閑話 進化の軌跡 その3

「……」


 ミズガルズ大陸中心部、深夜。


 かつて、光の民の首都と、光の精霊を祀る祭壇があったとされる場所から僅かに離れた森の中で、かの者は身を潜める。


 その視線の先にあるものは、山のように積み重なる財宝と、あまりにも巨大な黄金の姿見。そして、財宝の上で寝息を立てる、黄金の巨躯。


「……(ギリギリ!)」


 かの者は、自らの意志に反してカチカチと音を立てる顎を、歯を食いしばることで黙らせる。小刻みに震えて大地を叩く尻尾を、右足で踏みつけ戒めた。


 奴の姿を見たのはこれが初めてではない。だが、たとえ幾度目にしようと、その容姿を見慣れることはないと断言できる。


 奴という存在が視界に入るたび、嫌悪感と恐怖が心の奥底から湧き上がり、こう再認識してしまうからだ。


 生物としての格が違う――と。


 かの者を密林の王者とするならば、奴は大陸の王。ミズガルズ大陸の支配者にして、生態系の頂点。


 そもそも、かの者が密林の王者でいられるのは、奴の目こぼしと気まぐれにすぎないのだ。


 コレクションを愛でることと、自己陶酔に忙しい自身の代わりにソウルポイントを収集させるべく、ある程度ならば強くなることを容認し、放置している存在。そして、頃合いよしと判断されれば一方的に搾取される存在。


 ミズガルズ大陸の各地に点在する主とは、奴にとってそういう存在なのだ。私有地で放牧されている家畜のようなもの。


 ――ふざけるな!


 かの者は、食いしばっていた歯を横にスライドさせることで、自身の境遇に対する不満を表現。その双眸を血走らせた。


 家畜という概念を理解していないかの者であるが、自分という存在が奴に都合よく利用されていることはわかる。誇り高いかの者にとって、それは屈辱以外の何ものでもなかった。


 叶うならば、今すぐにでもあの首に食らいつき、息の根を止め、奴に成り代わって大陸の支配者になりたいところであるが、それはできない。


 今戦えば、負ける。


 勝負にすらならないだろう。


 一時の感情に身を任せた場合、待っているのは確実な死だ。


 何より、今優先すべきは別にある。


 かの者は、復讐を誓った憎き相手たちの姿を幻視することで、奴への嫌悪感と恐怖を、怒りと憎しみで上書きした。


 その上書きにより、顎と尻尾の震えを止めたかの者は、事前に用意しておいた、あるモノへと左手を伸ばす。


 それは、気絶させることで、生きたまま捕らえた五匹のハイエナ。そう、バンデットアードウルフである。


 かの者は、バンデットアードウルフの前足を左手で掴むと、奴がいる方向へと大きく放物線を描くように放り投げた。


 その後、矢継ぎ早にバンデットアードウルフを放り投げたかの者は、残り一匹となったバンデットアードウルフの首根っこを引っ掴み、先ほどまでとは違い全力で、一直線に投げつける。


 最後に投げられたバンデットアードウルフは、天高く放り投げられた四匹よりも早く奴の居住区へと侵入。そのことを察知して奴が目を覚ます中、バンデットアードウルフは黄金の姿見に、奴が手ずから作り上げた、コレクションの中で一番のお気に入りに激突。血を撒き散らしながらその場にへばりつき、あっけなく絶命した。


 次の瞬間、周囲一帯に向かって凄まじい怒声と殺意が放たれる。


 並の生物ならば逃走するか卒倒するかのどちらかであろうそれらに、かの者は持ち前の自尊心と胆力を総動員して耐え忍ぶ。そして、奴が血相を変えて大切なコレクションを汚した下手人の姿を探す中、天高く放り投げられていた四匹のバンデットアードウルフが、山積する財宝の上に落ちてきた。


