第二章
悪い予感
†
「ランチ、期待外れだったね」
「味はともかく、あの量はないですよね」
「私は味より値段かなあ」
昼休憩に出ていた同僚たちが秘書室へ戻ってきた。入社したばかりの
「おかえり」
私は笑顔を向ける。
この部屋にいる同僚たちは皆私より年下だ。毎年順番のように寿退社していく社風に加えて、私には『社長の愛人である』というひどいデマが回った過去があった。けれど女子たちから敬遠される最たる理由は私の性格にあるのだと思う。私は同性との付き合いが苦手だ。つい身構える。それが相手に伝わらないはずがないから。
「谷口さん、そろそろご結婚ですか?」
けれど今日は珍しく同僚たちが話しかけてきた。
「え?」
昨日の今日だ、なぜ知っているのか不思議で、その驚きが声に乗るのは当然だと思う。否定を口にしない私を見て、皆が訳知り顔になった。
「やっぱり! 実はさっきロビーで知らない人に谷口さんのこと聞かれたんです」
「一緒にいた営業の子が言うには、数日前から谷口さんについて調べてる人がいて、何人かが呼び止められて根掘り葉掘り聞かれたって」
「あれは身辺調査だね、じゃあ結婚かなって、みんなで納得してたんで」
「……」
誰かが私のことを調べている。私が圭介に相応しいか――、確認したい人間は限られている。
「おめでとうございます!」
「よかったですね!」
「……ありがとう」
祝福を受けてつい、礼を言った。
だって、プロポーズもされた、今日婚姻届けを出す約束もした、嘘ではない……。
「やばっ! 谷口さんが寿退社したら次、私じゃん」
自分の席に戻りながら、四つ年下の
「谷口さんがいてくれるから余裕あったのに」
「楓さんは浮気男とつきあってる限り結婚とか無理じゃないですか」
「それ言わないでよ~」
それぞれの席に戻りながら、残り少ない昼休みをお喋りで埋めていく。
「なんで別れないんですか、浮気は病気ですよ、一生治りませんて」
「なんでって……、確かに浮気はするよ? でも遊びで、本気じゃないじゃん。本命は私ってわかってるわけだから、悔しいし毎回ほんと大喧嘩になるけど、でもカレから『別れよう』って言われたことないんだもん。言われたら……私だって、いつでも別れるんだけどさ」
「うそー、絶対別れなさそう!」
「でも私よりはマシですよね」
今度は五つ下の
「おさちゃんも悩み多き恋愛をしてるもんね」
「まだカレシの幼なじみの女とバトルしてるんですか? 不毛ですよ」
去年入社した
「バトルの時期は終わったの。今は冷戦中。私があきらめるか割り切るかを待ってるみたいだけど、絶対に認めるわけにはいかないんで。いくらカレシが『女としてみてない』とか『家族に近い親友だ』なんて言ってもふたりきりで飲み明かすとか、呼び出されたら私と一緒にいても駆けつけるとか、ありえないから」
「うんうん、ありえないよね、頑張れ、おさちゃん」
「私だったらそんなメンドクサイ相手とは別れて他に行きますけどね。だって決着つかないじゃないですか?」
「そういう君は、カレシがマザコンだってよく愚痴ってるよね」
長内さんから逆襲を受けて今度は神谷さんが言葉を詰まらせる。楓さんが、まあまあ、となだめている。
「谷口さんが羨ましいですよ」
「ほんとほんと」
急に話題が収束に向かった。皆、壁の時計を意識している。
昼休みはそろそろ終わる。私たちはそれぞれの業務を開始する。
「谷口さん、メールじゃないですか?」
「!」
同僚のコイバナを聞きながら考え事をしていたせいか、指摘されて初めてバッグの中で振動しているスマホに意識が向いた。ありがとう、と礼を言ってそっと画面を見た。圭介からだった。
――今日会えなくなった。あと今週会えないと思う。ごめん。あとで連絡するから。
文面を何度も読んだ。行間から伝わるなにかを求めて。
いたたまれず、思わず席を立った。
そのままトイレの個室へ駆け込んで壁に背をあずける。ひとつの不安がもうひとつ、またひとつと確信を連れてやってくる。私はたまらずに膝を折った。両手で頭を支え、細い息を吐く。圭介……。
唇の中でその名を呼んだ。
昨日別れてからまだ圭介の声を聞いていない。
今日はふたりの将来にとって大切な約束の日だ。それをメールで反故にする圭介と、いつでもストレートすぎるくらいに愛をぶつけてきてくれた昨日までの圭介が私の中でうまく重なってくれなかった。
私と別れたあと家に戻った圭介が親とどういうやり取りをしたのか……、この結果から導き出される答えは考えるまでもない。……つまりは、そういうことなのだ。
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