本当の終わりを

  

「新しいカレシができたの」

 近づいてきた道哉に縋った。道哉は胸の中に飛び込んできた親友の体当たりに仰け反りつつ、シャツの脇腹をぽりぽりと指の先でかきながら圭介に向かって、どうも、とだけ言った。

「俺は信じない」

 圭介の強い声は私を切なくさせた。

「心菜は俺のことすげえ勘違いしてる。全然きれいじゃないよ。っていうかそんな人間いるかよ。少なくとも俺はあたりまえにひねくれてるし狡いし、葛藤と後悔でぐちゃぐちゃだよ。だってにんげ――」

 圭介の言葉を振り払い門扉に手をかけた。圭介が回り込んできた。

「どいて」

「いやだ」

「うちの中に入れない」

「ちゃんと、話聞いて……」

「じゃあ、いい」

 私は道哉の腕を取って通りへと出る。圭介が弾かれたように私たちの前に飛び出してきた。感情を殺し、圭介の目の前で道哉を抱きしめた。ヒールを履いた私よりほんの少し低い道哉の頬に素早く頬を寄せ、きっかり五秒数えて身体を離す。

「信じないのは勝手だけど、この人とつきあい始めたのは事実なの。これがその証拠。だから圭介のこと本気で迷惑なの。もうここに来るのもやめて。私の幸せを壊さないで」

 言うだけ言って道哉の手を引いた。圭介はじっと私を見たまま、時が止まったみたいに動かなかった。


「……いいのかよ」

 耳元の声に無言で頷いて道哉を引っ張った。

 圭介の傷ついた顔がいつまでも目に焼きついて離れない。けれど振り向いちゃいけない。

 ――いいの、これで。

 心の中で答える。

 いいに決まってる。



   +


 住宅街の静かなアスファルトに私たちの足音が寂しげに続く。公園の前で道哉が足先を変えた。

「ここで休んで行こうぜ。っていうかおまえは少し落ち着け」

「段取り無視したからって怒らないでよ」

「そういうんじゃなくてさ」

 今日、道哉が現れたのは偶然などではなかった。圭介の行為をやめさせる解決策が他に思いつかず、道哉に新しい恋人の役をたのんだのだ。

「あいつ、圭介だっけ、必死だったな」

「……」

 公園に外灯はなく、湿った熱風が肌に絡み夜に紛れていく。外周を囲む木々が揺れて私たちの気配を感じた野良猫が小さく鳴いた。

「俺はてっきり親に反対されて、おまえとの結婚をあっさりやめたのかと思ってた。それなのにしつこく会いに来るって意味不明だし、このまま結婚する気もなくおまえと繋がりたいだけなら、前の男と変わんねえしさ、俺がなんとかしないとって思ったけど、なんだよ、すげえ惚れられてんじゃん」

「……いつから会話聞いてたの?」

「んー、わりと最初から?」

「……」

 カラー舗装された歩道を進み広場に出た。その先には遊具が並んでいる。子供の頃はここで遊ぶのが日課だった。

「俺、あいつどっかで見たことあるかも。思い出せないけど見覚えがある。……気がする」

「家に何度も来てるし、そのときにすれちがってるとかじゃないの」

 そっけなく言った。

「なるほど。そっか。そうだな」

 つきあってから何度か圭介を家に招いた。最初だけ駅まで迎えに行ったが二度目からは道を覚えてひとりで来るようになった。近所に住む道哉とどこかで知らずにすれ違う、そういうことも可能性としてあるかもしれない。


「おじさんはあいつのことなんて?」

 鉄棒にもたれる道哉から離れ、ブランコをこいだ。

「なにも」

 きい、きい、と細い音を立てて私を揺らすブランコをぐんぐん加速させる。子供の頃はより高くを目指して夢中でこいだ。ときどき、空に届きそうな気がして意識が遠のく感覚が心地良かった。今はもう高くはこげない。重心を限界まで上下させることができなくなってしまった。大人になり身体だけじゃなくて頭の中も重くなった。知識よりも膨大な量の感情がたくさん詰まってしまった。

「何も言わないイコール賛成だ。親は、連れてきた男を見て娘を不幸にするかどうか一瞬で見破れるらしいぞ」

 ヒールの底で地面を擦り強引にブランコを止めた。

「お父さんは圭介の継母が若葉さんって知らないんだよ」

「知っても反対しないって。おじさんはそういう人だよ」

「……」

 反論できず、唇を噛んだ。

 道哉に言われるまでもなく、きっと反対しない。父のいつも通り現実をただ受け入れるだろう。


「圭介とは終わり。決めたことだから」

 私はまたブランコをこぎ始める。ぐんぐん、高くこいでいく。空がちょっと近づいてきてくれた。もう少し、あともう少し。空から離れる一瞬に私の中の余計な感情もはがしてくれたらいいのに、と思う。未練もなにもかも。


「でもおまえもあいつが好きだよな。矛盾してんな」

「……」

 別れることしか選べない。選択肢はない。わかっていても、圭介が一歩も引かずに求めてくれることに縋っている。ひどくあしらって傷つけているくせに、圭介が会いにきてくれる、そのことに心の底から救われている。


「道哉、お願いがある」

 煩わしいすべてから解放されたかった。

「私のカレシになって」

「演技ってこと?」

「演技じゃなくてもいい」

「どういうことだ?」

「元サヤってこと」

「……」

 圭介を愛している。

 だから、ほんとうにほんとうに、終わりにしなければならない。





  【第三章おわり】

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