第2話 少年と少女は夜に出会う

 深夜零時。

 八月一日は欠伸をしながらコンビニエンスストアへと歩いていた。


 遡ること数時間前。

 晩御飯を食べた後、この時間まで尊敬する作家の一年ぶりの新作小説と、月刊雑誌に連載されている少女漫画の単行本の最新四巻を読んでいた。


 しかし、喉が渇いたので冷蔵庫を見たが野菜ジュースしかない。炭酸ジュースが飲みたい、その欲望に負け現在の状況である。



「コンビニって…遠いんだな」



 まだ春とはいえ、スウェットでは少し冷え込む。八月一日は身震いをすると、もう少し厚着をしてくれば良かったと後悔していた。



「早く帰らねえと…あ」



 この角を道を真っ直ぐ進めば目的地のコンビニエンスストア、というところの十字路で角を左に曲がった数メートル先、髪の長い少女が歩いている。


 後ろ姿でも見間違える筈が無い。

 あの姿は、読書ちゃんこと小鳥遊悠理である。こんな時間に何故か私服ではなく制服を着用している。



「小鳥遊さん、こんな夜中に何やってんだ」



 八月一日も他人の事をとやかく言えるような状況ではないが、一度気になると仕方が無い。


 コンビニエンスストアで炭酸ジュースを買うという当初の目的はすっかり忘れ、彼女の後をついていくことにした。




*******




 同時刻。場所は変わって八月一日が目指していたコンビニから北へ五キロメートル程離れたとあるラーメン屋。


 二十四時間営業、主に関東を拠点に展開しているチェーン店である。深夜に暖簾をくぐる少女が一人。


 昨日の昼間、食堂のメニュー最難関トップテンの第一位である激辛味噌タンメンの大盛りを食して話題となった星明純である。


 黒のフード付パーカーに灰色の長ズボンと肩から黒のショルダーバッグを下げている。奥のカウンターに座ると、いつものやつを注文する。


 それから数分後、息を切らして店の中に入ってきたのは、八月一日のクラスメイトである勅使河原だった。


「はあっ、はあっ…せ、せんぱ…い…」

「…早かった」

「ダッシュですよダッシュ! 風呂入った後にこんなに汗をかくとは思わなかったですよ」

「早く座って」

「ちょっと先輩、俺の話聞いてます!?」

「兄ちゃん、注文は?」

「…えーと、塩ラーメンのさっぱりで」

「食べるのね」

「あいよ。はい、嬢ちゃんお待ち!」

「はう…」

「…それ、何すか」


 勅使河原がそれ、と呼ぶものは勿論ラーメンなのだろう。だが、店員が星の前に置いたのはどんぶりが普通の物より一回り大きく、具材が山盛りに載せられて麺が見えないドカ盛りと呼ばれそうな代物である。


 星は勅使河原の話を無視して割り箸を取ると二つに割り、無言で勢い良く食べ始めた。

 どんぶりのおよそ半分を食べた後、コップに残っていた水を一口飲み勅使河原へと顔を向けた。



「特味噌大盛り、全部のせ、こってり。ちなみにこってりは油多めと背脂を複合した言葉」

「油多めと背脂って、先輩は死ぬ気すか!」

「…脂嫌いなお前に話しかけた私が馬鹿だった」

「…」



 星はラーメンに向き直ると、再び食べ始めた。

 周りの少ない客達が二人を見つめる中、勅使河原は溜息を吐くと持っていたリュックから何かの資料を取り出し、未だ食べている途中の星に話し始めた。



「兄ちゃんお待ち!」

「どーも。…先輩ってば今日の二限目にいきなりメールを送ってくるから大変だったんすよ? 機材の設置とか堂國高校生徒全員の情報調べるためだけにわざわざあそこに顔出したんすから」

「食べながら聞く」

「先輩が言ってたのはえっと…あった。小鳥遊悠理。誕生日と血液型は面倒なんで省略。栗栖中学校出身で一部の生徒から読書ちゃんとのあだ名。図書委員会に所属。両親の所在は不明…っと、こんなもんすかね」

