第3話 巡る時

 堂國高校での戦いの後、小鳥遊は八月一日の家へと傷ついた体で歩いていた。

 数分後、二人が到着したのは一人で住むには勿体ない程の一軒家だった。



「ここが…八月一日さんの自宅ですか」

「まあ一人で住んでるけど」

「一人?」

「親は行方不明で今まで親戚の家をたらい回しにされてきてさ。今の親戚の人はまだ優しい方だから半年に一回ぐらい会いに来てくれるけど」

「…すみません」

「謝らなくていいから中にどうぞ」

「お邪魔します」



 玄関を入って左側にある扉を開けリビングに入る。八月一日はキッチンへいくと冷蔵庫から牛乳を取り出し鍋に入れると火にかけ始める。



「八月一日さん」

「ん?」

「大変言いにくいのですが…お風呂を借りてもいいですか」

「お、お、お風呂…」

「…何を挙動不審になっているのですか」

「あー、えとお湯は沸いてるから入れるよ、うん。タオルとか洗濯機は適当に使って。あとパジャマはどうする?」

「衣服の擬人を呼び出しますから大丈夫です」

「…了解でーす」



 小鳥遊の後ろに付いていくベルフェゴールは八月一日に向かって口パクで”馬鹿”と呟いた。




*******




 小鳥遊は八月一日から風呂を借りる事にした。

 少し一人になる時間が欲しかったからである。脱衣所で衣服の擬人を呼び出し脱いだ制服や下着を渡すと、風呂場に入る。

 髪と体を洗っていると扉越しにベルフェゴールが声を掛ける。



〈大丈夫か?〉

「…平気です」



 彼女は髪と体洗い終わると湯船に浸かり、短い溜息を吐いた。



「ふう…」



 肩まで浸かりながら先程の戦いを振り返る。

 ーー黒人形を操る誰かの存在。

 ーー初めて会った擬人とその場で仮契約が出来てしまう八月一日昴。

 ーー黒人形の存在を予め知っており、丁度良いタイミングで助けにやってきた星明純。



「何かが起ころうとしている…?」



 俯くと水面に自分の顔が映る。

 自分の顔を両手で軽く叩くと湯船から出て脱衣所に戻る。

 ベルフェゴールの姿はなく、綺麗になった制服等を持った衣服の擬人がにこにこと微笑んでいた。



「ありがとう、ローパ」

〈服が綺麗になる、私も幸せ!〉



 髪をバンダナで纏める女性、ローパが持っていた綺麗になった下着と制服を受け取ると手早く着ていく。

 小鳥遊が礼を言うとローパは手を振りながら白色の粒子となって消えていった。

 身形を整えると脱衣所の扉を開けてリビングへと向かった。




*******




 風呂から戻ってきた小鳥遊を八月一日とベルフェゴールが出迎える。

 ベルフェゴールはマグカップ片手に宙に浮いている。



〈…なかなか旨いな〉

「ホットミルクだよ。夜中にあんまり食べると腹壊すだろ?」

〈まあ、擬人のアタシには関係ないけどな〉

「八月一日さん、お風呂ありがとうございました」

「おお、制服が綺麗になってる…」

「…じろじろ見るなんて変態さんですか」

「お馬鹿さんとか変態さんとか酷いよな…」

「言葉のセンスは間違っていないと思いますが」

〈それより話があるだろ〉

「そうですね」



 小鳥遊は八月一日の向かい側に座るとホットミルクを一口飲み、口を開いた。



「八月一日さん…私の秘密を知られたからには協力していただきますよ」

「協力って?」

「明日、学校の昼休みの時間に話をします。図書棟の入口で待ち合わせましょう」



 ホットミルクを飲みつつ話をする小鳥遊を見ながら、八月一日もマグカップを手に持つ。



「小鳥遊さん、今夜どうするの?」

「今夜どうする、というのはどういう意味ですか」

〈おい、悠理分かんねえのかよ。八月一日が言いたいのはあれだ、俺と一緒のベットで寝ませんか? って事だ〉



