第4話 異常行動

 萩生田はひまわりの履歴映像をコマ送りしながら、自分の考えを話し始めた。


「ホンファは以前であれば、ベンガル湾沖で発生した中程度の、ごくありふれたサイクロンだった。

 せいぜいインドかミャンマー辺りに上陸して、大雨を降らせる程度だったはずで、わざわざ中国まで長旅をすることも無ければ、ホンファと命名されることも無かっただろう。


 しかし現実はどうだ?

 ホンファは気象学の常識を大きく外れて東に進み、目下南シナ海にいる」


 萩生田の問いかけに、皆が頷いた。

 それは会議の出席者全員が、ホンファの挙動を疑問視している証だった。


「ホンファのこれまでの移動コースを早送りするとこうなる」

 萩生田がそう言って、もう一度操作卓に触れると、スクリーンの表示が素早く動き始めた。


 ベンガル湾の南部で発生した小さな白い渦が、次第に大きくなりながら、北方向に移動していく。

 同時に渦の右下に表示された風速と気圧の数字も大きくなる。


 ハリケーンの勢力表示がカテゴリー1からカテゴリー2になった途端に、白い渦は急に進路を変えて東に進み始めた。


 シンガポールを舐めながら、マラッカ海峡に入り、マレー本島の先端部を横切ってベトナム沖に来る頃には、益々勢力を強めてカテゴリーの表示は3に上昇。


 南シナ海では一旦停止し、カテゴリー4に勢力を強めてから一時北方に移動。


 パラセル諸島の真上で一旦停止し、その後に再度東に進路を変えて、ルソン島と台湾の間のルソン海峡に向かって進んでいく。


         ※


 全員の目は、スクリーンにくぎ付けになっていた。


「次にこの画像に気圧配置の等高線と、上空気流の向きを表示する」

 萩生田はそう言って、操作卓のボタンに触れた。


 画面上には線画のレイヤーが重なり、太平洋高気圧が張り出してインドシナ半島とスマトラ島をすっぽりと覆った状態の等圧線と、赤道付近から北方向に向かう気流を示した細かい矢印が無数に現れた。


「良くこのスクリーンを見てくれ。ホンファはこの時点で、東に向かう要素は全くない」

 

 確かにそこでは、高気圧の壁がホンファの東側をブロックしている上に、赤道周辺は偏西風が無いため、北向きの自然な対流しか存在していなかった。


 そうであるにも関わらず、画面中に表示されたホンファは、その高気圧の壁を易々と突き抜けたばかりか、マラッカ海峡付近では気流に逆らって一時南下さえしていた。


「どうだ、ホンファが明らかに自然の摂理に逆らって移動していることが分かるだろう」

 萩生田が続けて言った。


 萩生田はそこで一呼吸置き、手元にあるミネラルウォーターを一口だけ口に含んだ。


         ※


「さあ、ここからが本番だ」と萩生田は言った。


「興味深いデータをここに重ねてみる」

 萩生田の言葉と共に、画面の右上には赤い帯状の線の明滅が表示された。


「これはモニタリングポストで感知した電磁波の表示だ。赤い部分は電磁波の中でも、ガンマ線に近い高エネルギー波のようだ。

 ホンファはアンダマン島の北側にあるこの赤い帯に遮られ、それを避けるかのように東向きに進路を変えている」


「この電磁波はどこから出ているのですか?」

 思わず、ダグラスが口を挟んだ。

「今はまだ分からない。しかし正確な周期性を示していて、人為的なものであることだけは確かだ」


「誰がこの電磁波を放射したのでしょうか?」

「それも今は分からない」


「それではもっと根本的な事をお訊きします。そもそも電磁波でハリケーンがコントロールできるなどという話は、今まで聞いたことがありません」


「ダグラス、君の疑問はもっともだ。それに回答する前に、もう一つ別のデータを見て欲しい。パラセル諸島のスタッフ達が命懸けで集めたものだ。

 データの解析プログラムは張が指揮して開発した」


 萩生田はもう一度、手元の操作卓に触れた。


         ※


 スクリーンには気象図に重ねて、碁盤状に白い格子線が表示され、次いで一つずつの升目の各辺を更に8分割するように、線と線の間に、細い緑色の線が現れた。


「白い線の交差点が、これまでの標準観測ポイントで400㎞メッシュ。緑の線は中国政府が展開したばかりの観測網で、精度が64倍に上がっている」


 萩生田は、ホンファを中心に画面を拡大して、同時にメッシュの交点に気圧分布をカラー表示させた。


「赤色が強いほど、高気圧であることを意味している。画面を拡大して何度か再生するので良く見ていてくれ」


 萩生田の操作によって、画面は8倍に拡大表示された。


 そしてそこからは、ホンファが移動するタイミングに合わせて、ハリケーンの目に近い100㎞圏で、ホンファの移動直線の左右にだけ、赤みのあるポイントが広がっていくのが見て取れた。


