別れのとき
私を見るたびに怯え、顔を覆って震えるまみちゃんに「圭介は大丈夫だから」と伝えながらも、しっくりこない想いがあって、それがなにかをずっと考えていた。なぜ私は、望まれてもいないのにまみちゃんに会いに行くのか。とうとうその理由に行き着いて、あの日、勇気を出してまみちゃんに伝えた。
「私、女の子の友達がいないの。いつの間にか、気づいたらね、いなかったの。まみちゃんが私に優しくしてくれたとき嬉しかった。くすぐったかった。なのにうまく態度に表せなかったの。それからね、道哉にカノジョが出来て、それがまみちゃんで良かったって本当に思ったのよ。そのことも伝えられてなかったよね。もっとたくさん、話せたらよかった。私が、道哉とまみちゃんの間に入ってふたりを仲直りさせたかった。今になったらね、私にはそれができたのにってわかるの。なにもしなくて、……ごめんね」
伝えることに集中して少し早口になった。
「どうしてそんなこと、いうんですか」
まみちゃんは震えながら私をみつめてきた。
「もっと、せめてください。わたしは、ひどいことをしたのに」
「まみちゃんだけが悪いんじゃないの。私が勇気を持って人生と向き合っていたらこんなことになってないから、だから」
まみちゃんは肩をあげて耳を塞ぎ激しく左右に首を振った。
「だ、だ、だ、だ、だ、だ、だだだだだ……」
見守っていた道哉が思わず立ち上がってまみちゃんの名を呼んだ。私もつられて立ち上がった。
「まみちゃん、もう自分を責めないで。お願い。圭介がそう言ってるの。まみちゃんのこと心配してるの。私も」
立会人と看護師が取り乱すまみちゃんの腕を押さえて面会の終了を告げた。
「ちょ、ちょっと待ってください、これが最後です、だからもう少し、もう少しだけ――」
「いい加減にしてください」
「あ――、まみちゃんっ、ま――」
私は無理矢理外へ出された。
静かな廊下にまみちゃんの啼泣が響き、私は立ち尽くした。
私の
この日の帰り道だった。
道哉はひとつの決意を口にした。
「ここを離れようと思う。まみが退院できたら、圭介に謝りにいってけじめをつけて、新しい土地で生きていこうと思うんだ」
「そっか」
私はただ、聞いた。冷たい雨が降っていて、傘に当たる雨音とすれ違う車の走行音に意識を半分あずけていた。
「まみは人を傷つけることに慣れてない。おまえらが許しても解決しないんだと思う」
「うん」
「せっかくまみを楽にしようと謝ってくれたのに、悪い。けど何年先か、何十年先か、時が解決してくれたらと願う。それまでおまえとも圭介とも会わない」
「うん」
人は、哀しい。取り返しのつかないことは人生の中でそう多くはないのに、自分が決めてしまったら最後、心は閉じて動かなくなる。私がそうだった。嫌われて傷つくくらいなら誰とも深く関わらないと決め、そうしていれば安全だと信じていた。でもそうじゃなかった。何もしないことが自分や大切な人を守ることにはならない。
「たとえこの先一生会うことがなくてもおまえは俺の親友だから。元気でやれよ」
「そっちもね」
恋人でも家族でもないけれど道哉の幸せは自分の一部だと言い切れる。会えないことは重要じゃない。
「行先は伝えないで行く。いいよな」
「うん、いいよ」
どこかで人生を楽しんでいてくれたらそれでいい。だけど可能性はゼロではないから、いつか笑って会える日がくると期待はしていよう。まみちゃんが自分を許して、許されることに甘えられる日が来るまで。
「ココ、幸せでいてくれ」
「……」
涙はどうしようもなく、頬に落ちた。空は私たちの別れを見守るために雨を降らせたのだろうか。晴れていたら、たまらずに歪んでぐしゃぐしゃになった表情を傘で隠すことはできなかった。
+
