185・魔草三剣・布都御種

「ピャイィィイィイイィィイィィィ!!」


 聖域に響き渡ったのは、危機に直面した際に鹿が発する警戒音。


 仲間に救援を求める声を上げながら、狩夜から少しでも距離を取るべく移動するドゥラスロール。角を犠牲に窮地を脱した後、躊躇なく逃げの一手を選択した白の聖獣を、狩夜はレイラと共に追い縋る。


 渾身の一撃の代償。不可避であった技後硬直は、時間にしておおよそ一秒。追撃を放てず、ドゥラスロールに逃走の猶予を与えたその一秒を埋めるべく、狩夜は有らん限りの力で聖域を駆け抜ける。


 だが、自身とドゥラスロールとを隔絶する一秒の差を、狩夜はほとんど埋められずにいた。


 逃げを選択した後のドゥラスロールの動きは、奇襲の際に見せたそれとは明らかにキレが違う。ヒーラーであり、他の聖獣と比べて膂力で劣るドゥラスロールであるが、決して貧弱というわけではない。その身体能力は、ハンドレットサウザンドの開拓者である狩夜と比較しても、見劣りするものではなかった。


 地形もドゥラスロールに味方する。一面が世界樹の根に覆われた聖域の地形に、狩夜は不慣れで、ドゥラスロールは慣れていた。加えて土地勘もある。それら地の利を最大限利用して、ドゥラスロールは狩夜を引き離しにかかった。


 神の眷属たる聖獣が、聖域の守護者が、恥も外聞もかなぐり捨てて断行した全力の逃走。その必死の逃走が、狩夜の接近を拒んでいる。


 狩夜は悟った。このままでは追いつけない。


 ゆえに求めた。この状況を打開しうる力を。


 だから叫ぶ。眼前の苦境を切り開くことのできる武器の名を。


「魔草三剣が一つ! 布都御種ふつの!」


 狩夜の呼びかけに応じ、レイラが動く。


 葉々斬を含む、自身から伸びるすべての蔓を根元から自切。その後、頭上から伸びる二枚の葉っぱを重ね合わせ、頭部から垂直に伸ばしてから硬質化させた。


 それらに並行し、レイラ本体にも変化が起こる。胸部を割り開き、体内に収納していた世界樹の種を露出。両腕を左右に広げ、両脚を揃えた後、双方を細長く伸ばした。


 完成したのは、緑色の刀身と茶色の柄、そして、星の縮図たる宝玉の三つから構成される、幅広の両手剣。


 魔草三剣・布都御種ふつの


 かの剣神、建御雷神たけみかづちが振るったとされる神剣。それとよく似た名を持つ剣を、相棒たるレイラが全身を使って作り上げた、自陣営最強の武器を受け取った狩夜は、両手でそれを握り締め、世界を縮めるつもりで聖域を蹴り飛ばす。


 次の瞬間、埋まることのなかった一秒が消し飛んだ。狩夜の体が爆発的に加速し、ドゥラスロールに肉薄する。


 魔草三剣・布都御種ふつのは、歴代の勇者たちが振るった世界樹の聖剣を、可能な限り再現することを目標に作られた武器だ。


 聖剣は、地球で生まれたなんの変哲もないただの人間を、救世の勇者へと変える究極の武器。幼生固定された世界樹の種から供給される無尽蔵の力が、使い手の身体能力を激増させる。


 今、狩夜の体にはそれと同様のことが起こっていた。世界樹の聖剣の再現である布都御種ふつのは、使い手である狩夜の身体能力を強化する。使用している世界樹の種が未完成なため、効果のほどは聖剣のそれに大きく劣るが、それでも劇的であった。


 当然、布都御種ふつの自体の攻撃力もすさまじく、もはや高速振動や毒といった小細工は必要としない。余りある破壊力と、強化された膂力をもって、万物を切り裂き、破砕すれば事足りる。


