第7話 A map of seventeen
私はけつあごをさすりながらウトウトとしていた。寒い日はストーブのある室内でブリーフ一丁でベッドの上にいるのが至福だ。
不意にハッと思い出して時計を見た。午前8時になるところだ。
出勤日だったことをすっかり忘れていた。あわててスーツに着替えてネクタイをしめる。
少しでも朝飯を食っておこうと白米に卵とごはんですよをぶっかけた飯を胃のほうへかきこんで私はミニクーパーを飛ばした。
私の名はジョニー。ジョニー・ヤングマン。たまに寝坊をしてしまうおっちょこちょいなアメリカ人さ。
日本クルーガー社の社内に着いたのは8時半のことだった。すでにジム社長、キャサリン、ミッチとなじみの顔ぶれが並んでいる。
3人は7並べに興じていた。
「遅刻すまいと急いで家でたってのに、のんきに7並べかぁ」
ジムは下をチッチッと打って、私に言った。
「単なるゲームじゃないぞ。一番ビリは今日ヤクザみたいな社員だらけで有名な日本暴力カンパニー(NBC)に営業行かされることになっとる」
「悪名高いNBCか、私はそのゲーム不参加にさせてもらうよ」
NBC――このところ業績著しいことで評判のベンチャー企業だ。その内実は客に殴る蹴るの暴行をくわえて無理やり契約書にサインさせている半分犯罪組織だ。
「私はいつものデスクワークに戻るぜ」
そう言って私は自分のデスクの上の書類整理にとりかかった。
7並べの結果、やはりというかミッチがビリを引いた。彼には不幸になる怨霊でもついているのかもしれない。かといってキャサリンがビリになってNBCに単独殴りこみなんてのもあとで大事になりかねない。
今日もそつなく業務をこなし、陽が暮れたところでみんなと別れの言葉をいおうとしたときだった。
ドアにフライヤーが貼ってある。クラブイベントなんかの宣伝用チラシだ。
誰がこんなものを……とフライヤーを確認して即犯人がわかった。
フライヤーにはこう書かれていた。
『21世紀最強最後のハードコアライブ!
ダニエル増尾率いるハードロックバンド
”ビッグマンモス”の音楽と魂を感じろ!!』
興味しんしんといった感じでキャサリンもフライヤーに目を通した。
「こないだ面接来てすぐ落ちたギター好きの中年無職クンじゃないの」
「覚えているかいキャサリン」
「顔は思い出せないけどファッションがありえないくらいダサかったのは覚えてる」
私も彼の姿はすぐに頭に思い出せる。
ワックスをつけてベタベタになった髪は白髪交じりで、鼻や耳や眉間にピアスをいれ、ギターを背中に担ぎ、デニムを履いてふんぞりかえっている35歳無職。
そのダニーが”ビッグマンモス”なんてかっこいいのか悪いのか微妙なバンドでライブをするってんだから、これは怖いもの見たさでいくしかない。
「ダニーのライブ行く人、挙手」
手を上げたのは私とキャサリンだけだった。
ミッチはこれから暴力カンパニーへ営業に行かなければいけないことに身体を激しく震わせている。
「ジム社長、息抜きにどうだい?」
「私は今日の夜はナイジェリアの愛人ソーピンちゃん(38歳)とお食事の約束あるから無理よ」
仕方ないな、と私はキャサリンと目を合わせて、2人でダニーのライブを見学することとなった。
葛飾から徒歩で歩ける場所にそのライブハウスがあった。
建物の壁にグラフィティというやつか、未成年のワルがあちこちスプレーで落書きしてある。なんでこう未成年は自己主張したがるのかと考えているとキャサリンがどこからか持ってきたスプレーでグラフィティをより派手にしようとしたのでとっさに止めた。
店内に入り、受付に料金1500円とドリンクチケットをもらい、左手首にライブハウスのスタンプを押された。このスタンプをしていれば一度店の外に出て戻ってきてもまた料金をとられる心配がない、というシステムだ。
受付の姉ちゃんに軽く訊いてみた。
「今日は何組バンドが出るんだい?盛り上がりそうかい?」
ちょっと化粧のきつい受付が返答した。
「最初は2人組フォークデュオ、太田ひろしと小田やすし。次に爆音バンド”壊滅”最後にダニエルなんとかいう中年とビッグマンモスって連中」
「なるほどサンキュー」
「けつあごのお客さん……怪我しないでね」
あいにく私はライブ会場で命を落とすほどやわな人間じゃない。同伴のキャサリンだってそうだろう。
少し危険な香りのするライブになりそうだが返ってスリリングだ。
トップバッター太田ひろしと小田やすしがフォークギターをかついでステージに蜃気楼のように出現した。
室内の温度が4度さがった。
「ひろしです」
「やすしです」
「これからうたう歌は『All the members, a whole, for a hell』(全員丸ごと地獄行き)です、聴いてください」
数十年前にはやったフォークソング調でひろしとやすしがだらりとした歌声で歌った。
『あのころーきみに送った飲みかけのテキーラは今でも保存してるでしょうかー』
『願いが叶うなら昔に戻ってあなたの家畜になりたいー』
『卒業写真は僕らだけ目に黒い線ひかれてるーだけどそれが青春~』
ひろしとやすしは生きててごめんなさいとでも言いたげにそそくさとステージを去った。
5分ほど誰も話さなかった。
女性アナウンサーががなりたてて沈黙を破った。
『続いてのバンドは爆音バンド”壊滅”の登場だぁ!』
