第2章 理由

第5話 気象衛星

 理事たちが去った会議室には、萩生田、アニル、ダグラスの3名が残っていた。


 それはルール化されたものではなかったが、いつの頃からか会議の後は、研究者同志で、地位や立場を越えて気象論議交わす事が、3名の慣わしになっていた。


「こんな風に衛星からのデータを元にして、気象予測の話ができるのも、あと僅かかもしれないな」

 萩生田が呟くように言った。


「そうですね、気象衛星の打ち上げが行われなくなって、もう10年以上になりますからね」

 アニルが萩生田の言葉に応えた。


 気象衛星が打ち上げられないのには理由があった。世界的にロケット燃料が枯渇していたからだ。


 2030年代の後半以降、どういう訳かハリケーンが、石油や天然ガスの産出地や精製基地に上陸し、現地に甚大な被害を及ぼすケースが増えていた。


 それがロケット燃料の枯渇を招いた理由だ。


 ロケット燃料とは、ケロシンと液体水素の両方を指す。ケロシンは石油から分留され、液体水素は天然ガスから製造される。

 共に化石燃料が原材料だ。


 世界的にエネルギー不足が深刻な状況下では、贅沢に化石燃料を消費するロケットが、真っ先に予算を削られてしまうのは明白だった。


 2030年代と言えば、萩生田がオクラホマ大学で教授の地位を得て、コンピュータを使った気象予測を本格的に研究し始めた時期と重なる。


 萩生田が観測をしていたのは、カリブ海で発生するハリケーンが中心であったが、今思い返してみると、石油関連の施設を襲ったハリケーンは、ホンファのように常識を外れた進路を辿るものが多かった。


 振り返ればそれらは皆、何者かに進路を操作された可能性があると、萩生田は感じていた。


        ※※※    


 気象衛星ひまわりは、1977年に1号機が打ち上げられて以降、代を重ねながら、いつも東経145度の赤道上空から、太平洋側の地球半球を監視し、日本の気象観測体制を支えてきた。


 その運用が大きく変わったのが2040年だった。


 この年に打ち上げられたのが、ひまわり14号と15号の2機。


 14号は従来と同じく、東経145度に静止して太平洋側を観測したが、新たに投入された15号は、14号と真反対の西経35度に浮かんで、大西洋側の観測を担った。


 日本が一国で2機もの衛星を打ち上げた理由は、観測精度の向上を狙ってのものだった。


 気象の変動は地球全体で相関関係があり、正確な気象予測を行おうとすると、全地球規模で観測を行う必要があったからだ。


 気象庁の当時の計画では、ひまわり16号以降は、更に1機を追加して3機体制に移行することが決まっていた。2機体制では観測に死角が生じる為である。


 既に新しい衛星本体はメーカーに発注済みで、完成間近まで開発は進んでいた。


 しかし、ロケット燃料の不足が表面化したことで、残念ながら打ち上げ計画そのものが無期延期となっていた。


         ※ 


「今や世界中で動いている民間の気象衛星は、我々が活用しているひまわり14号と15号だけになってしまった。

 しかしその両機とも、既に設計上の運用年数を過ぎている。待機期間をだましだましで使っているが、いつまでそれが持つか分からない」


 萩生田の言う待機期間とは、衛星が設計時に決められた運用期間を過ぎてからも、次の世代の衛星が故障した場合に備え、バックアップ用として保守される期間のことだ。


 通常、衛星の運用期間が5年とすると、待機期間も同じく5年と設定されている。


 ひまわり14号と15号は、既に打ち上げから13年が過ぎ、とうに待機期間をオーバーしていた


「我々研究者とって、気象衛星が無くなるのは盲目になるのも同然ですね」

 アニルが言った。


「私は日本政府に、凍結されているひまわり16号以降の計画再開を提案しようと考えている」

 萩生田はアニルの言葉に答えた。


「日本でのロケット打ち上げは難しいのではないでしょうか? 液体水素を使うH3ロケットは世界最高レベルの技術ですが、何しろロケット燃料の不足は深刻です。特にここ日本では」


