episode 1

episode1―1


「……っ!!」


声にならない自分の悲鳴でハッと目が

覚めた。

細かなリズムを刻む心臓を落ち着かせる

ように無造作に胸へ手を当てながら、

恐る恐る辺りを見渡す。


周囲には人影もなく、ただ木々がざわめく

闇深い森の中…

視線を上げれば、その森の奥には堅牢な

城の石塀が木々の隙間からチラチラと

見え隠れしている。


そうか…と小さく男は呟いた。

冒険者ギルドを兼ねた街の酒場で受けた

古い依頼の場所をようやく見つけ、

探索するため日が暮れるのを待っている

間にうっかり眠ってしまったのか…


今までの事が夢なのだと認識した彼は

大きくため息をつき、肩の力を抜いた。


……夢。


夢の中では少年であった彼も、今では

すっかり青年とも中年とも思える程に

成長していた。

だが、彼はもう数え切れないほど、

この悪夢にうなされて続けている。


もうあれからずいぶんと永い年月が

経つが、今でも鮮明に脳裏に残る紫と

緋のおぞましさに小さく身震いをする。


…あれからどうやって逃げたのかは

わからない。

無我夢中で走り続けたのだけは何となく

覚えているのだが、果たして自分は本当に

逃げ切れたのだろうか、それともまだ

ゲームは続いていて、女の掌の上で

泳がされているだけなのか…?


首元に冷たくじっとりと流れる冷や汗を

手の甲で拭い、呼吸を整える。


何度も悩み、眠れぬ日々を過ごし、やがて

年月が経つ内に、考える事をやめる事に

した。

物事は結局成るようにしかならないのだ、

そう悟ったかのように開き直り…暫くは

この悪夢も見なかったはずなのだが。


木々が風に揺らめき、枝葉の擦れる音が

まるで大気のように辺り一面包んでゆく。

闇深いこの森は、どこか失った故郷にも

似て、色々な事を思い出させる。


…心地よく懐かしい温もり、燃え上がる

悪夢…そして訪れた孤独。


彼は悪夢のおぞましさを振り払うかの

ように首を思い切り振った。

いつまでも悪夢に思いを馳せていては

前には進めない。


成るようにしかならないのだ。


自らに暗示を掛けるように何度も呟いた

言葉。

…そう、今は目の前の出来ることを

するだけだ。


無造作にポケットへ突っ込んであった

依頼書を引きずり出し、破らないように

ゆっくりと広げていく。


随分年代物の古紙に書かれた奇妙な

内容の依頼書。


ギルドに長く勤める者さえその依頼を

頼んだ者を見たこと無いという、曰く付き

の案件だという。

事前に多額の依頼料をギルドで預かって

いる為、長年依頼を受ける者が居ないから

と言って勝手に依頼を降ろす訳にも

いかず、どうにも困っているという話を

聞き、興味半分で受けた依頼。


依頼料は常識範囲内から大幅に外れる

驚くほどの巨額。

例えるなら高級料理を贅沢に食べられる

金額が一般的な依頼料だとすると、この

依頼はその料理を半年間は余裕で毎日

腹一杯食べる事のできる金額だと思えば

少しは解りやすいだろうか?


良識ある者ならば、そのあまりに高い

依頼料の不気味さに、それだけの理由

だけでも手を出さないであろう。

しかも内容は………


『人を襲う化け物を殺してほしい』


依頼書に書いてある地域は確かに昔は

存在したと言われているが、もう既に

朽ち果て人々は居なくなっていると聞く。


今は、一度入れば前後左右がわからなく

なるほど奥深い森が広がり、好んで行く

者はきっと自殺志願者くらいなもの

だろう。


この依頼書が出されたのは地域がまだ存在

した頃の話で、化け物が出たせいで人々は

故郷を捨て、地域は廃れてしまった。

そして名残のように忘れられた依頼書

だけが残った…と推察するのは実に簡単な

事であり、故に無駄足を踏むのが目に

見えている依頼を受ける者も居ない訳で。


それを承知で彼がこの依頼を受けたのは…


「……化け物…か」


彼は胸の内を吐き出すように小さく

ため息をついた。

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