 以上の理由から、布都御種ふつのは狩夜とレイラが切れる最強カード。まごうことなき切り札ジョーカーと言える。だが、決して完全無欠というわけではない。むしろ弱点目白押しだ。


 布都御種ふつのを使用する際は、レイラが有する数多の能力のほぼすべてを、聖剣の再現、それのみに費やさなければならない。ゆえに布都御種ふつのの使用中、レイラは治療能力や感知能力はおろか、葉っぱ一枚自由に動かせなくなってしまう。


 つまりは、攻撃力が上がる反面、防御が疎かになるということだ。


 そのため、普段狩夜の身の安全を第一に考えるレイラは、よほどのことがない限り布都御種ふつのの使用を拒む。そして、狩夜もまた、とある理由から布都御種ふつのの使用を控えていた。


 ――聖剣を振るい、強大な敵に立ち向かう。そんなのまるで勇者じゃないか。


 ――まったくもって、柄じゃない!!


 狩夜はそう胸中で叫び、背後からドゥラスロールに切りかかる。


 繰り出したのは、右斜め上からの袈裟切り。万物を切り裂く緑色の斬撃を、ドゥラスロールは左に向かって進路をとることでどうにかかわした。


 もう技後硬直などという愚は侵さない。狩夜もまたすぐさま左へと進路を変え、ドゥラスロールの後を追う。そして、一歩で肉薄、二歩で並走、三歩で追い越した。


 四歩目で眼前へと回り込んだ狩夜は、目を見開いて驚愕しているドゥラスロール目掛けて水平切りを繰り出す。それとほぼ同時にドゥラスロールは跳躍し、自身に迫る斬撃を飛び越えようとした。


 ドゥラスロールの回避行動を意に介さず、最後まで水平切りを振り抜く狩夜。両の手に、肉と骨を断ち切る確かな手応えが走る。


 視界の中で舞う真紅の鮮血には目もくれず、狩夜は背後へと振り返る。すると、四足すべてを膝下あたりで切り落とされた、ドゥラスロールの姿があった。


 跳躍を終え、大地へと落ちていくドゥラスロール。だが、かの者を支える足はすでに無い。ドゥラスロールは腹から聖域に叩きつけられた後、世界樹の根の上を豪快に転がった。


 無い足で立ち上がろうともがくドゥラスロールに、狩夜は間髪入れず追撃を仕掛ける。今度こそ息の根を止める――と、その鬼気迫る表情で語りながら、狩夜は走り、布都御種ふつのを頭上へと振り上げた。


 狙いは首ではなく脳天。二度と復活しないよう、水晶の角ごと、ドゥラスロールの頭を叩き割る。


 身動きできないドゥラスロールに、狩夜の攻撃を防ぐ手立てはない。そして、水晶の角もまだ伸び切ってはいなかった。大上段から振り下ろされるこの斬撃が届きさえすれば、狩夜たちの勝利である。


 だがここで、狩夜とドゥラスロールの間に、漆黒の風が吹き荒れた。


 ダーインである。


 ドゥラスロールの警戒音を聞いて駆けつけた、聖獣随一の身体能力を持つ漆黒の牡鹿が、狩夜の前に立ち塞がった。


 聖獣の合流を許してしまったが、角が伸び切る前にドゥラスロールを仕留めることができればいいという勝利条件は揺るがない。ゆえに狩夜としては、ダーインを無視してドゥラスロールを攻撃したいところだが、敵である狩夜を素通りさせてくれるはずもない。


 やむなく狩夜は、ドゥラスロールを仕留めるために振り上げていた布都御種ふつので、ダーインへと切りかかる。その斬撃を、ダーインは頭上の角で真正面から迎え撃った。


 レイラによって再現された聖剣と、不治の呪いを帯びた魔剣とが、真正面からぶつかり合う。


 結果は――


「「――っ!?」」


 互角。


 聖剣と魔剣は、互いにその形を保ったまま弾かれた。狩夜とダーインは、自身が必殺と信じて放った斬撃が、己が最強と信じる武器が防がれたことに、刹那の間瞠目する。が、すぐさま態勢と気持ちを立て直し、再度必殺をぶつけ合った。


