第2話「写真の見方」
「うっし、できた!」
12畳ほどのリビングに置かれたソファ。
そこにヒュースは腰を掛け、出来上がったばかりのドレスを満足げに広げている。もちろん、着せる相手はファルフェである。
アーベル家は、なにせお金がない。
衣服はできるだけ外向けのモノ以外は自ら製作することもある。それゆえ、このような服1つにしても、ヒュース自身があしらわなければならなかった。しかし、同時に妹のために丹精込めて作るということがシスコンの兄にとって至福のひとときであった。
服の完成を告げると、すかさず床に寝転がって本を読んでいたファルフェが反応を示す。
「ようやく、我が魔装法衣が完成したのか」
と、いつもの中二病の口調で語りかけてくる。
その一言を聞いて、ヒュースは自慢げに話しかけた。
「嗚呼、どうだ。今回のモノは、いつも以上に傑作だぞ?」
すると、ファルフェが衣服を手にとってマジマジと見始めた。
「自分に合っているか」、「飾り付けはどんなモノだろうか」、「可愛く出来たか」など気になって仕方がないのだろう。
しばらく品定めをすると、唐突に唸り声が上がった。
「う~む……。さすがお兄の造成魔術は一流だ。天に昇る日の光すらも、闇で覆ってしまいそうな勢いある装束だ」
「おっ、そうか? んなこと、言われると兄ちゃんはすげえ嬉しいぜ」
「褒めて使わす」
「ハハッ、ありがたき幸せ!」
腰を折って、衣服を献上するようなポーズをしてみせる。
すぐにファルフェがドレスを手に取り、その場で掲げてはしゃぎ始めた。ヒュースは、その様子を眺めながら、ふとあることを思い出して口走った。
「ところで、午後からオスカーさんのところへ行くんだが――オマエも一緒に来るか?」
「なにっ!? それは、まことか?」
「ああ、そろそろ買い置きの食料が必要かと思ってな。またあの人のことだから、メシも食わずに機械いじりに没頭してるんだろうしな」
ヒュースの言うオスカーとは、母が亡くなった際に2人の身元引受人となってくれた人物のことだ。大学時代の恩師らしく、いまは引退して埠頭にある倉庫街でひっそりと蒸気機関の研究をしている。
幼い頃から世話になっており、半ば祖父とも言える存在だった。
特にファルフェがなついていた。
「……クックック、これはよい。ならば、今日は我が野望に必要な機械人形の品定めといこうではないか」
「機械人形ねぇ~? ありゃあ、上手くできてるよな……にしても、ファルフェも好きだな」
「無論だ。我は優れた機械に興味がある。いずれは、鋼の如き堅さを持つ巨人に仕立て、ドゥアルクハーンとの決戦に備えるのだからな」
「なるほど」
「お兄よ、善は急げだ。一刻も早くジイジのもとへ行くのだッ!」
そう言って、ファルフェが扉に向かって走り出す。
ところが、偶然にも入室してきたカーライルとぶつかってしまう。途端に「ひゃん」と奇声が上がり、ファルフェはその場に尻餅をついて倒れ込んだ。
見かねたヒュースが小さな身体へと近付いていく。すると、ファルフェが素の口調でお尻をさすり始めた。
「い、いたぁい……」
「おい、大丈夫か?」
すぐに身体を起こしてやる。
それから、慌てた様子でカーライルが声を掛けてきた。
「お嬢様、お怪我はございませんか?」
「大丈夫」
「申し訳ございません。わたくしがもう少し注意して入室していれば、このようなことにはならなかったのですが」
「本当に大丈夫だよ。それより、カーライルに聞きたいことがあるの」
「なんでございましょう?」
「それ、なあに……?」
とファルフェが指を指す。
ヒュースはその一言にカーライルの足元を見る。
そこには、1枚の写真が落ちていた――全体がセピア色に染まっていて、所々が赤みがかって劣化しかけている。
どうやら、カーライルが落としたモノらしい。
