独り言
「その前に、おまえはどうしたいの?」
「……」
「本心では結婚したいんだろ」
「……」
「あいつと離れたくねえんだろ」
「……」
追い詰められて、私は苦しくて、泣き出さないよう必死に涙をこらえる。
「ほんと、素直じゃないよなあ」
道哉は空を睨み、わざとらしい息を吐いた。
私の気持ちは隠しようがないほどに、皮膚からも、髪の毛の一本からだって漏れているのだろう。けれど、私がどうしたいかなんて言えない。その権利はないから。
「じゃあ、ここからは俺の独り言だ。誰にも聞かれてないと思ってるから悪口とかガンガン言うかもしんないけど、まあ、それは俺の自由だからな」
なんでもいい。圭介がなぜ道哉のところに来て、なにを話したのか、一字一句漏らさず教えてほしい。
道哉に背を向けて、私は“独り言”を待った。
――――まいったよ、バイト終わって帰ってきたらさ、マンションの前にいたんだよな、あいつ、圭介。俺、女装してんのに何の迷いもなく俺の前に立ちやがった。……騙せねえヤツがたま~にいるんだよな、マジむかつくわ、って悔しがったのはとりあえず置いといて。
唐突に、心菜と別れてください、って言ってきた。敬語使ってるくせにすげえ挑発的で、ガタイいいから俺殴られるかと思ったわ。けど俺は幼なじみの元カノのために頑張って演技を続けたぜ。「フラれたヤツはおとなしく引っ込んでろよ」ってな。ついでに言ってやったぜ。
「親が反対してんだってな。そんな家に入ってココが幸せになれるわけねえだろ」
私は心臓を鷲掴みにされながらも、道哉の“独り言”に耳を傾ける。
――――けどあいつも飛ばしてきた。「心菜を返せ!」「心菜を振り回すのはもう許さない」「いまさら邪魔するな」「おまえに心菜を幸せにできるわけない」「おまえこそ引っ込んでろ」って。とにかくもう、声もデカいしめんどくせぇのなんの。つうか俺、ただの幼なじみの元カレじゃん。なんで初めて会った年下の男におまえ呼ばわりされて、こんな目に遭ってんの、しかも女装中に、ってはなし。
最初と言っていることが違う……、と文句を言いたいけれど、私は胸のあたりを押さえたまま動けない。
圭介は、若葉さんが私との結婚を許さないなんて小指の先も思っていないのだ。……いったいどうしたら私を見限ってくれるのだろう。
――――俺がうんざりしてたらさ、あいつ急に黙った。「もしかして心菜は、親が俺たちの結婚に反対してると思って、それで俺と別れるなんて言い出したんですか……」って。だから最初からそう言ってるだろ、っつうの。あいつ、全然人の話聞かねえのな。「きみに駆け落ちする勇気でもあれば、ココの気も変わるかもな」って教えてやったら急に、「ありがとうございます」って素直になりやがった。……おもしれえな、あいつ。
「おっと、着信……」
“独り言”の途中で道哉の携帯が鳴った。
「――――伝えればいいわけね。……まあ。――――そうだな、その方がいいかもな」
私は買い物用の手提げバッグを左から右の腕に持ち直し、聞くともなしに背中で道哉の声を聞きながらハンカチで首筋の汗を拭った。携帯をポケットに戻すと道哉が言った。
「ココ、今の圭介だ」
「えっ」
おもわず向き直った。
「なんで圭介があんたの番号を知ってるの? っていうか、なに今の会話……」
動揺と質問が私の中で騒ぎ出す。
「俺があいつと繋がりたいわけないだろ。半ば強制的に連絡先交換させられたんだよ。で、明日“圭介が会いたいってさ”。――っていうのは実は嘘で、実際にはおまえと継母を会わせる計画らしい」
「ひっ!」
驚愕で息継ぎができなくなった。喉に引っかかった声はそのまま歪に体内に戻っていった。
「場所は『アフタヌーン』っていうカフェだそうだ。わかるか?」
……わかるもなにも、若葉さんと暮らしていた頃、一緒に買い物に行けば寄り道したカフェだ。
「誤解を解きたいんだってよ。継母がおまえらの結婚に反対してないってことを」
「……誤解、……話すの、なにを?」
私は口元を押さえて頭と心がぶつかり合って出す声にあたふたした。――若葉さんも、圭介に騙されて、来るの……? 私は、謝ればいいの……? それでなかったことになるの……、だって、あの手紙……、届かなくなったのに……、誤解、なんの……?