「…まあ、そんなところか」



 勅使河原も残りの生徒の情報を掻い摘んで話しながら麺を啜る。

 生徒全員の情報を話し終わる頃には二人共ラーメンを食べ終わっていた。



「ご馳走様でした。私はこの後学校に行くけど凛太郎はどうする?」

「勿論、先輩にお供します!」

「威勢だけ良くてもどうにもならないけど。そして、その子の気配の消し方もまだまだ」

「うぐっ」



 重い溜息を吐く勅使河原の脇で星が代金を支払うと、二人は店から出た。

 まだ少し肌寒い春。星は目を細めると一瞬、過去に思いを馳せた。



「…待っててね、お兄ちゃん」



 学校に向かって歩き始めた星に並んで勅使河原も歩き出す。

 いつの間にか勅使河原の腰元には鞘に収められた一振りの剣が携えられていた。




*******




 星と勅使河原がラーメン屋を出て学校へと歩き始めた頃、八月一日は小鳥遊に気づかれないように物陰に隠れつつ、出そうになったくしゃみをこらえながら跡をつけていた。


 小鳥遊の後を追って到着したのは堂國大学附属堂國高校だった。



「…学校? 忘れ物か?」



 小鳥遊は正門を飛び越え、道順に歩いていく。

 左側に温室を見ながら、校舎に沿って西側へ。西門を正面に右折すると図書棟が目の前に見える。一瞬立ち止まったが再び歩き出し、校庭へ歩いていくと真ん中ほどで止まった。


 突如、彼女の足元が輝き、何かの魔法陣が展開されている。

 一瞬淡い青の光が小鳥遊を包んだが、光が消えると気がつけば彼女の隣にはいつの間にか青いドレスを着た見知らぬ少女が並んで立っていた。



「言語フィールド、展開」



 彼女が言葉を口にすると半球状に薄い膜のような物が形成され、堂國高校を覆いつくした。

 瞬間、二人の少女の前には黒い霧を纏った人形のようなものが静かに立っていた。



「今までのものとは違いますね」

〈…嫌な予感がするね。アタシは逃げた方がいいと思うぜ〉

「こいつを倒さないと星先輩から情報を聞き出せない」

〈判断は悠理に任せるけどな〉

「…お願いします、ベルフェゴール」

〈あいよ〉

「我が怠惰よ、武器となれ。水の叡智で敵を鎮めよ」



 小鳥遊が何かを唱えると、傍にいたドレス姿の少女が水のように溶けて彼女の右手の前に集まっていく。


 棒状になってきた時、それを握りしめ数回振り回しながら、自身もその場で一回転すると彼女の手には自身の身長と同じ程の大きさの青色の鎌が握られていた。



「何だよ、あれ…!?」

「…行きます!」

〈ああ!〉

「ーーはあっ!」



 小鳥遊が地面を蹴って人形との間合いを詰めると手にしていた鎌を振り下ろす。しかし、敵は素早く背後にまわると彼女の背中を足蹴りにした。


 間一髪のところでベルフェゴールの水の壁が一撃を防ぐ。鎌を右に振るも上に跳んで回避すると小鳥遊から少し距離を取った。


 だが、すぐに地面を蹴って距離を縮めると足蹴りで小鳥遊の体勢を崩す。崩れた瞬間を見計らい、彼女が握っている鎌を両手で掴むと黒い霧が鎌を覆い始めた。



〈ぐっ…があ…!〉

「その手を…離しなさい!」



 小鳥遊は、一旦鎌から両手を離すと手を合わせて人差し指を突き出し銃の形を作る。小さな水の球が人差し指の前に現れると水流がだんだん集まり大きくなり始めた。



「来たれ、怠惰よ!水の叡智、この一撃で敵を鎮めよ!穿てディスパラル!」



 唱え終わり、両手を上げると水の球が直線状に発射され人形の体を撃ち抜いた。

 それと同時に水流が敵を吹き飛ばし、攻撃を受けた人形は鎌を手離すと、後方にある校庭を囲む土手の一箇所に激突した。


 小鳥遊はというと、技を放った疲労から辛そうな表情を見せている。たが、なんとか宙に浮く鎌を掴んだ。



〈悠理、悪い…〉

「はあっ…はあっ…いつもより、やりづらいですね…」

〈…匂うな〉

「擬人ですか?」

〈ああ、どこの所属までは判らねえ。だけど、明らかになってるのは誰かの手によって改造されたとかじゃないってこと。そしてあの人形に意思があるとは思えないってことだ〉