とっさに床に落ちた写真を手に取る。すると、そこには若い男性と年下と思われる女性が並んで写っていた。
「もしかして、これ若いときのカーライルか?」
「ええ、左様でございます」
「見た感じだと、ずいぶんと若いなぁ――この左に移ってる少女は?」
「大奥様でございます」
「……えっ……これが……母様……?」
刹那、ヒュースの顔が曇る。
そこには、さっきまでファルフェの為に頑張ることに喜びを得ていた青年の姿はなかった。それどころか、暗く顔を沈ませている。
とっさに気付いたファルフェが「お兄ちゃん?」と心配そうに声を掛けてきた――が、その一言にも気付けず、ヒュースは写真を見つめたまま固まっていた。
わずかして、鈍重な反応を見せる。
「あ、わりぃ……」
「大丈夫? お兄ちゃん」
「イヤ、なんでもねえんだ。ファルフェが心配するほどのことじゃねえよ」
「だけど、なんだか元気がなかったよ?」
「ホントになんでもねえんだ。そんなに心配すんなって!」
と、誤魔化すように笑みを漏らす。
そんな表情を見破ってのことだろう。すぐさまカーライルが「旦那様」と声を掛けてきた。
「カーライルもわりぃな」
「いえ、また旦那様は『あのこと』をお気になさってるのかと……」
「気にしてねえって言ったら、ウソになるかもしれねえけどよ。ちょっとこの写真見て、考え込んじまったんだ」
「本当に申し訳ございません。わたくしがこのような写真を引っ張り出してきたばかりに」
「それよりさ。この写真は、いつ頃撮ったモノなんだ?」
「はい、わたくしが軍を除隊したばかり頃のモノでございます」
「え……? ってか、カーライルは王国軍にいたのか?」
「お恥ずかしながら、機動魔導士として所属しておりました。これは、そのときまだ中等部の学生だったロナ様とご一緒に撮らせていただいた写真でございます」
「ソイツは意外だな。まさかカーライルが軍にいたなんて……」
「まあなんと申しますか。若気の至りみたいなものでございますよ」
「へぇ~、人に歴史ありって感じだな。俺は、ずっとこの家に奉公に来てたんだとばかり思ってたよ」
そう言って、カーライルに拾った写真を返そうとする。
ところが、ファルフェがシャツの袖を引っ張って「我にも閲覧を要求する」とせがんできた。仕方なく、手にして写真を手渡す。
すると、ファルフェはその写真を食い入るように見始めた。
だが、同時にオスカーの工房へ急ごうとしていたことを忘れてしまったのだろう。ヒュースは、そのことを妹に問い質した。
「それより、ファルフェ。オスカーさんのところへ行くんだろ?」
「ハッ、そうであった! 我としたことが、ドゥアルクハーンの幻術のせいで、すっかり忘れるところであった」
「なんだ、忘れてたのか」
どうやら、写真を見るのに夢中で完全に忘れていたらしい。
慌てた様子で、カーライルに支度をするようにせかしている。
「カーライルよ。我はこれからジイジの元へ行く――馬を用意するのだ」
「かしこまりました。では、すぐに準備いたしましょう」
「急ぐのだぞ?」
もう本当に早く行きたくてしょうがないらしい。
ヒュースはその様子を見ながら、仕上がったばかりのドレスを高々と天井に掲げ、いつかファルフェが袖を通す日のことを思い描いた。
※
フラウゼス市では、交易が盛んである。
鉄、化石燃料、異国の特産品や珍しい品々など、様々なモノが陸揚げされる。そうなると必要になるのは、一時保管に必要な倉庫とそれを運ぶ運搬法だ。
昔は、取引所を兼ねた倉庫に馬車が頻繁に出入りしていた。だが、蒸気機関車が発明と共に物資の大量輸送が可能となった。
操車場を隣接させ、その日のうちに遠くへと運ぶ。
すべては文明の発達のおかげと言ってもいい。そんな科学技術を発達させ、日夜研究に励む科学者たちがいることを忘れてはならないだろう。
