第4話「反目する2人」

 ファルフェが聴衆の注目を浴びる中、ヒュースは談笑にふけっていた。

 相手はフラウゼス市で最も有力な貴族とされ、差し迫った次期市長選挙の対抗馬ともくされるデュナンである。

 互いに美麗な顔立ちをしているためか、周囲の女性の視線が2人に向けられている。ヒュースは目立っている現状を苦々しく思い、一刻も早いパーティの終了を心の中で願っていた。

 デュナンが口を開く。



「さすがアーベル家のご令嬢だね」

「いえ、単にアイツが優秀なだけですよ。俺なんか軍学校での成績も平均点以下ですし、毎年行われる魔力測定検査も万年最低ランクで本当にダメな兄貴です」

「そんなに謙遜はしなくていいよ」

「……事実ですから。それにファルフェが1人前のレディになるまで、俺がちゃんと守ってやらなきゃいけないんです。アイツは母の顔を覚えてません。ですから、その代わりぐらいはきちんと務めてやらないといけないんです」

「妹思いのいいお兄さんだね。その献身的な思いやり、私はとても感服したよ」

「ありがとうございます。でも、デュナン様だって凄いじゃないですか?」

「そうかい?」

「前国王ロロワール陛下の甥御で、この街を作ったフラウゼス侯爵の玄孫でいらっしゃる。そのうえ、貿易事業で稼いだお金をすべて恵まれない子供に寄付になさってるし、そっちの方がよっぽど立派です」

「よく偽善だと言われるよ。まあ私自身もその通りだとは思うのだけど……どうも放っておけない性分らしくてね」

「『良き行いをすれば、良き出会いに巡り会える』――フラウゼス学園時代の恩師がよく言ってました。こんな言葉、俺なんかよりデュナン様の方が当てはまる気がしますよ」

「それは、私の行いがその通りになっていればの話だね」



 とデュナンが上機嫌に笑う。

 2人のムードは終始和やかに続くかのように思われた――が、ヒュースの挙動が唐突におかしくなったことで一変した。

 その表情はまるでなにかを言いあぐねているかのようである。

 さすがにそんな表情をしていては、和やかな雰囲気のままとは行かないだろう。

 ヒュースはとっさに気付いたデュナンにその理由を問われた。



「どうかしたのかい?」

「……いえ、デュナン様は母様のことを聞かないのかなと」

「君の母親というと――もしかして、ロナ・アーベル女史のことかい?」

「そうです」



 そう返事をするヒュースが気にしていたのは自分の母親のことであった。

 ロナ・アーベルは、機械工学の分野において、とても有名な女性学者である。

 ただし、良い意味ではない――あくまで悪い意味での名声だ。

 近年まれに見る天才と称されながらも、相反して絶えず悪名がつきまとっていた学者で、魔法学、考古学の知識に対しても造詣が深かった。

 その理由は、ロナが国教会が禁忌としていた魔界の調査を行ったことにあった。

 魔界とは、この国の南端に存在した魔人こと黒エルフ人が統治した古代の巨大国家群の総称で、現代でも解析不能なオーバーテクノロジーを有していた。さらに現人類の祖である白エルフ人を奴隷として扱い、ヒドく苦しめたとされている。

 しかし、技術は持たないが数で圧倒する白エルフ人が一時を境に解放戦争を仕掛けたことにより、魔人の国『魔界』は滅んだ。

 そのことは後の調査や文献から判明している。

 ロナもそんな調査を行っていた魔法力学と考古学を専門とする学者だったが、数十年前にアインツガルト王国内で発見された巨大遺跡の調査を機に人が変わってしまった。

 ヒュースはそのことを人づてに聞いた。

 なぜロナが豹変してしまったのかまではわからない。ただいつも『家族を思えば』ということを口にしていたらしく、自分に何らかの関係はあるんだろうとは思っていた。

 しかし、現実には残されたヒュースとファルフェは母親のために人々から奇異な目で見られ、同じ世代の子供たちからはイジメに遭っていた。



「私も君のお母様のことは存じているよ。確かに悪名が付きまとっているが、実際はとても聡明で優しいご婦人だったと父から伝え聞いている」

「デュナン様のお父様は母様に会ったことがあるのですか?」

「学生の頃、王立首都大学で同期だったらしい。真面目で成績優秀、おまけにかなりの美人だったそうだ。父も告白したらしいが、どうやらフラれたようだ」

「デュナン様のお父様がフラれたのもわかる気がします。俺の知っている母様は、人に見向きもしないとても堅物の人でしたし」

「父には申し訳ないが、振ったロナ女史はとても賢い判断をしたと思うよ。それだけにロナ女史が禁忌を破ってまで得たかったものがなんだったのか――それを考えると、私はどうしても自己満足の研究だったとは思えなくてね」

