第1話 八月一日の迷走

 初めての場所で不安の声とまだ見ぬ場所への好奇心とが合わさった空気で教室内が包まれている。


 チャイムが鳴り響くと教師と見られる男女二人組が教室の中へとやってきた。女性は黒板前の壇上にあがり、男性は教室の前扉の近くで待機している。



「今日から担任する前田です。こっちが副担任の砂川先生」

「砂川です」



 生徒の前ではきはきと話す明るい前田が、教室前方の扉近くに立ち頭を浅く下げる長身の男性を紹介した。



「私は現代国語、砂川先生は数学を担当します。授業の時はビシバシやるから覚悟しておけよー?」



 あまり怖くなさそうな先生で良かったと生徒一同は安堵した。自己紹介が終わると退室していった砂川を見計らい、前田が凛とする声で話し始める。



「じゃあ、まずは自己紹介から。窓側の前から名前順な」


 入学式後の恒例、自己紹介の時間。

 前田の一言に拒否や文句の言葉が教室中に溢れるが出席番号の早い生徒達は諦めて自己紹介を始めた。


 席は男女別の名前順となっており、教室の真ん中から左側は男子の席、右側は女子の席となっている。男子の折り返し地点というべき場所に座るのは八月一日の前、勅使河原だった。



「勅使河原凛太郎! 名前の漢字は難しいけど俺は単純だよ! 面白い話と女の子大好き!」



 勅使河原の自己紹介に女子からの黄色い声が教室に響く。大概、名字の読み方について聞かれるので、八月一日は今までしてきた通りに普通に自己紹介をする事にした。



「八月一日昴。八月一日って書いてほずみって言います。よろしく」



 八月一日、という珍しい名字に教室内が興味津々である。のちに勅使河原と八月一日はクラスで唯一の四文字名字との事でいつも一緒に行動する事もあり、四文字コンビとの愛称で呼ばれる事になった。