オスカーは、そんな科学者の1人だった。
ファルフェが黒い煙が立ち上る製鉄所のそばを通り抜けていく。
その先にある倉庫街の一角にオスカーの研究所はあった。軒先で作業をするオスカーの姿を認めるなり、ファルフェが大声で駆けて行く。
「ジイジ!」
ヒュースは、その小さな身体がオスカーに抱くのを見るなり、本当の祖父と孫のようで微笑ましく思った。
ゆっくりとした足取りでオスカーの元へと近づく。
そして、顔のあたりで手刀を切るような仕草をしてみせた。
「こんにちは」
「おお、ヒュースも来たのか」
「スンマセン、だいぶ遅くなりました――今月の生活費と差し入れの弁当と、それから保存できそうな食材をいくつか見繕ってきました」
と言って、持ってきたバスケットを手渡す。
すぐにオスカーが受け取って、中身を確かめる。中に入っているのは、カーライル特製のサンドイッチとハニートーストだ。
昼も食べずに作業していたのか、うれしそうにバスケットの中身を一目している。しかし、まだ食べる気はないのだろう。
顔を上げて、ヒュースに礼を言い始めた。
「いつもスマンな」
「母様の遺言に沿って決めたことですから。身元引受人を引き受ける代わりに生活費と食料を援助する――そう言う約束じゃないですか?」
「……まあな。しかし、オマエさんはもう1人前だ。もう私の保護なんぞいらんだろ?」
「もちろん。むしろ、俺は年寄りの介護だと思いますがね」
「ぬかしおって」
豪快にオスカーが笑う。
その足下では頭を撫でられておとなしくなったファルフェが微笑んでいた。
「ジイジよ、我は蒸気機関車が見てみたいぞ。いつも通り勝手に触ってもいいか?」
「おう。勝手にいじっていいぞ」
「クックック……話がわかるジイジは大好きだ」
「そうか!」
再びオスカーが笑う。
そのうち、ファルフェが研究所の奥に消えていった。
目的は展示されている機関車をいじることだろう。オスカーが蒸気機関の研究目的に王立鉄道公社から払い下げてもらったものらしい。
ヒュースが幼い頃から展示してあったが、あまり興味はなかった。むしろ、ファルフェの方が人一倍興味を持って、女の子らしからぬ態度でいじっていた。
唐突にオスカーに問われる。
「士官学校はどうだ? 卒業したら、陸軍か海軍の士官だろ?」
「付いていくのがやっとです。俺の頭で将校になれるかどうか微妙ですね」
「そう言うな。オマエさんは私の教え子、天才学者ロナ・アーベルの息子なんだ。ただの馬鹿であってどうする?」
「おっしゃりたいことはわかります。ご期待通りとはいきませんが、善処はしますよ」
「うむ、その方がいい。私は変に謙虚なのは嫌いだ」
オスカーはそう言って、再び手を動かし始めた。
ふと目の前にある機械を見る。
大きなモニュメントを思わせるそれは蒸気機関の試作品らしく、パイプとネジで固められた複雑な構造をしながらも、排気口らしき部分から蒸気を噴かせていた。
「なにを作ってるんです?」
「……往復動型内燃機関だ」
「往復動型内燃機関?」
「西側の連中にヤツに言わせると『レシプロエンジン』というらしい。一定のストロークを与え、燃焼と排気そして駆動の3つを周期運動によって完結させる代物だ。もしかしたら、コイツの発展で現在のボイラー式蒸気機関車よりも馬力があって、さらに大量輸送が可能な機関車が生み出されるかもしれん」
「仕組みはわかりましたけど、いったいナニで動いてるんですか?」
「なんじゃ? 普段、あまり興味を示さないオマエさんが興味を示すなんて珍しいな」
「茶化さないでください。たまたま面白い動きをする機械だなって思っただけです」
「フハハハ、悪かった。んまあ、端的に言えば、コイツは『
「稜威油?」