「なにか特別な目的があったと?」

「そう思わないのかい?」

「……多少なりと、そう考えたことはあります。でも、いまでは魔法の才能がない俺のことを息子として見てくれていなかったことを思えば、その考えはないと思います」

「そうか。君は、そんな風に思っているんだね」

「どういう意味ですか?」



 虚を突かれる言葉に驚く。

 デュナンが漏らした言葉――その意味はなんなのか?

 ヒュースはどうしても問いただしたかったが、不意に海上の奥からやってきたヴァレンタイトのせいで聞きそびれてしまった。

 ヴァレンタイトがデュナンに向かって告げる。



「グラディッヒ閣下、どうでしょう? 少しばかり皆様の前で政策討論としゃれ込みませんか?」

「いいですね。私も選挙の前に是非一度アナタと討論してみたいと思っていたところなんです」



 そう言って、デュナンは去っていった。

 残されたヒュースは、意味深な言葉に気持ちを曇らせた。

 まるで言葉の針が胸の奥で深く突き刺さったようだ。取そうで取れない針は、ヒュースの心を深く身もだえさせた。

 それだけに歯がゆさを感じてしまい、とっさに始まった討論会も半ば虚ろの状態でしか聞けなかった。

 ふと小さな影がこちらに向かって歩いてきていることに気付く。



「お、お兄ぃ……」



 と語りかけ、ヒュースに抱きついてきたのはファルフェだった。

 どうやら、小さな身体が集まった大勢の賓客の注目の的になることは相当な気力を要したらしい。普段から人見知りのファルフェの顔にやつれた様子が見られた。

 ヒュースは「お疲れさん」とジュースを差し出して、大人たちに相手に頑張ったであろう妹ねぎらった。



「お、お兄よ……。『しゃこうかい』というヤツはとても疲れるところだな」

「でも、頑張ったじゃねえか。兄ちゃんはすげえ嬉しいぞ?」

「……うむ。お兄がそう言うなら、ドゥアルクハーンから受けた呪いを耐えただけの甲斐があったというものだな」

「ん? オマエ、ドゥアルクハーンから受けた呪いにずっと耐えていたのか?」

「もちろんだ。しかし、この程度のことなど造作もない。我はしっかりと耐えてやったぞ」

「偉いぞ、ファルフェ! ますます兄ちゃんは感動した!」



 途端に妹のけなげさを褒めてあげたい気持ちで一杯になる。

 ヒュースはつい我慢しきれず、その小さな身体に覆い被さるように抱きつき、「これでもか」というほどにその頭を撫で回した。

 ファルフェ、カワイイよファルフェ! このまま頬にキスしてしまおうか?

 ヒュースの中にそんな考えが脳裏をよぎる。しかし、同時に妹のぬくもりとは違う殺伐とした気配が背中越しに感じ取った。

 恐怖心に怯えながらも、後ろを振り返る。



「ア、アルマッ!?」

「なにをやってるのよ、まったく」

「いいじゃねえか。頼むから兄妹水入らずのところを邪魔しないでくれ。これからカワイイ妹に全力でキスしてやろうと思ってたところなんだ」

「へ、へえ……。こんな公衆の面前で全力でキスしようだなんて、西国のブランマール人みたいなハレンチなことをしようってワケ?」

「……そうだよ、悪りぃか?」



 と開き直った返事をする。

 けれども、それが気に入らなかったのか。

 とっさにアルマの顔つきが豹変する。

 その表情は邪悪な悪魔のようであり、まるで身体が巨大化したようにとてつもない威圧感を有していた。それだけにヒュースには、鬼の形相で両手の指を鳴らすアルマが恐ろしく見えた。

 慌ててアルマに自制を促す。



「ちょ、ちょっと待て! 公衆の面前で殴るのは問題じゃねえかッ!?」

「問答無用ッ!」



 しかし、ときすでに遅し。

 ヒュースはアルマの重い一撃によって伸された。

 その後のことは言うまでもなく、数日間ファルフェとの接触を絶食を命じられるように固く禁じられたのである。



 魔法は好きだ――。

 人を傷つけるような魔法は嫌いだが、人を喜ばすような魔法ならいくらでも覚えたい。そんな思いを抱くファルフェの才能は教師を驚かせるほどのものだった。

 多くの人間はアーベル家は優秀な魔導士を何人も排出した家柄で、ましてやその家の子供ともなれば、魔法の才能があってもおかしくない。多くの人間がそうささやき、ファルフェの才能を称えていた。

