第6話「鋼鉄《くろがね》の竜」

 ヒュースが地下室へとやってくるより少し前。



「見つけた!」



 ファルフェは、ロナの研究室である一冊の本を手に大喜びしていた。その感動は、いままで発見してきたどんなことよりも嬉しかった。

 まさかこんなにも早くドラゴンを召喚する方法を見つけられたなんて。喜びのあまり、おもわずその場で飛び上がってしまう。



「やっぱり、母様は悪者なんかじゃない。立派な学者さんだったんだ!」



 顔も知らない母親の8畳半の研究室――。

 その研究室でユリアに対する悔しさにむせび泣いていたとき、ファルフェは机でなにかが覆い隠されていることに気付かされた。そこから、あれよあれよと地下室へたどり着き、上のモノとは比べものにならない大規模な実験設備を発見したのである。

 満天の星空でさえ浮かべられそうな巨大な空洞と並べられた器具の数々。

 さらに奥へと進むと数本の燭台と棚があり、中央には円形の幾何学模様が床に描かれていた。

 ファルフェは、それが魔方陣であることを一目で見抜いた。同時に母親が大規模な魔法実験をしていたことを確信して飛び跳ねた。



「だったら、ドラゴンの呼び出し方が記してあっても当然だよね?」



 そう思って、周辺から関連する本を探し回る。

 すると、すぐに大量の紙が挟まった研究書が見つかった。そこには、ドラゴンのようなモノが描かれており、一目で召喚の実験が行われたのだと理解した。

 ファルフェは内容を再現しようと、わずかに違っていた魔方陣を書き換えた。

 さらにその場でささやくような声で研究書の内容を口にする。



「――トゥワズ、トォエズ、ダエス……」



 羅列される意味不明な言葉。

 しかし、それらはファルフェの口を介して意味をなしたらしい。

 とっさに身につけていたロナの形見であるペンダントを赤く発光しだした。光は、すぐさま魔方陣に投射され、追い打つような更なる光を生み出した。

 仕上げとばかりに末文を読み上げる。



「汝、闇を駆ける猛者よ。我を導け、地に百雷を討ち放て! 汝は魔王の車なれば来たれ、地を這う鋼鐵の竜よ!」



 刹那、詠唱の終わりと共に地鳴りが響く。

 それはとても大きな反響で、ゆっくりとしたスピードで地鳴りを起こした。同時に書物や実験用具を散乱させ、室内のあらゆるモノを滅茶苦茶にした。しかし、それ以上に不思議だったのは、目前に巨大な構造物が1体現れたことである。

 ファルフェが召喚したモノ──それは、竜と言うにはあまりにも違いすぎる代物だった。

 むしろ、鉄の塊と言っていい。

 丸みを帯びた長大な箱。

 その先端に取り付けられた大男の背丈はあろう長細い円筒には大穴が空いている。さらに箱の中央からは、「く」の字型に曲がった悪魔のような2本の脚が生えていた。

 馬車でもない、船でもない、ましてや生き物でもない。

 この世ならざる生き物であることすら疑わしい代物が小さな身体のファルフェの前に姿を現したのである。



「や、やった……」



 ファルフェが声にならない声を上げる──かと思えば、「大成功だぁ~」と現れた竜を前に飛び跳ねた。

 そして、喜びをかみしめるようにドラゴンの身体に触れる。

 ところが、龍は触れども、叩けども、微動だにしない。死んでいるのかと思ったが、まったくその様子は見られなかった。

 それどころか、キンキンと鉄のような音を立てている。



「これが本当に竜なの?」



 ファルフェは、次第に目の前の生物を疑い始めた。

 グルリと周囲を回って観察する。

 頭とおぼしきモノの中央には、真っ直ぐ突き出た一本の角が生えていた。さらに胴体から伸びた四つの脚はどこか機械めいており、かかとからは蒸気機関車に取り付けられた車輪ようなモノが並んで帯に包まれていた。

