を眺めていた。
店内に広がる甘ったるい匂いと、ところかしこから聞こえるピンクピンクした会話が僕の胃をキリキリさせる。
いや、やっぱりね。人間慣れないことはしないほうが良いのかもしれないね。
どうして僕がこんなことになっているかというと。
カフェ未来を出た後のことだ。
「宗一郎さん! 私、ショコランのデニッシュが食べたーい!」
「良い考えね未来ちゃん。私も一度食べに行ってみたかったのよ」
そんなこんなで僕たちは駅前の大型ショッピングモールに来ていた。
そもそも食べ物じゃなくて手元に残る物が欲しかったんじゃなかったんでしたっけ? お二人さん? まぁいいんですけどね。
今回は流石に千川財団の手の届くところではない。いくら手広くやっているとはいえ、さすがにショッピングモールにまでは進出していない。中にはそういう出資しているお店もあるのかもだけれど。
まぁ、会社の設備じゃないから僕としては少し安心するというか。
本当の意味で休みを味わえているような気がするというか。
とりあえずは休日を楽しめそうだ。
そんなことを考えていた。このお店の目の前に来るまではね。
「宗ちゃん早く入りましょうよ?」
僕は入るのをためらっていた。
だってさ、何この女の子空間? 店の外から見たってわかるよ? 絶対店内女の子しかいないでしょ?
看板にはシャープにショコランと書かれ。
入口に謎の熊のマスコット。
外にかけてあるメニュー表は黒板で、白い文字が流れるように書かれていて。
その下には「3月14日カップル様半額デー! 気になるあの人と一緒なら同伴者も無料!」と書かれている。
「やったわね宗ちゃん。今日は安いみたいよ?」
千川さん? 貴方社長令嬢ですよね? そんなこと考えてすらないですよね? だって口元が妙にニヤついてますよ?
「やったじゃないですか、宗一郎さん! 今日は堂々と男の人も入れますよ」
いやいや未来ちゃん? 堂々とは入れないでしょ? だってこのお店男子禁制みたいのが暗黙のルールのお店でしょ? 知ってるよ? ネットでのこのお店の評価見たことありますよ? コメントにね「男がいた。マジあり得ない」って書かれてたの見たことありますよ? これ本当に入るんですか?
「宗ちゃん。新しいことにも挑戦してみるんでしょ?」
千川さん。それを言われると何も言い返せないじゃないですか。
言われるがままに僕は喫茶店に入る。
店内は案の定大半が女性客で男の人は本当に少ない。僕は場違いな感じがして何とも落ち着かなかった。
「いらっしゃいませ」
フリフリの着いたエプロンをした店員さんに声をかけられる。
メイド服とも少し違った制服を着た店員さんに案内されて席に着く。
数少ない男性客は、みんなカップルで、デートを楽しんでいるようだった。
うわ、あそこのカップルあーんってやってるよ。うわぁ、あーんって今時やるの? アレ恥ずかしくないの? 見てるこっちが恥ずかしいんですけど?
「宗ちゃん? 見過ぎよ?」
そう言って千川さんは僕にメニューを差し出してくる。
自分でも気が付かないうちに凝視してしまっていたらしい。
僕は視線を落とし、メニューを確認する。
「うわお」
思わず声が出てしまった。
苺やら、チョコレートやら、生クリームやら、甘そうなものが並んでいる。
そりゃ喫茶店で、カップルが多くて、というより狙っているお客さんが女の子だからだろうけれど。甘ったるそうなすうぃーつが所狭しと並んでいた。
いや、あのね? 場違いだよね? いくら女性二人と一緒に入ってるとはいえね? 僕にはちょっとハードル高いお店ですよ?
歯が浮くようなピンク色のメニューから顔を上げて千川さんと未来ちゃんを見てみる。
「宗一郎さん大丈夫? さすがに困ってるみたいだけど」
なんて言いながらニヤニヤとこっちを見ている未来ちゃん。
心配してないよね? むしろ楽しんでるよね?
「宗ちゃん。何か食べたいものは見つかった?」
こっちはこっちでそう言いながら顔を伏せて震えている。
千川さん笑ってるよね? 声がなんだか上ずってるし。絶対笑ってるよね?