 萩生田は同じ画面を何度も再生して見せた。


「局所的に気圧の谷が発生しては消えていくのが良く分かります。

 高気圧でホンファを挟み込むようにして、移動方向を制御しているように見えますね。

 しかも先程見た電磁波の帯とシンクロしているように感じます」

 発言したのは、萩生田の斜め前に座っているアニル・スールだった。


 アニルはアメリカの永住権を持つインド人で、統計学に精通し、気象に関する数学モデルの研究を行っている。


 IML設立と同時に、萩生田と共にオクラホマ大から移籍してきた、彼の腹心である。


「今、アニルが言った通りだ。各ポイントで気圧が上がり始める際、同時にホンファの外周部に電磁波が観測されている」

「要するに所長は、外部から何者かが電磁波を使って、ホンファ周辺の気圧を操り、軌道をコントロールしたのだと?」


「そうとは言っていない。電磁波程度で気圧を上げ下げできるとは私にはとても思えない。

 観測された電磁波は高エネルギーだが、ホンファのエネルギーと較べれば極めて微弱だ。

 もしもエネルギー量でハリケーンを操るならば、核兵器を幾つ連動させたとしても、とても無理だろう」


「それではどうやって軌道を操作したと?」


「気圧をコントロールしてホンファを誘導したのは確かだ。しかしどうやって気圧を操ったのかは分からない」

「我々が認識していない、未知の技術ということですね?」


「そういうことだ。観測された電磁波は、未知の技術が気圧を上げ下げした際の副作用として、外部に放出されたと考えるのが妥当ではないだろうか」

「なるほど、確かにそう考えた方が自然ですね」


「ハリケーン周辺での細かな気圧変化が、データとして採取できたのは今回が初めてだ。

 しかし私は、このような進路の操作は過去から行われてきていると思っている」

「いつからだとお考えなのですか?」


「最初は2012年の『サンディ』だと思う。南海上で発生したサンディは北上して、一旦は北米の東に逸れるだろうと思われたが、突如進路を西に変えて、そのままニューヨークを直撃した。

 当時の偏西風やジェット気流の影響からして、西に進路を変えることは考えられない。

 しかも当時サンディの東側には、ホンファと同じように、不自然な電磁波が観測されている」


「確か被害は、800億ドルに上ったと言われていますね」

「そう、サンディは、ハリケーンが大都市を襲う脅威を、人類に見せつけたんだ。そして2016年に象徴的な出来事が起きる。カリブ海で発生した、その年の21番目のハリケーン『ウォルター』だ」


「ウォルターはユカタン半島を横切って太平洋を迂回し、過去にハリケーンを二度しか経験していないロサンゼルスを直撃した後、アラスカ、カムチャッカを舐めたんでしたね」


「そうだ。そして最後はなんと、弱体化しながらも南下して、北海道にまで到達している」


「ハリケーンの発生地域と移動ルートが多様化しはじめたのは、ウォルター以降でしたね。今では長距離の越境などは当たり前です」


「当時は異常気象だと、随分騒がれたものだ」

「異常気象ですか、随分と懐かしい言葉ですね」


 21世紀の前半までは、異常気象は、『過去に経験した現象から大きく外れ、人が一生の間にまれにしか経験しない現象』と定義されていた。


 しかしこの単語が使われなくなってもう久しい。


 異常が日常化すると、誰もそれをおかしいとは感じなくなってしまうからだ。


         ※


「所長、本日は重要な決議を行われるとの事で、この会議を招集されましたが」


 氷村が萩生田の発言を促すように、口を開いた。


「私はハリケーンが操作されている疑いがあること事について、国連に問題を提起したいと考えている。

 誰がそれを行っているのか――、本件は世界規模で調査をする必要がある」


「国連への問題提起には、上部組織のWMOの承認が必要です」

「もちろん分かっている。だからこの会議を招集したんだ」


 萩生田の発言には理由があった。

 ILMの規約によれば、重大事項の決議には、理事とフェローの過半数の同意が必要となっていたからだ。


「皆の賛同を得たい」

 萩生田が言った。


「私は所長の提案に賛成します。ハリケーンは小型のものでも核爆弾数十万個分のエネルギー量です。

 もしも兵器のように使われている可能性があるのなら、断固阻止しなければなりません」

 まずはダグラスが挙手して賛意を示した。


「私も賛成します。ハリケーンを人為的にコントロール可能かどうかについては、まだ懐疑的ですが、局地的な気圧変化にホンファの移動コースが連動したのは事実です」

 アニルもダグラスに続いた。


「フェローは二人とも賛成。理事の両名は如何ですか?」

 萩生田は会議テーブルに左側に座る2名に視線を受けた。


 フェローが研究職のトップであるのに対し、理事の二名はWMOから出向している事務方で、トップマネージメントである。 


 萩生田の問いかけに対して、二人の理事の視線は、何故か萩生田を通り越してその背後に向けられているかのように見えた。


 萩生田の背後にいる者といえば、氷村だけだ。


 訝った萩生田が、後ろを振り返ろうとしたその瞬間、まるでそれを制するかのように、理事の一人であるラミーヌ・バトンが挙手をした。


「私には専門的な事は分かりません。しかし所長のお考えに対して、世界的な気象学者のお二人が賛意を示されている以上は、反対をする理由は何もありません。WMOに問題を提起いたしましょう」

 

 ラミーヌの隣では、残る一名の理事であるカミノ・グラシアが、皆に追随するように頷いた。


「ありがとう感謝する。それでは氷村君、全会一致という事で、至急議事録を作成してくれ。私のレポートと共にWMOに提出する」

「わかりました」


 萩生田はほっとした表情で頷いた。

 これで次の一歩を踏み出せるからだ。


「それでは各自持ち場に戻ってくれ。ホンファの勢力は衰えたものの依然としてカテゴリー3だ。

 もしもどこかの都市に上陸すれば、甚大な被害をもたらす可能性がある。今後は移動予測のためのデータ収集と解析に全力を挙げる」


 萩生田が会議終了を告げるやいなや、氷村はすぐに席を立った。

 続けてラミーヌ、カミノが、揃って会議室を後にした。


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