 何よりも奇妙だったのは、竜の皮膚が鋼だったこと――。

 それらを見回して、ファルフェはますますその存在を疑いたくなった。しかし、竜を服従させたい気持ちが勝って、考えるのを辞めた。

 まだ竜が眠っているのかもしれない。

 その希望にファルフェは召喚方法が書かれた本の中からどうにか目覚めさせる手段を探すことにした。

 もう一度研究書を読み返えす。ところが、途端に誰かに本を取り上げられ、竜を起こす手段を探すことができなくなった。

 とっさに後ろを振り返る――ヒュースだった。

 その隣にはアルマが立っていた。

 どうやら、2人で自分のことを探しに来たらしい。そのことがファルフェに地下室への扉が開けっ放しだったことを思い出させた。

 途端にヒュースが口を開く。



「ここにいたのか」

「お兄よ、来ていたのか……。そんなことより、いますぐその本を我に返すのだ」

「そっちの口調ってことは、少しは元気を取り戻したみてえだな。けどな、兄ちゃんはオマエが元気がなかったことをすげえ心配したんだ」

「それについては素直に謝ろう。しかし、我はいまその本を非情に欲している」



 と言って、必死に手を伸ばして取り返そうとする。

 ところが、ヒュースは簡単には本を返してはくれなかった。それどころか、右手を高く掲げて、手が届かない高さに持ち上げようとしている。

 ファルフェは、そのことに静かな怒りを覚えて抗議した。 



「なぜ邪魔をする? お兄は私の一番の家来ではないか?」

「一番の家来だから心配したんだ。少しは兄ちゃんの話も聞いてくれ」

「話ならあとでいくらでも聞こう。だが、いまは竜を覚醒させることの方が大事だ」

「竜の覚醒?」

「私の後ろを見てみよ」



 指を差して、巨大な竜の存在をアピールしてみせる。

 いずれは見せるつもりだったのだ。ファルフェは見せつけた喜びを召喚できたときよりも素直に喜んだ。

 ヒュースが竜に近付き、その異形の姿に驚きを表す。



「これが竜……?」



 その後ろ姿にファルフェは勝ち誇った気分になれた。



(あの、お兄ちゃんが驚いてる!)



 それだけでにやけた顔が止まらなかった。

 腰に両手を当てて、「フワハッハッハッ」と高笑う。さらに自慢したくなり、ゆっくりとヒュースに近付いていく。



「クックック――これが私の新たなるしもべ『鋼鐵竜チヤリオツト』だ」

「チャリオット?」

「さすがのお兄も声が出まい」

「……こんなモノを……あの人は……」

「ん? なんだ、お兄もその竜に興味がある──」



 刹那、「パチンッ」という乾いた音が室内に響く。

 いったいなにが起きたのか?

 ファルフェがそのことを理解したのは、強い電気が体内を瞬時に流れて痛みと化してからのことである。さらにヒュースからの平手打ちであることを知ったのは、それからまもなくのことだった。。



「……お……お兄……どうして……」



 ワケもわからず、素と設定の口調が混ざる。

 見上げたヒュースの顔は、いままで見たことがない怒りに満ちている。まるで学校で本気で怒った男の先生みたいで震え上がるほど怖かった。だが、いまファルフェが知りたいことは、そんな恐怖よりも叩いた理由である。