「普段絶対に入らないお店だから、なんていうか少々息苦しんですけど」
二人は僕の言葉を聞いて吹き出すように笑い出す。
そんな面白いこと言ってないよね?
「そりゃそうでしょ。宗ちゃんがこのお店に一人で来てたら正直引くもの」
絶対来ないよ。こんな桃色空間。
「確かに、宗一郎さんが一人でこんなお店に入ってたら衝撃的ですね」
世間一般のサラリーマンがこんなお花畑に一人で入れると思うなよ?
一人で入る店は牛丼屋とか、蕎麦屋とか、ラーメン屋とか、ファーストフードぐらいなもんだよ?
「人に連れられてだってあまり行きたいとは思わないよ」
僕はそう答えて水を飲む。
そうだよ。入りたくないよ。こないだのこともあってちょっと冒険してみただけだよ。ほら、今を生きるって、チャレンジも必要でしょ? 千川さんもついさっき言ってましたよね?
でももうこんな挑戦はしないって決めましたけどね。
「でも、宗ちゃんにしては大きな一歩よね。少し見直したわ」
そう言ってくれるのはありがたいんですが、もう次はないと思いますよ。
クスクス笑う千川さんは僕の考えを知ってか知らずか話を続ける。
「せっかくだから今を楽しみましょうよ」
そう言ってメニューを見だした。
僕もメニューに再び目を移す。
と言ってもどうしたものか? こんな感じのお店に入ったこともないからまるで分らん。
メニューから再び顔を上げると未来ちゃんが目を輝かせていた。
「ここのお店はココアとデニッシュがすごくおいしいんだよ!」
「ご注文はお決まりですか?」
店員さんが訪ねてくる。
あーっとどうしよう?
僕が決めかねていると千川さんが先に注文しだした。
「ティラミスを一つとアイスカフェラテを一つ」
未来ちゃんも続けて注文しだす。
「苺パフェを一つとアイスチョコストロベリーを一つ」
僕は未来ちゃんの提案に乗ることにした
「デニッシュ一つとアイスココアを一つ」
「かしこまりました。繰り返させていただきます。ティラミス——」
店員さんがメニューを取り終えて去っていく。
注文しただけなのになんかすごく緊張したんですけど。
「宗ちゃん? そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
そうは言いますがね、完全アウェイで試合に臨むようなものなんですよ?
「宗一郎さん。もっとりらーっくすしてくださいよ」
未来ちゃんまでそんなことを言う。
「あぁ、多分大丈夫だと思うよ」
内心は全然大丈夫じゃないんですけどね。発した自分の声が妙に遠くに感じた。
しばらくして頼んだものがテーブルに並べられていく。
ティラミス、苺パフェ、そしてデニッシュ。
ティラミスはきれいな層を作っていて、お皿の周りにはキャラメルで縁どられている。おぉすごくおいしそう。
苺パフェはグラスからはみ出る勢いで苺が彩られ、こっちもこっちでおいしそう。
デニッシュ、すげぇ。
見るからにサクサクのデニッシュの上にソフトクリームがのっている。
「シロップのほう、かけさせていただきますね」
へ? シロップ?
店員さんはそう言うとソフトクリームの上からメイプルシロップを注いでいく。
うわー、なんかすげぇー。
すげー、甘そうー、胃がきりきりする。
あっという間にメイプルシロップの池に浮かぶデニッシュが出来上がった。
「とっても甘くておいしいんだよー」
デニッシュにナイフを入れるとサクッという軽い音とともに割れていく。
八等分してから、口の中に放り込む。
あ、これすごいや。甘いけど、しつこくない。あぁ、おいしい! これすごくおいしい!
「なんていうかサクサクだな! ソフトクリームの冷たい感じとか、シロップのしつこくない甘さとか、色々あるけど、なんていうかサクサク! これすごくおいしいな!」
ココアもしつこくない。すごくおいしい!
いやはや、幸せ感じられるおいしさだなぁ。
「はい、宗一郎さん。こっちのパフェもおいしいですよ?」
え? 食べてみてもいいの?
