222・拍子抜け

「水道橋の建造作業中は、ミズガルズ大陸からの水の流入は止まるのか? 外堀に貯めた水に溶けたマナがすべて揮発してしまえば、魔物は再度希望岬に押し寄せるぞ。急ごしらえの防壁では、それを止められるとは思えんのだが?」


『!?』


 ランティスが質問の有無を尋ねた直後、唐突に聞こえてきた声。


 その声に橋の上にいた多くの者が驚き、顔を聞こえてきた方向、すぐ横に広がる海へと向けた。


 すると、海面をさも当然のように歩きながらこちらへと近づく、とある人物の姿が視線に飛び込んでくる。


 身長は低く一メートルほど。頭が大きくて首がなく、手足が短いため三頭身。顔からは眼球が完全に飛び出していた。


 緑と白ではっきりと色分けされた肌は、油を塗りたくったかのように艶めいており、指が四本しかない手に革製のグローブをはめ、金属製の鎧と剣で武装している。


 誰もが振り返らずにはいられない、特異に過ぎる容姿をした、その人物の名は――


「フローグさん!」


 世界最強の剣士、“流水“ のフローグ・ガルディアス。


 あまりにも有名すぎるカエル男が、そこにいた。


「フローグ殿! お久しぶりです!」


「先生おせーよ! もう作業のほとんどが終わってんぜ!」


 狩夜に続き、ランティス、ザッツの両名がフローグに声をかける。すると、フローグは気まずげに右手で頬をかきながら、こう言葉を返した。


「遅くなって本当にすまん。これでも、ギルドで伝言を聞いた後、大急ぎで駆けつけたんだが……な。大開拓時代復活の手柄はお前たちのものでいいし、成功報酬等があるなら俺の分はいらんから、大目に見てくれ」


「そんなの全然気にしなくていいですよ! きてくれてありがとうございます! 凄く助かります!」


 ――伝言を聞いてくれたのなら、僕とレイラが聖獣を倒して、世界滅亡の危機を防いだことも伝わっているはず。


 そう思いながら言葉を紡ぐと、フローグは意味深な視線を狩夜へと返した。次いで言う。


「発起人であるお前にそう言ってもらえるのなら、俺も随分と気が楽になる。で、だ。先の問いに対する答えはどうなっている? この俺に、命懸けで魔物の侵攻を食い止めろと言うならそうするが?」


「心配ご無用ですよ、フローグ殿。あれをご覧ください」


 ランティスはそう言いながら上を見上げ、水上橋の一部分、レイラがいる場所のすぐ近くを指差した。


「あの場所には、このときのために用意した水路の分岐点がありまして、レイラの体でできた仮設水路は、そこから伸びています。アンドヴァリ大瀑布から運ばれた水は、水路と同じくレイラの体によってできた堰板によって、すべてが仮設水路に流入し、建造作業中の末端部に流れ込むことはありません。これにより、我々は希望岬の占拠、並びに、水上橋と水道橋の建造を、水の流れを止めることなく行うことが可能となります」


 レイラが水道橋の末端ではなく、三メートル手前の場所に座っていた理由がこれである。


 ソウルポイントによって強化されていない工夫も数多く参加するのだから、水の流れを絶やすことは決してできない。


 水道橋が完成し、作業が終了するその時まで――否。作業が終了したその後も、一度として水が止まることのないように、建造計画は練られていた。


「水上橋と水道橋が完成し、水路部のモルタルが乾いた後、レイラには堰板を外してもらい、正規の水路へと水を流します。次に分岐点の方に堰板をはめ、仮設水路を撤去。石とモルタルとで分岐点を完全に塞ぐという手順です」


 この分岐点を塞ぐために使う堰板にも、レイラの体を使う。


 石とモルタルで塞がれた後、水路内に取り残されるその堰板だが、レイラの体から切り離されているので長くは持たない。人の手で取り除かなくとも、そのうち消えてなくなるだろう。