 反面、それを揶揄する人間もいた。



「でも、長らく優秀な魔道士を輩出できなかった一族だろ? いまさら才能のある子供の1人産んだところで、没落しきった家には不釣り合いじゃないか?」



 そういう嫌味は、たいがい同じ貴族からのものだった。

 ただ、ファルフェ本人はそのことを気にしてはいない。むしろ、ヒュースに「オマエがうらやましいだけだ」と言われてきたこともあって、認識としてはなんとなく不快なことなのだろうと考える程度だった。

 そんなファルフェの事情を知ってか知らずか、大好きな魔法学の時間にクラスメイトのユリアが突っ掛かってきた。

 理由は、ファルフェのちょっとしたイタズラがきっかけだった。

 多くの生徒が見守る中、2人が言い合いを始める。



「魔法がお得意なのはわかりましたわ。けど、みんなが練習している中、1人だけ自由に魔法をお使いになるのはいかがなものでして?」

「フッ、なにを言うかと思えば、ただのひがみではないか」

「なんですって?」

「もう一度行ってやる――それはただのひがみだ」



 こうした対立は何度もあった。

 教師は建前上、両者に仲良くして欲しいと言っているが、ユリアの家が名門貴族であることから問題になるようなことは避けて欲しいというのが本音だった。

 だから、ファルフェもそうしたことを見抜いていた。

 その教師が今日はいない──自習の時間だ。

 もちろん、教師がいないのだから、子供たちは勝手気ままに遊び始める。そう思って、ファルフェも教科書を先に進めて召喚術の勉強でもしようと思った。

 自分の席に座り、一例として掲載されていた魔方陣を見よう見まねで紙に描く。すると、2度目の詠唱の末に力の弱いピクシーの召喚に成功した。

 だが、上手く契約がなされなかったらしく、唐突にピクシーが教室の中で暴れ始めた。

 どうにか契約を打ち切って帰還させたものの、室内は珍しい生き物の登場に喜ぶ子供や逆に大声で「怖い」と泣きわめく子供で一杯になった。

 当然、そんな状況を作ったファルフェに碇を上げる子供がいるのも事実だ。

 ユリアはその先導役だった。

 ファルフェはすぐさま自分の行いを認めて謝罪したが、ユリアはそれを許そうとはしなかった。

 口論は続く。



「我は皆にきちんと謝ったではないか。にもかかわらず、それ以外になにが気に入らないというのだ?」

「それで済まされる問題ではありませんわ、アーベルさん。ついでにアナタの普段の言動について、ここでひとつ教育して差し上げねばなりませんわね」

「なぜ貴様などに教育されねばならぬ?」

「貴様などという汚い単語をお使いにならないでいただけませんこと? ただでさえ、王国に悪名高い学者ロナ・アーベルの娘なのですから」

「母様が悪名高いだと?」



 ファルフェがユリアの言葉に激昂する。

 自分を産んでくれた大切な母――その母がけなされれば、ファルフェとって怒らずにはいられなかった。

 腕を上げ、ユリアに向かって振り下ろそうとする。

 ところが間に入ってきたリリルに腕を捕まれてしまう。



「ケンカしちゃダメだよ、ファルフェちゃん!」

「どけっ、リリル。大魔王ドゥアルクハーンに魂を売った悪魔貴族なぞ、なんとしてもこの手で滅ぼさねばならぬ!」

「誰が魔王に魂を売った悪魔貴族ですって? 中二病も大概になさい!」

「言わせておけば……ならば、我が闇の炎に抱かれて死ぬがいい」

「できるモノなら、やってごらなさいな? 教室の中で人を傷つけるような魔法を使えば、一体どうなるかぐらいアナタにもおわかりになって?」



 と言われ、ファルフェは苦虫を噛み潰した。

 実際、ここで使えば大惨事を招きかねない。

 もちろん、ファルフェには人を傷つける魔法を扱う能力はある。しかし、そんなものを学校が教えるはずもなく、かといって独学で覚えて、誰かを傷つけようなどということは考えもしなかった。