そう思って未来ちゃんのほうを見てみると。僕は固まった。
差し出されたデザート用のスプーンの上に苺がのっていて。
「はい、あーん」
「いやいやいや、あーんじゃないよ! あーんはいいよ。絶対しないよ」
「じゃぁ、あげない!」
あぁ、ちょっと食べてみたかった気がする。でもあーんって、あーんだよ? 二十代後半の男があーんって、耐えられないよ!
「宗ちゃん? こっちのティラミスもおいしいわよ?」
だからね千川さん? 今絶対しないって言ったでしょ? なんでフォークに刺されたティラミスを僕のほうに向けるんですか? 左手を添えてね。何とも上品にね。しないからね! あーんはしないからね!
「じゃぁ、宗一郎さんのデニッシュ食べさせて?」
僕は自分のデニッシュをお皿ごと二人のほうに向ける。
途端に不満そうな二人の視線が飛んできた。
「宗ちゃん?」
「宗一郎さん?」
いやいやいやいや。絶対しないよ! 絶対! だめ絶対! そんなことをしたら恥ずかしさで死んでしまうよ。
「はい、フォークもって」
いやいやいやいや。受け取りませんよ?
千川さんはこっちにフォークを差し出してくる。
「宗一郎さんはやくはやく!」
そんな期待を込めた目で見られてもやらないですよ?
どうしたものかと、困っていると、千川さんの差し出したフォークを未来ちゃんが受け取った。
「仕方ないですね。お手本をお見せしますから、次は宗一郎さんがやるんですよ?」
へ?
何を言ってらっしゃるんですか?
未来ちゃんはフォークで自分のパフェから苺を取ると千川さんに向けて差し出した。
「はい、あーん」
「あーん、……甘くておいしい」
千川さんは唇に着いたクリームをなめとる。なんでそんなことできるんですか? 二人とも女の子だから?
さっきのフォークでもう一つクリームの着いた苺を取ると僕のほうに差し出してくる。
「はい次、宗一郎さん! あーんしてください、はい、あーん」
えー、なにこれ、食べなきゃ終わらないの?
むぅ、仕方がない、覚悟するしかないようだ。
僕は意を決して、口を広げ顔を前に出す。
口の中に苺の甘さが少し広がる。
でも、そんなことより恥ずかしくて、いい歳したもうおっさんに近い歳の人が何をしてるんでしょうか?
「味はどうですか? 宗一郎さん?」
いや、味とか正直分からないよ。もうね。恥ずかしくて、恥ずかしくて。
曖昧に笑って何とかごまかす。
「次はこっちよ宗ちゃん? はい、あーん」
いやね。もうね。どうにでもなれですよ。
ティラミスの冷たい感覚が口に広がる。きっとおいしいのだろう。もうわからないよ。恥ずかしくて。
「宗ちゃん? 何してるの? 次はこっちに食べさせてね?」
あぁ、もう! わかったよ! やればいいんでしょやれば!
一口サイズに着られたデニッシュをフォークでとって差し出す。
二人とも満足そうにデニッシュをほおばっていた。
僕は羞恥心で死にそうになりながら。アイスココアでカラカラになったのどを潤す。
「はぁ、もうお願いです。許してください」
そんなこんなで喫茶店ショコランでの時間は過ぎていった。
「千川さん? 何を買ってもらいますか?」
「そうねー、せっかくだからいつもつけて歩けるものがいいわね」
僕の前を二人は楽しそうに歩いている。
もう、なんかすごく疲れた。正直言って帰りたいレベルで疲れた。
こっそり帰ったらバレるかな? バレた後もっと疲れるかな?
「宗ちゃん? 何してるの? 遅いわよ?」
「宗一郎さん! 早く早く!」
気が付くと二人から少し離れていた。
これはチャンスなのではないだろうか? 今のうちに逃げ出せば二人は追いつけないのでは?
