第2章「妹は、咎人となる」

第7話「機械魔《グレムリン》」

 ヴァレンタイトのパーティから一週間。



「教会に奇妙な金の流れ?」



 デュナンは、自室で自ら経営する貿易会社の関係書類に目を通していた。

 八畳ほどの部屋に黒檀製の机と書棚。

 壁には同色の壁紙が貼られており、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。さらに書棚には、古書がぎっしり詰まっており、長い時間を掛けて集めた本だということが目に見えてわかった。

 そんな部屋の中で、部下からもたらされた贈収賄に関する情報。

 デュナンは否応がなく筆を止めて、耳を傾けざるえなかった。



「はい、なんでも免罪符を得る為に市の税金の一部が使われてるのだとか」

「それで市長にいったいどんなメリットが?」

「恐らく巡礼者目当てでしょう。市の司祭が司教職を得れば、それだけ教会も大きくできますし、その名声で巡礼者も来ます。そこを市が観光税名目で取り立てばあるいは」

「一部免税はあるにしても、宿屋や土産物などに課税すれば払う側にはわからないな」

「ええ、聞かない限りは知り得ない話ですし」

「そして、得た税を各予算分に振り分け、その中に教会への寄付金と市長自身の横領分を混ぜ合わせればわからないというわけか」

「おっしゃるとおりです。私が調べた限りでは、市長の取り分は教会の献金ということで納められているらしいです」

「しかし、免罪符とは古典的な。かなり前に大陸教会が販売数を制限したと聞いたが?」

「枢機卿団の中に半ば商人のまねごとをしている人間がいるようです」

「そこから買っている――というわけだな?」

「はい」

「……まったく。世の中というモノは、いつの時代もどうしてこうも腐ってるんだ」



 これはゆゆしき問題だ。

 デュナンは鼻筋を指で押さえ、どうにかこの問題の証拠を手に入れたいと思った。



「この件に関して、もう少し調べられないか?」

「やってみましょう。ただ、この話にはもう一つ奇妙な噂があるんです」

「奇妙な噂?」

「仲介をしていた行商人が殺されたらしいのです」

「殺された?」

「ええ。書類上は山賊による殺害されたとして処理されてますが、実際には違っていたようで……」

「どういうことだ?」

「荷馬車に隠れて難を逃れた娘の証言によれば、『悪政を訴える意志に変わりはない』という父親の声を聞いていたようです」

「それが本当なら、なぜその証言が表沙汰に出ないんだ?」

「憲兵隊がもみ消したようです。正確には、金をもらった一部の輩のようですが」

「――なるほどな」



 と立ち上がって、窓の外を見る。

 中庭の草木が美しい花を咲かせ、まるで民衆が演説に立ち会っているかのような華やかさだった。

 デュナンは市長でも、ましてや王族でもない。

 肝心の市長になることも、周囲の強引の後押しあってのことである。自ら立候補したわけではないため、心の奥底では乗る気じゃなかった。

 だが、現役の市長の汚職は許し難い。

 そのことを考えると、デュナンは自らの正義感から立ち向かわねばならないと思った。



「天は、是が非でも私を市長にしたいとお考えなのか……」

「覚悟をお決めください。フラウゼス侯爵の玄孫であるデュナン様なら、きっと市を良い方向に導けます」

「――そうであればいいけどね」



 窓の外を小鳥が東の空を飛んでいく。

 デュナンは遙か前方を覆う暗雲を見て、その行く末を見守った。



 その悪魔は、何度名前を訊ねても答えなかった。

 むしろ、自らには必要のないモノ――そんな認識で、ヒュースたちの前に現れたのである。



「せやから、僕は機械魔グレムリンっちゅう悪魔やって言うてるやろ」

「んなの信用できるか。何度も聞くが、名前はなんなんだよ?」



 先ほどからこの有様。

 致し方なく、ヒュースは妹の意見を取り入れ、悪魔をグレムと名付けた。グレムもその意見をアッサリ認め、ファルフェの名付けた名前を自らの名乗り始めた。

 そして、グレムがその存在理由を語り出す。



「僕は、この魔導アーマーの管理を任されとるもんや」

「魔導アーマー? コイツは竜じゃねえのか?」

「ププッ、竜って……。アンタ、おもろいこといいまんがな!」



 グレムが笑い転げる。

 ヒュースはその姿になんとなく殺気を覚え、「いいから黙って答えろ!」と語気を荒げた。



「んまあ、そんなに怒らんといてな。いまちゃんと説明するさかい」

「だったら、早く頼む」

「わかってまんがな。まあ、とりあえずコイツの名前は、魔力推進式戦術歩行戦車――通称『魔導アーマー』や」