「意思があるとは思えない、という点について同感です。それじゃあ、何かの目的があって誰かが操っている…?」

〈そうかもな…来るぞ!〉

「っ!」



 人形は激突した土手からゆっくりと起き上がると、一気に間合いを詰めて小鳥遊の鳩尾に一撃をいれた。


 衝撃で後方に吹き飛んだが、一回転して地面に両足をつけて減速して止まった。

 気がつけば人形が鳩尾に攻撃した右手は球体の水で覆われている。



〈悠理に一撃をいれてくれた礼だぜ、黒人形!〉



 ベルフェゴールの一言と共に人形の右手が爆発した。煙が立ち込めているが鈍い音を立てて右手が落ちたのが分かる。



〈防げなかった、悪い〉

「防ぐ気がなかった…の間違いでしょう」

〈はっ! 不利な状況でも威勢はいいな〉



 攻撃が人形に有効だと判明して安堵したのも束の間。

 人形を覆っていた黒い霧が右手へと吸い込まれると、骨が形成され、それに植物のように繊維が生えてきてはくっつく事を繰り返すと新しい右手が完成された。



「再生能力…今までの擬人とはひと味違うようですね」

〈再生とは面倒だな〉

「面倒とは、ベルフェゴールの癖です…ねっ!」



 接近してきた人形が振り下ろした左手を鎌の持ち手の部分で受け止める。

 鎌を持ち上げて人形を後退させると懐に飛び込み、刃で腹を切り裂いた。人形は上半身と下半身に分かれ、その場に転がった。



「終わりでしょうか」

〈…いいや〉



 人形の上半身と下半身がかたかたと震え始める。

 宙に浮いたかと思うと別れた箇所がくっつき、元の人形の姿に戻った。そして、腹の傷の中に右手を入れて取り出したのは、小鳥遊が扱っているものと同様の大きさの鎌だった。



「再生だけではなく学習や形成能力まで…!?」

〈複製…いや、操作の擬人か…? だとしても、再生まで扱うのは難しいな…〉



 一瞬、二人の視界から人形の姿が消える。

 すると上空から鎌を振り下ろしてきた。ぎりぎりのところで攻撃を躱したが、足がもつれて尻餅をついてしまう。



「くっ!」

〈悠理!〉

「足に力が…た、立てない…」

〈しっかりしろ!〉



 逃げられない小鳥遊の首を人形が右手で掴み、力を加える。彼女は意識が薄れるなかで今日読んだ本の題名を思い出し始め、これが走馬灯かと考えた。


 ベルフェゴールの呼びかけにも応じず、万事休すという所でどこからか雄叫びが近づいてくる。



「うおおおおおおおおお!!」



 物陰から飛び出した八月一日は、雄叫びを発しながら人形に体当たりをした。

 人形は小鳥遊の首を掴んでいた右手を離して体当たりを避けるとその場から距離を取った。


 ベルフェゴールは一旦鎌の状態を解除し、青いドレスを身にまとった少女へと姿を戻した。



「くそ、避けられたか…」

「げほっ、げほっ…はあっ…はあっ…。あな、たは…」

「隣の席の八月一日昴だ」

「…庇っていただいても、何も思うことはありません」

「何だよ、何か思ってよ! …つーか、目の前のあれは何なんだよ」

「何故あの人形があなたに見えるのか理解できませんが、あれが見えるなら話が早いです。私に協力して下さい」

「…協力?」

「私は今、戦える状態ではありません。ですので…代わりに貴方が戦って下さい」

「よっしゃ、俺の出番だな…ってはあ!?」

「一人ツッコミとか恥ずかしいですね…」

「うっせえよ!」

〈二人ともお楽しみの所悪いけど、アタシを忘れんなよ〉

「こいつ喋んのか!」



 八月一日が青いドレスを着た少女ーーベルフェゴールをこいつ呼ばわりした直後、彼女は彼の脛に足蹴りをした。

 彼はあまりの痛みに泣きそうになっており、目に涙を浮かべている。



〈何でアタシが見えてるのか謎だが…いいか? こいつじゃねえよ、ベルフェゴール様だクソ野郎。頭に脳味噌の代わりに何入ってんだ? あ? 豆腐か? プリンか? 餅か?〉