 単なる言葉の綾であれば良かったのだが、先日の市長の襲撃事件のことが脳裏をよぎった。

 途端にファルフェは恐ろしくなって、その小さな身体をこわばらせた。

 やり過ぎた――目に涙を溜め、唇を噛み、自分の言動を省みる。

 その様子を見て、愉悦に浸ったユリアが見下ろすように言葉を投げかけてきた。



「ようやくおわかりになったみたいね? 確かにアーベルさんには魔法の才能がおありのようですが、その扱い方には色々と問題があり過ぎますわ」



 なにも言い返せず黙り込むファルフェ。

 それとは対照的にユリアが雄弁さを鼓舞する。



「いいですこと? 二度とこのような軽率な行動をなさらないようお願いしますわ」

「おのれ、ユリア……」

「お返事は?」

「……は……い……」

「わかれば、よろしい」



 そう言って、ユリアは飽き飽きした表情で去っていった。

 ところがなにかを思い出したらしく、2、3メートルほどしたで立ち止まった。

 すぐにファルフェの方を向き直って口を開く。



「そうですわ」

「な、なんだ? まだ私になにかさせる気か?」

「──ええ。反省ついでにひとつドラゴンを呼んでみてくれませんこと?」

「ふぇ?」



 ファルフェが少しだけ素に戻る。

 ユリアの意外な要求に拍子抜けとなったのだ。迷惑を掛けた分、靴を舐めろとか、小間使いになれとか、そういう要求をされるかと思っていたからだ。



「せっかく才能がおありなのですから、是非ともその片鱗をお見せいただきたいわ」

「……わ、私を愚弄するというのか?」

「とんでもない。わたくしは単純にその才能を是非ともお見せいただけないかとお願いをしているのですわ」



 そう言うユリアにファルフェは強く拳を握りしめて思った。




「――できるはずがない」




 確かに魔法の才能がある。

 しかし、それは与えられた教科書や参考書などから得たを丸暗記しているもので大人が使う高等な魔法は知らなかった。

 いや、教えてもらえなかったと言っていい。

 天才だというわりには、大人は危険な魔法は一切教えない。代わりに教えられたものは、人形を自在に操る遠隔操作の魔法などで、教科書の内容を応用すれば、同年代の子供なら誰でも思いきそうなモノだった。

 ゆえにユリアの要求は無理難題だったのである。



「どうなさったの? 天才のアナタならお出来になるのではなくて?」

「そんなもの、教科書には載ってない」

「教科書に載っていないと御出来にならないと?」

「そうだ。正直なところ、私には教科書に書かれたことの応用以外できることはなにもない」

「へぇ……。つまり、アナタは教科書通りのことを完璧になさっていたから、大人たちが「天才」と褒めていたということでなくて?」

「……それがなんだというのだ?」

「本当の天才は自分の手でなんでも呼べたり、作れてしまう人間のことですわ。いまのアナタはなにも知らない中二病という邪気眼ウソでできもしないことをする人間ですわ」

「私がウソつきだとっ!?」



 リリルの腕を振り切り、再びユリアに手を挙げようとする。しかし、今度は身体を押さえつけられ、ファルフェはその場から動けなかった。



「アナタはもう少し現実というものを見た方がよろしくてよ?」



 高笑いながら、ユリアがその場を立ち去っていく。

 唐突に授業の終わりを告げる鐘が鳴る。まるでファルフェの心を屈辱で一杯にしたまま終わらせようとする音だった。

 そのことがどうしても許せず、ユリアに向かって叫ぶ。



「せめて、母様のことだけでも謝って」



 その顔は紅眼の魔女という設定は剥がれ、母のことで怒る娘の顔になっていた。

 とっさにユリアが立ち止まり、一笑するように口を開く。



「よろしくってよ。もし、アナタが本物のドラゴンをこの場にお呼びになることが出来たのなら、さきほどのことは謝罪いたしますわ」

「本当?」

「ええ、本当ですわ」

「わかった……。今度、凄い魔法を詠唱できるって証明してみせる」

「本当にできて?」

「できるもん!」


 

 大好きな母をバカにされたことは一番に許せない。ファルフェは涙ながらに頬を膨らませ、ユリアを睨み付けた。



「わかりましたわ。ドラゴンが召喚できたあかつきには、是非わたくしに見せてくださるとお約束くださいませ」

「約束するもん! 絶対にユリアを謝らせてみせるって約束するもん!」

「それは楽しみにしてますわ」



 再びユリアが歩き出す。

 同時に周囲の取り巻きたちが後ろを振り返りながら、ファルフェを嘲笑っていた。

 刹那、目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 ファルフェは悔しくさのあまり、その場で泣き叫んだ。



「……ユリアなんか大っ嫌いだぁ……絶対見返してやるもぉん……」

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