そんなことを考えていたら、僕のところまで二人は戻ってきて両肘をガッチリとつかむ。
「あ、あの? お二人さん? どうして腕をつかむのでしょうか?」
「だって、宗一郎さんいなくなっちゃいそうで。やだもん!」
「宗ちゃんが帰っちゃうんじゃないかって思うからよ」
あら、こういうところは本当に仲がいいんですね? 普段からそうだといいんですけど? っていうよりなぜ逃げることがバレてる。
「そう言うわけで、宗ちゃん? とりあえずあっちに行ってみましょうよ」
そんなこんなで、二人に引きずられるように歩き出した。
家具屋さん? 家電屋さん? なぜそんなところを回るんでしょうか? いったい僕に何を買わせる気なんですかお二人さん?
「最近の家電はなんていうか、妙にメカメカしい気がするのよね」
いやね、さすがにルンバやら、ドローンやらは買いませんよ? なんでそういうものをちょくちょく気にしながら歩いているんでしょうか千川さん?
「わーい! ふかふか~ふかふか~、気持ちいいな~」
未来ちゃん、やめてください、売り物のベットで寝ないでください。それは君の部屋にはいくらなんでも置けないでしょう?
「なんていうか、こう、もっと女の子っぽいものを見に行くのかと思ってたよ」
僕はぽつりとつぶやいた。
「だって宗ちゃん、こういう家電好きでしょ?」
「そりゃぁ好きだけど」
「宗一郎さん前に、家具を見るのが好きだって言ってたでしょ?」
「あぁ、確かに言ったね言ったよ」
二人はキョトンとした表情でこっちを見ている。
うん? ひょっとして変に気を使われてる?
「いやいや、そうじゃなくて今日は二人にプレゼント買うんだから、そういう気の使い方はしないでいいよ」
「そう言うわけではないのだけれど」
「そうじゃないんだけど、その……ねぇ?」
二人はお互い顔を見合わせて何とも言いずらそう二している。
うん? じゃぁどういうことなの?
二人の言葉を待っていると、千川さんが歯切れ悪そうに答えだす。
「その……、そのね。雑誌に書いてあったのよ」
「はい?」
「雑誌にホワイトデー特集があって、それで、その、男の人の趣味に合わせると好感度が上がるって書いてあったの!」
妙に熱のこもった感じで未来ちゃんが話を始めた。
どうやらその雑誌に、プレゼントを買ってもらう時は相手の趣味に合わせて買ってもらうのがベストっと、書かれていたらしい。
いやそうなのかもしれないけどね? それはなんていうかちょっと違くないですかえ? 意味がはき違えられているんではないだろうですか? そういう風にとらえたとしてそれで世間一般の女の子喜ぶの?
こないだのバレンタインデーのお返し、ドローンだよ! ってなって喜ぶの?
ドローンならまだいいのかもしれない。良くはないかもだけど。
こないだのバレンタインデーのお返し、陸上自衛隊 10式戦車それも1/16プラモデルだよ! ってなって喜ぶ女の子って何なの? 絶対いないとは言わないけど、言わないけど! そうそうないよね!
「その雑誌、捨てたほうが良いんじゃないかな?」
思わず本音が出てしまう。
二人は僕の言葉に笑顔のまま固まっている。
妙に凍り付いた笑顔から、よほど二人がショックを受けているのがわかる。
「何してるんだか、まったく」
二人は僕の言葉にうつむいてしまった。
そもそも僕に合わせる必要なんてないだろう。
僕が二人にプレゼントを贈りたいんだから、二人が喜ぶ物じゃなきゃ意味がないだろうに。
それにここでそういう気の使い方ができるんでしたら、さっきの喫茶店やめてくれませんか? いやね? 結構あっちの衝撃が強すぎて、むしろ二人が家電やら、家具やらに目覚めているんじゃないかって思ったりしたんですよ?
