背中あわせ

 



 私たちは圭介の作戦に乗ったふりをすることにした。



    ♰

 

 昨日、三叉路で私は錯乱状態になった。

 傍に道哉がいてくれなかったらどうなっていたか分からなかった。心配した道哉は必死になにか言ってくれていたのだろうけど、私の耳はなにも拾わなかった。車のクラクションも通行人のお喋りも。どの程度の時間だったのか、道哉は「こうなったら圭介に聞くしかない」と私を激しく揺さぶった。「おまえはいったい何者で、なんの目的で近づいてきたのか、はっきりさせよう」

 それで我に返った。

 私は怯え、首を横に振った。……確かめる? ……私が? 無理だ。そんな勇気があったら今、こんなことにはなっていない。


「わかった。じゃあこうしよう」

 道哉は、俺に考えがある、と言った。

「おまえと継母を会わせる同じ時間、俺は圭介と会うようにする。場所は“カフェレストラン小峯”でどうだ。あそこならすべての席が衝立で仕切られているだろ。覗き込もうとでもしなきゃ隣の席の客は見えない。だからココ、おまえも来るんだ」

「えっ」

「俺たちは先に店に行き背中合わせの席で待機する。俺は入口からすぐ見える席に座る。圭介は迷わず俺のところへくるはずだ。圭介からココの姿は見えないし、そもそも継母と会っている時間だ、圭介には油断が出る。そこで俺がすべてを聞き出す。ココが継母と会うかどうかを決めるのはそれからでも十分だ」





 段取りはすべて道哉が行った。

 私はただうろたえて、道哉の言うがまま、その指示に従って今、圭介と道哉が待ち合わせた店の中にいる。


    +


 席に着いた途端、帰りたくなった。

 本当に圭介からこの席が見えないか、怖くてより奥の方へ体を押し込めて座った。


 年中無休、朝十時から夜十時まで営業している“カフェレストラン小峯”は私たちが生まれれる前から営業している。広い店内にはクラッシック音楽が流れていて、昼の時間を少し外した今も混んでいた。座席の背が高く衝立の役割を兼ねている。そのため周囲の客を気にせず会話と食事を楽しめると評判がいい。動線には観葉植物が置いてあり、より客同士の視線が合わないよう工夫がされている。


「――よ」

 唐突に、道哉の声がした。

「こんにちは。遅れてすみません」

「そんなことないよ。ぴったり時間通り。来てもらって悪いね」

「いえ」

 圭介の声……、

 いつも私に愛を語ってくれた声がすぐそこにある。

 腰が浮いてしまいそうだった。

「電話では何度か喋ってるけど、直接会うのは二度目だよな? この前は俺、女装おんなだったし」

「そうですね」

 和やかに会話が始まった。

 店員にアイスコーヒーを注文して、他愛ないやり取りが始まった。笑い声も聞こえる。けれど飲み物が運ばれた後、道哉は唐突に流れを変えた。


「あれっ? なんかちょっと拗ねてる感じ?」

「え……、どういう意味ですか」

 圭介の表情を知ることはできないがその声は用心深くなっている。道哉が私に語った通り、誘導が始まったのだ。

「いやさ、俺とココが目の前でキスしたこと根に持ってるのかなって」

「……」

 圭介は何も答えない。あの夜私が圭介を背に道哉の頬に頬を重ねたのは、キスをしたように見せるためだ。

「俺さ、圭介クンには悪いけど、きみの母親とココを会わせることには協力したけど、ココと別れる気はないんだよね」

 わざと圭介を挑発しているのだろうが、圭介はまだ言葉を発しなかった。

「きみも経験あるから分かると思うけど、俺らつきあい始めたばっかりで、今が一番イイ時期なんだよね。別れるのはちょっと、できないね」

 グラスに氷がぶつかる音がした。どちらが立てたのか分からないが乱暴な音だ。

「……あなたは、俺と心菜の味方じゃなかったんですか」

「そう勘違いさせちゃったならごめん」

 わざと茶化すような、それでも強い口調を崩さない道哉。しばらくテーブルに沈黙が流れる。


「……どうせうまくいきっこない」

 圭介のくぐもった声が聞こえた。

「……またつきあってもただ楽なだけで」

 心臓が跳ねた。やはり圭介は道哉と私のことを知っている。道哉の記憶違いではなかったのだ。

「……それは愛じゃない」

 いつか道哉が口にした言葉と同じことを圭介が言った。道哉がふっと笑った。

「やっぱりね。――なあ、この前さ、なんで女装してたのに俺だってわかったの? つうかマンション、なんで知ってんの?」

「……俺、帰ります」

 圭介が立ち上がったのか、その声が頭上から聞こえてきた。

「逃げんの?」

 すかさず道哉が畳み掛ける。

「圭介クン、俺さ、昔きみと会ってるんだよね」

 まあ、座ってよ、と道哉が促す。

「ココが前の男と会うとき、きみさ、待ち合わせ場所までつけていったろ? 俺が偶然見たのは一回きりだけどあの感じじゃ一度や二度じゃないよね。それから俺とココが学生だった頃、学校にココを探りにきてたよな」

「人違いじゃ―――」

「とかいって誤魔化すことも不可能じゃないんだけどさあ」

 余裕のない圭介の声に道哉はわざとのんびりした声を重ねた。

「さっき自分で言ったんだよ。俺とココが“またつきあう”って。俺らが元サヤってなぜ知ってる? 焦って口走っちゃったかな」

「それはっ……、それは心菜から聞いて――」

「あいつは言ってないよね?」

「……っ」

 圭介が引きつけのような息継ぎをした。

「もう無駄じゃね? 最終的にはココと出会うためにココが働いている職場のビルでバイトまでしてるわけだし、ね?」


 沈黙が流れた。

 どんな空気が流れているのか、圭介はじっと下を向いているのか、それとも道哉を睨みつけているのか、私には想像することもできない。――ねえ、圭介教えて、なぜ私のことを? 


「分かった、ココには内緒にしてやる。だから全部話せよ。驚かねえから。きみが継母のためにココを見張っていたんだとしても、復讐のためにココに近づいたんだとしてもさ」


 道哉からのサインだった。

 驚かない……


 私は震える肩を引き上げて、呪いの言葉を、待った。

 



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