episode5―26



ガランッ



何か金属の硬い物が地面に落ちる音。

金属製の皿の周辺には無造作に肉が散乱

している。


ズィマ達の目に飛び込んできた光景は

獅子が今、正に一匹檻から抜け出そうと

する姿。


そして、獅子の目の前にいる人物へと

襲いかかろうとしていた。


恐怖のあまり、腰を抜かしてしまったのか

その人はへたりこんで動こうとはしない…


ジリジリと間合いを詰める獅子…そして

獅子の大きな鋭い爪が振り下ろされる。


「……ぐぁっ!」


「ズィマ!」


とっさにズィマはへたりこんで動けない

人を庇って背中に爪傷を負い、その場に

倒れ込んだ。


「ズィマさん! 大丈夫ですか?」


「危ないから貴方は下がって」


破れた服の合間から流れ出る血に、ロウは

血相を変えてズィマへと駆け寄ろうとする

が、レヴァンに遮られてしまう。


「くっ…痛ててっ…、やっぱ強いなぁ。

リオン、ベガ…、お前らは大丈夫か?

怖かったな、でも俺達が来たから大丈夫

だぞ? だから檻に戻ろう、な?」


傷付ける相手を間違えた事に動揺する獅子

の首を優しく宥めながら撫で、彼等に檻へ

戻るように説得すれば、獅子達はゆっくり踵を返して戻っていく。


「…あ、ありがとう…助かったわ…」


大きく息を吐き、へたりこんでいた人物は

全身の力を抜いて緊張を解いた。


「ジーネさんも大丈夫ですか?」


ロウはへたりこんで脱力していたジーネの

傍に寄り、声をかけた。


「何とかね…でも随分恩知らずな獅子達

だわ! 毎日餌を持ってきてやったのに。

…これが襲われたのが観客ならどうなって

いたかしら…?」


「…それは……」


ロウは口ごもる。


これが観客を襲ったという事であれば、

このサーカスの獅子達は危険だなどという

評判が立ってしまい途端に公演中止に追い

込まれてしまうだろう。


そしてそんな危険な獅子達はもちろん

殺処分…という声があがるのは目に見えて

いる。


「他の団員なら黙っているんでしょうけど

あたしは獅子達に襲われた事を世間に

黙っているつもりはないわよ?

あたしみたいにこんな恐ろしい思いをする

人がまた出たら大変だもの!」


「ジーネさん…っ!」


「あらぁ? 口止めとかするつもり?

その事も含めて全部話せば、このサーカス

は解散させられちゃうかもね?」


ジーネは立ち上がり、スカートの埃を

払いながら歪んだ笑顔でロウを見る。


ロウは唇を引き締めて苦い顔をしていた。


「まぁ、あたしはサーカスを潰す気は

全くないわ? 縁があってこうして短い間

とはいえ働いているんだもの。

でも考えてみて?あたしを襲った獅子達は

今後も同じ事が起きる前にどうにかする

必要はあるわよね?」


ロウへと指を立てて、即断を促すジーネ。

獅子達を見、そして檻にもたれ掛かる

ズィマを見て口ごもるロウ…


ズィマの傷口の深さを考えると、爪だけで

あれほどの怪我をしたのである。

牙であったなら…それが人の首元であった

ならば…?


喉まで出掛かっている言葉を何度も飲み

込むロウ。


獅子達を守ればサーカスは潰される。

そうなれば、ロウを信じてついてきて

くれている団員達を路頭に迷わせてしまう

事となる。

かといってサーカスを守るために、我が子

のように育ててきた獅子達を…


「…わかりま……」


「獅子達が襲ったということで処分される

のは、貴女が獅子達に本当に何もして

いなかった場合に限りますがね」


ロウの言葉を途中で手をかざし、遮った

のは、レヴァン。


「あんた…誰よ、どういう意味?」


「僕はズィマの相棒ですよ。

こう見えても調薬魔術師の端くれなので、

ズィマに頼まれて今回色々と裏から調べて

いましてね?


貴女の行動については、それなりにほぼ

検討はついているのですよ」


ニッコリ余裕の表情を見せるレヴァンに

対し、ジーネは表情を取り繕う事も忘れ

顔を引き攣らせている。


「まさか、貴方はジーネさんが一連の犯人

だと仰っているんですか?!」


レヴァンに向かって信じられないという

様子でロウが尋ねれば、レヴァンはただ

視線で肯定をする。


「獣とはいえど、自身を害されて自分の

身を守るために正当防衛した…となれば

先に害した者が罰せられるのが道理です」


「あ、あたしが何をしたっていうのよ!