 自己紹介が終わると前田は黒板の右側にに委員会・係と記入すると、前半に委員会の種類を、後半に係の種類を書いていく。



「日直がやってもいいんだけど、各々の先生とか授業の進行具合によって頼みたい量が変わったりするから係を決めまーす」



 八月一日は右側に座る小鳥遊を見つめた。彼女は黒板中央寄りに書かれた図書という文字に釘付けになっている。



「わかりやすい…」

「配りたい物があるから早く決めてくれよー。まずはクラスの顔である代表と副代表、会計に書記だな。書記は読みやす~い字を書いてくれる人だと先生は嬉しいなー」



 前田の一言に挙手をしたのは、八月一日の前に座る勅使河原だった。



「はーい、俺やります!」

「元気がいいな勅使河原! じゃあお前が代表な。他の奴らはどうだー? 代表になっておくと文化祭とかイベントの時に大変だけど楽しいぞー」



 勅使河原は席から立ち上がると黒板に自分の名前を書いた。

 前田の一言に数人が名乗りをあげ、最終的にじゃんけんで副代表と会計と書記を決める事になった。こうして前田の一言からあっという間にクラスの代表者達が決まった。



「ここからは勅使河原、お前達が仕切ってくれ。私はみんなに配りたい物を取りに職員室に行ってくる」



 教室を出ていった前田に代わり、勅使河原が委員会と係決めの進行をする事になった。



「代表になった勅使河原です! いちいちこの委員会やりたい人ー! って聞いてくのが面倒なんで黒板に名前書いて下さい!」

「正直過ぎだろ!」



 勅使河原の一言と八月一日のツッコミに教室が笑いに包まれる。緊張していたクラスの空気が柔らかくなっていく。これも勅使河原の小さな才能かもしれない。


 彼の一言に我先にと名前を書く生徒達で黒板前は混雑していた。

 一番後ろの席という事もあって八月一日と小鳥遊は人混みに入れず、他の生徒達が書き終わるのを待っていた。



「小鳥遊さんは何の委員会にするの?」

「決まっています」

「だろうね」

「…その表情に腹立たしさを覚えます」



 彼女は名前を書くと席へ戻っていく。

 委員会の欄に誰一人として名前が書かれていなかったの文字の下、小鳥遊と小さな文字が書かれている。八月一日もその隣に名前を書くと自分の席へ戻っていく。


 勅使河原は生徒達が自分で書いた名前を見つめ人数を数えていく。



「貴方も図書委員会ですか」

「だって本読めそうだし」

「本が好きなんですか?」

「小説も漫画も読むけど」

「…そうですか」

「えーと、二人ずつ二人ずつ…あれ? 一回で決まっちゃったじゃん! 凄いなこのクラス!」



 黒板には見事に規定の人数で委員会と係が決まっていた。こうして八月一日は小鳥遊と同じ図書委員会に所属する事になったのだった。


 予想外の事に教室内が拍手で賑わっていると教室前方の扉が開き、ダンボール箱を片手で抱えた前田が入ってきた。



「おいおい、私がいない間に何があったんだ?」

「先生! 委員会と係が一発で決まりました!」

「はーいありがとう。じゃあ配る物があるから代表達は席に戻ってくれ」

「一発って凄くないですか!?」

「はいはい、凄いねー」



 前田はダンボール箱から一列分の生徒の数の箱を取り出すと一番前の席の生徒へと渡していく。

 前の席の勅使河原から渡された箱を見ると携帯用電子端末と書かれている。



「行き渡ったら箱に書いてあるのが自分の名前か、大丈夫だったら箱を開けて中身を確認してくれ。内容物は電子端末が一つ、充電器が一つ、説明書が一つだ。端末や充電器に不備がある場合は交換するから早めに持って来いよー」

「電子端末って辞書か何かか…?」


「よーし、不備がないようなら説明に入るぞ。今配布した電子端末は高校卒業まで世話になるからなくさないように。なくしたら自腹で買ってもらうからな。それでこの端末は何なのかっていうと簡単に言えば生徒手帳だ。今日は入学式で体育館から校舎に直接移動したから見てないが、下駄箱や主要施設の出入口には改札機があって入場する際に必要になる。学校内にいる時は携帯するのが必須だから忘れましたって言い訳は効かないぞ。あとGPSがついてるからサボってるとすぐばれるからな」


「サボるとばれる…」

「…高校って凄いな」

「電源がつくか一人ずつ確認するぞ。机の上部にあるコンセントに充電器を挿して電子端末を充電してくれ。画面が起動したらプロフィールを押して自分の名前と学年・クラス、生年月日と受講科目等を確認してくれ」



 電子端末の様子を確認しようと、前田が生徒達の間を歩き回る。起動した電子端末の画面には何個か項目があるが生徒達は前田から言われた通りプロフィールのボタンを押して各々確認している。



「よし、見回ったけど全員大丈夫そうだな。後は同封されている説明書を呼んで操作とかを確認しておくように」



 電子端末の確認が終わると昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。前田は短く息を吐くと空になったダンボール箱を持ち上げた。



「もう昼休みか…午後は一時間やったら帰りだからそれまで頑張れよ。じゃあまた後でな」



 そう言い残すと前田は教室から出ていった。

 そして訪れた昼休み。

 高校生初日とあって隣同士で弁当を食べる人が多い。斯く言う八月一日も前の席の勅使河原と机を並べて弁当を食べ始めていた。


 勅使河原はコンビニエンスストアで買ったらしいおにぎりと惣菜パンを鞄の中から取り出し机の上に置く。包装から取り出して白米をのりで包むと食べながら八月一日に話しかけ始めた。