正真正銘の独り言は暗号のような単語になってアスファルトに落ちた。
「馬鹿だよな、圭介。俺は数日前に会ったばっかりの男の嘘の片棒は担がねえよ。なあ? 当然じゃん。幼なじみの元カノに全部、本当のことを伝えますよっと」
恩を着せる道哉は、さらに恩を上乗せしてきた。
「ひとりじゃ不安だろ? 俺一緒に行ってやろうか? まあ、当然交換条件は付けるけどさ」
私は力なく、首を落とした。考えられない、なにも。
「――――なあ、なんかおかしくねえか?」
道哉の声が急に冷えた。
なにかおかしいって? そんなの、どこもかしこもだ。広げるまでもない。
「……私、行かない。行けないよ、無理だ」
両手で顔を覆った。
「そうじゃなくて」
道哉の手が私の両手を掴んだ。
「……つうか、へんだぞこれ」
険しくなった表情をぼんやり見る。
「結婚の障害が継母だって、圭介はなんで知ってる?」
道哉の言葉は耳を掠めて体の中を行ったり来たりする。停滞している空気のようだ。
「俺は“親”とは言ったけど継母とは言ってない」
罪の意識が私の視野を狭くさせていたのは確かだ。時間を掛け、道哉の疑念がようやく何十にも重なった層の向こう側から私の耳の入ってきた。
「思い返したら違和感だらけだわ。俺が女装することを知ってなきゃ、俺に気づけたか? うちのマンションの場所も公園から尾行されたと思い込んでたけど、俺、裏の小道使って帰ったよ。おまえを置いて。俺をつけようと思ったらおまえが残る公園内に入ってこなきゃ無理だ。おまえ、圭介を見たか?」
私は強く左右に首を振った。圭介は公園に来ていない。
「それにあいつ言ったな、『心菜を振り回すのはもう許さない』『いまさら邪魔するな』って。俺らがつきあってて別れたことも知ってるぜ」
道哉は自分の側頭部を両手でがしがしと乱暴に掻いた。
「俺さ、あいつにどこかで会ったことがある気がするって、言ったじゃん」
覚えている。――家に何度も来てるし、そのときにすれちがってるとかじゃないの
私はそっけなく答えたのだ。
「こういうの芋づる式っていうのかな、いろいろ思い出し始めたんだけど。言ってみてもいいか?」
「言って、……全部、言って」
上擦った声で懇願した。暑いのに、震えが止まらない。
「おまえが前の男とつきあってるとき、待ち合わせ場所に走っていくおまえを少年が追いかけていったって話したの覚えてる? 隠れるようにしておまえんち見てて、だから俺もそのあと追ってって、おまえが男の車に乗り込むのを見届けて帰ったって」
「聞いたような気もする……、なにかの偶然でしょ、って、言った気が……けど」
「そのときの少年、圭介だよ」
「えっ」
「なあ、あれは? 俺らが中三か高一か、そのあたりの頃にさ、校門で俺らのことを探ってた子供がいたってやつ」
それははっきりと覚えている。
メモ帳を持ち、私と道哉のことを下校の生徒たちに聞いて回る男の子がいると噂になったことがあった。私にも道哉にも心当たりがなく、不思議だね、と言い合ったままその記憶は忘却の彼方へ運ばれていった。
「もしかしたら、俺らが知らないだけでもっとあるのかも」
「……どうして、わかんない。意味が、わかんない」
こめかみのあたりを指先で押さえた。整理しなきゃ、と思うそばから疑問が覆いかぶさってくる。
「そういえば、おまえらはどういう出会い方をしたんだっけ?」
「!」
道哉の問いかけに全身が粟立った。
……そうか、圭介は最初からすべてを知っていたのだ。
胸の奥から衝動が突き上げてきた。なぜ私に近づいてきたのか。知りたい。知りたい。知りたい。なぜ恋人になることを望んだのか。――――復讐のため?
「どこ行くんだよ」
腕を掴まれても、自分の足がどこへ向かおうとしているのか分からなかった。買い物袋の中には野菜に牛乳、要冷蔵の食品。部屋着のようなワンピース姿の、足元はサンダル。そういえば化粧もしていない。
「落ち着け、ココ」
「落ち着けないよっ。じゃあ、あの手紙は圭介なのっ? 初めから若葉さんと一緒にっ、私をっ」
「手紙ってなんだよ」
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