ルール2:絶対に話すな

 中学校の校門へ着いた。そして見た。誰かが校門をよじ登ろうとしているのを。

「……おい!」

「!」

 その誰かが振り向いた。……間違いない。中学時代の涼宮ハルヒ。やっぱりお前か。

「あんた何なの? 邪魔するつもり?」

「……ちょっとお前を手伝おうと思ってな」

「はぁ? ……うん、まあいいか。じゃあ、まずは門を上るのを手伝って」

「ああ」

 何だか、ずっと前から知り合いだったかのような展開だ。こうやっているのが自然に思える。だが、それでいい。それがいいんだ。

 俺たちは、門を上って校庭に向かった。

「ここに、この絵を描いて」

 ハルヒは紙に書かれたスケッチを俺に見せた。俺はじっくり見てから言った。

「まるで、出来損ないのナスカの地上絵だな」

「うるさい! いいから描くの!」

 俺は言われるままに校庭に石灰で絵を描いた。指示に従うのも、意味のわからない行動をするのも、いつもなら不満を漏らしながらやるところだが、今は何かに集中できることがありがたかった。そして気が付いたら描き終わっていた。


「ふぅん。途中で投げ出して、どっかへ行くと思っていたけど。最後までやるとはね……」

 体を動かせるのが良い気分だったし、それに話し相手がいる。それで、なんだか救われる。座り込んで校庭を眺めて思う。出来るもんなんだよな。

「まあ、他にやることが無いからな。」

「……あなた何者なの?」

「通りすがりの、ジョン・スミスさ」

「馬鹿にして……」

「……」

「……」

 俺たちは、校庭を眺めながら黙り込んでいた。いつもなら耐えられなくなって話し始めるところだが、今は風の音を聞いているのも気持ち良いな。しばらくして気分が落ち着いて来ると、言葉が自然に口から出てきた。

「……なあ。これ誰かに向けてのメッセージなのか?」

「! どうしてわかるの?」

「同じようなことをしている奴が、いや、奴らが知り合いにいてな」

「ふぅん……」

 ハルヒの顔が輝いたように見えた。自分と戦える相手を探している格闘家か…… 巡り合うのは、もうすぐだからな。


「どんな意味か教えてくれないか?」

「イヤ」

「頼むよ」

「イヤだって」

「……頼む」

「………『私はここにいる』って言う様な感じよ」

「……っ!」

 俺の目が熱くなった。表情が歪んでしまう。溢れるものを押さえきれない。思わず顔を伏せ、腕で覆った。

「ちょっと、あんた何泣いてんのよ!? そんなに私の行為が感動的だった? ……そんなわけないか。バカバカしくって笑いそうになるのを堪えてるんでしょ? ふん!」

 ハルヒの言葉が耳から入ってくると、なんだか笑いがこみ上げるようだった。それが体に染み渡ると、少し落ち着いてきた。

「いや、感動的さ。本当に本気でだ。俺もこうすればよかったんだな。気付かなかっただけで」

「……気付くって何に?」

 胸で何かが疼くようだった。それは違うぞ、と言っているのか……


「……違う。ずっと前から気付いていたんだ。なのに見えないふりをしていた。あいつはいつも傍に居てくれたのに、俺はどうして……」

「……ねえ。大丈夫?」

「……ああ。ごめんな。ちょっとお前の話を聞かせてくれないか? 今は何か話したいんだ。」

「私のって、何を?」

「こんなことをするからには、今の自分の周りの状況に風穴を開けたい、みたいなことを考えているんだろ?」

「……まあね」

「その辺のことをさ」

 ハルヒは、少し考えてから話し始めた。


 ……よく知らないんだけど、どこかの国の偉い人が言ったことがあったみたい。


 『一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計上の数字にすぎない』なんてことを。


 酷い言葉だと思ったわ。でも何かが引っかかっていたのかも。ときどき私の考えの中に浮かんでくることがあったのね。それで映画か何かを見ている時に芽吹いたものがあった。


 登場人物の一人が死ぬときには、哀しい表情に哀しいセリフ、哀しい音楽に効果音とか、いろいろ盛りだくさんで。それはいいんだけどね。で、その後の大規模な戦闘シーンに来た時のことよ。一人の死をあれだけ悲劇的に描くのに、これだけ多くの人が死んでいるのをどうして雄大な音楽に乗せて見せていいのか、って思ったわけ。