「八月一日んはさ、何で堂國高校に進学しようと思ったの?」

「そりゃ、言語科で学びたいからだろ」

「なんで? 普通の高校言って大学で文系を選んでも良かったじゃん」

「外国語を勉強して、和訳された本じゃなくて原書を読みたいんだよ。独学よりもきちんと勉強した方がいいと思ってさ。それに理数系嫌いだし」

「あー…八月一日んって読書馬鹿?」

「馬鹿で結構。俺は読書が好きだ。漫画もな」

「へー」

「そういう勅使河原は何で言語科に進学したんだよ?」

「んー何でだろ。何となくそうした方がいいかなーって思っただけ」

「気楽だな…」



 二人が話していると教室後方の扉から前田が顔を出し、八月一日の名前を呼んだ。



「八月一日」

「んぐ…はいっ」

「小鳥遊は…いないか」

「何か用ですか?」

「さっき言い忘れてな。小鳥遊にも言っておいて欲しいんだけど、放課後に二人で職員室まで来てくれ」

「分かりました。小鳥遊さんにも伝えておきます」

「任せたぞ」



 用件を伝えて去っていった前田を見送りつつ、八月一日は弁当を、勅使河原はおにぎりを再び食べ始める。



「入学式早々二人で呼び出しって怪しい…!」

「ないないない! 何も怪しいことなんてないぞ!」

「その態度が怪しい…痛っ、何すんの!」



 勅使河原の頭に軽く手刀を当てると大袈裟に痛そうな反応をしている。



「言うのは放課後でいいか…」

「俺の頭に手刀とは…お前の弁当のおかずを取ってやる…!」

「…いいだろう、その惣菜パンを潰してやる」



 席に未だ姿を見せない小鳥遊を思い浮かべ、前田からの言伝を伝えるのは放課後にしよう。

 そう考えながら、勅使河原と弁当の攻防を繰り広げる八月一日だった。




*******




 放課後。

 昼休みに担任の前田から小鳥遊と共に職員室へ来てほしいと言われた。

 二人ということなのできっと委員会の仕事だろう。右隣の小鳥遊に先程の言伝を伝える。



「小鳥遊さん、前田先生から職員室に来いってさ。多分委員会の仕事だと思う」

「げっ」

「げっ?」



 八月一日が声をかけた時は眉根を寄せて嫌な顔をしたが、委員会の仕事という言葉を聞いた瞬間表情が明るくなりうずうずし始めた。



「…小鳥遊、さん?」

「早く行きましょう、すぐに行きましょう、早足で職員室に行きましょう、走って図書棟に行きましょう」

「どんだけ行きたいんだよ!」



 早足で職員室に向かう彼女をツッコミながら八月一日も職員室へと歩き始めた。

 廊下を歩き階段を登った目の前、職員室と書かれたプレートの扉を開ける。



「失礼します。前田先生と小鳥遊さんは…いた」



 前田と彼女から話を聞いている小鳥遊さんを確認すると席へ向かう。

 途中、別の先生から話を聞いていた黒髪の生徒とすれ違う。八月一日に向かって微笑むと職員室を出ていった。



「どうかしたか、八月一日」

「いや、何でもないです」

「放課後にいきなり悪いな二人とも。委員会の仕事を紹介したくてさ」

「図書委員の仕事ってことですよね。図書棟でやるんですか?」

「図書棟…図書棟…」

