第3話 King of pigs
午前中の事務仕事を終えて、私は大きくあくびをした。
朝からパソコンとにらめっこして数字や文字を打つという地味な作業は仕事とはいえ退屈で肩がこるものだ。
机の端にはつねに鏡を置いている。覗き込むと私の顔が映る。自慢の金髪パーマネントの髪から一本の白髪をみつけた。
私の名はジョニー。ジョニー・ヤングマン。毎日こつこつ社会の歯車として働く社会人だ。
隣の席には同僚のミッチがソリティアをやっている。ソリティアにはまるのはわかるがさすがに2時間もやりっぱなしってのはどうなのだろう?
何かに一途になるのも彼の個性といってしまえばそれまでだが。
向かいの席にはクルーガーブレント社唯一の女性社員、キャサリン・イーストウッドがパソコンの画面を見ながらキーボードを打っている。
昨日徹夜したのだろうか、目が血走っている。
「キャサリン、午前の仕事は終わりそうかい?」
「ええジョニー。あとはこいつをプリンタにコピーしてシュレッダーにかければ終了よ」
……シュレッダーにかけるものをわざわざコピーする意味は?
やれやれ、キャサリンはときどきとぼけたことを言う。まっ、良くも悪くも彼女らしいといえる。隣のミッチが子供のような笑顔で両手を上げてはしゃいでいる。
「ジョニー!やったぜ全部消せた!おいらの勝ちだぜ!」
「そいつぁよかったな、グレートだ」
こんなんで会社が継続できるわけがない。あとで就職情報誌を書店で買おう。
「ところでキャサリン。社長のミスター・モーリンソンは?」
「ああ、彼ならさっき缶コーヒー買いにいかせたわ」
社長をパシリ扱いできるのは社内でも彼女だけだ。
「そろそろ戻ってくるころよ」
噂を言えば、というやつか、ジム・モーリンソン社長がドリンクを抱えて帰ってきた。
「ヤッフー諸君。キャサリンはキャリフォルニアコーヒーだったね、はいどうぞ。ジョニーとミッチは何が飲みたい?」
ジムは3本のドリンクを机に置いた。
スポーツドリンク「ファイトマン・コング」偽中国茶「癌建茶」炭酸飲料「麦味コーラZ」
……正直どれも飲みたくないが、かといって断るのも社長に失礼だろう。
「じゃあ私は”ファイトマン・コング”をいただこうか」
ジムは”ファイトマン・コング”を放り投げて渡した。ミッチは癌建茶と麦味コーラZとで迷っている。どちらも確実にまずそうだ、あまりに過酷な2択である。
「おいらは、Zをもらうよ」
ミッチはそういって麦味コーラZをごくごくと飲みだした。麦の香りが室内に漂いだした。
キャサリンはカリフォルニアコーヒーを飲みながらスマートフォンをいじっている。
私はファイトマン・コングをひと口飲んだ。あま……くはない。にがくもすっぱくもない。これは水か?パッケージをみたらミネラルや栄養分さえ表示されていない。
「みんなそろそろ昼休みだ、休憩してくれよ」
ジムは癌建茶を飲んでプハーッとおいしそうに息を吐いた。
「このお茶いけるぜ?キャサリンもひと口飲めよ!」
「癌になりそうだからノーサンキューだわ」
あっさりと断るキャサリン。まあ、飲み物の名前が悪い。
「さーて、昼飯はどこで食べようかなっっと」
ミッチは椅子に背中をもたれて目をしばたかせた。
「ハンバーガーは飽きてきたし、ピザでも頼もうかな」
キャサリンが飲み終えたコーヒーの空き缶を容赦なく窓へ放り投げた。下のほうからカランカラン、と音がした。
「近所にトンカツ屋さんができたんですって、そこいきましょ」
4人しかいない室内に歓声が沸いた。ミッチが訊いた。
「いいねートンカツ!なんて店だいキャサリン?」
「ニューヨークとんかつチェーン店、”豚殺し”よ」
私たち4人は外行きの服に着替えて豚殺しへ向かって歩いた。街中には我々と同じく昼休みを満喫しているビジネスマンでいっぱいだった。
「しかしキャサリン、豚殺しとは大胆な店の名前だねぇ」
ジムはとんかつが大好物の男だ。すでによだれをハンカチーフで拭いている。
「まぁそうかもね。でもトンカツ屋だけじゃなく豚肉料理屋は総じて”豚殺し”と呼んでいいんじゃないかしら?」
「うーん、キャサリン、きみはうまいこというねぇ!哲学的だ、高い知性を感じるよ」
ジムはポンと、手で膝を叩いた。キャサリンが私に話をふってきた。
「ジョニー、あなたカツ丼と牛丼どっち派?」
うーん、と唸ってから私は答えた。
「天丼、かな」
「……もう、ひどいジョークよジョニー。あなたのけつあごにアッパー食らわせたくなっちゃったわ」
「おいおい昼の街中で暴力沙汰はやめようぜ。きみの暴力的な冗談は冗談じゃすまないからな」
ワハハッ、とみんなで笑いながら歩き続けること20分。目的地のトンカツ屋に到着した。
血まみれ文字で”豚殺し”と書かれた看板が出ている。入り口の豚の人形になにか哀愁のようなものが漂っていた。
キャサリンが腕まくりした。
