第10話 枢機卿

 リア・シャノンを先頭にサトルとエリカ達は施設内に乱入した。二重扉を抜けるとそこには、汎銀河帝国パン・ラクティウス・オルビス・インペリウムの簡易な気密戦闘服に身を包んだ小隊規模くらいの兵士が並んでこちらに銃口を向けていた。


 その向こう側には緋色のマントをまとった男がいた。

 彼は気密服も着ずにゆったりと立っていた。髭をこぎれいに整えた端正な顔立ちの初老の男だった。

 腰にサーベルのようなものを提げている。


「あれは、単分子ワイヤーを編み込んだ剣です、伸びますから気を付けて」エリカがこそっとつぶやく。


「よく来たなリア・シャノン……」男が言う。よく通る響きのよい声だった。

 緋色のマントには何か光る昆虫のようなものが刺繍されていた。

「ウェスタ枢機卿……」

 リアが笑みを浮かべた。どちらかというとこの絶望的な状況で勝ち誇ったような表情だった。


無駄・・だと思うが、一応言っておく。撃て」

「撃つのをやめなさい!」リアが叫んだ。


 その声はウェスタ枢機卿よりも遥かに強く通る声だった。

 美しいが凄絶な声だ。サトルはそう思った。


 その声はまるで凍てついた氷の刃のように不安にさせる何かを同時に持っていた。

 そしてこちらに銃口を向けた兵士たちは、一人たりともトリガーを引かなかった。


 その声にこちら側の学生兵やエリカも委縮したのか動きが止まっていた。


やはり無駄か・・・・・・……まぁいい、どのみち想定内だ」

 ウェスタ枢機卿は諦めたような笑顔を浮かべた。


「私にはこれがあるが……」

 彼はゆっくりとサーベルを抜いた。柄には流麗な装飾がなされていた。そこにも昆虫の装飾。


 単分子ワイヤーのため肉眼では見えない。

 そのかわりに編み込まれた単分子ワイヤーの位置を示すように、ほんのりと小さな光が輪郭上に灯っていた。まるで蛍の光のように淡く明滅していた。


「行くぞ!」

 枢機卿が勢いよくサーベルをふるう。いつのまにかサーベルの単分子ワイヤーの剣身それ自体が伸びていたようだ。


「撃ちなさい!」

 リアが再度大声を出す。その声も一種の心理的な衝撃波となったのか、汎銀河帝国パン・ラクティウス・オルビス・インペリウムの兵士たちが銃口を枢機卿に向けた。


 しかし枢機卿は瞬時に身をひるがえすと同時に剣の軌跡を返した。

 汎銀河帝国パン・ラクティウス・オルビス・インペリウムの兵士たちが分隊ごと両断される。


帝国の秘宝ゲムマの1つ、ルシオラね。敵じゃないわ」

 リアが一点を見つめる。

 瞬間、枢機卿の持つサーベルの柄の昆虫の意匠がはじけ飛んだ。


 剣身が消える。

 枢機卿はそれを驚いたように見つめていた。


「まさかそこまでとは……もう超常現象を起こせるのか……これはダメだな」


 いつのまにか生き残った 汎銀河帝国パン・ラクティウス・オルビス・インペリウムの兵士はリアを護るように立っていた。エリカ、学生兵もその中に混じっている。


 その一連の流れをサトルは茫然と見つめていた。

 ウェスタ枢機卿はサトルに視線をあわせてきた。


「ほう……君か適合者は。そしてリアが選んだ婚約者というわけだね」

「……なぜ分かる?」サトルはようやくかすれ声を出すことができた。


「明らかにあの化け物・・・の影響を受けていない。そうか、ヤンは適合しなかったのだな、素質はあったのだが」

「どういう意味だ?」


「うむ……私はもうすぐ粛清されるだろうが、せめてもう1足掻きしてみようか。少年、いや青年か? 青年、その腰の銃をリアに向けろ」

「何を言ってるんだ? できるわけがない」

「いやできるんだ。普通ならできないが、君にはそれを選択できる能力がある。選択できるのだ。これは重要だ」

「……どういうことだ?」


 ウェスタ枢機卿はリアにむかって丁寧な御辞儀をした。

「失礼、シャノン公女殿下、少々説明の時間をいただけるかな? 私の最期の望みでね」

「いいわよ」


 リアが左手をさっと振るう。兵士たちは学生兵も含めて全員が一糸乱れぬ動作で休めの姿勢になった。


「知っての通り……」

 

 汎銀河帝国パン・ラクティウス・オルビス・インペリウムの初代皇帝インペラトールマヌグス一世は伝説上の人物だった。

 

 彼はその穏やかな「声」で当時、乱立していたあらゆる勢力を味方につけ、わずか10年で銀河全体を支配する銀河帝国の基礎を作った。


 ありとあらゆる敵は彼の声に耳を傾けたという。


「その声は伝説ではなく事実だ。事実、彼に銃口を向けた者、あるいは斬首台の獄吏ですら説得に応じたという。それが彼の能力だったのか素質だったのかは分からん。しかしその血を引く帝国の公爵たちや枢機卿などの類……初代皇帝の血を引く者は、それぞれある程度それに近い能力を持っている。……私の声も実際魅力的に感じたはずだ」


 それは事実だった。

 まるで歌劇のヒーローのようにはっきりと芸術的な響きをもっていると思えた。


「しかしリア・シャノンは違う。圧倒的だ。ほぼオリジナルのマグヌム1世に近いと思う。変だと思わないのかね。参謀部だの、太陽学園そのものの反乱だの……彼女の説得でありとあらゆる組織が動く。シャノン家ですら動く。シャノン家が帝国皇帝陛下に逆らって何のメリットがあるのだ」


 ウェスタ枢機卿はため息をついた。


「それらは全てあの化け物のなせる業だ。ここで討ち取りたかったが……最後の希望が君だ、青年。その化け者を撃て。撃たなければ全銀河が彼女に支配されるぞ。適合者は確率は低いが生まれる。その適合者と子を成すとかなりオリジナルに近い能力の子孫が生まれる……何人もの声の力を持った化け物が出現するのだぞ」ウェスタ枢機卿はサーベルを捨てた。「1000年単位で帝国において繰り返されてきたお家騒動の原因はほぼそれだ。そしてかつてないほど高い能力を持っているのはリア・シャノンなのだぞ」枢機卿の声は最後は半ば哀願になっていた。「頼む、このままでは全銀河を巻き込んだ大戦争になるぞ……」


 サトルはゆっくりと腰の拳銃のグリップを握りしめた。

 冷たい感触。


「サトル……さん、それは……」

 エリカがつぶやく。

「だめ……」


「サトルは撃たないわ。撃つならあいつね」

 サトルが振り返るとリアが不敵な笑みを浮かべていた。


「適合者? 知ったことじゃないわ。私は私。リア・シャノンよ」

 彼女は背筋を伸ばした。


「あの男を排除するの!」

 サトルは銃をゆっくりと抜き、そして狙いを定めて射撃した。致命的なダメージになるように。そして確実に倒せるように。

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