 切り結ぶ。


 切り結ぶ。


 切り結ぶ。


 一年前に圧倒された相手と、幾度も幾度も切り結ぶ狩夜。互いの武器はその度に弾け飛び、聖域に甲高い音を響かせる。


 聖剣と魔剣、最強と最凶による互角の戦い。だが、その均衡は以外にも早く崩れた。


 押しているのは――狩夜の方。


 理由は、狩夜の武器が剣で、ダーインの武器が角であることに起因する。


 額から伸びるダーインの魔剣は、聖剣とぶつかり合う度に、その凄まじい衝撃を直接頭蓋へと響かせ、脳にダメージを蓄積させた。狩夜と切り結ぶ度に、ダーインの反応が鈍っていく。


 加えて、切れ味を極限まで追い求めたダーインの角は直剣であり、柄もなければ鍔もない。切り結んだ際に狩夜がそのまま剣を滑らせるだけで、ダーインの頭部に傷を刻むことができた。


 すでにダーインの顔面は血に染まっており、右耳は切り飛ばされ、左目は潰れている。そして、残った右目も――


「――っ!?」


 今、潰れた。


 ダーインの魔剣と互角に渡り合える聖剣を持つ者だけができる方法で、狩夜は漆黒の牡鹿から光を奪ったのだ。


 両目を失い、思考能力も著しく低下しているダーイン。それでも彼は、仲間を守るべく遮二無二に角を振るい続けた。そんなダーインを大きく迂回して、狩夜は背後へと回り込み、再びドゥラスロールを視界に収める。


 ドゥラスロールは、倒れた場所から動いてはいなかった。断ち切られた四本の脚はそのままだが、角は八割がた伸びている。


 もう時間がない。狩夜は世界樹の根を蹴り、ドゥラスロールへと向かう。だが、そんな狩夜の前に、今度は煉獄の壁が立ち塞がった。


 ドゥネイルである。


 ダーインの到着から遅れること約二分、赤き聖獣が、仲間の救援に駆けつけた。


 しかし、狩夜が感じるドゥネイルの気配はまだ遠い。狩夜とドゥラスロールの間に割って入るのは無理と判断し、遠方から炎だけを放ったようだ。


 視界の右端から左端まで、切れ目なく伸びる煉獄の壁。触れるものすべてを灰燼となすその膨大な熱量に対し、狩夜は――


 ――ごめん、レイラ!


 前進の速度を一切緩めることなく突貫。次いで、布都御種ふつのを振りかぶり、煉獄の壁を切りつける。


 聖剣に姿を変えていようと、レイラの弱点が炎であることは変わらない。それを承知で、狩夜は布都御種ふつのを振り切った。


 布都御種ふつのは半ば炭化しながらも、その形状を保ったまま煉獄の壁を突き抜ける。そして、通過する際に生じた凄まじい風圧をもって、勝利へと続く血路を開いた。


 狩夜の眼前から、煉獄の壁が掻き消える。


 狩夜の前進を阻むものは、もう存在しない。だから走った。聖剣へと姿を変えている相棒と共に、勝利に向かってひた走る。


 そして、ついに狩夜は、ドゥラスロールを自身の間合いの中に収めた。次いで、ボロボロの布都御種ふつのを大上段に振りかぶり、角ごとドゥラスロールを真っ二つにするべく、全力で振り下ろす。


 自身を確殺するであろう斬撃が迫る中、ドゥラスロールが最後の悪あがきをした。九割がた伸びた角を庇うように、右に首をひねったのである。


 ――構うか!


