正義の味方は三時から
南野海
プロローグ
ヴゥゥゥゥゥゥゥゥン。ヴゥゥゥゥゥゥゥゥン。
断続的に耳障りな音が室内にかすかに聞こえる。
ちかっ、ちかっと、あちこで光が点滅している。
光っているのはまわりを覆い尽くしているパネルのランプ。壁にはそれ以外にも、モニターやメーターで埋めつくされ、窓すらない。
天井までの十メートル、ずっとそんな感じだ。まるで壁全体が巨大なコックピットのように見える。部屋自体はちょっとしたホールくらいの広さはあるのに、その壁のせいでみょうな圧迫感があった。まさに機械の要塞のような部屋だ。
太陽光線が差し込まなくても、もちろん暗くはない。天井にある人工照明が部屋を屋外のように明るく照らしている。
しかしこの部屋が異様に感じられるのはそれが主な理由ではない。
部屋の中に置かれた透明なガラスで作られた円筒形の容器。大人ひとりが入るのが難しいほどの大きさのカプセルがあるせいだろう。
いや、異様なのはカプセルそのものではなく、その中身だ。
カプセルの中には透明な液体が満たされており、その中にひとりの幼い少女が体を縮こめている。肩までありそうな黒髪を藻のようにゆらゆらと漂わせながら。
少女? いや、正確にいうならば違う。
たしかに見た目は三歳ほどの愛らしい女の子なのだが、彼女は全裸のまま臍にチューブがつながれていた。
そう、彼女は胎児だ。この無機質な入れ物は人工子宮。
見た目はどうあれ、まだ生まれていない子供は少女とはいわない。胎児だ。
たとえ人口の子宮であろうとも、彼女はこの中で生を得た。いまだこの外に出たことはない。だから胎児なのだ。
その証拠に、彼女は自分で呼吸をしていない。臍のチューブから送り込まれる血液を通して酸素を細胞に取り込んでいる。機械の塊で作られた壁の中にあるエアコンのようなものが彼女の肺だ。心臓である人工ポンプは、やはり壁の中に埋め込まれている。
彼女の母体はこの部屋自体。コンピューター制御の機械によって生を育まれてきた。
その目はまだ一度も開いたことはない。
「マリア様」
人工子宮の前に立っていた東洋人の女が胎児に話しかけた。二十代後半の魅力的な体を、ナチスを思わせるような軍服で身を固めた女だ。魅惑的な短い黒髪には油をなでつけオールバックにし、軍帽を頭に乗せている。すっきりとした鼻梁、冷たいながら魅力的な目、真っ赤なルージュが塗られたエロティックな唇が、軍服とのミスマッチにより不思議な官能を醸し出している。
『なんでしょう、
マリアはスピーカーを通して答えた。
なぜ胎児のマリアに劉の声が聞こえたか? そしてなぜマリアは答えることができたか?