「酷い言われようですね…ふふっ」

「笑い堪えつつ言うなよ!」



 敵はこちらの攻撃を待っているのか、動く気配がない。攻撃が来ないならばと相手の動きを注意しつつ、小鳥遊はベルフェゴールと算段を企て始める。



「ベルフェゴール、相手の動きを止める事は出来ますか」

〈…十分が限度だな〉

「わかりました。人形の動きを止めている間に彼と仮契約をして下さい。言語力が少なくて今日は戦えない…今はこれしか手段がないです」

〈アタシが一騎打ちで隙を作って呪縛する。その後に仮契約ってことでいいか〉

「はい」



 二人は人形を止める手立てを考えると小鳥遊は八月一日の隣へ。

 ベルフェゴールは一歩前へと進み手を組んで祈る小鳥遊の姿を見つめると、右手に先程の水色の鎌を具現化させた。



〈ご主人様には逆らえないからな…行くぜ、黒人形!〉



 鎌を数回振ると刃から斬撃が放たれ、人形を攻撃する。人形は左右じぐざぐに動いて躱しつつベルフェゴールとの距離を縮めると右足の回し蹴りで頭を狙ってきた。



〈うっぜえな!〉



 彼女は頭を後ろにずらして躱すと、回し蹴りをしてきた右足を掴んで口の端を上げて笑う。


 ベルフェゴールが掴んだ箇所から人形の足が冷却されていき白い空気が近くを漂う。

 有利かと思ったが冷却は膝までで止まると、人形の頭が胴体から離れベルフェゴールに向かって飛んできた。


 顔には、先程までなかったはずの口から銃口のようなものが見える。



〈おもしろいもん持ってんじゃねえか!〉



 眼前の銃口をベルフェゴールも口で咥える。

 弾が発射され彼女の頭を撃ち抜いた。しかし、射抜かれた彼女の頭は水のようになり、流れが止まると瞬時に再生し、人形の口へと侵入していく。人形は距離を取ると首を押さえながら苦しそうにもがいている。



〈…シガレットキスとは言えねえか〉



 ベルフェゴールは唾を吐くと、人形に向かって手のひらを向けた。人形の足元には、数分前に小鳥遊の足元で光っていた魔法陣が展開された。



〈止まれ、留めよ、流れを絶て! 我が内の絶対なる怠惰、己が体に刻め! 水捕縛の陣アグア・アトラパ!〉



 魔法陣から青い鎖が幾重にも現れると、人形を拘束していく。

 体が見えなくなる程に鎖が人形に巻きついたところでベルフェゴールは一仕事終わったというような軽い溜息を吐いた。



〈まあ、こんなもんだな〉

「小鳥遊さん…今までのは一体…」

「簡単に説明します。あの人形を倒さないと私達は死にます」

「簡単っていうか色々言葉が抜けてる気がするんだけど!?」

「今は何とか動きを止められていますが、もう少しで動き始めるでしょう」

「…さっき小鳥遊さんは戦える状態じゃないって言ってたけど、どうすんだよ」

「八月一日さんが戦って下さい」

「…は?」

「先程から言ってますが、八月一日さんには彼女…ベルフェゴールと仮契約して戦ってもらいます」

「本当に俺の出番かよ…」

〈…こんな状況じゃなかったらごめんだったぜ〉

「ベルフェゴール、お願いします」

〈悠理の頼みじゃあ、しょうがねえな〉



 ベルフェゴールはギザギザの歯を見せて笑うと八月一日に向き直った後で地面を二回、靴の爪先で叩いた。すると先程の魔法陣が展開され、そこから現れた水柱が二人を飲み込んだ。


 八月一日はいきなりのことで苦痛の表情を浮かべるが、ベルフェゴールは正反対で水の中でも表情は変わらず、むしろ活き活きとしているように見える。



〈水の中はどうだ?〉

「…苦しい…に…決まって、んだろ…」

〈苦しいってことは この水に抵抗してるってことだ〉

「抵…抗…」

〈怠惰の水を苦しいって感じるのは当たり前のことだからな〉

「たい、だ…?」



 八月一日とベルフェゴールが話している間に拘束されている人形が抵抗を始め、微かに鎖が金属音を響かせ始めた。



「人形が…早く!」

〈面倒だけど…済ませるか。おいお前、アタシの言葉をしっかり聞いてろよ。気を失ったら全部終わり、アタシ達はあいつに惨めに殺されて食われるだけだ〉

「あの、人形に…食われる…」



 ベルフェゴールの言葉を聞いた八月一日は手放しかけた意識を戻し、地に足を踏ん張ると彼女を見つめた。



「俺は…小鳥遊さんの為に、戦うんだ」

〈いいねえ、それ…アタシはあまり持たない感情だけど嫌いじゃないよ〉

「持たない感情って…」

〈ベルフェゴール様のことはまたの機会にでも教えてやる。とりあえず今は仮契約だな。まあ、お前はそこに突っ立ってるだけでいい。魔法陣から出たり、アタシの邪魔は絶対にするなよ〉