「魔導アーマー? なんだか、ますますわかんなくなってきたぞ」

「こない説明しても、わからん?」

「ああ、まったく」

「せやったら、この時代に大砲ある?」

「――大砲? それならあるぜ。だけど、それがどうかしたってんだよ」

「ほなら、話は早いな。もっとも、この時代に大砲があらへんかったら、魔導アーマーの説明なんかできへんかったけど」

「だから、なんだってんだよ?」

「もし、その大砲に生き物みたいな手脚が付いて動けたら、アンタどないする?」

「車輪だったら、蒸気機関で動かせば可能性はあるが……。だがよ、2本脚で歩くようになんかなったら、それこそ大陸の支配図を一変させちまう発明じゃねえか」

「そうやろ?」

「……で。コイツには、それができるっていうのか?」



 ヒュースがさきほどまで竜と読んでいた存在を指差して言う。

 対してグレムはニヤニヤと笑っていて、やはりバカにしているとしか思いようがなかった。

 ふと横からファルフェが割って入る。



「小さき悪魔よ」



 口調はいつもの調子に戻っていて、さきほどまで泣き喚いていた姿はなかった。

 恐らく空元気だろう。

 そうでなければ、ファルフェは堪えきれないほどの涙を流して泣いている。ヒュースは妹の顔を見て答えられなかった母への思いを脳裏に浮かべた。

 2人が会話し始める。



「おお? 嬢ちゃんが魔導アーマーを呼び出したんか?」

「その通りだ。ということは、貴様は我がしもべとなるのか?」

「うーん、正確にはちゃうねん。僕は単に保守を任された悪魔であって、直接的な雇用契約は、すでに魔王はんと結んでまんねん」

「こ、雇用契約?」

「僕を雇った人間がいるってことやな」

「ならば、貴様は何者なのだ?」

「まあ、簡単に言うやな。魔導アーマーを貸し出すためにいる管理人と言うべきやろうな」

「管理人だと?」

「せや、嬢ちゃんが呼び出したの魔導アーマーは、僕が寝床にしとったヤツやねん。たまたまなんやろうけど、嬢ちゃんはたいしたもんやで」

「――なんの話だ?」

「魔導アーマーって、エルフ人には呼び出せへんのやで?」

「エルフ人?」

「ん? あ、あ、あれ?」



 グレムが何かに気付いて、大声を上げる。そして、驚いた表情でヒュースたちを見回していた。

 ヒュースが訝しげな表情で問う。



「どうかしたか?」

「そういえば、アンタら耳が小そうなっとるやないかい!」

「当たり前だろ。俺たちは人間だからな」

「人間? 人間って、エルフ人たちのことちゃうん?」

「人間は人間だろ。それにエルフ人は、とうの昔に滅んだ俺たちの祖先だ。なにを寝ぼけたこと言ってやがんだ」

「祖先……? ちゅうことは、もう連中はおらへんの?」

「んまあ、そうなるな」

「……せやか……アイツら滅んどったんか……」

「おい、わけわかんねえぞ。いったいどういう意味だ?」

「いやいや、こっちの独り言やねん」



 途端にグレムがニヤけ笑う。

 それが不気味でなにを考えているのか、まったくわからない。ヒュースはコロコロと変わる表情にさらなるいら立ちを覚えた。



「まあとにかく。召喚が成功したっちゅうことは、魔導アーマーに乗れるライセンスが発行されたっちゅうことやな?」

「ライセンス?」

「ん……? わかってない?」

「だから、なんだってんだよ」

「言うなれば、許可証みたいなものや」

「それが発行されるとどうなるんだ?」

「そりゃあ魔導アーマーに乗れるに決まってるがな──ただ、そのカギも必要なんやけど」

「カギだと?」



 その言葉にファルフェが反応する。



「もしやこれのことか?」



 と首元のペンダントを手に取り、パタパタと翼を羽ばたかせるグレムに見せた。

 それを見て、ヒュースはロナの形見であることに気付く。



「母様の遺品じゃねえか……。どうしてこれがカギなんだ?」



 同じように顔を近づけて、グレムがペンダントを見定める。

 そして、本物であることを確認するや否や、ヒュースの問いに答えた。



「間違いないわ、そのペンダントは『魔界』の刻印の入ったカギや。よーわからんけど、アンタらのおかんがどこかで手に入れたんとちゃうか?」

「魔界……だと……?」

「あ? なんかマズいこと言うた?」

「いま、魔界って言ったよな?」

「確かに言うたけど、それがどな──」



 言い切るより早く、ヒュースが刃を突き立てる。それと同時にファルフェの前に出て、かばうように覆い被さった。



「ファルフェ、どいてろ。コイツは魔界の悪魔だ!」

「悪魔?」

「そうだ。さっき寝言で言ってた魔王ってのは、最後の魔王のことのようだ」

