第3話「小さな英雄」
講堂には全校生徒が集まっていた。
これから市長による特別講演会が行われらしい。
しかし、それは名目上のこと――。
実際には、来月に控えた市長選に向けた保護者へのアピールと言ってもいいだろう。そんな空気を察してか、子供たちはつまらない話に辟易としていた。
よくわからない話を聞くというのは、どの子供にとっても退屈ということなのだろう。
それは生真面目なクラス代表のユリアでさえ、隣に立つリリルに不満を漏らすほどだった。
「まったく……どうして、大人のつまらない話に付き合わなきゃならないのかしら?」
「仕方ないよ。市長さんはこの学校の理事さんでもあるわけだし」
「それなら、このような場は市長ではなく、
などと、ユリアがブツブツと愚痴をこぼす。
ファルフェはその後ろ退屈な講演が始まるのを待っていた。
とっさに「全員注目」という教師の声が堂内に響く。すると、口ひげを蓄えた男が右側から講壇に向かって歩き出した。
講演が始まるらしい――
無邪気な笑い声をあげて騒いでいた子供たちも、教師の引き締まった声を聞いて借りてきた猫のようにおとなしくなった。
それを見計らったかのように壇上の男が「こんにちは」と一声を発する。堂内にいた子供たちもその声に反応して大声で返事をかえした。
それから、ニッコリと笑顔を浮かべた男が口を開いた。
「はい、とてもいいお返事ですね――ありがとう。私は市長のレオニール・ヴァレンタイトです。今日はみんな貴重な時間を使ってお話しさせていただきたいと思います。私のお話は少し退屈で難しい内容かもしれませんが、将来役立つお話だと思って良く聞いてください」
と前口上のようにヴァレンタイトと名乗る男が言う。
どうやら、この男がフラウゼス市の市長らしい――立ち並ぶ子供の群れの中、ファルフェはヴァレンタイトの顔を斜に構えて見ていた。
とっさに子供たちが返事をする。
「は~い!」
それを聞いてヴァレンタイトが話の続きを語り始めた。
「それと、帰ってからご両親にこのお話を是非してあげてくださいね。頭のいい子は大人の都合だなんて思うかもしれないが、いまから話すことはとてもいいことなんですよ」
と告げるヴァレンタイトの話に多くの子供たちはすでに飽き始めていた。
当然、ファルフェも目を擦って眠たそうにしている。
よっぽどヒマだったのか、唐突になにか面白いものがないかと周囲を見回し始めた――が、集会にそんな珍事があるはずがなく、余計に心を退屈に感じさせてしまうだけだった。
右斜め前の方では、教師たちが市長のつまらない話に真剣に聞き入っている。相対して、別の方向を向くと同じ初等部の子供があくびをしたり、小声でおしゃべりに夢中になっていた。
やはり、面白そうなモノはない。
ファルフェはあまりの退屈さにため息をついた。ところが、教師たちが座る席の後方に見慣れぬ男を見つけ、不意に興味を示した。
いったい誰だろう?
しかも、1人だけ壇上に向かっている。
(――市長さんの知り合い?)
そうも考えてみたが、木綿のフードを深々と被った容貌からさすがのファルフェも違和感を感じえなかった。
じっと教師の後ろを歩く男を見つめ、観察し続ける。すると、男の胸元に銀色に光るなにかに気付いた。
その直後だった――。
男が市長の名を叫び、とっさに講堂の隅を走り出したのだ。
慌てて気付いた教師が制止しようとする。しかし、男はその手を逃れてさも獲物を捕らえんとする猛獣のように駆けていった。
その光景を目の当たりにし、ファルフェも周囲の子供も突然の出来事に状況がつかめず、混乱しきっていた。
「全員、講堂を出なさい!」
ようやく気付いたのは、教師の一言だった。。
それにより、講堂は一瞬にして混沌の様相を呈した。逃げ出す者と恐怖に立ち往生する者の二者に分かたれ、そのうち後者であるファルフェは立ち往生する人間となって錯乱状態に陥っていた。
「アーベルさん、早く!」
一向に動こうとしない様子を見かねて担任が声を掛けてくる。
しかし、錯乱したファルフェが動けるはずがない。ただ恐怖に身を震わせ、頭の中を真っ白にしているだけだった。
ファルフェの目線の先では、屈強そうな男性教師と男の捕り物劇が行われて、どうにか抵抗する男を捕らえていた。
ところが男は一瞬に隙を突いて教師の手から逃れた。しかも、ファルフェめがけて真っ直ぐ駆けてきている。
(イ、イヤ……来ないでっ!)
