130・レッドライン

 テンサウザンドの開拓者にして筋力重視。ガリムが持つ圧倒的な腕力に移動を阻まれた狩夜は、焦燥を感じさせる声色で次のように叫ぶ。


「放してください! レッドライン付近に広がる荒野地帯でことが起こったのなら、さほど時間はたっていないはずです! ギルさんやフローグさんはともかく、紅葉さんはまだ――」


「無理じゃ、もう終わっとる! バーサクコングの横撃で本体と分断され混乱しておる最中に、あのグラトニーアントから駄目押しを食らったのじゃぞ!? 誰も生き残とりゃせんわい! 少し考えればわかるじゃろうが!」


「ぐ……」


「紅葉のおかげでわしらはここまで逃げることができた! 必要な犠牲じゃった! そう割り切って、今は後ろに向かって前進せい! 死者の屍を乗り越えて明日に希望を繋げる! それが今のわしらがするべきことじゃ!」


 ガリムの言っていることは正論だ。レッドライン付近で落後したという鹿角紅葉と、名も知らぬ多くの開拓者。彼女らが屈強な魔物たちの爪牙に抗い続け、今もまだ生きているという可能性は極めて低い。救援を諦めてエムルトに向かい、精霊解放軍本体と共にミズガルズ大陸を無事脱出する。それがこの場での最善。この上ない正解だろう。


 そう、最適解はわかっているのだ。けれど、狩夜の脳裏に浮かぶのは、ウルザブルンで抱き締められた紅葉の顔であり、そんな彼女の双子の弟である鹿角青葉の顔であり、彼女の親友である真央の――美月揚羽の顔であった。


 一瞬の逡巡の後、狩夜は渾身の力でガリムの腕を振り払い、言う。


「心配してくれてありがとうございます、ガリムさん。だけど……だけど! ここで紅葉さんを助けにいかなかったら、僕は二度と、青葉君と真央に合わせる顔がありません!」


 言い終えると同時に、狩夜はエムルトとは真逆の方向に向かって駆け出した。そんな狩夜の小さい背中を見つめながら、ガリムは呟く。


「若いのう……この前とはまるで別人じゃ……しかし、それこそが本当のお前さんなのじゃろうな……」


「カリヤさん!? 戻ってくださいまし、カリヤさん!! ガリムさん、どうしていかせたのです!? あなたの筋力値なら――」


「黙れアルカナ。覚悟を決めた男が、誰かのために死地に飛び込むというのであれば、見殺しにするのが情けじゃ。それに、あやつは精霊解放軍に参加しとらんのじゃから、止める権利などわしらにはないわい」


 こう口にした後で踵を返し、「死ぬなよ、小僧」と言い残して、再びエムルトに向かって駆け出すガリム。アルカナはしばらくその場にとどまり、遠ざかっていく狩夜とガリムの背中を交互に見つめた後、悲痛な面持ちでガリムの後を追った。


 そして、レアリエルは——


「うぉい、ガキンチョ! 走りながらでいいからよーく聞け! ボクの世界一の可愛さが、君にはいまいち伝わりにくいみたいだから、今日のお礼を兼ねて、次のライブに招待してやる! 君の席は、最前列ど真ん中のプレミアムなやつだ! どんな理由があろうと、空席にしたら絶対に許さないぞ!」


 と、この状況で紅葉の救援に向かうことができる狩夜の背中を、どこか羨ましそうに見つめながら口を動かし、有らん限りの声で言葉を紡いでいく。


「ボクの歌で君のハートを鷲掴みにして、絶対にボクのファンにしてやる! だから、だから……必ず生きて帰ってきなさいよ、ガキンチョ~!」



   ●



 ミズガルズ大陸西端、希望峰周辺は、樹木が生育しにくい海岸線付近ということもあり、基本的には草原だ。目印になるような巨木だの、大岩だのはほとんどなく、三十センチほどの背丈の草本類が、見渡す限りに広がっている。


 そんな草原の上を、狩夜はレイラと共に一陣の風となり、駿馬のごとく駆け抜けていた。そして、走りながら自嘲気味に叫ぶ。


「ああもう! 僕は馬鹿だ! 大馬鹿だ! そりゃあ自覚はあったけど、これほど馬鹿とは思わなかった! テンサウザンドになったばかりなのに! 慣らしすら終わってないのに! そんな体でレッドラインを超えるつもりなんて、全然なかったのにぃ!」


『レイラの力で魔物を押し返し、精霊解放軍の撤退を助け、エムルトの放棄という決定を覆す』という当初の目的は、ほぼ完遂されたと言っていい。


 後は負傷者の治療をしつつ、精霊解放軍と一緒にユグドラシル大陸へと帰還するだけ。被害は最小限で、ソウルポイントはガッポガッポ、作戦成功万々歳となるはずだったのに、なんの因果か、狩夜はレッドラインを、『超えてはいけない一線』を、自らの意思で超えようとしている。


 レッドラインの先は、マナが完全に枯渇した世界。すべてが魔物に支配された場所。真の意味での絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア


 準備不足だ。引き返した方がいい。もう紅葉は死んでいる。そんな、実に理性的な思考が頭を過ぎるが、それでも狩夜の足は止まらない。


 レイラがいるから大丈夫だ。ここで退き返したら一生後悔するに違いない。紅葉はきっと生きている。そんな感情が先の思考を上書きし、狩夜の体を前へ前へと突き動かした。


 絶対無理なら諦める。けれど、手が届くなら、可能性が少しでもあるのなら止まれない。それが、叉鬼狩夜という人間の本質なのだ。


「あれがレッドラインか!?」


 レアリエルたちと別れ、全力疾走を続けること十数分。大陸の奥地に近づくにつれ、徐々に草本類がその密度を減らし、地形の名称が草原から荒野へと変わっていく最中、狩夜の視界に、自然界ではまずありえない、明確なまでの世界の区切りが飛び込んできた。


 赤い線。


 地平線とは違う、不毛の荒野の上に引かれた幅一メートルほどの赤褐色の線が、狩夜の視界の端を超え、左右に向かって延々と伸びている。


【厄災】によって大気中にマナを放出できなくなった世界樹が、現時点でマナを届けることができる限界地点。マナが存在する世界でしか生きられない微生物と、マナが存在しない世界でしか生きられない微生物。その双方の死骸によって彩られた、目に見える死線。


 それこそがレッドライン。一度踏み越えたが最後、真の強者しか生きて帰ることは許されないという、蠱毒壺の『首』である。


 目前に迫るソレと、その先に広がる未知の世界を真っ直ぐに見つめながら、狩夜は相棒に対し最終確認を取った。


「レイラ、ここから先は戦闘スタイルを普段通りに戻すよ! 僕が攻撃で君が防御だ! 僕が指示しない限りは防御に専念して! 何がいつどこから飛んでくるかわかったもんじゃない!」」


「……(コクコク)」


「それじゃ突っ込むよ! あのグラトニーアントが通ったんだ! この辺りの魔物は、もう逃げたか食べられた後のはず! この状況で、いきなり『ドカン!』なんてことはないはずだ!」


 小細工抜きの正面突破を選択した狩夜は、相棒からの同意に背中を押され、レッドラインを踏み越えた。この世の地獄と呼ばれる未開の地に、躊躇することなく飛び込む。


 その、直後——


「は?」


 狩夜の周囲の地面が、いきなり “ドカン!” と爆発し、地中から無数の影が飛び出してくる。


 全身が暗褐色の外骨格に覆われているところから見て、節足動物なのは間違いない。頭部と前胸部は卵型で、後胸部・腹部は前胸部より幅が狭い。腹部の末端には触角と同じ長さの尾毛が二本あり、腿節と脛節が太く頑丈に発達した両前足を持つ、全身が毛に覆われたこの生物は——


螻蛄けら!? グリロタルパスタッバーか!?」


 ケラ。


 バッタ目キリギリス亜目コオロギ上科ケラ科に分類される昆虫の総称。日本ではおけらという俗称で呼ばれる。


 とある有名な童謡の歌詞に登場するので、実物を見たことはないが名前だけは知っているという人が多い。地面に潜るだけでなく、空も飛べるし、水の中を泳ぐこともできる。空中、地中、水中の三界を制覇した、昆虫界のオールラウンダー。


 そんな凄い昆虫が、レッドラインを踏み越えた狩夜に対し、地中からの奇襲攻撃を仕掛けてきた。レイラが事前に探知できなかったのは、相手が地中に潜伏していたからか。それとも、相手の潜伏系スキルのレベルがとんでもなく高いのか。もしくはその両方か。


 一瞬にして周囲を取り囲まれた狩夜は、体長一メートルを超えるケラの群れを見渡しながら、胸中にて叫ぶ。


 ——こいつら、土中に身を隠して、グラトニーアントをやり過ごしたのか!?


 予想だにしなかった地中からの奇襲に、狩夜はその表情を驚愕に歪めた。が、それは一瞬のこと。即座に気持ちを立て直し、グリロタルパスタッバーらと向き直る。


「……地球にいる好い子の皆、ごめん。ほんとごめん」


 狩夜はこう呟き、両手に握る葉々斬と草薙を構え直した。次いで叫ぶ。


「僕はこいつらと友達になるのは無理だぁ!」


 この叫びを切っ掛けに、一斉に狩夜に襲いかかるグリロタルパスタッバー。狩夜はそれを、真正面から迎え撃つ。


 レッドラインを越えた直後に受けた奇襲。そこから始まる乱戦。眼前にせまる強大な脅威に対し、狩夜は全神経を集中させる。


 そして、それゆえに、狩夜は気づけなかった。


「……?」


 レッドラインを超えた直後、自身の背中でレイラが小さく身震いし、僅かに首を傾げていたことに。


 そして、今。狩夜に心配をかけまいと、平静を装って、何食わぬ顔で力を貸してくれていることに。


 世界樹の種という圧倒的な力をその身に内包するレイラ。そんな彼女の些細な変化を、狩夜は見落とした。相棒である彼女の力を、信じているがゆえに、気づけなかった。


 それが、どのような結果につながるかは――まだ、誰にもわからない。

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