僕は気を取り直して二人に向き直る。
「さてと、それじゃ。洋服屋さん? それとも小物屋さん?」
その答えが意外だったのか、二人は顔を驚いた様子で上げてこっちを見てくる。
「そもそも、いきなりあんな男子禁制の喫茶店に連れて行った人達のすることじゃないんじゃないですかね? だいたい僕のプレゼントじゃなくて二人のプレゼントなんだよ?」
自分で行ってて恥ずかしい。
なんだってこんな台詞を言わなきゃならんのだ。
まぁ、二人の満面の笑みが帰ってきたので良しとしますか。
「私! ぬいぐるみが見たい!」
未来ちゃんは嬉しそうに手を上げる。
もう大学生になるというこの子は、とてもそんな風には見えない喜び方をする。
僕は率直に未来ちゃんのこういうところはすごいと思う。
感情を素直に表現できる。
きっと大人になるっていうのは、こういうことができなくなっていってしまうことだから。
「何してるの? 宗一郎さん! 千川さん! 早くいきましょうよ!」
それからしばらく僕達三人は買い物を楽しんだ。
夕飯をカフェ未来で済ませ、家に帰って楽な部屋着に着替えて何をするわけでもなく椅子に座る。
今日は楽しかった。
心からそう思う。
先日決意した事を少しは実践出来ていたという充実感まである。
やはり二人には感謝だ。
僕一人ではとてもこんな風にはなれなかっただろう。
ただ、ピンク色な世界には勘弁して欲しいかな。
そんな事を考えて天井を眺めていた。
「冥土ちゃった! 毎度おおきに、ラブリーエンジェルギフトのチャミュちゃんでーす!」
後ろから間の抜けた声がする。
僕は声の主に片手を上げて返事をすると声の方に振り返った。
相変わらず憎たらしい笑みを浮かべ、自称天使の白饅頭はそこにいた。
「今日はお知らせがあってきましたよ!」
僕は自称天使に向かって、話をした。
「あぁわかっているよ。後二週間を切ったんだろ? 僕が死ぬまでの残りがさ」
この返しが意外だったらしく、チャミュは驚いたとでもいうように、口を大きく開けて、胸の前で手を合わせる。
何度もうなずきながら、息子の成長を感じた父親のような仕草をする。
「これはこれは、意外ですわー。まさかここまで成長するとは! 先週会った時とは大違いですね。頼もしい限りですわー。……でも」
しばらくそうした後向き直り、指を顔の目の前に立てる。
「でも! 今回は、違いますわー」
そう言うとチャミュは一枚の紙をひらひらさせる。
「あ、そうそう、賢治さんにも、同じような事をしたんですけどね、賢治さん私にとびかかってきて、まぁ私は半透明なんで、すり抜けただけでしたけどね」
肩をすくめて不敵な笑みを浮かべたそいつは、目の前をふわふわと浮いている。
「あんなに激怒した人を見たのは初めてだったかもしれませんね」
チャミュは何か思い出にふける様に、遠くをみる。
賢治が激怒した? あの温厚な賢治が? こいついったい何をしたんだ?
「どうしたんですか? そんなに目を丸くして? ひょっとして賢治さんが激怒したのが信じられない? まぁ、信じてもらわなくても結構ですけどね」
また同じように肩をすくめる。
「賢治さん、なんて言ったと思います?」
もったいぶる様に、ニヤつきながら流し目をこちらに送る。
僕はチャミュの返答に返事をしなかった。
正直そこまで興味も無い。人が怒ってるところなんて想像もしたくない。
「用事がないなら、帰ってくれないか?」
そもそもこいつに付き合ってやる必要はない、千川さんと未来ちゃんのおかげで死ぬことにも、生きることにも絶望しなくなった。
「あーあ、白けちゃった。そっか、もう死ぬことに恐怖はないんですね」
今までのまったくもってふざけた印象がだいぶ変わり、急に冷たい瞳をしている。
その変貌に、僕は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
チャミュは、さっきまでの笑みとは違い無表情になると声のトーンを落として話し出す。
「そっか、まぁ、受け入れてくれたなら話が早いですよ。それなら賢治さんが言ってたことを破っても大丈夫そうですしね。まぁ、私、賢治さんの前でこの手紙を音読したんですよ。そしたら賢治さん、絶対に宗一郎にはその手紙を読むな、って言いだして、すごく怒ってました」