「いや、それがな…堂國高校は図書棟が有名なんだけど、棟っていうかむしろ館が相応しいんだけど、一年生にいきなり任せていい仕事かな…」



 はきはきと話す前田の歯切れの悪い言葉に、八月一日は頭をかしげる。すると小鳥遊が先程からのうずうずを抑えられず前田に質問をした。



「先生、具体的に私達は何をすれば良いのでしょうか」

「どうせ作業してもらうし、説明するよりも見てもらった方が早いか。二人共ついてきて」



 職員室を出て右側に歩くと左側に校舎中央を行き来する事が出来る広場が見える。

 この広場は校舎の間を透明なドームで覆われており、雨天時も自由に楽しむ事ができる。

 三人は広場の中央に立つと右に向き直った。数百メートル先には校舎よりも大きな建物が見える。



「あの、もしかして…」

「おや八月一日、分かったか?」

「俺の勘が正しければ…あれが」

「目的地は目の前だ!」

「やっぱりあれが図書棟!?」



 前田は肩を落とす八月一日を励ましながら、小鳥遊はそれを気にする様子もなく歩く事、数分。ようやく図書棟に到着した。



「本の海が目の前に…!」

「なんだここ…大きすぎるだろ…」

「なんだここって言われても入口の上にプレートがあるから見ればわかるでしょ、図書棟だよ」

「普通の高校にあるのって図書室じゃないんですか!? 大きすぎません!? てっきり講堂か何かと思ってたんですが…」

「これが堂國高校の一番良い場所です」

「こらこら小鳥遊、図書棟の他にも良い所はいっぱいあるぞー。さて行きますか。まずはここ、出入口な」



 図書棟の自動ドア出入口を入ってすぐ改札機がある。その前で前田は入学式後に配布された電子端末を取り出した。



「うちの高校はちょっとハイテクでな、入学式後に配布して説明した電子端末があるだろ。その時にも説明したが、施設に出入する際は電子端末をこの改札機に当てる」



 前田が改札機に電子端末を当てるとピピッという短い電子音と共に赤から青へと色が変わった。



「おお…!」

「当てないまま通ろうとすると、駅と一緒で進めないように改札機から邪魔されるからな」



 前田の動きを見習い小鳥遊も同様に改札機に電子端末を当てて先へ進んだ。



「早くして下さい」

「はいはい」



 八月一日も同じように電子端末を改札機に当てて先へ進む。

 図書棟の中は広いの一言に尽きる。

 建物の奥には、高校では珍しいエレベーターと階段が備えつけられており、二階の南側にあるステンドグラスは太陽の光を取り込んできらきらと輝いている。



「ステンドグラスとか教会ですか…」

「本棚は壁際、机と同じ列にある。見て分かると思うが二階もあるからな」

「本の海…」

「今日二人に頼みたい仕事は二階の本の整理だ。荷台に載せてあるダンボール箱が二つあるから箱の中にある本を棚に入れておいてくれ」

「終わったらどうすればいいですか?」

「荷台はエレベーターの脇に置いといて各自解散で。私は職員室で仕事があるから、後は任せたぞ」

「はーい」

「本…」

「早く終わらせようか」

「貴方はお馬鹿さんですか。言われなくても分かっています」

「お馬鹿さんって…」



 八月一日は小鳥遊の言葉に複雑な気分になりつつもエレベーターに乗ると二階へ上がった。