「オマエさんは、人間がエルフから進化したというのは授業で習ったか?」
「……ええ。というか、先日授業中にアルマとしゃべっていたら、大学の講師に注意されてしまいまして、物のついでに出題されたばかりです」
「そりゃまあ、災難じゃったな。だが、集中してなかったオマエさんも悪い」
「いいじゃないですか――それより、なんなんです? 稜威油って」
「
「蒸気機関車に使われてるアレですよね?」
「そうじゃ。アレは不活化・結晶化した魔力の炭をわずかな魔力を注ぐことで活性化させ、燃焼させる代物じゃ」
「知ってます。初等部の頃、社会見学の一環で機関車に乗せてもらったことがありますよ」
「ほう。なら、どういう風に燃えるのか覚えとるじゃろ?」
「確か魔力を込めた息を火種となる稜威炭に吹きかけるんですよね。そして、それがポワ~ッと白く光って、不活化してた魔力が活性化する……だったかな?」
「ああ、それで合っとるよ――で、それとは違って稜威油は、太古の昔に住んどった妖精の死骸から染み出たマナが地中で油となったモノなんじゃ」
「地中で油になる……? いったいどうやって?」
「小難しいかもしれんが、土の中には無数の微生物が住んどる。その微生物が化石化した妖精の死骸を喰らって、マナを取り込んだことで油分を作り、その油分が――」
「あ~はいはい、よくわかりました」
「コラッ、まだ話は終わっとらんじゃろ?」
「いや、なんつーか、やっぱり俺の頭じゃついていけないみたいですし」
「まったく……。オマエさんは、ロナと違って我慢弱いのぉ~」
「それについては、否定はしません。とにかく凄いってことだけはわかりました」
「なんだか納得いかんが、金と食事を持ってきてくれたことに免じて許してやる。とにかく、エンジンの登場は、これからの時代が大きく変わるってことだ」
「どう変わるんです?」
「例えば、現在使われている蒸気自動車は稜威油を燃やして動く車に取って代われる」
「なるほど。いちいち稜威炭を入れながら走る必要がなくなるんですね」
「そういうことじゃ。それと、最近海の向こう側の国で車輪に軌道の代わりとなる鉄製の靴のようなものが開発されたらしい」
「鉄製の靴?」
「履帯というそうだが、ワシも詳しいことはわからん。ただ、列車のようなレールを必要とせず、自分の脚にレールのようなモノを履いて動くらしい。レシプロエンジンとソイツがあれば、悪路でも自由自在に移動できるようになるそうじゃ」
「自在にですか。それって、なにに使うんです?」
「う~ん、用途は様々じゃな」
「答えになってないじゃないですか?」
「細かいことはいいじゃろ。とにかく、それだけ技術が日々進歩してるって証拠だ」
「なんか腑に落ちませんが……。ちなみに、コイツはいつ完成するんです?」
「まだまだ当面先だ。作った当人が言うのもなんだが、まさに神のみぞ知るだ――まあ、頑張ってはいるんだがな」
またオスカーが笑う――良く笑う人だ。
そんな印象を持つオスカーは明るく気っぷのいい人柄をしている。ヒュース自身も子供の頃から世話になっており、大きく影響を受けた存在だ。
だから、ヒュースもオスカーの笑顔に自然と顔をほころばせた。
不意に工房の奥からファルフェが顔をのぞかせる。
「ジイジよ、我は新しい発明が見たい。なにか目新しいものはないか?」
と言って、ファルフェがオスカーを呼びつける。
すると、オスカーは孫のような存在であるファルフェのおねだりに答えようと「ちょっと待ってろ」と孫をあやす老人のような顔つきで奥に消えていった。
残されたヒュースは蒸気を吹かせるエンジンを見ながら、ポツリとつぶやいた。
「時代は変わる……か」
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