 先の怒声と殺意によって目を覚ましていたバンデットアードウルフは、空中で身を翻して足から着地。次いで、一目散に逃走を開始した。


 その口に、思い思いの財宝をくわえて。


 バンデットという名の由来。アイテム奪取能力。


 魔物としての本能に従い、バンデットアードウルフは奴の財宝を居住区から持ち出し、巣へと持ち帰ろうとしたのである。


「――っ!?」


 自身の四方を取り囲むように突然現れ、散り散りになって逃げていくバンデットアードウルフたち。


 大切なコレクションを汚し、あろうことか持ち去ろうとするその所業に怒り心頭に発っした奴は、すぐさまその後を追う。


 ブレスは使えない。


 広範囲に向かってブレスを放てば、バンデットアードウルフの掃討は容易だが、大切なコレクションまでも破壊しかねない。そうなれば本末転倒である。


 奴は、心情に反して慎重な行動を強要されることにいら立ちつつも、四匹のバンデットアードウルフすべての気配を追いながら一匹に狙いを絞り、その後を追うべく身を翻した。


 それと同時に、かの者は全力で地面を蹴る。


 黄褐色の暴風となって奴の居住区に侵入したかの者は、頭に血が上り、寝起きに立て続けに起こった異常事態にいら立ち、ただでさえ散漫になっている注意力の大半をバンデットアードウルフに割いている奴の死角へと着地する。次いで、目当てのモノへと左手を伸ばした。


「――っ!!」


 その一瞬後――平時ならばありえないほどに時間をかけてから、かの者の存在に気づき、奴が慌てて振り返る。


 目が合った。


 奴が「この騒ぎは貴様の仕業だな!」とその視線で語りながら、野太い尻尾を振り上げ、かの者を叩き潰そうとする。


 が、遅い。


 すでにかの者は目当てのものを握り締めており、この場からの離脱を始めていた。


 自身に向かって振り下ろされた尻尾をかわし「奴らへの復讐を終えたら、次は貴様だ。いつの日か必ず殺す」と視線で言い残した後、かの者は再度風となる。奴の居住区を離れ、森の中へと消えていった。


 瞬間、奴の瞳から理性の色が失われる。


 お気に入りの姿見を下賎な魔物の血と臓物で汚され、ここ数千年覚えがないほどにいら立っている最中に発生したこの事態に、奴の怒りが最高潮に達したのだ。


 無知無欲な虫や、無学文盲な動物による、本能ならばいい。腹立たしいが、まだ許せる。理性を保てる。


 だが、コレクションの価値を正しく理解するものが、我欲をもって手で触れる。


 これは重大なマナー違反であり、奴が激昂するスイッチでもあった。


 怒りに我を忘れた奴は、感情に突き動かされるままにその口を大きく開き、かの者が消えていった森めがけて、特大の火球を撃ち放つ。


 次の瞬間、夜が明けたと見紛うほどの光と、火山が噴火したかのような轟音と共に、大破壊が巻き起こった。


「■■■■■■■■■■!!」


 急速に燃え広がっていく森林火災により、夜のとばりが無理矢理引き裂かれていく中、かの者はおろか、バンデットアードウルフの気配すら見失った大陸の王が、憤怒の咆哮を上げる。


 この日、奴のコレクションから、五つの財宝が消えた。


 その内の一つ。円形の刃の中央に緑色の宝石が埋め込まれた、物々しい戦斧を手に、その身に負った大火傷を意に介することなく、かの者は走る。


 ――やった! やったぞ! あの糞野郎を手玉に取り、我は手に入れた! 新たな爪を! 牙を! 


 失った右腕。それに比肩しうる武器を手に入れたかの者は、その表情を喜悦に歪がめた。


 次いで思う。


 復讐の準備は整った――と。


 以前の自分を遥かに超える力を手に入れた――と。


 ――これで殺せる。ようやく殺せる。


 右前足を切断した、人間の匂いがするあのカエルを。


 我が身に無数の風穴を開けた、角の生えた人間の雌を。


 その二人への復讐を邪魔した、人間の子供を。


 ――次に我と出会ったときが、貴様らの最後だ!


 復讐の時は、近い。


 憎しみと怒りを胸に抱き、かの者は西に向かってひた走る。


 人間のそれを遥かに超越した、凄まじい膂力と足運びの二足歩行で。

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