単に餌をやろうとして襲われて、その上

謂れ無き疑いまで掛けられたんじゃ

堪らないわ」


ジーネはそう言いながら、金属製の皿と

溢れた肉片を拾おうとしたその間にズィマ

が割り込んだ。


「なんにも疑われる理由が無いのなら、

この肉とか調べても構わないよな?」


ジーネが拾おうとしていた肉をズィマが

拾い上げる。


「……っ」


ズィマの言葉に口ごもるジーネ。


大きめの欠片の肉に入っていた人工的な

切れ目を開けば、中に普通の赤身肉には

無い不自然な脂肪の筋が幾重にも走って

いる。


本来肉汁が少なく硬い赤身肉に旨みと風味

柔かさ、肉汁があるように見せるために

高級肉から取った脂肪を注射器で赤身肉へ

挿入し、美味しくする調理加工法。


料理の得意なジーネならではの混入方法…


「肉の脂肪と混ぜてるからか、これじゃ

確かにパッと挟まれて出されると少量の

毒の臭いなんて感じにくいかな?

でもこうして開いてじっくり嗅げば、生肉

とは違う、毒の異質な臭いがあるね」


クンクンと鼻を近付けてズィマは臭いを

嗅いだ肉をレヴァンに差し出すと、彼は

懐から透明な液体の小瓶を取りだしてその

肉に満遍なく振り掛ける。


「これは、毒物が使われているかを調べる

薬品でしてね、毒の種類によって色が

変わるのでざっくり解析するのに便利

なんですよ」


水のような透明な液体で滴る肉は、やがて

不自然な脂肪の筋の所だけ青黒い色に変色

したのを見て、ジーネは視線を反らした。


「毒が効き始める頃なのに一瞬体調が悪く

なったきりいつまで経っても元気な様子の

獅子達に焦れて、追い討ちで強い毒を使う

つもりでしたか?


…でも誤算でしたね、僕は自分で言うのも

何ですが調薬に関しては一般の魔術師より

詳しいのでね、毒の解析や解毒剤作成は

お手の物なんですよ」


レヴァンは冷ややかに笑えば、ジーネは

突然ロウの横をすり抜けるように入り口

へと走り出す。


「…ジーネさんっ!」


咄嗟に掴まえようとしたロウの手も跳ね

除けて逃げようとしたその刹那…


「はぁーい、お久しぶりですねぇ?

ハンジー移動動物園の参考人としてぇ

お話しをぉ伺った時以来ぃですかねぇ、

ベルさん…いや、このサーカスでは

ジーネさん…とでもぉお呼びすればぁ

宜しいかぁ?」


カツーン!と小気味良い靴の音を鳴らして

現れた目の覚めるような青い影。

間延びした独特のイントネーションの言い

回し…


ジーネの進路を塞いだのは、派手な様相の

バルーンである。


「ズィマくぅん、お待たせしたねぇ?

全て人物のぉ関係を洗い直して見たんだが

いやはや、すでにぃこの現場はぁここ一番

のぉクライマックスぅ! わたくしのぉ

出番でぇありますかなぁ?」


ニヤニヤとした笑みは、自分がオイシイ

場面で登場できたことによる満足感から

だろうか?


上機嫌の彼の手には束になった書類。


「初心に戻ってぇ事件を一から改めて

別のぉ角度から見直したらぁ、随分とぉ

面白い事がぁわかってねぇ?」


バルーンはその書類のいくつかをペラペラ

と捲り、あるページをジーネに見せる。


「剥製屋からぁ彼女の実家である旅館にぃ

不定期に大金の金銭授与が有りぃ、全て

事件に遭った動物達の剥製がぁ納品された

翌月にぃ渡されておるのだよぉ。


展示にぃ耐えられる高品質の剥製をぉ作る

機会はぁ普通は殆どないがぁ、ここ数ヶ月

はぁ事件が重なりぃ観光名所となったぁ

旅館共々繁盛しておるようだねぇ? 」


レヴァンはバルーンの持っている書類を

受け取り、一通り目を通すと微笑んだ。


「ジーネさんは事件のあった全ての

イベントに調理スタッフとして雇われて

いたようですね? 全て名乗った名前は

違うようですが、この調査書類によると

食料を配送している方がイベントの食堂に

いるのをいつも見掛けるので、印象深く

貴女の顔を覚えていたようです。


…さてイベント毎に毎回偽名使った理由も

含めてそろそろ色々教えて頂けますか?」


「あたしはっ、…あたしは……」


口を開いて反論しようとしたジーネだった

が、毒入りの現物と状況証拠、さらに目撃

証言もあることから、観念したのだろう。


彼女は床にへたりこんで泣き出した…



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る