 飲んでいたホットミルクが気管支に入り、勢いよく咽る。その姿を見てベルフェゴールはにんまりと笑った。



「はあああああっ!?」

「最低最悪。こういう時に悪知恵を働かせる…本当に不潔ですね、八月一日さんは不潔の擬人なんですか?」

「何だよ不潔の擬人って!」

〈まあさっきのは冗談だが。悠理、八月一日の家に泊まるのか?〉



 ちらりと見た時計の針はもうすぐ一時半を指すところだ。

 家に戻るのも面倒だと判断して小鳥遊は八月一日の家に泊まる事を決めた。



「……………泊まります」

「その長い間は何」

「何でもありません」

「リビングの隣に客間があるけどそこでいいか?」

「はい。贅沢は言いません」



 八月一日が指さす場所、小鳥遊は少し離れたところにある引き戸を開ける。

 畳が六畳と押し入れだけの簡素な部屋だった。



「布団は土日に干してるから大丈夫だと思うけど」

「お気遣い感謝します。それではおやすみなさい」

「…おやすみなさい」



 制服のまま六畳間に入っていった小鳥遊を見て、いつパジャマに着替えるのだろうかと悶々とする八月一日。


 朝ご飯はいらないと伝え忘れたが疲れた体で布団を敷くのに力を使い果たし、すぐさま眠りに着いた小鳥遊とその姿を見守るベルフェゴールがいた。




*******




 次の日の朝。

 八月一日が起きるとテーブルの上には書置きがあった。そこには朝ご飯がいらない事と先に学校へ行く事が書かれていた。


 昨夜の出来事を思い出しながら一人分の朝食を作り、食べる。



「いただきます」



 ーー目の前で起こった小鳥遊が黒人形と戦う光景。

 ーー自分が見知らぬ少女ベルフェゴールとよく分からない仮契約とやらを果たして敵と戦った事。


 悪い夢だと思い、頭を横に振ると朝食を急いで食べ、すぐに身支度を済ませて家を出た。


 学校に着くと、教室には読書ちゃんこと小鳥遊がいつもと同じように読書をしていた。

 八月一日は自分の席に座ると隣の彼女の様子を窺う。


 彼女は本の世界に夢中のようで、八月一日の視線には気づかない。

 きっと、気づいていても知らんぷりをしているのだろう。


 つつが無く午前中の授業を終え、昼休み。

 チャイムが鳴ると小鳥遊は素早く教室から出ていった。すぐに追いかけるのもクラスメイト達から変に思われそうなので、少し時間を空けて図書棟に向かう。


 図書棟の入口、八月一日が到着すると小鳥遊は先程の教室での様子と変わらずに本を読んでいた。彼の存在に気づくと本を読むのを止め、栞を挟む。



「着いたぞ」

「来ましたね」

「昨日のこと、きちんと説明してもらおうか」

「はい。但し、説明をするのはこの場ではなく別の所です」

「別の所って、休み時間も限られてるのにここから何処に行くんだよ」



 彼女は図書棟の入口に設置してある改札機に電子端末を当てると先へ進んでいく。

 八月一日も同じく後を追っていくと、入口正面のエレベーターで二階に登り、入口の真上に属する本棚までやってきた。


 小鳥遊は周りに誰もいないことを確認すると、制服の上から胸元に手を当てて何かを唱え始めた。



「言語の門番よ、我に道を示したまえ」



 胸元に当てていた手を眼前にかざすと押し扉が現れ、中に向かって開いた。扉の先は白い光に包まれていて何があるのか分からない。



「私についてきて下さい」

「ちょっ、待っ」

「テスミスが待ってます」



 先に進む小鳥遊を追いかけて八月一日も扉の中へ足を踏み入れると、目の前に広がるのは巨大な城へ繋がる長い廊下だった。


 後ろを振り返ると、先程通ってきた扉は閉まっている。廊下の両側は崖になっており、下は八月一日の住んでいる世界と似て民家や学校のような場所、商店街らしきもの等様々な建物がある事が窺える。