瞬時にそう叫ぼうとする――が、口が動かせない。
恐怖に全身が石のように重くなり、ファルフェの意志を拒み続けているのだ。何度も必死に叫ぼうとするが、身体は言うことを聞かなかった。
その間にも男が迫ってくる。
「そこをどけ、ガキ!」
ファルフェは「もうダメだ」と覚悟し、頭にヒュースの顔を浮かべた。そして、二度と会えなくなってしまうことを悲観しながらも、頭の中でひたすら謝り続けた。
刹那、視界が暗闇に閉ざされる。
すっかり死んだ気になったファルフェは、自分がすでに天国に来てしまったのだと考えた。
ところが――。
「……さん……アーベルさん!」
なにが起きたのだろう?
それすらわからない中、耳に女性の声が聞こえてくる。声は、とても優しくて温かなモノで、死んだと思ったファルフェに語りかけてきている。
しかも、最近まで身近に聞いていた声なのではとそう思わせた。
勇気を振り絞り、ゆっくりと目を開く。
すると、そこには見なれた人の顔があった――若くて美人でいつも優しい担任の女性教師の顔。どうやら、いまの呼び声は身を挺してかばってくれた女性教師の声のようだ。いつのまにかふくよかな胸の中に抱かれていて、ファルフェはなにがなんだかよくわからないといった表情を見せた。
とっさに顔を上げて、女性教師の顔を見る。
「……あ、あの……先生……」
「大丈夫ですか、アーベルさん?」
「は、はい……大丈夫です」
突然起こった出来事に動揺を来たし、ファルフェの口調はいつもの中二病じみた言葉遣いではなくなっている。本人も素の自分に戻っていることをスッカリと忘れ、よくわからない状況に呆然とするしかなかったのである。
「よかったわ。怪我もないみたいね」
「あの、先生」
「なあに?」
「さっきのオジさんは、どうなったんですか?」
「覚えてないの?」
「どういう意味ですか?」
と、恐る恐るく訊ねる。
いったい「覚えていないの?」とは、どういうことなのか? ファルフェは、まったく身に覚えのない事柄に耳を疑った。
そして、言い訳をするように直前までの行動を語り出す。
「だって、私怖くて動けなくて……。それからのこと、あんまり覚えてないんです」
「それじゃあ、アナタが風の魔法であの男を倒しちゃったことも?」
「……えっ?」
※
80畳ほどの大広間にたくさんの人が集まっている。
内装は家主の嗜好なのか、全体を薄紫色の壁紙で統一しており、壁も絨毯もライラックの花の絵があしらわれていた。さらに柱や窓には、最新のゴシック・リヴァイヴァル建築様式が採用されている。
そんな部屋の飾り付けに負けじとで、色鮮やかなドレスをまとった女性や首もとに大きなクラヴァットと呼ばれる布を巻いたコートに身を包んだ中年の男が優雅に立ち話に耽っていた。
それらを見て、ファルフェはとても場違いな場所に来てしまったと思った。
さながら、絵本の中の舞踏会に迷い込んだよう。
いま着ているドレスも、アルマが用意してくれたベールグリーンの一張羅。とてもカワイイモノだとは思うが、『しゃこうかい』という場所に現れる流麗な女性のドレスと見比べると、いささか子供っぽく見える。
ファルフェは、自分のドレスがみすぼらしく思えて仕方がなかった。
「どうかしたか?」
不意にヒュースの顔が目の前に現れる。
ファルフェは唐突な兄の登場にわずかばかり驚かされたが、目の前で見た事実を伝えようとオドオドしく言葉を紡いだ。
「お兄ちゃん、私どうしよう……」
「ん? どうした?」
「王様のお城に来ちゃったよ」
とっさにヒュースが笑い出す。
当然、ファルフェは「なにがおかしいの?」と風船みたいに口を膨らませて怒った。
なにせ本当に恐ろしく思えたのは事実なのだ。
だが、当のヒュースには反省の色がない。それどころか、悪そびれることなく謝るので、さらにその頬は膨らませた。