「お、おう」



 ベルフェゴールが目を閉じて一度深呼吸をすると、二人を飲み込んでいた水柱は魔法陣の縁に沿って囲む形へと変化した。

 閉じていた目を開いた彼女は、人形のような冷たい表情になった。



〈我、怠惰を司りし水の王なり。汝、契約を望むか。望むなら我が願いを聞き届けよ、言語の海から我に施せ〉

「俺が、小鳥遊さんを助けるんだ…!」

「どうか成功して…!」



 ベルフェゴールが八月一日の両手をとり、指を絡める。すると両手の甲に魔法陣が浮かび上がり、鈍く光った。

 二人の目線が交わる。

 ベルフェゴールの瞳には八月一日の不安げな顔が写っている。



〈彼の者の名は、八月一日昴。言語の加護と我の司りし怠惰と水の叡智を彼の者に。…アタシの名前を呼びな。それで仮契約は完了だ〉

「ああ!」



 目を閉じる前の表情でにやりとギザギザの歯を見せて笑うベルフェゴールを見ながら、八月一日は唾を飲み込んだ。


 名前を呼ぶのがこんなに緊張するなんて。

 躊躇っている間に鎖がだんだん脆くなっていくと、抑えこまれていた敵がさらに暴れ始め、自らを縛っていた鎖を引きちぎり、三人に向かって突進して来た。



「八月一日さん、敵が来ます!」

〈早くアタシの名前を呼べ!〉

「呼べば良いんだろ!やってやるよ…ベルフェゴーーーール!!!!」



 名前を呼んだ瞬間、眩い光が八月一日とベルフェゴールを包む。

 眩しさに小鳥遊は目を瞑った。

 光がだんだん消えていくと、八月一日が手にしていたのは魔法陣が描かれた灰色の盾だった。




*******




 少女達は八月一日の契約の光を各々が場所で見ていた。

 ーーとある少女は八月一日の傍らで。

 ーーとある少女は自宅のベランダから。

 ーーとある少女はテレビ局の控え室で。

 ーーとある少女はバイオリンケースに触れていた時に。

 ーーとある少女は読書に耽りながら。

 ーーとある少女は風呂に浸かりながら。


 そしてとある少女ーー星もまた、堂國高校から程近いビルの一角の屋上から見ていた。隣にはラーメン屋に彼女の後からやってきた勅使河原もいる。



「あの光…いつもと時間が違うのは何故…?」

「…先輩?」

「やはり、そう簡単には叶わないのね」



 星は苦しみに耐えるように左手で握り拳を作った。



「凛太郎、準備は出来てる?」

「いつでも行けます!」

「…一緒に戦うのはまだ当分先だけど」

「えっ? 先輩何か言いました?」

「何でもない。もう少し様子を見る」



 首に掛けた本を服の上から握ると、不安そうな表情で堂國高校の校庭を見つめた。




*******




 名前を呼んだ瞬間に八月一日とベルフェゴールを包んだ光が徐々に輝きを失っていく。

 光がなくなると八月一日が手に持っていたのは魔法陣が描かれた灰色の盾だった。



「…盾?」

「盾じゃ敵を倒せないですよ! なんでベルフェゴールと仮契約をしたのに鎌じゃなくて盾なんですか!」

〈本当に頭に豆腐かプリンか餅が入ってんじゃねえのか!?〉

「入ってねえよ!」

〈アタシの体を借りて別の奴を召喚しやがって、ふざけんじゃねえぞ!〉

「確かに、怠惰の力を感じない…何故…?」

「この盾はベルフェゴールじゃないのか!?」

「…八月一日さん、私達の戦いを見ていたんですね」

「あーいや、えっと…気になって」

〈来るぞ!〉



 盾で敵の突進を辛うじて受け止める。

 跳ね返った敵は空中で体勢を立て直すと再び盾に向かって突進してきた。



「くそっ!」

「とりあえず耐えて下さい! 何か考えます!」

〈くそっ、絶対にアイツらには頼りたくねえ…!〉



 ベルフェゴールは盾の中で唇を噛みながらこちらに向かってくる黒人形を見上げた。




*******




「彼女は駄目そう…」

【星、勅使河原の両名は応答願います】



 星が腕時計で時間を確認していると二人が耳に装着している通信機に連絡が入った。

 堂國高校の校庭の様子を窺いつつ注意して聴く。