「なぜそう思う?」

「日本は液体水素の製造プラントは自前で持っていますが、原料のLNGは輸入に頼っています」


「米国とロシアの方がまだ余力があるのでは?」

 ダグラスが話に割って入った。

「そうです、米国とロシアは、20世紀に作りすぎたICBMをまだ沢山ストックしています」

 アニルはダグラスに同意した。


「低軌道での周回衛星なら、核弾頭を衛星に積み替えるだけで十分に打ち上げ可能ですし、補助ブースターを付けてやれば静止衛星軌道にだって投入可能です」


「日本政府に持ち掛けるよりも、日本政府を通して米国かロシアに交渉した方が現実的でしょう」


「そうとも限らん」

 萩生田は2人の発言を制した。萩生田なりの考えがあったからだ。


「どちらの大国も、少しでも余裕があれば、自国の軍事衛星を優先して打ち上げるだろう。

 それに今や、気象情報は世界戦略の中核たりうる最重要情報だ。自国内で囲い込みたいというのが本音じゃないのか?」


「確かに両国とも、こんな時代に他国に与する善意をもっている国ではありませんね。しかも民間衛星となれば尚更か……」

 ダグラスは、呆れたとでもいうように首を横に振った。


「中国はどうなんでしょうね?」

 再びアニルが話し始めた。


「中国は2015年以降、長征5号、6号、7号と、モジュールの違う3タイプのロケットを次々と実用化させて、一時は米国の技術を越えたとも言われたほどです。

 好都合な事に気象の分野ではすでに、パレセル諸島の観測所で、日本とは協力関係にあります」


「中国は典型的な縦割り社会だ。幾ら気象で協力関係にあっても、国の最高機密であるロケットで、日本に協力する訳がないだろう」

 萩生田はアニルの意見には賛成しなかった。


「私も萩生田所長の言うとおりだと思いますよ、アニル」

 ダグラスの考えも萩生田と同じだった。


「ロシアの技術をベースにして発展させて来たのが、中国産ロケットの歴史でしょう。

 ロケットのキーパーツを作る工作機さえ自国開発できず、いまだに日本の民生品を使っているそうじゃないですか。

 新世代ロケットでは、とうとう行き詰ってしまったと聞いています。今はそれどころじゃないでしょう」


「確かに、そうかもな」

 アニルも2人の考えに同意した。


「私は――」

 と萩生田は、一際高い声を発した。

「今の時代に、経済的に多少無理をしてでも、気象衛星が上げられる可能性のある国は、日本以外にないと思っている。

 それに――、実はそれ以外にももう一つ、私が日本に拘る大きな理由がある」


「もう一つというと?」

「もしも今、新しい気象衛星を打ち上げられたとしても、更にその次の後継機が打ち上げられる保証はどこにもない。

 つまり次に打ち上げる気象衛星は、今のひまわりと同様か、それ以上に長期間稼働さなければならないということだ」


「確かに、ひまわり14号、15号が打ち上げから13年を過ぎても、まだ現役で活用できてるのは驚異的です。どの国にも真似ができないでしょね」


「衛星の姿勢制御に、エネルギー効率の良い日本独自のプラズマエンジンを使っているからこその芸当だ。

 あれならば燃料を積まずに、太陽電池の発電だけで推進力を得られるからな」


「日本政府には、WMOを介して働きかけるのですか?」

「正式にはそうなるだろう。だがその前に、まずはハリケーンの進路操作についての事実を日本政府に伝え、事態の重要性と危機感を共有してもらう必要がある」


「日本流の、事前の根回しという訳ですね」

「そんなところだ。今日皆に見せたレポートは、その目的の半分は、日本政府を説得するためだと言って良い」


「いつ先方と接触なさるんですか?」

「今日の夕方だ。もうアポイントも取ってある」


「相手は気象庁ですか?」

「いや、首相だ」


「首相って……」


「気象庁は国土交通省の外局に過ぎない。世界的な燃料枯渇の中で、下から上げた要求に、予算なんかつかないさ。こんな時こそトップダウンに限るよ」


「簡単に仰いますが、本当に首相に会えるのですか?」

「会える。実は首相の小橋は高校、大学を通して一緒にラグビー部で汗を流した親友なんだ。二人とも卒業するまで、万年補欠だったんだがね」


 呆気にとられるアニルとダグラスをよそに、萩生田はニヤリと笑った。


        ※※※


 萩生田は先に執務室に戻り、その後、アニルとダグラスは一緒に部屋を出た。


 階段を下りかけたところで、ダグラスが何かを思い出したように立ち止まった。


「そういえばアニル、さっきの会議での理事たちの様子だが、おかしいと思わなかったか?」


「WMOへの問題提起に賛成するときの事だろう。二人とも氷村事務局長の顔色を伺うように視線を送っていたな」


「お前もそう感じたのなら、やはり気のせいではなかったというとか。事務局長が、軽く頷いたのと同時に理事たちは賛成した」


「三名ともWMOからの出向組だが、地位としては理事の方が事務局長よりも数段上だ。氷村事務局長に伺いを立てる理由はどこにもないはずだ」


「なんだか釈然としないな」

「ああ、WMOから来ている奴らは、以前から得体の知れないところがある」


 ダグラスはそれ以上の追及をするでもなく、アニルもそこに尚更の興味を持つわけでもなかった。


 二人は早々に立ち話を切り上げて、それぞれの持ち場に戻っていった。


        ※※※


「カミノ、少し話をしないか?」


 会議を終えて自室に戻っていたカミノに、ラミーヌからの内線電話が掛かってきた。


「何の用だ、ラミーヌ?」

「先程の会議での、萩生田所長の提案について話し合いたい。君の部屋に行って良いか?」


「ああ、構わないよ」


 カミノの返事を聞くやいなや、ラミーヌはすぐに自分の執務室を後にした。

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