「なにがおかしいのっ!?」
「いや、わりいな。あまりにも大げさに言うもんだから、つい」
「だって、こんなに大きいんだよ?」
「そりゃあ、確かに市長の家は女王陛下のお城みたいに大きいよな。だけど、オマエが想像するよりも、遙かに陛下の城は何十倍も大きいんだぞ?」
「そうなの? じゃあ、お兄ちゃんは行ったことある?」
「陛下の城に……?」
「うん、陛下のお城に」
「さすがに兄ちゃんでもないよ。あそこは本当に選ばれた人じゃないと入れねえんだ」
「私は入れるかな?」
「う~ん、どうだろなぁ? ファルフェが頑張って凄い魔法使いにでもなれば、きっと陛下もお城に招いてくださるんじゃないか」
「……本当? じゃあ、私頑張って魔法のお勉強する」
「おう、頑張れよ――ところで、口調は素のままでいいのか?」
「あっ! しまった!」
とっさの指摘され、ファルフェは素に戻っていたことを思い出した。
すぐさま小さな口で大きく息を吸い込む。そして、見たこともない人々と屋敷の豪華さに負けじと、虚勢を張るが如くいつもの口調に戻した。
「クックック……。どうやら、忌々しいことにドゥアルクハーンの記憶操作術で操られてしまっていたようだな」
「ああ、いまオマエはすげえ危険だったぞ。兄ちゃんはドゥアルクハーンの記憶操作術からなんとかファルフェを助け出してやったんだぜ?」
「そうか。ならば、お兄に礼を言わねばなるまい。やはり、私はお兄という一番身近にいて欲しい家臣がいなければ、世界征服はできんようだ」
「……ファルフェ。俺は、その一言がうれしいぜ」
「これからも私のそばにいてくれ」
「ファルフェ~っ!」
そう叫んで、ヒュースが抱きついてくる。
担任に抱擁されたときみたいに甘い香水の香りはしないが、ファルフェにとって大切な兄の抱擁は特別なものだった。
ふと誰かの視線を感じる。
目線を上げると、知らない男の人が立っていた。
「とても仲がいい兄妹だね」
そう告げる男性。
ファルフェは、とっさに怖くなって抱きつくヒュースの体の潜り込んだ。普段から人見知りの激しいだけにどう対応していいかわからなかったのだろう。しかし、その男性が絵本の中の王子様みたいに格好良かったため、わずかに顔を覗かせた。
薄水色の流れる総髪。
上等な生地で作られた衣服にはぴっしりとノリが塗られ、シワ1つないキレイな状態を保っている。さらにささやくような甘い声と群青色の中に輝く星のような瞳は、女性なら誰でも見惚れてしまう理想の王子様そのものである。
「どちら様ですか?」
しかし、面と向かって声を上げたヒュースは違っていた。
妹とのスキンシップのひとときを邪魔されてか、男性を不満そうに見ている。そんなことを察してか、ファルフェは困惑の表情を浮かべた。
「失礼。私は、デュナン=グラディッヒという者だ」
その名前を聞き、ヒュースの態度が変わる。
唐突に立ち上がり、ファルフェの前でこわばった表情を見せたのだ。
「グラディッヒって……。もしかして、来月の行われる市長選に立候補したグラディッヒ侯爵ですか?」
「デュナンでいいよ。ヒュリスガム・アーベル男爵」
「俺の名前を知ってるんですか?」
「まあ妹さんは市長を救った英雄だし、そのお兄さんとなればね」
「……ああ。そういうわけですか」
「まあそう言うわけで。今日は2人にご挨拶をと思ってね」
「わざわざスイマセン」
「礼には及ばないよ。他人の屋敷で悪いんだが、今度私とも一緒に会食なんかどうだい?」
「機会があれば是非お願いします」
「そのときは、ちょっと妹さんに私のことも言ってくれるよう頼むよ」
なにやら大人の会話らしい。
ファルフェはヒュースが『しゃこうじれい』というものをする立派な大人に見えた。
もし自分が大人になったらどうしよう?