 到着して開いた扉の前には先程前田が言った通り、荷台に載せられたダンボール箱が二つあった。

 箱にはそれぞれ、あ~たとな~わと書かれている。小鳥遊はダンボール箱を開けると背表紙を確認して二階の本棚を見渡す。



「きっと東側です。荷台を押して下さい」

「そこの本棚であってるの?」

「は・や・く!」

「はい…」



 小鳥遊の剣幕に気圧されると八月一日は言われた通り荷台を東側の本棚まで押した。

 おもむろに箱を開けて数冊を手に取ると本棚の間を行ったり来たりする。

 持っていった数冊を本棚に入れた小鳥遊が戻ってくると八月一日に訝しげな視線を送る。



「…仕事をしないのですか」

「ああ、ごめん!」



 小鳥遊の作業を見習い、八月一日も負けじと本の整理を行った。

 三十分程経った頃、ダンボール箱に入っていた本の姿はなくなり、二人が手にする数冊のみとなっていた。



「よし、これで最後っと」

「よいしょ…あっ!?」

「…? 危ない、小鳥遊さん!」



 高い所の本を整理していたのも束の間、走ってきた生徒が踏台にぶつかると、作業をしていた小鳥遊がバランスを崩した。

 落ちた先にある衝撃に目を瞑ったが八月一日が間一髪、ダッシュで彼女との距離を詰めると背中と膝裏に腕をまわし抱きかかえて受け止めた。



「怪我はしてないか?」

「う…」

「あ…悪い、咄嗟に」

「は…破廉恥です!」



 図書棟の一角で高い音が響いた。

 小鳥遊が男性に抱きかかえられているということに対しての羞恥から咄嗟に八月一日の頬を叩いたのである。

 こうして委員会の仕事一日目は読書ちゃんからのビンタで幕を閉じたのだった。




*******




 堂國大学附属堂國高等学校どうくにだいがくふぞくどうくにこうとうがっこう


 国内で唯一、言語科という特殊な科が開設されている高校である。

 なんでも、初代校長が戦時中に多国籍の言語について知識を得ていた際、輝く未来の中で言語について学べる場所がなければならない、とのことでこの高校が創設されたそうだ。


 開校当初は男子校だったそうだが、徐々に女子の入学者数を増やし、共学校へと成っていった。

 言語科、と一口に言っても幅が広い。

 古文や現代国語など母国の日本について学ぶところから、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語等、学べる内容は幅広く多岐に渡る。


 選択授業というと二、三年生が適当だろうが、この堂國高校では学びたい言語を自由に選択できる授業が一年生から行える。

 また、遠方から上京する生徒を考慮し、寮制度も備えてある。もちろん全員ではなく成績優秀者のみだが。


 電子端末のトップページ、堂國高校についてを押すと現れる成り立ちと書かれた項目を押して頁を流し読みする。その後、彼は大きな溜息を吐いた。

 あの衝撃的な出来事から一週間。八月一日はちらり、右隣を盗み見た。


 彼女は小鳥遊悠理。

 入学当初からいつも読書をしているので、密かに読書ちゃんとのあだ名がつけられている。出席を取っている最中も読書。授業が終わったら次の授業が始まるまで読書。昼休みは…昼休みは?



