Daughter
家の中はしんとしていた。
弟は鮨屋から戻るとすぐに彼女のアパートへ戻ってしまい、父も出掛けてしまった。弟はともかく、父が私たちに気を利かせたのは間違いなかった。
「ビール飲む?」
尋ねると、圭介は珍しく「いらないよ」と静かに言った。
私がこれから話すことは圭介にとって人生を左右するものだ。その空気は二人きりになった瞬間からお互いが感じ取っていたのだと思う。私は圭介に向き直る。
「今日、若葉さんに会って思った。やっぱり私、無理みたい。圭介とは結婚したい。でも圭介の家族とはつきあえない。それが私の出した結論。――圭介、私を選んでくれるよね」
圭介の気持ちは全部、知っている。
試すようなことはしない。そして圭介に最終決断を出させたりしない。すべて#私の意志__・・・・__#。
「圭介はもちろん、自分の家なんだから好きな時に好きなだけ帰っていい。でも私と、私の家族は、圭介の家族には会わないし、会わせない」
圭介は、私を見ていた。
私も圭介を見ていた。
その時間はとても長かったようにも思えたけれど、たぶん数秒のことだ。
圭介は静止をといて、屈託なく笑った。
「心菜、奇遇だね! 俺もそれ提案しようと思ってた」
「……そっか」
「うん」
私たちはすべて飲み込んで、未来の話を始めた。
「俺さ、心菜が母さんと会ってるときに、心菜のお父さんに電話したんだ。で、俺が誰の息子で、そんなこととは関係なく、俺は心菜を心から愛してるってことを話した」
「なるほど。今日はお寿司は圭介のおかげだったわけね」
父が不用品を処分していた理由がようやくわかった。あれは父からの意思表示と祝福だったのか……。
「俺一人じゃ、ここまで気が回んなかったんだけど、道哉くんがアドバイスくれたんだ」
「いつのまに道哉と仲良くなったの?」
全部知っていて聞いた。
「実は――」
圭介が躊躇いながら話す二度目のそれを、私は初めて聞くみたいに驚いたり茶化したりしながら、聞いた。
+
次の夜、父にも謝った。
ベランダにテーブルを出し、夜風に吹かれながら晩酌をした。
「若葉さんのこと、いまさらだけど、ごめんね。私のせいで結婚できなかったことずっと謝りたかった」
もぞもぞしながら告げた。この謝罪を口にするまでずいぶん時間がかかってしまった。
父は冷えたビールグラスをテーブルに戻した。
「父さんたちの別れがココのせいだって? ココの自意識過剰はすごいな。自分にそんな影響力があると思ってたのか」
「ちょっと、ひどいな」
父の軽口に乗った。
「でも」
決して頭から離れることのなかった問いを、私は迷った末に口に出した。
「若葉さんと結婚していたら、と考えることはなかった?」
父は神妙な顔を作り「あったよ」と言った。
「彼女と結婚していたら、今頃ココは『お父さん』『お父さん』と慕ってくれてなかっただろうなとか、ココには世話を焼いてもらえなかったんだろうなとか、ココとの思い出はこんなにたくさん作れなかっただろうなとか」
「もう冗談ばっかり。私真面目に話してるのに」
「ははは。でも本当だ。結婚は縁やタイミングだ。使い古されている言葉だが、それが父さんにはしっくりくるなあ。ココには内緒にしていたけどな、父さんには他につきあった女性が数人いた」
指を数える父に、えっ! と思わず驚きの声が出た。「ウソでしょ?」
「父さんは意外にモテる」
「いや、それは……」
それは、そう言われるとそうなのだろうな、と思うのだが、父が若葉さん以外の人と恋愛をしている姿が全く想像できなかった。
「まあとにかく、父さんは適当にやっている。気にしないで嫁に行きなさい」
「……そのことなんだけど」
私はひと呼吸取った。そして一気に言った。
「圭介と話し合って家族づきあいはしないということに決めたの」
「それはどういう意味だ?」
「ええと、両家の行き来とか、冠婚葬祭とか、節目のお祝いとか、かな」
「結婚式はどうする」
「圭介とふたりでやろうかなって」
「……」
父の表情が翳っている。黙っている間、父の感情はたぶん乱れ、飛び、葛藤しているんだろう。だけど私は父の次の言葉を知っている。
「そうか。結婚する本人たちがいいようにしなさい」
父は、やっぱり父なのだった。
「うん」
……お父さん、ありがとう。普通の結婚じゃなくて、ごめん。
心の中だけで言った。
あたたかいてのひらが私の頭の上にぽんぽん、と降ってきた。
それから私たちは顔を上げ、夜空にゆらゆらと揺れる月を眺めた。
ほどなくして――――
圭父が私の家へ来た。
必要ないと圭介が説得したようだが、“けじめ”だと譲らなかったらしい。
圭父は終始緊張していた。それを見て、不謹慎だがまるであの日の私のようだと思った。新調したスーツと靴、整えた髪と引きしめた頬。隙はどこにもなく、父への対抗心が端々に滲んでいた。
私の父はというと、圭父とは対照的に親しみを持って圭父をもてなした。仕事のことからゴルフのことまでいろいろと話題を振って圭父を和ませようとしていて、圭父の態度が砕けたなら「飲みにでも行きませんか」と誘うだろうということが、傍から見ていると感じ取れた。一見するとそれらは余裕があるようにも映り、もしかしたらそれも圭父の気持ちが軟化しなかった理由かもしれなかった。低い声と丁寧な口調を最後まで崩さず、圭父は帰っていった。
「大人びた人だなあ」
見送った圭父の背中が見えなくなって、父は頭を掻きながら言った。
……そうでもない、と思うよ
私は唇の中で呟くにとどめた。
圭介との結婚が決まってから、また真っ白な手紙が届き始めた。
息子を返してほしいのかもしれないと思いながら、私は放置を決めている。
私も圭父と同じくらい――、圭介が必要で、愛しているから、圭介をあきらめることはできない。
+
私たちの新生活は、既に亡くなっている祖父母の家を少しリフォームして、そこで暮らすことで落ち着いた。祖父母が残してくれた家、母が育って、私と弟が幼少を過ごしたあの家で今度は私と圭介がお世話になる。
家ですき焼きを囲みながら圭介は父を前にして悪びれもせずに言った。
「本当は同居しますって言えたら格好良いんですけど、俺、結婚したら心菜とすっごくイチャイチャしたいんです。ほら、そういうの、お父さんの前では気を使うっていうか。せめて子供が生まれるまでは心菜をひとり占めしたいっていうか。すみません、子供ができたらお世話になりますんで」
「は」
なんて都合のいいことを。私は思わず絶句して、父はというと、珍しく大口を開けて笑い、笑ったまま言った。圭介くんはおもしろいなあ。
「ココがイチャイチャするところなんて想像もつかないけど、見てみたいもんだね」
「なかなかイチャイチャさせてくれないんで俺、結婚を機に特訓しようと思って」
「ちょ、ちょっと圭介、なに言い出してんの」
「あっはっは」
父はお腹を抱えて笑い、また、圭介くんはおもしろいなあ、と言った。
結婚式は岬のチャペルですることになった。
――キャンセルがあったんだって。
私たちが初デートをした記念の地に建つチャペルを、ある日圭介が決めてきた。
息を弾ませ、目を輝かせ人の不幸にラッキーだなんていう圭介に呆れたが、でもこれが圭介という人なんだよなと苦笑いで、パンフレットに手を伸ばした。
結婚式まで一週間を切った。
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