「ああ、言い忘れてましたが…この世界で私とはぐれると八月一日さんは死にます」

「そういう事は先に言って頂けますか…!」



 八月一日は彼女からはぐれないように隣について歩く。

 廊下の真ん中程まで歩くと城の中へと入り、警備兵が左右に数人ずつ廊下側を向いて立っている。


 廊下を歩いていくと、大きな扉の前に昨晩小鳥遊と共に戦っていた青いドレスを着た少女、ベルフェゴールが立っていた。



〈来たか〉

「えっと…べ、ベル…?」

〈ベルフェゴール様だ、脳味噌豆腐野郎!〉


 ベルフェゴールが指を鳴らすと名前を思い出せなかった八月一日が一瞬で水流に飲み込まれた。



「ごぼ!? ごばぼっ!?」

「ベルフェゴール、テスミスの謁見前に彼を殺す気ですか…」

〈はんっ、知ったこっちゃないね〉

「はあ…解除」



 小鳥遊が人差し指で円を描くと、八月一日を飲み込んでいた水流は音をたてて消えた。水から解放された八月一日は勢いよく咳き込む。



「ごほっごほっ…」

「大丈夫ですか」

「あ、ああ…」

〈ふん〉



 恨めしそうに八月一日を見つめると、ベルフェゴールは青い粒子となってその場から消えた。


 廊下の行き着く先にある扉を開けると玉座に座る女性がいた。

 彼女の背後にあるステンドグラスが光を受けて輝きを放っており、神々しいの一言に尽きる。


 女性に向かって真っ直ぐ歩いていく小鳥遊の後を追い、八月一日も歩いていくと玉座手前の階段で立ち止まった。

 女性は持っていた杖を振るうと彼女の隣には白髪のポニーテールを三つ編みにした少女が現れた。



〈ようこそ言語界へ。貴方を歓迎します〉

「テスミス、彼が私を助けてくれた方です。八月一日さん、この方が私がさっき言っていたテスミスです」

〈私はテスミス。この言語界を治める者です。貴方の名前を聞いても宜しいですか?〉

「八月一日昴です」



八月一日の名前を聞くとテスミスは一瞬驚き、悲しい笑顔を浮かべた。

 少しの間、彼女はじっと彼の顔を見つめてから口を開いた。



〈貴方は…悠理と似て辛い運命を背負っているのですね。過去、現在、未来に至るまで…〉

「それは…どういう意味ですか」

〈私から当人の運命を告げる事はこの世界の秩序に反します。そうですね…貴方はその時を静かに待つだけでは大切なものを失ってしまう、とだけ…〉



 目を伏せるテスミスはとてもつらそうな表情だ。

 小鳥遊は八月一日より一歩前に進むと隣に魔法陣が出現し、青色の粒子が集まるとベルフェゴールが現れた。



「テスミス、八月一日さんもこの戦いに協力させます。私達の秘密を知られてしまいましたし」

〈昴は…どうしたいですか〉

「俺は…」

「八月一日さん。私は本が読めるなら何だってします。言語界が破綻すれば文字という概念が世界から消える…そんな事、私は絶対にさせない」



 小鳥遊は強い決意を八月一日に打ち明けるとその場から去ってしまう。

 先程の彼女の言葉を思い出し、八月一日は膝から崩れ落ちた。



「あ、俺死んじゃう…!」

〈大丈夫、悠理の言った事は間違いです。私の空間にいる限り、人間が死ぬ事は絶対にありません〉

「小鳥遊さんの嘘つき…!」

〈彼女を追いかけるならばこの子を連れて行って下さい〉



 白髪のポニーテールを三つ編みにした少女が八月一日に無言で近づいてくると、ぎゅっと抱きついてきた。



〈あなた、わたしが、まもる〉

「お、おお」

〈扉を開けるとその子が悠理の所へ案内してくれます〉

「ありがとな、テスミス…さん!」



 部屋を去って行く八月一日と白髪の少女の背中を見つめながら口を開いたのはベルフェゴールだった。



〈テスミスに聞きたい事があるんだが〉

〈怠惰の貴女が珍しいですね。私に答えられる事ならかまいませんが〉

〈八月一日昴は一体何者だ?初めて七つの大罪と契約したってのに平気そうな顔してやがったし、第一に仮とはいえ、適合もしてないのに契約できたのがおかしい〉

〈出会って理解しました…彼は非常に特殊です。契約した属性以外の擬人を呼び出して戦い、七つの大罪との契約にも耐えた…稀有というべきでしょう。彼は無の王になりえるかもしれません〉

〈あいつがアタシと同じ王の座…?ハッ、冗談キツイな〉

〈怠惰と契約したにも関わらず呼び出したのは…おかしいと思いませんか〉

〈…そこは、アタシにも謎だ。確かにアイツとはアタシの怠惰の名のもとに契約した。だが感覚的には違う…アイツがアタシを操っている感じじゃなくてっていうか物理的に痛みはないけど得体の知れない力に感覚だ〉