「こちら、星です」

「勅使河原です」

【現在、隣街のショッピングセンターで暴走する擬人の反応を探知。数は一体。至急応援を願います】

「人手が足りない、の間違いじゃないすか…っていうか鷹野さんだったら暇じゃないんですか?」

【鷹野は西東京の討伐に出ています。もうすぐ帰還予定との連絡ですが、時間は未定です】

「絶対嘘ついてる…もうこっちに着いてると思いますけどね…」

「…了解しました。凛太郎がすぐに向かいます」

「俺だけ!?」

「凛太郎…訓練と実践は違うから。これからは一人で倒せるように。私はここで待機する」

「そんなー…暴走してるって俺一人じゃ絶対に無理っすよ」

「貴方にも目的がある、取捨選択を誤ると痛い目を見るのは自分」

「はあ…了解です。こちら勅使河原、現場に向かいます。位置情報の転送をお願いします」

【了解。勅使河原に位置情報を転送します】



 勅使河原はビルの屋上から飛び降りるとパルクールを用いて、建物の間を縫うように通っていった。


 それから数分後、彼女の隣に誰かがやってきた。

 星が振り返ると立っていたのは鷹野だった。昼間に勅使河原と会った時とは違い、動きやすいようにカジュアルな格好だ。鷹野の隣には狐耳の少女が立っている。



「鷹野さん…どうしたんですか」

「星くん、勅使河原くん一人で大丈夫なのかい?」

「今のうちに力をつけさせないと、後々辛くなるので」

「一人の方が都合が良い…とか?」



 鷹野の意味深な言葉に目を細めると、彼に向き直る事なく会話を続ける。



「鷹野さんには関係ないです」

「…君は何処に立っているんだい?」

「私が今いるのはここ。それ以上でも以下でもないです。さっきの通信の件、凛太郎にはいい機会です。この際に圧倒的な実力差に悔しさを覚えて修行に励んでほしいです」

「優しいんだか違うんだか…」

〈学校で動きがあったかのう〉

玉藻たまも、何か感じるかい」

〈混ざりあっている…互いの思い、動き出す運命が…な〉

「小鳥遊さんは倒せるかな…」

「君の読みは外れた事がないだろうに」

〈くくっ、確かに〉

「玉藻は何故笑ったの」



 星は眉間に少し皺を寄せると狐耳の少女、玉藻の頭を撫でる。

 鷹野の耳元に、装着した通信機に何か知らせが入ったようだ。



【鷹野、応答願います】

「こちら鷹野」

【勅使河原のみでの討伐はほぼ不可能にあ?状態。至急応援を願います】

【クソっ…!死んでたまるか!】



 通信機からは必死に戦っているであろう勅使河原の声が聴こえる。



「了解、急行します」

〈大きい獲物の匂いがするのう。悠理よ、また今度…我と遊ぶが良いぞ〉

「時間があればね」

〈鷹野や、獲物は隣街じゃろ?先程悠理と話しておった剣の少年が死にそうじゃ〉

「星くん、やっぱり彼にはまだ早すぎたみたいだね。行こう玉藻」

〈ではな〉

「…」



 去っていった鷹野と玉藻を見ずに校庭へ意識を集中させる。

 何度か攻撃を受け止めているが八月一日と小鳥遊が危険な状況である事に変わりはない。


 小鳥遊は疲弊しておりベルフェゴールを扱う事もままならず、八月一日は先程彼女と仮契約したばかりでろくに力を使えていない。



「私の読みが外れた…ルシファー」

〈なに?〉

「八月一日を助ける」

〈…わかった〉



 ゆらり、と星の隣に少女が現れた。ルシファーと呼ばれた少女は全身が黒ずくめでマントと一体化になっている頭を覆っていたフードを脱いだ。



〈我、傲慢を司りし闇の王なり。括り、潜れ、暗闇を。望むがままに己が力を開放せよ〉

「我が傲慢よ、武器となれ。闇の糾問きゅうもんで敵を堕落させよ…」



 星が呪文を唱えるとルシファーは彼女の体に抱きつく。するとルシファーの体は溶けていき、星の体を覆った。


 覆っていた黒が両手に集まっていくと猫耳がついたフード付きの上着と膝までのズボン、そして短めのブーツを履いた姿に変わっていた。上着の前は開けられており中には黒い下着を着ている事が窺える。