 その答えを求め、潤んだ目でジーッとヒュースを見つめる。



「なぜ叩いたか、オマエにはわかるか?」



 ところが、返ってきたのは問いかけだった。

 その言葉がわからず、ファルフェは首を横に振って返事をかえした。

 そもそも、意味などわかるはずがない。なぜならば、ファルフェはさっきまでヒュースも一緒に喜んでくれると信じて疑わなかったのだ。

 こんな現実が待ち受けているなど、誰が信じるだろうか――。

 ヒュースの顔には、木炭の残り火のように静かな怒気が満ちていた。



「兄ちゃんがどれだけ心配したかもわかんねえだろ?」

「……そ、それはごめんなさい」

「別にオマエを憎くて言ってるんじゃない。ただ兄ちゃんはファルフェが母様みたいに研究に没頭して周囲のことが見えなくなるのがイヤだったんだ」

「ごめんなさい。でも、私はこの竜を呼び出してみんなを見返してやりたくて……」



 こんなハズじゃないのに……。

 ファルフェの中で、2人で鋼鉄なる竜の復活を喜ぶ光景がボロボロと音を音を立てて崩れ去っていく。同時に涙がこみ上げてきて、唯々ヒュースに怒られたことが悲しかった。

 ふとなにかがファルフェの身体を覆う。

 ゆっくりと顔を左に傾けると、アルマが肌を寄せて抱きついていた。まるで母親みたいなアルマの優しい抱擁は、ファルフェの悲しい気持ちを楽にさせる。

 同時に擁護してくれるらしく、ヒュースを諭そうとしていた。



「もうそれぐらいにしましょう。ファルフェもちゃんと謝ってるわけだし、なにより無事だったじゃない」

「オマエの言いたいことはわかってるよ、アルマ。けどな、こんな研究成果を見せられたうえに、あの人の研究室にいるってだけで、俺はどうにもイライラするんだ」



 それを聞いた途端、ファルフェは大きく目を見開いた。

 大好きな兄の口から出た大好きな母の研究室に対する印象。それは、ファルフェに信じられないという気持ちを抱かせるには十分すぎる発言だった。

 ヒュースを問い質そうと言葉を紡ぐ。



「それって……お兄ちゃんは母様が嫌いってこと?」



 頭の中でヒュースの言葉が何度も繰り返される。

 ところが、何度も繰り返すうちに「お兄ちゃんはそんな人じゃない」ということを思いが相反して沸き上がってきた。

 それでも、奥底で疑念がくすぶり続けている。

 どうにか払拭しようと、ファルフェはその真偽を確かめた。



「……ね、ねえ。お兄ちゃんは母様が嫌いなの?」

「ああ、そうだ」

「……どうして……どうして嫌いなの? 私たちの母様だよ?」

「ファルフェはあの人を肖像画でしか知らないから、そうやってずっと愛しく思えんだ」

「確かに私は会ったことない。だけど、私は母様のことを愛してるの……」

「それは違うぞ、ファルフェ――オマエが知らなくても、兄ちゃんは本当のあの人のことを知ってる。だから、いまでもあの人が兄ちゃんにしたことを考えると、どうしても好きになれないんだ」

「そんなの答えになってないよ!」



 怒りにまかせて叫び声を上げる。

 自分の知ってる優しい想像でしかない母。さっきぶたれたことも含めて、ファルフェは自分の中にある幸せの虚像が崩れてしまうことが恐ろしかった。

 だから、ヒュースの言葉を否定したかった。

 母と兄と自分が楽しく一緒に暮らすイメージを壊して欲しくなんかない。

 気持ちが思うままにさらに声を荒げる。



「そんなの答えになってない……どうして母様が嫌いなの?」

「母様は、なにもしてくれなかった」

「そんなの、私だっておんなじだよ。ねえ本当のことを教えてよ? だって、私は母様がこんなに大好きなのに」



 途端にアルマの腕の感触が強くなる。

 ファルフェの言葉に胸を痛めたのだろう。少なくとも、アルマは本当の母様を知らない自分なんかよりも知っている。

 だが、ヒュースは――。



「…………」



 なにも言わず、ただ黙ったままだった。

 そんなときだった。



「――もう、なんやねん……?」



 不意に聞き慣れない声が聞こえてくる。

 それは湧き上がった激しい感情をかき消すもので、いまだに目覚めない竜の方向から聞こえてくるように思えた。

 ファルフェは声のする方向を見た。

 だが、そこには鋼鉄の竜の姿しかない。ファルフェの探すそれらしい声の主はどこにもいなかった。

 ところが、しばらしくて竜の背中を幽霊のようにすり抜ける生物が現れる。

 それはいつも手にしているぬいぐるみほどの大きさをしており、全身が毛むくじゃらで、眼は老人のような細く、シワシワの眉毛をしていて、さらに背中に黒い翼が生えていた。

 途端にその生物が手で、眠そうなまぶたをこすり上げる。



「魔王はん、いい加減にしてくだはれや。僕は、ホンマ眠たいねん」



 驚いたことに、目前にいる謎の生物は人の言葉をしゃべっていた。

 ファルフェは振り返って、ヒュースたちの顔を見た。



「また魔法で操っているのか?」



 とっさにそんな視線が送られてくる。しかし、ファルフェは激しく首を横に振って、「違う」と答えた。

 謎の生物がブツブツとつぶやき始める。



「ええですか? 確かに僕は魔戦車を管理する『機械魔グレムリン』や。けど、労働基準法は守ってもらわなあきまへん。サービス残業お断りや」

「おい……」

「せやさかい。僕はもう一眠りさせてもらいます」

「……聞いてるか、コラ?」

「ほな、お休みなさ────って、オマエら誰やねんっ!」



 オマエこそ、誰だ?

 3人は、呆然として心の中で奇妙な生き物に突っ込んだ。

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