 ランティスの説明を聞いた後、フローグは「なるほど」と感心した様子で深く頷き、こう言葉を続ける。


「ちゃんと考えられていたんだな。安心した。時間を取らせて悪かったな。続けてくれ」


 フローグの後に質問をする者はおらず、最終工程の段取り、その再確認は終わった。


 そして、合流したフローグが、自国の第二王女であるイルティナが作業に参加していたことを知り、平伏しながら遅れたことを何度も何度も謝罪。イルティナが気にするなと言い、フローグをどうにかして立ち上がらせようと難儀している中――


「ふむ……これは……かなりいい塩梅じゃぞ、旦那様」


 目を閉じながら聞き耳を立て、希望岬へと意識を集中させていた揚羽が、先を促すように狩夜へと声をかけた。


 探知能力を有する他の開拓者たちも、揚羽の言葉に同意するように頷く中、狩夜は上を見上げる。


 すると、狩夜の視線に気がついたレイラが水道橋から身を乗り出し、「もう大丈夫だよ~」と言いたげに手を振り返した。


 ――これだけ多くの感知タイプが声を揃えるのなら、もういいかな。


 こう判断した狩夜は、頃合いよしとばかりに大声で叫ぶ。


「それでは、作業を先に進めます! 皆さん準備はいいですか!?」


『応!』


 狩夜からの呼びかけに、ある者は武器を、またある者はスコップを、またある者は《魔法の道具袋》を握り締めながら、決意の声色をもって答える。


 その声に背中を押され、ともすれば死人が出るかもしれない作業に、開拓者と工夫たちを送り出す覚悟を、狩夜は決めた。


「レイラ!」


「……(コクコク)」


 狩夜の呼びかけに応じ、レイラが動く。自身の体と仮設水路とを蔓で繋げながら、水上橋の末端へと飛び降りる。


 そして、先ほどと同じように、水上橋の上へと両手を乗せた。


「よし! 総員突撃! 速やかに希望岬を占拠せよ!」


『おぉおおぉぉぉおぉぉ!!』


 眼前に出現した、レイラの体でできた木製の橋。その上を、鬨の声を上げながら、多くの人々が駆け抜ける。


 彼らは、二百メートルほどの橋を一息に渡り切ると、ランティスたち精霊解放軍幹部たちを先頭に、岩礁地帯へと足を踏み入れた。そんな彼らを、水上橋建造のためにこの場に残るしかない狩夜とイムル。そして、幾人かの工夫たちは、断腸の思いで見送る。


「皆さん、危ないと思ったらすぐに逃げてくださいね! チャンスはこれが最後じゃありません! 死なない限りは、どんな怪我でも治ります! レイラが治してくれます! だから絶対に死なないでください! お願いします!」


 覚悟はしている。だが、自分が発起人である計画で、誰一人死んでほしくない。


 そんな狩夜の考えとは裏腹に、突撃していった者の多くは、死を覚悟した目をしていた。


 イスミンスールに生きる人類にとって、希望峰とは、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアとは、そういう場所なのである。


 この先には、ユグドラシル大陸のそれとは比べ物にならない屈強な魔物が我々を待ち受けている。マナの溶けた水によって数は減り、弱体化はしているだろうが、それでも厳しい戦いとなるだろう。


 しかし、我が命に代えても、魔物どもから大地を取り戻し、人類の版図を拡大してみせる。


 決死の覚悟をその目で語りながら、彼らは走り、岩礁地帯の先を一心に目指した。


 ほどなくして、上り坂だった岩礁地帯が終わり、視界が開ける。


 そこで、彼らを待ち受けていたものは――


「……へ?」


 魔物が一匹もいない、もぬけの殻となった希望岬に、仮設水路から吐き出される水が、ただ無秩序に流れているだけという、なんとも拍子抜けする光景だった。


 そう。水道橋は、この上ない形で、その力を人々に証明したのである。


 その後、特筆すべき戦闘や、大きな問題が起こることもなく、希望岬の占拠は無事成功。


 狩夜と開拓者らの覚悟を、いい意味で裏切り、最終工程は、とんとん拍子で先へと進んでいった。

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