通夜のような雰囲気から一転、観客の若者たちがキャーキャーと黄色い声援をあげた。どうやら次は盛り上がるバンドらしい。
ステージにモヒカンのボーカル、スキンヘッドのギター、髷を結ったベースが3人並んだ。
「あれドラムの彼は?」
「ドラムのかっちゃんがいない?」
不安げにひそひそ話しかける観客の気持ちを一気にあげようと、モヒカンのボーカルが天井を指さした。
「おれらのドラマーはあそこからくるぜ!」
天井のミラーボールから大きな男の手が出て、ミラーボールを破壊していった。現れたのは全身ピンクの塗料をかぶった大男だ。
「かっちゃん参上!」
ドラムのかっちゃんはミラーボールからダイブして急降下、足から着地しようとしたのだろうがうまくいかずドラムに頭から突っ込んだ。
「……かっちゃん惨状」
すぐに救急車のサイレンが聞こえてきた。
ハードロックバンド”壊滅”はドラムのかっちゃんが自爆、壊滅して1曲も演奏しないままステージを去った。
しらけた顔のキャサリンが私に肘でくいっくいっと肩に押し付けてきた。
「いよいよダニーの出番ね」
”壊滅”がやらかしたステージの損壊のためにステージ上は壊れたドラムやステックが転がっていた。
1人の男が大きなサングラスをかけて、顔中になにかの奇病かと思えるほどピアスのある顔をひっさげて登場した。
「またせたな、ダニー&ビッグマンモスだ」
私は思わず突っ込んだ。
「ビッグマンモスのメンバーは?」
ダニーはタオルで汗をふきながら早口でしゃべりだした。
「ギターのジグはスーパーのバイトの残業でこれなくなった。ベースのギランは実家の畳屋の手伝いでバンドどころじゃないって。あとドラムのガッツは……音楽の道あきらめて声優養成所にいきました」
私とキャサリンは目を合わせた。
「じゃー今日はきみひとりか?」
「寂しいけど、そういうことになっちゃうね」
「バンド活動続けるの大変なんだな」
「ファンの奪い合い女のとりあいとかもあって、けっこう闇の深い世界なんですよ。まあ、オレはボーカルやってるのに童貞ですが」
キャサリンが憐れみの視線をダニーに送った。
「せっかくステージに立ってるんだから、歌ってよ。1人ビッグマンモスやってよ」
ダニーはその一言に感銘をうけたらしく、うおおおおと奇声をあげて持ち主が声優志望になってしまったドラムを激しく叩いた。
「いっくぜーー!」
すでに観客は私とキャサリンだけだった。
ダニーは右手でステックを握りドラムを叩き、左手でギターを弾きながら歌いだした。
『 大人は汚い存在 夢を忘れた存在
オレだけはサラリーマンにならないんだぜ
金がなくても住む家なくても初老にさしかかっても
オレには信じるギターがあるぜ YEAR!』
ダニーはさすがにドラムとギター同時演奏で歌うのがきつくなったか、ギターをステージの隅に放り投げてベースをステック代わりにドラムをたたき出した。
『 愛がすべて 夢がすべて 給料も残業もノーサンキュー
働いたら社会に負ける おれは勝ち続けたいんだBABY!』
ダニーが上半身に着ていたジャケットを脱ぎ、Yシャツも脱いで上半身裸になった。筋肉のない貧相な身体つきだった。
ダニーは完全に自分の世界に入っているらしく、観客である私とキャサリンの存在を意識してないようだった。
上半身裸のダニーはウォーウォーと歌なのか叫びなのかわからない奇声をあげて上半身を反らせた。
『 愛だけが真実 愛だけがすべて
どうか愛を信じてくれ 』
ダニーはマイクをくわえたまま靴下を両方脱ぎ捨て客席に放り投げた。
それから汚れたジーンズも脱いでパンツ一丁になった。
『 ありのままのオレを見てくれ
ありのままのオレを愛してくれ
ありのままのオレを抱きしめてくれ 』
目からは涙が、鼻から鼻水が、口からよだれが出ていた。ついでに失禁もしていた。
体液噴出バーゲンセールね、とキャサリンがぽつりと言った。
愛を、愛を、どうか愛を……と誰に向かっていっているのかわからない状況でもダニーは愛という言葉を連呼した。そしてついにはア……イ……と断末魔の一言のようなものを言い残してその場にうずくまった。
ダニーこと増尾よしひろは興奮しすぎて血圧があがってしまい、失神からの病院送りとなった。
地獄のような一夜のあと、私とキャサリンは誰一人見舞いにこないのも寂しいだろうと、増尾よしひろの病室をたずねた。
「……やあ、最後までライブつきあってくれてありがとう」
よしひろはライブ前より若干白髪が増えていた。ライブで相当エネルギーを使ってしまったのだろう。
キャサリンは喜んでるとも怒っているとも捉えられない表情で、よしひろの背中をさすって言った。
「自分をさらけ出しすぎるのも考えものよ、もうちょっとセーブしなさい」
「いやあ、なんか1人盛り上がっちまったな。オレ的には最高のライブがやれたと自負してる」
私も何か声をかけないと、と思いとっさに頭に浮かんだことを口走ってしまった。
「なんつうか、やりすぎだぜ」
「……不器用ですから」
それから気まずい空気の中会話はたどたどしく続き、よしひろは今度はCDデビューの夢を叶えると意気込んでいた。
私はジョニー。ジョニー・ヤングマン。困った人をみるとつい同情してしまう男さ。
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