「そういえば…昼休みは何やってるんだ?」



 四限目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。

 教師が出ていくと仲の良い人同士が集まり、弁当を食べ始めたり友達らと購買や食堂へ行ったりと様々だ。



「…購買行くか」



 勅使河原がいる場合は教室で机を並べて食べるのだが、生憎今日は三限目の終了後に体調不良を訴えて早退している。

 昴が購買へ行くと案の定、大人数でごった返していた。

 パン屋が三つあるが何処に行くべきか。男子が多いパン屋、男女がほどほどにいるパン屋、女子しかいないパン屋。



「早く買えそうだし、真ん中のパン屋に行くか。にしても小鳥遊さんは何処にいるんだ…?」



 大体の生徒を目当てのパンを手にレジへと並んでいる。パンを見ようと近づくとカウンターの向こう側のおばちゃんが話しかけてきた。



「いらっしゃい!焼きそばパンはさっき売れちゃったよ」

「うーん、どうすっかな」



 所持金は千円だが昼飯にそんなに金を使っていられない。悩みながらも安くて大きいパンを探す。



「お客が少なくなってきたから一つぐらいサービスしてあげるよ」

「マジか!じゃあ、明太フランスとチキンカツバーガーとフレンチトースト…あと桜メロンパンも!」

「三百八十円だよ。甘いものが好きなのかい?」

「うーん、何となく買った方がいいって予感がするんだ」

「そうかい!」



 おばちゃんは受け取った金をレジスターにしまうと昴と話しつつ、手際よく紙袋にパンを入れていく。



「あざっす!」

「ありがとね!」



 受け取った紙袋を片手に持ち直し、教室へ歩き始めた。

 紙袋の程よい重さに顔をほころばせつつ、教室へ行くための渡り廊下を歩いているとどこか遠くから声が聞こえる。


 振り返り、食堂の建物に沿って歩いていくと、隣にある堂國館という古風な建物の裏側で柄の悪い男三人が少女を取り囲んでいる。



「キミさ可愛いね、一年生?」

「あの、何かご用ですか?」

「俺らとこれからご飯食べない?」

「し、失礼しますっ!」



 三つ編みの少女が男達の間を抜けようとするが肩を掴まれてしまう。

 脅える少女に群がろうとした男達に向かって八月一日は声をかけた。



「かっこ悪いな、アンタら」

「はあ? 舐めた口きいてんじゃねえぞ一年坊主が!」

「お前、ちょっと下がってろ」

「きゃっ!」



 昼休みというほのぼのとした時間、学校の南側で男達の喧嘩の声が響き始めた。




*******




 三限目の終了後に体調不良を訴えて早退した勅使河原は、電子端末のコード入力欄を表示させると何か暗号を打ち込む。


 すると、画面上にある勅使河原の位置を示す点滅する青い光はゆっくりと学校内へ出ていく。

 点滅しながら移動する光が自宅へと向かっている事を確認すると、通学用のリュックを背負い、とある場所へと歩いていた。


 学校の敷地内、グラウンドがある北北西側の角に立つと、背負っていたリュックを下ろして中から高さ十五センチメートル程の黒い立方体を取り出した。



「先輩ってばいきなり連絡くるんだもんなー」



 独り言をぶつぶつ言いながら他の人に見つからないように茂みに隠しつつ、立方体から電波線を伸ばした。



「これで一個完了っと」



 配置が終わると次は北北東の駐輪場の近くに。その次は南東にある植物園後ろの茂みへ。最後に南南西にある弓道場の裏手に同じように立方体を配置すると西門へと歩き出す。



「どれぐらいの情報が分かるかなー」



 頭を掻きつつ西門を抜け、堂國高校に沿って北へ歩く。


 最寄りの駅から電車に乗ること三駅。

 目的の駅に着き、降りてからビル群の間を歩く事数分。目の前に見えてきたのは群の中でも一二を争う程高いビルだった。


 二階までの長い階段が勅使河原を出迎えるがそれには登らず一回のカフェへと足を踏み入れた。

 カウンターに向かうと店員にカレーライスを注文した。



「勅使河原君、こんな時間にどうしたのですか」

「げっ」



 注文を終えた勅使河原に眼鏡をかけた物腰の柔らかそうな長身の男性が声をかけてきた。

 男性は店員にパスタランチを注文すると勅使河原の分まで代金を支払った。



「え、奢ってくれるんですか」

「何故こんな時間にここにいるのか…教えてもらいますよ」



 男性は微笑んでいるが目は笑っていない。