「せやから、何度も言うてやろ? そないなことより、その剣をはよ退けて!」

「いいや。オマエは、ここで斬り殺される運命だ」

「もう聞き分けのないお人やな」



 そう言って、グレムが身体を強張らせ始める。

 なにかをするつもりらしい──ヒュースはじっと堪え、禍々しい気を放って変容しようとするグレムを見守った。



「なにをするつもりだ?」

「フッフッフッ……ええか? 僕はこんな見た目でも上級クラスの悪魔なんや。ドデカイ魔法かて使えんねんで? アンタなんか一発で殺せるんや!」



 そう言って、グレムがなにかを唱え始めた。

 ヒュースは警戒して太刀を構えたが、なにも代わらないことに不思議に思った。



「──って、魔力ないやん!」



 なにも変わらなかった――踏ん張って出たモノは、放屁だけだった。

 思わず調子を狂わされる。

 それでも、ヒュースは刀を構えた。



「……どうやら見た目だけみたいだな」

「ま、待って! ホンマや、ホンマに僕は悪魔貴族なんや!」

「んなの、どうでもいいよ。悪魔は俺ら人間の敵なんだろ? なら、ここで殲滅しねえと誰かに危害を加えるかもしれねえ」

「そないなこと、せえへえんって! 僕はごっつええ悪魔なんやで?」

「……いま俺を殺そうとしたよな?」

「ウソじゃあらへんっ! これでも社交界じゃ『ベストオブジェントルメン』に選ばれたこともある男前なんやて」



 グレムが必死に生を懇願してくる。

 「頼む、死にとうない」、「出てきたばっかりやのに」などとわめき、人が共感しそうな言葉を並び立てていた。

 そうしたプライドを捨てた言葉にヒュースも心を動かされそうになった。

 しかし、あくまで悪魔は悪魔である。

 その存在は伝説上のモノでしかない――だが、常に悪いイメージを伴っていた。だから、ヒュースには良い悪魔が存在するなど考える余地もなかった。



「故に倒さねばならない」



 そう思っていると、唐突にファルフェに袖を引っ張られた。



「待て、お兄よ」

「なんだ? ちょっと兄ちゃんはコイツを成敗しなくては――」

「そうもいかんのだ」

「どういう意味だよ?」

「これから、この悪魔は私と契約を交わすのだ」

「……正気か?」



 とっさに出たファルフェの言葉は理解できなかった。

 さきほど魔王と契約を結んでいると言われたはずだ──なのに、ファルフェが自信ありげの表情でグレムの前に出ている。



「あ、あの嬢ちゃん? 僕のこと助けてくれるん?」

「クックック……もちろんだ」

「せやけど、さっき僕は魔王はんと契約してると言ったんや。それをどないして契約するつもりなん?」

「では、その魔王がどこにいるか……貴様は知っておろうな?」

「魔王はん? 魔王はんやったら魔界にお──」



 刹那、グレムの動きが止まる。

 ファルフェの言葉が成す意味――それは誰が聞いても明らかだ。

 つまり、魔王はすでにいない。

 グレムの契約はとうに切れているのだ。その意味で、グレムがなにかに縛られる要素などまったくないに等しかった。



「おそらく貴様は魔導アーマーとやらと共に封印されてせいで記憶が曖昧になっているのだ。ゆえに私が貴様に契約を求めることも可能だよ」

「……そんな……じゃあ僕は……貴族の身分もないただの悪魔やん」

「そういうことだ」



 しかし、契約することになんの意味があるのだろう。

 ヒュースは刀を収め、その意味をファルフェに問いかけた。



「ファルフェ、コイツと契約してどうするつもりなんだ?」

「クックック……簡単なことだ。私がコイツと契約することで、魔導アーマーの使い方を教えさせるのだ」

「しかしだな……正直兄ちゃんは反対だぞ」

「なに?」

「こんな得体の知れない悪魔と巨大な鉄の竜。いったいなんのために使うんだ?」

「決まっておろう。我が世界征服の野望のために──」

「それはいい。いまは本音で語ってくれ」

「お、お兄?」

「ちゃんと教えてくれないか、どうしてコイツが必要なのか?」

「…………」

「なにか隠してないか? 全部話すなら、兄ちゃんは怒らない」

「……本当?」

「ああ、約束する」

「わかった……お兄がそこまで言うのなら話そう」



 少し不安そうな顔のファルフェが言う。

 それでも、設定の言葉で話し続けているのは、ファルフェなりに考えがあってのことだろう。

 ヒュースは、目線に合わせようと身をかがめた。そして、また怒られるんじゃないかとビクビクしている妹に優しく語りかけた。



「さあ話してくれ。兄ちゃんに言えなかったことを……」

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