母が眠る墓の前に新しい花が供えてあった。道哉だとすぐに気づいた。
明日、道哉とまみちゃんはここを離れて誰も知らない土地へ行く。あの別れから、道哉は私の家に来ない。私も行かない。圭介の見舞いには行っていたようだが私とは時間帯が合わなかった。圭介が退院してから一度だけ、新居に来た。笑えるくらい、お互いなにも変わっていなかった。まみちゃんの様子を聞いた。
――今はすごく落ち着いてる。退院してからの、俺との未来だけを考えてる。
繊細で激しいまみちゃんには道哉がそばにいる、そのことがすべてなのかもしれない。
「ただいま」
道哉とまみちゃんが帰った頃を見計らって帰宅した。
「おかえり」
声と水音が一緒に聞こえてきた。圭介はキッチンで客用のソーサーとカップをぎこちない手つきで洗っていた。
「まみちゃん、どうだった?」
「うーん。かなり緊張してたみたい。倒れないか心配になっちゃった」
おかしな人だ。自分を傷つけた人間を気遣うなんて。
「帰り際、また絶対会おうって声掛けたんだけど道哉くんなにも言わなかった。本当にもう俺たちに会わないつもりなのかなあ」
「さあ、どうだろう」
圭介と並び、洗い終えたカップを布巾で拭く。ふたりが手をつけなかったクッキーとチョコレートは缶に戻した。
「先のことはわからないよ。でも信じていようよ」
使った台布巾を濯ぎながら言った。圭介が目を瞬かせて私を見る。圭介は濡れた手のまま私の肩を掴んだ。ちょっと、と抗議の声をあげたら抱きしめられた。右手に台布巾を持ったまま、私は圭介の胸に頬をくっつけた。
「心菜はいつから未来を信じるようになったんだっけ」
「だから、圭介と結婚したからよ」
たぶんこのやりとりは三日に一回やっている。他にもいくつかお約束のやりとりはあるけれど、まあ、それは私たち以外の人にはとても退屈で、恥ずかしくさせるようなものだから言わないでおこうと思う。
「今日も遅くなるけどごめんね」
圭介の肩越しから掛け時計を見上げて謝る。
大きな変化はもうひとつあった。
私は夢を持った。料理を作る仕事をすることだ。お弁当屋さんでもデリバリーでも、ワークショップでもいい。誰かに優しい食事を届けられる仕事がしたい。
替えのきかない人間になりたいとずっと思っていた。
その方法はすぐ近くにあったのに、料理を作ることは責任だと思い込んできたから、それが特別なことだと圭介が教えてくれるまで気づかなかった。
過ごしてきた時間は、今の私に出会うためにあった。捻じれときに逆さまになり世界が歪んで見えたとしても、私には必要な痛みだった。今なら分かるから。この先は、まだ始まっていない、どうとでもなる未来だけに焦点を当てて歩こう。
「結婚式、楽しみだね」
「ほんとだね」
同じ季節の同じ日、同じ岬のチャペルで式をあげる。
今度は私たちだけじゃない。大切な人たちを招待して幸せを共有する。そう決めた。
「また心菜のドレス姿を見られると思うと興奮しちゃうな」
「っていうかみんなにも見られちゃうんだよね、アレ」
“罰ゲーム”を脳裏に描いて重い溜息をつく。
「マジで楽しみ! みんなに心菜がどんなに綺麗か見てもらえる!」
「……ねえ、人のことより自分のこと。最近太ってきたけどタキシード着られるの?」
「大丈夫、大丈夫。ベッドの中で心菜と一緒に運動するから」
「私、関係ないじゃない」
「まあまあ、連帯責任ってことで。じゃあさ、朝起きたとき――――」
この先はまた馬鹿馬鹿しくて愛しい、いわゆる“イチャイチャ”タイムへと続く。お約束だ。もちろん、私は素早く逃げるのだけど。
【第五章おわり~エピローグへ】
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