正確にはマリアは劉の声を聞いたわけではない。心を読んだのだ。さらに
マリアは胎児でありながら、超天才児にして超能力者だった。
「
劉は直立不動のまま胎児に返答した。
『そうでしたね。では通してください』
「はっ」
劉はそう答えると、壁のパネルを操作した。ドアが開き、ふたりの男がおずおずと中に入ってくる。
ひとりは黒いスラックスとシャツの上に白衣を羽織ったやせた中年男。オールバックの長髪で、細長い顔の頬がこけ、目だけが異様にぎらついている不気味な男、黒死館少佐だ。この男は博士号を持っている科学者でもある。
もうひとりは劉と同じ軍服姿のいかにも喧嘩っ早そうな二十代の男、刃森大尉だ。
ふたりは前に歩み出ると、マリア、そして劉の前で片ひざをついた。
『黒死館少佐、計画は進んでいますか?』
マリアは機械を通しながら、それを感じさせない優しい声で聞いた。
「はい、計画のほうは順調です。それに必要な洗脳プログラムもほぼ完成しました」
『そうですか、それはたいへんけっこうですね』
カプセルの中でマリアの口元がかすかに緩んだ。
『では劉大佐、黒死館少佐を十分にバックアップしてあげてください』
「はっ」
劉は胎児に向かって敬礼する。
『それと、刃森大尉。あなたはなぜここに呼ばれたかわかっていますか?』
刃森の顔色が変わった。そのまま沈黙が続く。
『答えなくてけっこう。あなたは十分に理解しているようですね。その通りです』
「ま、待ってください。たしかに計画は失敗しましたが、それは邪魔者が思ったよりも……」
刃森は悲痛な顔で叫んだ。
『知っています。あなたはたかだかひとりの男に遅れを取りました。あなたはそれほどまでに無能なのですか? そしてなによりも許せないのは、失敗したことを隠したまま、わたしたちから逃げだそうと考えていたことです』
刃森は絶句した。返す言葉がなかったのだ。
「どうやってその責任を取るつもりだ、刃森大尉」
劉は虫けらでも見るような目を投げかけながらいう。
「次は必ず作戦を成し遂げましょう。もう一度、チャンスをもらえるのならば」
『チャンス? わたしは無能なものに何度もチャンスを与えるほど寛大ではありません。裏切り者でもあるのならなおさらのことです』
刃森の顔は絶望の表情から、無表情に変わった。
「ならば戦うまでよ。俺はまだ死にたくないんでね」
叫ぶと同時に刃森の体からは複数の刃が突き出した。
胸、背中、肩から三十センチほどの鋭い棘が生え、両腕からは巨大なジャックナイフのように刃が飛び出す。
そのまま豹のようなスピードでマリアを包む人工子宮に向かった。
両腕の刃の切っ先をそのガラス面に突きたてようとしたとき、劉が波のようにゆったりと、それでいてなぜかすばやく動いた。刃森と人工子宮の間に立つと、ふたつの刃を左右の手の親指と人差し指で軽く挟んだ。
そのままふわりと踊るような動きを見せると、刃森は床に激しくたたきつけられる。劉がさらにとどめを刺そうと、しずかに右掌をかざす様に上げ、刃森に一歩近づくと、スピーカーが優しい声でいった。
『必要ありません、劉大佐。自分の身は自分で守れます』
「出すぎたまねを」
劉は恐縮して一歩下がった。
次の瞬間、倒れていた刃森の肩から突き出していた鋭い棘がロケット弾のように飛ぶと、弾丸ほどのスピードでマリアに向かう。
しかしそれが人工子宮を突き破ることはなかった。そこだけ時間が凍りついたように空中で止まった。
「バリア?」
刃森は絶望の声を上げる。
「くそ。そんな防御システムが作動していたのか?」
『システムの力ではありません。これは
刃森は背を向けて逃げようとしたが、踏み出した足が床に付くことはなかった。見えない鎖で体を縛られたように身動きひとつすることができなかったのだ。
『もしわたしに攻撃する能力がないと思っているならば、とんでもない誤解です』
機械の声は冷酷に宣言した。
次の瞬間、刃森の体はばらばらになる。首、そして四肢が飛んだ。胴体が真っふたつになった。全身から飛び出した鋼鉄すら切り裂く特殊合金でできた刃がことごとく折れた。
どれも引きちぎられたというよりも、剣の達人が日本刀で切ったような切り口だった。刃森は命乞いはおろか、叫び声すら上げることができなかった。
マリアの
劉は表情ひとつ変えずに、氷のような目つきで無残な肉隗を見つめていた。
『どんな優秀な組織にも、一部の不良品が出るのは仕方のないことです』
マリアがそういうと、ばらばらになった刃森の肉片は消えた。マリアが瞬間移動させたのだ。床には血痕の一滴すらない。
『黒死館少佐。あなたが刃森のような不良品でないことを望みます』
震える博士に、スピーカーは優しい声で告げた。
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