episode5―16



「こりゃぁ一体何だったんだ?」


ズィマは割れた小瓶を遠くから覗き込む。


既に小瓶の中の液体は無く、煙も出ては

いないが辺りには異様というべき刺激臭が

微かに漂っていた。


『神経性の毒ですよ。

少量なら一時的に麻痺するだけですが

これだけ大量に吸えば内臓の筋肉まで

麻痺させてしまい、下手をすれば死んで

しまう量ですね』


ズィマのポケットからもぞもぞと頭を

出してレヴァンは小瓶を一瞥する。


多少具合が悪そうにしている様子だが

気のせいだろうか?


「なんだか調子悪そうだけどレヴァン、

もしかしてその毒吸った?」


『そんなものは吸ってませんけど

暴れ馬ならぬ、暴れ狼に乗って酔いも

せず悠長に寝ていられる人がいるのなら、

ぜひ一度お目にかかりたいものですよ』


事も無げに言うズィマを責めるように少々

棘のある言い方をするレヴァンへ苦笑を

しながら再び視線を小瓶へと戻す。


「しっかし、随分物騒な物を持ち歩いて

いる奴だな…」


『今どき、こんな臭いの出る神経毒なんて

作る人も珍しいですがね』


「珍しい?」


レヴァンはコクリと頷き、片羽をポケット

の縁へかけて身を乗り出した。


『臭いが強くてすぐに神経毒だとわかって

しまうので罠などに全く使えないんです。

だから最近は僅かながら効果が落ちますが

毒系統は無臭の物が流行りなんですよ』


「へえぇー…」


魔術事情はよく分からないが、魔術にも

流行りとかあるんだ…等と感心する

ズィマ。


そんなズィマの様子に少しばかり得意気に

鼻を鳴らし、レヴァンは説明を続けて

いく。


『調薬魔術を行う者は総じて好奇心旺盛

で研究熱心ですから、新しい薬が出来れば

自分でも作りたくなってくるのが性分。

有用性が高いなら尚更ですね。

それなのに今でも旧式に拘るのは偏屈

なのかそれとも…』


よいしょとポケットをよじ登り、這い

出ようとするレヴァンをズィマは引っ張り

出して掌に乗せれば、彼はバサバサと羽を

ばたつかせて空に舞い上がった。


『とりあえず眷族達が何か見ていないか

確認しなければ。

見てない可能性が高いですがね』


「なんで?」


『ちゃんと追っていればここに来てるはず

ですから』


なるほどね、とズィマが相槌を打つ。


何も見ていなくても眷族の意見を総合

すれば、誰が怪しいのかはわかると言い、

レヴァンは空へ向かって眷族を招く声を

あげる。


そして声が虚空へと溶けたのを確認すると

レヴァンは眷族達が来るのを待つ為ズィマ

の掌に舞い戻った。



「そういやレヴァンも無臭の毒とか作った

事あるの?」


しばらく経ってもなかなか来ない眷族に

焦れたらしく、ズィマはレヴァンに向かい

口を開く。


『毒は特に使い所も無いので作ってません

けど、理論を応用して無意味に無臭の薬は

いくつか作った事はありますけど』


「良かったぁ…つまみ食いする時に無臭の

痺れ薬とかそんなもの混じってたりしたら

分かんないで食べてしまいそうだもんな」


無邪気にうんうん頷きながら笑うズィマ、

そしてそれを聞いたレヴァンは真顔で

考え、ズィマを見据える。


『……それは実に良い案ですね。

毒が効いていれば現行犯で怒れますし、

体も思ったように動けない状態となります

から過食を防ぐ事もできそうです』


「冗談だから忘れて…ね?」


余計なことを言ってしまったというのに

気付き、ズィマは忘れさせようとしたのか

レヴァンの頭を撫で回すのだった。


ーーー


ーー


レヴァンが空を仰ぐのは先程から何度目

だろうか?


『おかしいですね、監視していた眷族が

一匹も戻って来ないなんて…』


先程からしばらく他愛ない話をして時間を

潰しているのだが、眷族は一匹も戻って

来ない。


こんな事は初めてである。


吸血鬼の始祖レヴァンの眷族である蝙蝠は

忠実な下僕。

彼等は逆らうなどという思考は持ち合わせ

てはいない。


何かあったのだろうか?


レヴァンはもう一度空へ呼び掛けるように

高らかに声をあげる。


すると、瞬く間に数匹の眷族がレヴァンの

頭上へと集まってきた。


「なんだ、すぐに来たじゃないか。

さっきの声、聞こえなかったのか?」


ズィマが安堵した様子でレヴァンに言えば

彼は厳しい顔で首を横に振った。


『いえ、この子達は別の所に居た眷族

なんですよ。


…悪いけど様子を見てきてくれないか?』


蝙蝠達はキィと小さく返事をして、再び

方々へと飛んでいく。


『悪い想像が当たらない事を祈るだけ

ですが』



…そんなレヴァンの願いむなしく、最悪の

結果が彼の元へと届けられたのはそれから

しばらく経ってからの事だった。



「レヴァン…」


ズィマの寝床の隅でレヴァンは羽を畳み

小さく丸くなって壁を見つめていた。


見張りに出していた眷族達は実験するかの

ようにそれぞれ違う毒物を使われており、

これもまた昔の作り方の毒であった。


犯人は間違いなく先程ズィマに神経毒を

投げつけた者だろう。


「レヴァン、巻き込んでごめん。

大切な眷族達を犠牲にさせてしまって…」


『いえ、何事にも犠牲は付き物です、

こればかりは仕方ありません。

ズィマのせいではありませんよ』


苦い顔で謝るズィマへレヴァンは黙って

首を振る。


『それよりも、思ったよりマズイ状況かも

しれません』


「…どういう事?」


ズィマが尋ねれば、レヴァンは蝙蝠姿から

人の姿へと戻り、振り返る。


その顔には眷族を屠られた悲しみ以上に

深刻な事態である事を漂わせる厳しい

表情を浮かべていた。


「相手は的確に自分の見張りだけではなく

他の団員の見張りをしていた蝙蝠達にも

全部毒を与えて始末しています。

…つまり、蝙蝠が見張りだと解っていた。


そしてズィマと対峙した事で見張りを

送ってきたのはズィマだと確信したかも

しれません」


「それって…」


こちらが相手の正体を掴めていないのに

相手に自分を敵だと認識された可能性が

高い。


つまり、ズィマも団長共々狙われる危険性

が出てきたということである。


「それだけではありません。

色々調べられて人成らざる者であると

万一でも知られた場合、相手は調薬の

魔術師ですから…」


レヴァンは言葉を濁して口を噤んだ。



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