第2話 Born Slippy

季節はずれのセミがベランダで鳴いていた。ミーンミーンとあまりにうるさいので私は目を覚ました。

時計を見ると午前4時半。


もうちょっと寝ていたい気分だったので、ハエ叩きでセミをぐしゃっと退治して、私はその後1時間ほどベッドで安眠した。


私の名はジョニー、ジョニー・ヤングマン。私の眠りを邪魔するものは余命1週間のセミでも許さない。


今日も仕事の日だ。木曜日。休日の土日まであと2日。その間なんとか会社へ出勤しなければならない。


私の勤めるクルーガーブレント社は意外と時間に厳しい。


朝9時の就業開始時間から1時間遅れたら廊下で立たされることになるし、午後に出勤するレベルの遅刻だと社長のジム・モーリンソンの肩をもみ続けれなければいけない。


それくらい厳しくなければ今の世界全体不況の時代は乗り越えられまい。


愛車のミニクーパーを運転して出勤すると、一番乗りはキャサリンだった。

キャサリン・イーストウッド。セクシーな体とケバいメイクが特徴の我が社の紅一点だ。朝のメイクで慌てたのだろうか、つけまつげが右目のほうにしか付いてない。


「ハイ、キャサリン」

「あら、ジョニーおはようさん」

「今日はちょっと早く着きすぎたかな。ジム社長もミッチもいないじゃないか」

「逆に言えばあの2人が遅刻する可能性あるってことね」

「社長が遅刻ってのはいただけないな」


キャサリンは熱心に雑誌を読んでいる。普段はニュースペーパーしか読まない彼女が、意外だ。


「キャサリン、なんの雑誌を読んでるんだい?」


キャサリンは表紙を私に見せてくれた。患者が大きな移動台に乗って、歯を大きくあけていた。


「月刊歯医者マガジン。おもしろいわよ」

「出版社も不況で迷走してると聞いてたが、とうとうそんな雑誌まで出

しちゃったか」

「ジョニー、この雑誌あなどれないわよ。どこの歯医者がいいか星5つで表示されてる。歯医者専門ライターによってね」

「キャサリン、虫歯に苦しんでるのかい?」

「今んとこ問題なしよ」

「虫歯ないんかい……」


キャサリンは真っ白な歯をこれみよがしに私に見せてくれた。前歯に青海苔がついていた。おそらく朝食は――ライスボールだったんだろう。


しばらくして社長のジムとミッチがやってきた。それも、肩を組んで。二人とも若干顔が赤い。


「ウィック、ようお二人さん」


ジムの口は酒臭かった。どうやら昨夜二人で飲んでいたらしい。


「社長が二日酔い出勤とはいただけないわね。洗面所で顔洗ってきて頂戴」


キャサリンは少し不快そうだった。彼女は自分が酒を飲むのは大好きだが他人がうまそうに酒を飲んでると腹立たしくなる女だ。


「ジョニー、焼酎はやっぱいいちこにかぎるね」


私はミッチの言葉に否定も肯定もせず、二人を洗面所へ連れていった。


「おええーーーぶちょっびちびちびちー!」


ジムとミッチは仲良く昨日の酒とつまみを吐き出した。これは今日はもう仕事どころじゃない。


「迷惑かけてすまんねジョニー」


ミッチは口から嘔吐物を漏らしながら言った。


「口洗って顔ふいてくれよ、ミッチ」


私はキャサリンと目を合わせて、肩をすくませおどけてみせた。まぁたまにはこんな日もいいだろう。働かなくて済むし。不意に、イテッと声がした。ミッチだ。


「あらミッチどうしたの?ゲロ吐きすぎて歯がぬけたとか」

「キャサリンひどいや。歯は抜けてないけど虫歯みたいやねん」


キャサリンは手にしていた雑誌を手渡した。途端、ミッチの瞳が宝石のように輝きだした。


「月刊歯医者マガジン!?そいつを早くみせてくれよぉ!」

 

ミッチは涙声になっていた。食い入るように月刊歯医者マガジンをすみからすみまで見て、感激の悲鳴を上げた。


「よしっ!7番街の”マートン歯科”にするぞ!腕は抜群だが患者が少なく待ち時間もわずか」


キャサリンは呆れ声で言った。


「もうミッチったら。歯の治療へ行ってとっとと治してきて頂戴。治ったらマートンに余計な世話かけずに帰ってくるのよ」

「ガッテンでい!」


そういってミッチは会社を出て”マートン歯科”へ向かうべくローンで買ったレクサスで走り出した。

窓からミッチの運転するレクサスに憐れみの目を向けながら私とキャサリンは同時に同じことを言った。


「これじゃ今日は仕事どころじゃないね」


そういや社長のジムはどうしているだろう、とトイレを覗き込んだら便器の中に顔をつっこんで、彼は意識をうしなっていた。


「キャサリン、このタコ社長どうしよっか?」

「明日には目覚めてるでしょうからほっときましょう」

「……今日は仕事にならないから早退するよ」

「私も」


私はキャサリンにまた明日、と別れのあいさつをして、愛車のミニクーパーを運転した。

ちなみにキャサリンの愛車は3トントラックだ。なぜその車を選んだのか、訊きたくても訊けない。


自宅にもどると、妹のキンバリーがソファに寝そべっていた。


「社長サン……そんなとこ触るのは結婚してからデショ?もうスケベーなんだからぁ」


私は服装の乱れたキンバリーの肩を揺すった。


「シャチョ……まーたお兄ちゃんかッ☆」

「飲むのはいいけど自宅を間違えちゃ駄目だぜ妹のキンバリーよ」

「お兄ちゃんだって前に私の部屋に入ったことあったじゃないのよ」

「……ん、まあそんなこともあったけど、今後はお互い気をつけよう。子供じゃないんだし」


キンバリーの髪型を整えて、見えてたブラ紐をきちんと隠してから、私はキンバリーを2軒先の部屋へ見送りした。


やれやれ。風呂に入って気分転換しよう。

私はブリーフを脱いでバスクリン温泉風味を混ぜた湯船につかった。


ふぃー生き返るーっといい気分に浸っているときに、鏡を見て気づいた。ミッチの嘔吐物が自分の顔に残っていることを。

 

今朝の正座占いは「臭いものに気をつけろ」だったことを思い出したが後の祭りであった。


to be continued……


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