胸も大きな女性になりたいし、アルマの姉のようなキレイで優しいお姉さんになってみたい。ほかにも色々やってみたいことはあったが、ファルフェはやっぱり世界征服が一番やりたいと思った。
でも、いまの大人は目の前で小難しい話をしている。そう考えると、大人になるのは簡単じゃなさそうだった。
「やっぱり、大人ってわかんない!」
ファルフェは、心の中でそう思って首を傾げた。
すると、唐突に「どうしたの?」という声が聞こえてくる。
振り向くと、今度はアルマが顔の前にしゃがんで立っていた。今日はいつものスラックスのズボンではなく、女性らしい華やかなドレスをまとっている。
「アルマ姉よ、大人は『しゃこうじれい』を言わねばいけない生き物なのか?」
「貴族はみんなだいたいそうよ。ファルフェぐらいの年頃じゃまだよくわからないのも無理はないわね。たとえて言うなら、嘘と本当を使い分けるみたいなのかしら?」
「嘘と本当を使い分けるだと?」
「ちょっと難しかったかしら? まあヒュースぐらいの歳になったらわかるわ」
「ふむ、よくわからんな……。大人とはなんと面倒な生き物なのだ」
「まだ子供だからしょうがないわ」
「子供とは失礼な。私はいずれ世界を支配する紅眼の魔女。そこら辺の頭の悪い連中と一緒にされては困るぞ」
「フフッ、わかったわ。ファルフェは頭がいいし、カワイイからそのぶん大人よ」
「うむ。アルマ姉に言われるとなんだか恥ずかしい気もするが……それも良しとしよう」
「ありがとう」
と言われ、ファルフェは頭を撫でられた。
ヒュース同様、幼馴染みで姉も同然の存在であるアルマに頭を撫でられるのはとても気持ちがいい。それだけでファルフェは猫みたいにうっとりした気分になれた。
「ちょっとよろしいかな?」
そんなとき、また別の誰かがやってきた。
ファルフェはせわしなく現れる人間に対して少し億劫になった。振り返ってみると、声の主は先日学園の講堂で講演会を開いたヴァレンタイトだった。
隣のアルマが立ち上がり、深々と会釈する。
「市長。お招きいただき、ありがとうございます」
「これはこれはアルマ嬢」
「残念ながら、父は軍務で多忙につきパーティに出席できませんでした。しかしながら、『市長によろしく』と言伝を預かって参りましたわ」
「ありがたいお言葉に感謝いたします。ベーレンドルフ将軍には、是非一度会食をとお伝え願えいただけないでしょうか?」
「伝えておきます」
「ときにアルマ嬢、そちらのファルフェ嬢とお知り合いですかな?」
とでっぷりとしたお腹のヴァレンタイトが言う。
ファルフェを上からなめ回すような眼で見られいみたいで怖かった。
元々、人見知りが激しいためにこういう事柄には慣れていない。
それゆえ、紅眼の魔女という設定を忘れ、不気味な微笑みを浮かべるヴァレンタイトをアルマの背中からのぞき込むことしかできなかった。
途端にアルマに肩を掴まれる。
そして、強引に前に押し出され、ファルフェはヴァレンタイトと向き合った。
続けざまにアルマが話す。
「――実はこの子とは又従姉妹でして」
「おや、そうでしたか」
「小さい頃から親しくしておりまして、本当の妹同然に可愛がってきたんです」
アルマにうながされ、震えながら小さく頷く。
すると、ヴァレンタイトが腰を折って話しかけてきた。
「そろそろ君を解錠の皆様に紹介したいのだけど……いいかな?」
その問いに勇気を振り絞り、いつもの口調で返事をしてみせる。
「ドゥアルクハーンから受けた傷が疼かぬ間であれば構わぬ」
「ドゥ、ドゥアルクハーン……?」
「かの大魔王にして、我が宿敵だ」
「よ、よくわからないが……まあともかく中央へ来てくれないかな?」
と言われ、ファルフェは会場の隅に置かれた演壇の前に案内された。
そして、その脇で待つよう言われ、演説台へと向かうヴァレンタイトの背中を見送った。
すぐヴァレンタイトの調子のいい声が聞こえてくる。
「ご来場の皆様、今宵のパーティへようこそ。本日は最後までお楽しみください」
来場者たちの視線が一気に壇上のヴァレンタイトへと向けられる。
どの顔も本日のメインイベントがようやく始まるのかという顔をしており、演壇の周囲は熱を帯びた雰囲気を醸し出していた。
ヴァレンタイトの口上が続く。
「さて、ご存じの通りわたくしは先日市長選への立候補を阻止せんとするやからに襲われ、その場にいた女の子によって助けられました」
それに伴って、ファルフェが見ていたキレイな女性やダボダボの衣服をまとった中年男性が自分を見ていることに気付いた。
緊張のあまり目線を下の方に向ける。
「彼女は本当にわたくしの命の恩人です。今日はその恩人を英雄としてたたえ、皆様と共に祝福しようとお集まりいただいたしだいです。それではご紹介しましょう、私を救ってくれた幼き英雄ファルフェ・アーベル嬢です!」
パチ、パチ、パチ――と、一斉に拍手が会場に鳴り響く。
ファルフェは本当に自分がやったのかもわからない出来事に戸惑いながらも、誘われるがまま演壇へと上がった。
そして、「みんなに挨拶しよう」とささやくヴァレンタイトの声に応じて小さく一礼して見せた。
途端に「おおっ」という声が上がる。
それが余計に驚かされる行動で、ファルフェの身体はさらにこわばった。
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