〈弾かれる…〉

〈ああ。まあテスミスが出会って直接アイツを見たんだから大まかな部分は分かるだろ〉

…救われるとすれば〉

〈救われないだと?〉

〈…他の七つの大罪達を見つけるしかないですね。私の力も弱りつつあります。言語界の崩壊も彼女が頑張ってくれてはいますが、時間の問題です〉

〈他の七つの大罪に関しては、一人当てがあるけどな〉

〈彼女達を見つける事は言語界にとっても必要です。その過程であの子達が救われるなら…私は助力したい〉

 杖を握りしめ、背後にあるステンドグラスを見つめる。七色に囲まれて真ん中にある八角形は透明だ。

〈特定の人間に力を貸すのはご法度じゃねえのか?〉

〈…私は力を貸していません。方向を指し示すだけです〉

〈屁理屈かよ〉



 溜息を吐いたベルフェゴールはテスミスに背を向けて歩き出す。

 テスミスは苦笑いをすると彼女の背中に言葉を放った。



〈ベルフェゴール…貴女も悠理には結構甘いですよ〉




*******




 八月一日はテスミスとの謁見を終えて部屋を出ていった小鳥遊を探していた。



「何処にいるんだよ、小鳥遊さんは…」

〈こっち〉

「うおっ」



 八月一日の手を引いて白髪の少女が歩き出す。

 彼は彼女に既視感を抱きつつ素直に従っていると、彼女が扉の前で止まった。



〈このとびらのむこう〉

「ありがとな」



 扉を押して開けるとテラスになっていて、柵に寄りかかり景色を見る小鳥遊とその横で欠伸をするベルフェゴールがいた。



「いた…」

〈来たぞ悠理〉

〈ゆうり?〉

「見つけたぞ」



 小鳥遊は振り返ると真剣な表情で八月一日を見つめた。



「私はまだ貴方の言葉を聞いていません」

「そりゃ小鳥遊さん部屋から出ていったからね」

「早くしないとその擬人も可哀想です」



 八月一日と話しながら白髪のポニーテールを三つ編みにした少女を見る。

 少女は小鳥遊の視線にも頭を傾げている。



「? なんで可哀想なんだよ」

「仮契約してしまったのは彼女のようなので」

「…? 昨日の夜の話だよな?」

「ええ」

「あの時にこいつはいなかったよな?」

「仮契約した後、八月一日さんが持っていた盾は何色でしたか?」

「あー…確か、灰色?」

「本来ならば、怠惰と仮もしくは本契約をした際に武器化されるものは全て青色です」



 彼女の発言を聞き、昨晩を思い出す。



「あの時、俺の持っていた盾は青色じゃなかった…」

「つまり、八月一日さんは怠惰のベルフェゴールと仮契約をしたにもかかわらず、彼女の力を使って別の属性の擬人と仮契約をした事になります」

「ん…? 分かるような分からないような…?」

「とにかく、きちんとその子と仮契約を結びましょう」

〈そうだな〉

「今のままじゃ駄目なの?」

「怠惰の恩恵を受けて別の属性を使用するのはルール違反ですから。その子は無属性…何も持たない者」

〈まもる、みんな〉

「貴女は仮契約できますか?」

〈できる〉



 八月一日の正面に立つと彼の瞳を見つめる。



〈じゅんび、いい?〉

「おう」



 白髪の少女は自分の体を抱きしめると悲しそうに八月一日を見つめる。

 まだ行動を共にしたのは少ない時間なのに胸の奥が締めつけられ、思わず八月一日は息を呑んだ。



〈我、防御を司りし無の眷属なり。汝、契約を望むか〉

〈防御の力、ね…〉



 体を抱きしめていた手を離し今度は八月一日に抱きついた。



〈彼の者の名は八月一日昴。言語の加護と我の司りし防御を彼の者に。仄かに愉楽ゆらく、仄かに獅子吼ししく、望むがままに己が力を開放せよ。わたしのなまえは…〉



「分かってる…シーディア、だよな」



 名前を叫ぶと光が二人を包む。

 光が徐々に消えていくと、目の前には先程と同じように、白髪のポニーテールを三つ編みにした少女シーディアが立っていた。



〈おわった〉

「これで仮契約は完了です。いつでも防御の力が使えますね」

「…いつでも使える?」

「協力してもらうと言ったじゃないですか」

「だから、俺とシーディアを仮契約させたと」

「そうですが、何か?」



 小鳥遊は腕時計を見ると二人がやってきた扉へ向かって歩き出した。



「八月一日さん、そろそろ時間です」

「時間ですって言われても、仮契約の後の事とかほとんど分からないんだけど」

「近いうちに何日かかけて勉強会をしましょう。ゴールデンウィーク明けには高校生活初のテストもあるでしょうからね」

「テスト…!」



 歩き去っていく小鳥遊を追いかけて八月一日もその場を走り去る。

 こうして、八月一日は読書ちゃんこと小鳥遊と共に言語界を救う戦いが始まったのだった。

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