 狩夜はそのまま布都御種ふつのを振り下ろし、角を庇ったことで剥き出しになった左首筋を切りつける。そして、緑の刀身がドゥラスロールの首を半ばまで断ち切ったとき、それは起こった。


「――っ!?」


 腹部に走る激痛。


 何事かと、吐血しながら視線を落す狩夜。すると、右脇腹にめり込む、拳大の刃の姿が目に飛び込んできた。


 見紛うはずがない。ドヴァリンの角である。


 狩夜に気づかれないよう、ドゥネイルが放った煉獄の壁の中をあえて突き進んできた青き聖獣の角が、狩夜の脇腹に四本突き刺さっていた。


 背中にレイラがいれば防げたであろう攻撃。布都御種ふつのの弱点がここで出た。


「ごほ……あ、あぁあぁぁぁぁあぁ!!」


 重傷を負った狩夜であったが、それでも布都御種ふつのを握る手から力を緩めようとはしない。ドゥラスロールの首を絶ち切るべく、刃を下に押し進めようとする。


 そんな狩夜の両腕に、新たに飛来した二本ドヴァリンの角が突き刺さり、反対側から突き抜けた。


「あ……」


 肉と骨だけでなく、腱までも絶ち切られ、狩夜の手から力が抜ける。次の瞬間、狩夜の腹部に突き刺さったままのドヴァリンの角が動き出し、狩夜の体を空中に持ち上げ、ドゥラスロールから有無を言わさず遠ざけられる。


 布都御種ふつのをドゥラスロールの首に残したまま、何処へと運ばれる狩夜。もう間もなく伸び切るであろう水晶の角を見つめながら、狩夜は思う。


 ――ああ、どうやら僕はここまでらしい……


 ――だから……


「後は頼んだよ……レイラ……」


「……(カッ!)」


 狩夜が名前を呼んだ瞬間、布都御種ふつのの柄に埋め込まれた世界樹の種が閃光を放った。そして、緑色の刀身から無数の根が伸び、傷口からドゥラスロールの血管に侵入。血管内部を蹂躙しつつ、奥へ奥へと突き進んでいく。


 聖剣を再現することを目標に作られた布都御種ふつのであるが、実は聖剣にはない、とある能力が備わっていた。


 その能力とは、吸血。


 世界樹の種から得た力は、すべて聖剣を再現するために使われている。だが、マンドラゴラであるレイラが、元々持っているこの力だけは、布都御種ふつのの状態でも変わらずに行使できるのだ。


「――っ!? ――!?!?」


 全身の血液を吸い上げられ、急速にしぼんでいくドゥラスロールの体。必死に体を振り回し、布都御種ふつのを体から抜こうとするが、直接体に根づいてしまっている刀身はびくともしない。


 どれほどの強者であろうとも、生物である限り、すべての血液が体外に流れ出てしまえば絶命するのが必定だ。そして、失血は、治癒能力では治せない。


 突き刺さったが最後、獲物が干乾びるまで放さない魔草の剣。


 聖剣と魔草。


 清濁を併せ呑む異形のつるぎ


 それこそが、魔草三剣・布都御種ふつのの正体である。


 ついに動けなくなり、ガリガリにやせ細った体を横たえるドゥラスロール。その命は、もはや風前の灯火だ。だが、ダーインは両目が潰れており、ドゥネイルの力では、レイラごとドゥラスロールを焼いてしまう。助けられるとしたら、ドヴァリンのみだ。


 ドヴァリンは、すべての角、狩夜の脇腹に突き刺さっていた角までも総動員して、布都御種ふつのを攻撃し、ドゥラスロールを助けようとする。


 しかし、時すでに遅かった。


 ドヴァリンの攻撃が布都御種ふつのに届く前、水晶の角が伸び切る直前に、ドゥラスロールの瞳から光が消える。


 そして――


「■■■■■■■■■■■■!!」


 聖剣を再現することをやめ、元の姿に戻ったレイラが、この世のものとは思えない絶叫を、聖域に轟かせた。

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