 冷や汗を流しつつ、注文したカレーライスを盆に載せて近くのテーブル席に座った。

 少しして眼鏡をかけた男性も注文したパスタランチを盆に載せてやって来ると、勅使河原の正面に座った。



「学生が登校初日から間もないというのに早退とは感心しませんねえ」

「先輩のおつかいですよ、鷹野さん」



 名前を呼ばれた鷹野たかのは微笑んだ後パスタを一口頬張る。勅使河原もカレーライスを口の中に運び始めた。



「鷹野さんこそ、何でこの時間にここにいるんですか」

「そりゃ仕事だよ。地下道で反応があったから、討伐に行く前に腹ごしらえしておこうと思って」

「俺が忙しい時に限って…!」

「あははっ、そんなに怒らないでよ。さっきの"彼女からのおつかい"というのは、何か知りたい情報があるのかな?」

「さあ…先輩の考える事は俺には分からないですよ」



 怒りながらカレーライスを食べる勅使河原に鷹野はメモ用紙に何か走り書きすると彼に差し出した。



「…? 何すかこれ」

「地下三階の資料室にあるパソコンの管理職パスワード。入力すれば大体のデータは見られるはずだよ」

「絶対裏がある…!」

「もちろん」



 パスタを食べ終え、フォークを皿に置くと鷹野は眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。

 真剣な表情に勅使河原は唾を飲む。



「頼みたい事があるんです」

「俺に出来る事…なんですよね」

「そう、実は…」

「実は…」

「銀座にある洋菓子の超有名店、ショコラ・ショコラの今月限定の洋菓子を買ってきて欲しいんだ」

「ただのパシリじゃないですか!」



 鷹野は財布から現金三万円程を取り出すと勅使河原に笑顔で渡した。

 溜息は吐くと勅使河原はメモ用紙と現金片手に建物の地下へとエレベーターで向かったのだった。




*******




 昼休み、というほのぼのとした時間に聞こえていた男達の喧嘩の声は、八月一日の一撃であっさりと幕を下ろした。

 男達は八月一日に恐れをなして一目散に走り去っていく。


 彼が購買で買ったパンの無事を確認しているとツインテールを三つ編みにした少女が恐る恐る八月一日に話しかける。



「あの、廿日はつか心望ここみと言います。さっきはありがとうございました」

「俺はA組の八月一日昴。別にたいしたことじゃない」

「優しいんですね」



 ネクタイの色が同じ事から廿日も八月一日と同学年だという事がわかる。手には何も持っていない所を見るとこれから購買へ向かうのだろうか、と八月一日は頭の隅でぼんやりと考える。



「…お前、同じ学年だろ? 敬語なんて使うなよ」

「あ…はい、じゃなくて…うん。ありがとう」

「廿日、お前食うもんないのか?」

「あ…これから購買に行こうかと思ってたんだけどもう買いに行っても遅いよね。どうしようかな…」

「俺のやるよ。フレンチトーストか桜メロンパンかどっちか選べ」

「そんな…八月一日くんに悪いよ。私なら我慢するから」



 そう言った直後、ぐぎゅるると音がした。赤面して腹を押さえる廿日に思わず八月一日が吹き出す。



「ほら、じゃあ両方やるよ」

「でも…」

「いいから、こういう時は受け取っとけ」

「あ…! ありがとう」

「なんかあったら俺のところに来いよ。出来るだけ力になる」

「うん、ありがとう」

「じゃあな」



 彼女と別れて教室へ戻り、席に着くと八月一日は当初の目的を忘れていた事を思い出した。



「廿日のクラス聞き損ねたし…結局、読書ちゃんが昼休みに何やってんのかわからなかったな…」



 八月一日は購買で買ったパンを食べながら、読書ちゃんこと小鳥遊の行動を気にしていた。




*******




 時間は二十分ほど前に遡る。

 八月一日が購買でパンを買った後、隣接している食堂ではどよめきが起こっていた。


 食堂のメニュー最難関トップテンの第一位、激辛味噌タンメンの大盛りを注文したという生徒が現れた。

 その生徒は窓際の席に座るとどんぶりから溢れる匂いを嗅ぎ、満足そうな表情を浮かべた。



「いい匂い…いただきます」

「相席、よろしいですか」



 勢い良く麺を啜る彼女の前に相席を申し出たのは、八月一日が探す読書ちゃんこと小鳥遊悠理だった。

 手には日替わりパスタのほうれん草と鶏肉のトマトクリームソースの皿を載せた盆を持っており、それをテーブルに置くと麺を啜る彼女の返事を待たずに向かいの椅子に腰かけた。



