episode5―14
「こればかりは残念ですが譲れません。
いくら彼が良い人間であろうがなかろうが
関係ないのです」
「けれど…」
レヴァンはきっぱりと言い放つ。
反論しようとズィマは口を開きかけるが
それさえも首を横にゆっくり振り、
否定をした。
「もし…団長達が僕達との記憶を持って
いると知れたら、僕達を狙う者達はどんな
行動を取ると思いますか?」
ズィマはそう言われて言葉を失った。
恐らくズィマ達の手掛かりを探す為、
彼等から無理矢理聞き出そうとするに
違いない。
…どんな手を使ってでも。
「人間が愛しいのは痛いほどわかります。
僕だって人間が嫌いな訳じゃない。
だけど深い関わりを持つ事は互いの為に
ならないのです。
ズィマ、覚えておいてください。
人成らざる者と人間はお互いを守る為にも
一定の距離と線引きが必要だと」
できるだけ落ち着いて諭すように言うが、
あからさまに落ち込むズィマを見ていられ
なくてレヴァンは彼に背を向ける。
ズィマはレヴァンよりも永く生きては
居るが、領主として大勢の人間を治めて
いたレヴァンの方が人間達との関わりは
深く長い。
それだけにレヴァンの言葉は重かった。
「家に戻って薬を作ってきます。
あと見張りの件ですが、突発的な仕事も
色々頼まれそうな様子なので、やはり全員
眷族に見張らせましょう。
食堂も外からなら見張れるでしょうし…」
レヴァンは振り返らずにそのまま出入口を
開けてズィマに提案すれば、彼は小さく
返事をするが、まだ記憶を消す件について
得心には至っていないようだった。
レヴァンは小さくため息をついた。
永年追われる恐怖と戦いながら生きてきた
ズィマが、人間の中に自分達の記憶を
残した時のリスクが理解できないはずが
ない。
それでも記憶を消すのに抵抗があるのは
好きな者に自分の存在を認めてほしい、
覚えていてほしいという欲があるから
なのだろうか。
「ねぇ、ズィマ? 僕達は側でずっと彼を
守ってあげることはできないんです。
彼の記憶を消す事は、彼に余計な災害を
もたらさない為の守りなんですよ」
「うん…」
消沈した返事。
レヴァンはズィマへ振り返り、座り俯く
彼の元へ戻って優しく抱き締めた。
「僕達の生きる時間の中で出逢う人間の
生涯など、僕達にとっては裾が触れ合う
程度のほんの一瞬に過ぎません」
目を閉じてレヴァンにもたれたまま
ズィマは応えない。
「人間と違う時間を生き、追われる身で
ある僕達は人と関わりを持たず歴史の
傍観者で居るべき存在。
ですから本来なら団長がテントの下敷きに
なる運命も、何もせずに本当は見守るべき
だったのです。
でも、ズィマにはそんな状況を前にして
見て見ぬふりなんてことはできなかった
でしょう?」
「そんなのできるわけ…っ」
顔をあげてレヴァンに食って掛かるような
勢いで彼にすがるズィマ。
レヴァンはそんな彼の頬をそっと指で辿り
目線を合わせる。
「記憶を消すのは、運命に干渉した僕達
への罰だと考えてください。
…でも逆に言うならそれで彼を助けられる
のなら安い代償だとは思いませんか?」
ズィマはしばらくレヴァンを戸惑いの顔で
見ていたが、やがて力無く小さく頷いた。
「じゃあ、一旦家に戻りますね。
朝には戻って来れるはずですので、
ズィマはいつも通り仕事しつつ、団長を
見守っていてください」
そう言い残すと蝙蝠の姿になって表へと
飛んでいく。
その後ろ姿を見送りながら、ズィマは
ため息をついた。
レヴァンの言うことは正しいし、彼も
何も意地悪で言っている訳ではない。
深く関わった者の記憶を操作して忘れさせ
でもしなければその人間の身も、自分達の
身も両方危険に晒す事になるのは重々
わかってはいる。
だが親しく話し、多少なりとも好意、好感
を抱いた人間からただ忘れられるのでは
無く、存在そのものが無かったとされる
事が自分の生を否定されているようで
無性に悲しかったのだ。
自分達が人成らざる者でなければ、
生きる時代も違って、このような出会い
さえ無かったのだろう。
…けれど、もし同じ時代に生まれていて
この身が人間であったなら、もっと
サーカス団の彼等とも親密に隠し事無い
関係になれていたのだろうか?
ズィマはドサリ…と寝床へと仰向けに
倒れこみ、両掌を室内灯へとかざした。
光に照らされた手は、どう捻って見ても
人間そのものである。
人間と同じように赤い色で流れる血、
肌の質感、髪、瞳…恐らく一瞬で人間で
無いと見抜ける人間は殆どいないだろう。
だがあくまでも見掛けは人間だが、生物と
しての根本が違う。
試しに手だけ獣化を試みれば、みるみる
うちに先程までの人間の手のサイズを
超える大きさへと膨らみ、漆黒の獣毛が
生え揃っていく。
自由自在に自分の意思で動く禍々しい
獣の手。
指先には金属も引き裂ける程に強靭な
爪が長く伸びていて、見るからに化物の
パーツである。
こうなるとズィマの全体像を見ても、
一部分だけが化物になっているだけでは
あるが、ただそれだけで到底人間には
見えなくなってくるのが不思議だった。
人であって人でなし。
この力が自らの窮地を何度も救ったのは
事実だがそのせいで人間と相容れない存在
となっているのもまた事実。
先程まで腕を伝い流れていた紅色の血は
今はもうすっかり止まり、既に傷の痕さえ
分からない。
化物である我が身。
強靭な肉体、頭の先から足の先まで全てが
魔術の材料となる特異な存在。
この世に残された最後の人狼。
自分という存在は、この世界にとって
果たしてどのような存在なのだろうか…
「歴史の傍観者、干渉した罰…か」
ズィマは人間に戻った自分の手を再び
室内灯にかざしながら、小さく呟いた。
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