 両手に集まっていく黒い影を星が握ると手には黒光りする二丁拳銃の姿が現れた。



「行こう…」

〈うん〉



 ビルの屋上で星は背中から飛び降りる。

 落下していきながら遠い遠いあの日を思い出して逆さまの景色の中、堂國高校を見つめる。



〈あすみ、だいじょうぶ…?〉

「…絶対に、私は大丈夫」



 星は無理矢理笑顔を作ると落下していくなかで両手に持つ銃を構え、小鳥遊と八月一日が黒人形と戦っている堂國高校の校庭へと銃口を向けた。




*******




 一方、堂國高校では黒人形の攻撃を必死に凌ぐ八月一日と小鳥遊の姿があった。



〈くそ、アイツの反応が近づいてきやがる…〉

「あいつって、誰だ、よっ!」

「まさか…」



 遠距離からの射撃で黒人形の動きが一瞬止まる。

膝から崩れ落ちた人形の背後に降り立ったのは、先程ビルから落下していた星だった。



「小鳥遊さんなら倒せると思ってたのに…残念」

「貴女は…!」

「誰だお前」

「彼女は…今のところ味方です」

「今のところ、ね」

〈あすみ、くるよ〉

「…大丈夫」



 膝から崩れ落ちていた人形は立ち上がり、星へ向き直ると突進しながら右手を突き出す。眼前に迫った人形に素早く拳銃を突きつけると躊躇わずに引き金を引いた。


 黒人形の頭を星の放った一撃が貫通すると、その場に倒れて動かなくなった。



「おしまい。小鳥遊さんが倒せないのは意外だった」

「あの人形は今までと違う…ただの擬人ではなく、誰かによって操られていた」

「そこまで分かっているのに、属性は分からないの?」

「あいつも小鳥遊さんと同じ力を…」

〈昼の時といいムカつく奴だな…!〉

〈ベルフェゴールは阿呆…〉

〈んだとフード女!〉

〈びちゃびちゃのじめじめちゃん…〉

〈いい度胸だなてめえ!〉



 ルシファーとベルフェゴールが仲睦まじく(?)追いかけっこをしている時、八月一日の頭に激痛が走った。



「どっかで会った…痛っ」

「八月一日さん、どうしたんですか」

「頭が…痛い…!」

「…仮契約の副作用かもしれない。ベルフェゴールさん、彼を治療してあげて」

〈アタシに命令すんな黒女〉

「それぞれの一言が全員の命を握ってる事…忘れないで」

「ベル…フェ…」



 小鳥遊の頭に銃口を押しつける星の姿を見て、ベルフェゴールは八月一日の傍に歩み寄ると呪文を唱え始める。



鎮めカルマース鎮めよソセーガー…〉



 八月一日の全身が淡い青色の光に包まれると、彼は安らいだ表情を浮かべた。



「痛みが、和らぐ…」

〈…これでいいか〉

「ありがとうベルフェゴールさん」

〈…〉

「それよりもどうしてここに貴女が?」

「昼間も言ったけど…私は八月一日昴の敵じゃない」

「俺の敵じゃないって、どういう事だよ」

「まだ言えない…まだ、ね。それじゃあ、二人ともおやすみ。学校に遅刻しないようにね」



 星がフードを深く被ると全身を黒い影が包み、その場から姿を消した。


 八月一日は安堵から長い溜息を吐く。

 小鳥遊はよろよろと立ち上がると歩き始めた。



「何処行くんだよ」

「帰り…ます」

「小鳥遊さんの家って」

「このまま歩くと…一時間かかるでしょうか」

「じゃあ俺の家に来いよ」

「…何か目的があるのでは?」

「いや、ない。小鳥遊さんの力になりたいとは思うけど」

〈悠理、コイツの言葉に甘えておいた方がいい。この後襲撃でもされたら今のアタシ達じゃ相討ちがいいところだ。だったら今夜だけ二人で行動した方がいい〉



 小鳥遊はベルフェゴールの言葉に迷ったが腹を決めたようだ。



「それでは今夜だけ、お世話になります」

 深夜の学校には頭を下げる小鳥遊と、気になる子を家に招く事に複雑になっている八月一日の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る