そう言ってチャミュは手に持たれた手紙を、少し高くかざす。
「まぁ、そういうことでしたら、別にいいでしょう? 賢治さん? まぁ、聞いても返してくれるわけありませんけどね」
チャミュは自分の言ったことがさも可笑しいというかのように、乾いた笑いを上げる。
手紙を両手で持ち、前に構えると、読み上げだした。
「今度のゴールデンウィークは、キャンプに出掛けることになりました。なぜなりましたなのかというと、私はまだキャンプには行っていないからです」
雷に打たれたように、衝撃が走る。やめろ、その文章をそれ以上読むな。
「キャンプには家族みんなで行きます。お母さんとお父さんと私とお兄ちゃん、みんな私の大好きな家族です。家族みんなで旅行するなんて、小学生以来なので、私はすごく楽しみにしています。それから——」
僕は耳をふさぐ、これ以上聞きたくない。やっと、前を向けたんだ。やっと、立ち直れたんだ。
頼む、やめてくれ、これ以上、やめてくれ
「あれれ? どうされたんですか? 宗一郎さん?」
チャミュの声は、耳をふさいでも聞こえてきた。
「あ、これ? 不思議ですよね? 実は私の声って、耳から聞こえてるんじゃなくて、私が見えた人の頭の中に直接注ぎ込んでいるんですよ。最初にいきなりやると、頭が混乱して宣告式ができないので、最初はちゃんと会って耳から聞こえているように口を動かして話すんですよ。なんて無駄なことを? って思うかもしれませんけどね。そうしたほうが後々の絶望した顔が楽しめますからね」
目の前の無表情な顔をした自称天使は、口を一つも動かさずに話を続けている。
僕はその場に崩れ落ちた。
「それでは続きです」
それは、高校生の時、彼女の部屋にあった作文だ。
「——私は一つ心配なことがあります。それは兄のことです。私のお兄ちゃんは——」
なぜお前が、それを持っている。
なぜ? なぜ? なぜ?
確かにその作文は、一緒に燃やしたんだ。
お前がそれを持っているとしたら、それしか考えられない。
「——お兄ちゃんは、体調を崩しているようです。それにしても」
お前は本当に。
「明日はきっと楽しいキャンプになると思います」
「お兄ちゃんは熱出てるんだから、寝なさいよ!」
広いリビングに明るくて元気な大きい声が響く。
彼女はお風呂から出たばかりのようで洗い髪の滴が、輝いて見える。
「のど乾いたから、飲み物取りに来ただけだっての、それより何してるの?」
パジャマ姿の彼女は、リビングのテーブルで、原稿用紙を広げていた。
僕は冷蔵庫から、牛乳を取り出し、マグカップに入れるとそれをレンジに放り込む。
「えへへ、ゴールデンウィークの宿題! なんか休みの日のことを書いてこいって言われたの」
彼女はにこやかな笑みをこちらに向ける。
「それで、明日のキャンプが待ちきれなくて、キャンプの前日から書くことにしたの」
彼女はつつましやかな胸を張り、自慢気に話す。
「そうか、まぁ、どうでもいいけど、俺みたいに風邪ひくなよ?明日のキャンプいけなくなるぞ?」
僕は音がしたレンジからマグカップを取り出す。
ホットミルクを息で冷ましながらゆっくり飲む。
「そう思うなら、すぐに寝なよ! 全くお兄ちゃんはバカだなぁ」
「
遠くからお母さんの声が聞こえる。
「はーい、もう寝ます」
優奈は声のするほうに返事をして作文にまた取り掛かっていた。
僕はその様子をホットミルクが飲み終わるまで眺めていた。
声が聞こえる。
頭の中を懐かしい、声が聞こえる。
あぁ、何だ、そこにいたのか。
「貴方は最高でした。笹塚宗一郎さんは後の余生をたのしんでください」
頭に違う声が響いて、それをかき消すように、懐かしい声を再生させた。
温かい、満たされていく。
もう、他のことは、いいや。
考えられなくても、感じられなくても、どうでもいいや。
ただただ、この懐かしいぬくもりを、僕は感じさえ出来ればいい。
他の物は何もいらない。
「あぁ、優奈ちゃん、なんだ、そんなところにいたのか」
まばゆい光と、温かい声の中に彼女はいる。
ずっと笑顔を絶やさずに。
これがあれば、他は、いらない。
もういらないや。
何も、イラナイ。
イラナイヤ。
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