 その作品とか描き方とかが、嫌いってわけじゃないんだけど。その作品を見た人たちの意見に、そのあたりの事を口にしたり書いたりしている人はまるでいなかった。でも一度心に浮かんだそれは消えることは無くて、どんどん強くなっていったわ。そして気付いた。私の考えと、他人の考えは違うんだってことに。


 私とその他大勢ってことじゃ無い。人間の考えはみんな違う。そんなこと散々目にしたり、耳にしてきたはずなのに、ちょっと気付いただけで世界ががらりと変わっちゃったの。


 ……そこから、良く解らないんだけど、心や体に何かが脈打つのを感じたの。そしてある時、一気に弾けた。心や体が叫んでいるみたいだった。『とにかく動け』って。


 そんなわけで、私は今こうしているわけよ。自分でもおかしいって思うけどね……。


 ……なんで私こんなに話してるんだろう……。


「……なあ、お前、名前は?」

「……涼宮ハルヒ」

「……そうか、おれはジョン・スミスにしておいてくれ。今はこの名前が一番いいと思う」

「うん」

「それでな、ハルヒ。今度は俺の話を少し聞いてほしいんだ。いいかな?」

「……ええ」


 お前の考えは全然おかしくない。俺もそう感じるからさ。


 俺も少し前に相当きつい事があってな、とにかく動き続けてここまで来たんだ。本当は逃げてきたってことなのかもしれないけどな。


 でも、今なら何となくわかるよ。辛いことがあって立ち直れそうになくても、座ってじっとしているよりは、逃げ出すことになっても走り続けた方が良いってことさ。


 俺はずっと言われ続けてきた。

 『良く考えて行動しろ』 『失敗したらどうする』

 『こんなことちょっと考えれば解るだろう』 『だからお前は出来ないんだ』

 そんなことばっかりな。


 でも、今解ったんだ。そういう事を言う奴らは確かに頭も良くて、考える力も持っている。だけど誰かに『それはちょっと違うんじゃないか?』って言われることが怖いんだ。


 今、テレビやらネットやらで理想的な意見を言っている連中のいったいどれだけが自分の足で動いたのか。自分の目で直接物事を見てきたのか。すごく少ないんじゃないかって思うよ。だけど今はもうそんなことすらどうでもいいさ。俺が今ここでお前と話している。それがすごくうれしい。それが一番大事なんだ。


 俺はこれからも、不満や文句を口にするだろう。でも、それが問題にならないくらいに自分で何かをやってみるよ。今は本気でそう思うんだ。


 ……こんなところか。聞いてくれてありがとな。


「……ええ」


 それから俺たちは、またしばらく沈黙した。

「……帰る」

「ああ」

 ハルヒは校門へ向かって歩き出した。俺は、なんだかすごく疲れていた。フルマラソンを完走したらきっとこんな感じなのかな。でもすごく良い気分だ。そしてハルヒが校門に手を掛けようとしたその時、俺は叫んでいた。


 おいハルヒ! 俺はさっき偉そうなことを散々言ったけどな、まだ何にも出来ちゃいないんだ! 


 大切な人が一人で苦しんでいたのに、馬鹿なことを言って笑わせることも出来なかったんだ!


 今から何が出来るかなんてことは解らない! だけど、お前が話を聞いてくれた、そしてお前の話を聞かせてくれたお礼に、お前の世界がもう一回りするくらい面白い何かをこの街のどこかに残すよ!


 お前が大人になる前に絶対にやり遂げる! お前がそいつを見つけたら、きっと俺の大切な誰かも笑ってくれるって信じるよ!


 世界を大いに盛り上げるための、ジョン・スミスをよろしくな!



 涼宮ハルヒは軽く手を振って、校門を乗り越えていった。


 その後、俺は朝比奈さんの示したポイントへ向かって、彼女と合流した。

「キョン君、大丈夫ですか? 何か私に出来ることは……。」

「大丈夫ですよ。きっと良くなります。いろいろとね……。これであいつとも、人生の一番不思議な時に出会ったから……」

 そして俺たちは元の時間平面に帰って来た。

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