episode1―10


顔を背けた上に手で覆い隠しているので

ズィマの細かい表情までは見えないが、

狼の耳がパタパタと忙しなく動いている。


恥ずかしくて落ち着かないのだろうか、

それとも柄にもない言葉でも言った照れ

隠しのつもりだろうか…


ピコピコ動く物を反射的に止めたくなって

彼の耳を指でちょいと摘まめば、ようやく

自分の耳が変化していることに気が付いた

のだろう…彼はレヴァンの手を払い除けて

耳を隠す。


だが、レヴァンの視線はまだ隠したはずの

耳に向いていることを感じた彼は、赤い

顔をしたまま真正面へ向き直り、彼の

鼻先へと指を突き出した。


「ああ、もう!

俺の耳で遊ぶ前に、長い旅支度をする

のが先だろ?!」


「…旅…支度…?」


「言っただろ、俺は放浪者だって。

訳あって一つの所には余程の事がないと

長期間留まれないんだよ。

んで、お前も生きていく為には定期的に

俺の血を飯として飲まないといけない

…って事は、結論は一つしかないだろ?」


突然降って湧いた言葉が理解出来ないと

いう顔をして聞き返すレヴァンへ、ズィマ

は今更何を言ってるのだと言わんばかりに

真顔で語る。


「は…っ…ちょ…待ってください!

そんな急に言われても準備なんかすぐに

出来ませんよ?!

それに僕は生まれてから三百年、城を

長期間空けるなんてした事が…」


面食らい、戸惑うレヴァン。

それはそうだろう。

愛する者を手にかけて以降、数百年間…

それこそズィマに出逢う、つい先程まで

死ぬ事しか考えてこなかったのだ。

即座にこれから生きていく事を考えろと

言われても土台無理な話である。


そんな彼の複雑な内心を知ってか知らずか

ズィマは構わず話を畳み掛けるように

続けていく。


「俺が人の姿を保てる位まで完全に体調を

回復させるにも時間が掛かるから、準備

時間の事なら心配ないぜ。

…だいたい、こんな森に覆われて陰気な

所に数百年も一人で居るからウジウジ

悩んで考えが悪い方にしか行かなくなるん

だよ。


…もう諦めな、俺はお前に広くて面白い

外の世界を見せるって決めたんだ…」


ズィマの表情が優しい笑みに変わる。

彼のそんな表情が眩しくてレヴァンは

眉をひそめて目を臥せる…


「…お人好し」


「……え?」


「僕を旅に連れていっても、貴方に牙を

立て血を食らうだけの存在。

どうしてそんな僕に向かって躊躇いもなく

一緒に行こうなんて言えるんですか?

どうして出会ったばかりの僕にそんな風に

優しく笑えるんですか…?」


今まで一人で旅を続けてきた彼にわざわざ

血を吸われ続けるという負担を負ってまで

レヴァンを旅に連れていくメリットなど

見当たらない。


それなのに一緒に旅をして一緒に生きると

いう提案を迷わず出来るズィマをレヴァン

は理解できなかった。


ズィマは片眉を上げて指先でポリポリと

頬を掻く。


「言葉にするのは難しいな。

強いて言えば、今、お前の手を離したら

絶対後悔すると思ったから?」


そう言いながら、ズィマはレヴァンの手に

自分の手を置き、そっと握る。


「俺のこういう野生的な直感は、外れた

事がねーんだよ。

だから、お前も信じてみないか?」


「…もし…もし、直感が外れて後悔したら

どうするんです…?」


不安そうな顔をするレヴァンを安心させる

ように、重ねた手をポンポンと叩いた。


「だから後悔なんて俺はしねぇってば。

例え何か問題が起きたとしても、そんな

事は未来の俺達が考えればいい。


その時に最善だと思った行動を取らずに

後になってあの時にああすれば良かった…

なんて思う後悔は、行動を起こした後の

後悔よりもずっと付きまとう物なのさ。


だからやらずに後悔だけはしたくない

…そんな俺のワガママに、お前はただ振り

回されるだけだから、小難しい事を考えず

一緒に来ればいい」


ニカッと屈託なく笑うズィマに何故か

心が温かくなる。

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