「まだ返事してない…」

「聞きたいことがあります。私の靴箱に手紙を入れたのは貴方ですか」

「そう。使い魔をだすと上の人がうるさいから」

「上の人? 貴方は何か機関に所属しているのですか?」

「さあね」

「はぐらかさないで下さい…!」

「麺が可哀想、早く食べないと私が食べるよ?」

「…いただきます」



 パスタを食べつつ睨む小鳥遊とその睨みをものともせず麺を啜り野菜を手際良く食べていく星、二人の間に重い沈黙が流れる。

 小鳥遊が半分ほどパスタを食べた所で、星はどんぶりを持ち上げスープを飲みほすと周りから拍手が起こった。



「美味…」

「…」

「…そんなに見つめられても何も出てこない」

「!」

「食べ終わってから話をするから」



 星の一言に勢いよく口の中にあるパスタを咀嚼して飲み込むと涼しい顔で言い放った。



「星…先輩、貴女は何者ですか」

「私のことはまだ教えられない。でも約束する、私は八月一日昴の敵じゃない」

「何故そこで八月一日昴の名前が出てくるのですか」

「何故でしょうか…」

「答える気がない事に腹が立ちますね」

「今はそうだけど…時が来たら、話せるかもね」

「…」

「…私には目的がある。それが達成されるまでは貴女は手にかけないって約束する」



 星は制服の胸ポケットから黒い小さな本を取り出す。本の表紙に埋められている宝石が輝きを放ち始めた。



「やはり、貴女も契約者…!」

「どちらかが約束を破ったらことわりに従い、罰せられる…私と貴女で契約をしておけばのちのち楽になると思わない?」

「貴女は一体、何を…」

「どうする?」

「…分かりました」

「賢明な判断」



 微笑む星を睨みつつ小鳥遊は制服の中に手を入れ、ネックレスのようにして身につけていた青い小さな本を外すと机の上に置いた。



「その色…貴女の擬人は怠惰のベルフェゴールなのね」

「擬人や属性の名前を知っていても驚きません。ベルフェゴールから気持ち悪い奴がいると言われていましたから。貴女は知っていても私は貴女の事を知りません。貴女も擬人の名を名乗るべきではないですか」



 小鳥遊の一言に星は笑みを浮かべる。

 すると、星の隣に全身が黒い服の少女がゆったりと姿を現した。パーカーのフードで顔はよく見えない。



「擬人…!」

「確かに…名乗らないのはフェアじゃない。私はほし明純あすみ。傲慢…ルシファー・ホーミングの契約者」

「傲慢…闇属性の王…!」

「そう、四大元素に縛られない特殊な属性の一つ」

〈怠惰…ベルフェゴールは何処…?〉

「貴女がルシファー・ホーミング…ベルフェゴールは会いたくないと言って言語界に戻りました」

〈契約者を放置するなんて、余程の自信がある…〉



 ルシファーが指を鳴らすと、空間が三人を包む。三人の周りはセピア色になり時が止まったようだ。



「一体何をしたんですか!」

〈慌てなくてもいい〉



 口元が弧をえがくとルシファーは地面を蹴ってテーブルを越え小鳥遊の背後に立つ。

 喉元に手刀を近づけると突如小鳥遊の体が水に包まれた。するとルシファーは攻撃を諦め、星の隣へと戻った。



「水…!」

〈ベルフェゴールの気配…〉



 青い粒子が小鳥遊の隣に集まると青いドレス姿のベルフェゴールが現れた。



「主様が危険に晒されるかもしれないのに、随分と余裕なのね」

〈うっせえよ、黒ずくめ共〉

「ベルフェゴール…」

〈主様はやらせねえぞ〉

〈あすみ、帰ろう〉

「…わかった」

〈逃げんのか!〉

「ベルフェゴール!戦いが目的じゃないです!」

〈あ?どういう事だ?〉

〈…阿呆〉

〈んだと!?〉

「…小鳥遊悠理は締結をここに」

「…ここに締結を誓う」



 互いの本の表紙に埋められている宝石が一瞬輝くと本の表紙が少し変わり、王冠の印が増えた。

 星は本を手に取り制服の胸ポケットにしまうと立ち上がる。



「今日の夜の零時過ぎ、学校の校庭で貴女の運命が決まる。脅すわけじゃないけど…来なかったら言語界が滅ぶ、とだけ言っておく」

「貴女…!」

「また一緒にご飯を食べられたらいいね」



 ルシファーが指を鳴らす。

 空間が元に戻ると星はどんぶりをのせた盆を両手で持ち上げ、その場から歩き去った。

 小鳥遊はやるせない気分で空になった皿を見つめ、頭の中で先程の言葉を反復していた。

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