「さぁて、みんなで豚殺すわよ~」
さんせーい、とミッチとジムが喜んだ。この会社の人々と一緒にいると、ときどきなんとなく恥ずかしい気分になる。
のれんをくぐるとジャパニーズの店員がラッシャーイ、と迎え入れてくれた。
我々はテーブルに着き、メニュー表を開くと豚顔の店員がグリーンのお茶を出してくれた。
「私はこの、豚殺しセットAにするわ」
キャサリンが注文を言うと店員はいそいそと注文表にメモをした。
「僕もそれで」
「おいらもー」
「はい、セットAが3名、そちらのけつあごさんは?」
私にむけて店員があごをしゃくった。
「私は天丼にするぜ」
豚顔の店員はクスクスッと侮辱的に嘲笑した。
「お客さぁん、天丼なら天丼屋で注文してくださいよぉ。ここはとんかつ専門店だブヒー」
……この店員とうとう鳴き声を出しやがった。私はちょっと不快になったが怒りを抑えて言った。
「豚殺しスペシャルセットだ」
かしこまりましたー、と店員が厨房へ去っていくと、キャサリンはマルボロメンソールをくわえた。
「なんだか感じの悪い店員ね。豚顔だしブヒーとか鳴くし」
ジム社長がなだめるようにキャサリンのタバコにマッチで火をつけた。
「ま~料理屋なんてのは飯がうまけりゃいいべさ」
「んだんだ」
ミッチもこくんこくんと相槌を打つ。そのしぐさはまるで子豚のようだった。
私たちは豚のことや牛のこと、それから鳥や猪、どの肉が一番か話し合いに盛り上がった。
キャサリンとジムは豚好き、私は牛好き、ミッチは猪好きというわりとどうでもいい結論が出た。
「はい、お待ちどうさまでした」
豚殺しセットAが3人分テーブルに置かれた。ライスにとんかつ、みそスープにピクルス、デザートにシュークリームという、いかにもってな感じの定食だ。
「ジョニー、お先!」
ミッチが嬉しそうに割り箸を手に取った。キャサリンとミッチも倣う。
「ああ、先にどうぞ。私はスペシャルセットを待つよ」
私は窓から外の景色を眺めていた。ニューヨーカーたちがせわしなく歩いている。
ビジネスマン、土木工事屋、若いギャル、テロリストっぽいおっさん、様々な人がこの街で生きている。ここニューヨークの人々は多種多様、多人種他民族国家アメリカの象徴のような街だ。
ヒップホッパーぽい風貌の男がリズミカルにYO!YO!と唸りながら羨ましそうに窓から覗いてきたのでシッシと手で追い払う振りをしたら舌打ちをして去っていった。
「どうだい、うまいかみんな?」
「サイコーだよこれ、んまんまー!」
ミッチが口から米をこぼしながら言った。ジムとキャサリンも同意、といったふうにうなづく。例の豚顔の店員がまたやってきた。
「はい、スペシャルおまち~」
私の目の前に豚殺しスペシャルセットが置かれた。
ん?と思わず私は他のメンバーが食べているのと見比べてしまった。
「スペシャルっていっても普通のセットと変わらないじゃないか」
わかってないなあ、といいたげな顔で店員がせせら笑った。
「料理ってのは見た目だけじゃあわかんないでしょ、お客さん」
「それはそうだけど、見た目が他の客のセットとまるで同じだぜ?」
「お米も豚も普通のAセットより高級なものを使ってるんですよ、食べてみりゃわかります。まあしいて見た目の違いをあげるとしたら……」
店員はフォークでとんかつをひっくり返した。皿に描かれた絵が目に飛び込んでくる。今にも殺されそうに怯えている豚の絵だ。
「はっはっは、こりゃージョニー一本とられたなぁ」
ジムがなぐさめるように私の肩をポンポン叩いた。ミッチもジムと一緒にゲラゲラ笑い、キャサリンはすでに食べ終えて食後の一服をしている。
「なーんか釈然としないが……いただきます」
私はスペシャルセットを食べはじめた。たしかにライスもポークもいい味だ。ピクルスもうまいしみそスープもいける。
しかしなにか気まずい気分になったのは皿に描かれた豚の絵のせいだろうか。
ミッチとジムが食べ終えて、私に早く食べ終えろとせかしてきた。なんだか今日は厄日のようだ。
たまにはこんな日があっても仕方ないか、と私はとんかつを食べ終えてシュークリームを丸呑みした。
「ごちそうさまでしたーおいしかったー」
ミッチが子供のように手を合わせて大声を出した。キャサリンは豚を見下すようにミッチに視線を配り、鼻から煙を吹かせた。私も食べ終えて爪楊枝をくわえた。
食後の軽い運動もかねて、会社への岐路を4人でスキップをして戻った。
途中、ミッチがウッと食べてたものを吐きそうになったがジムの介抱でことは大事に至らず済んだ。食後のスキップは危険だとあらためてわかった。
午後からも仕事だ。
私はジョニー・ヤングマン。カツ丼よりも牛丼よりも天丼が一番好きなサラリーマンさ。
to be continued……
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