第1章「妹は、鋼鉄《くろがね》の竜を呼ぶ」
第1話「友達と幼馴染」
特別行政区フラウゼス市――。
この地は王政統治下にありながら、近年高まる民政運動から市長を地区の代表者や在住する貴族によって決める直接選挙制を取っていた。
その理由は、第3代国王が行った改革にある。
国王は昨今流行していた啓蒙思想を取り入れ、自らが統べるという絶対王政を捨て、国王在位のままの民主的議会への改革と移行を奨励した。その手始めとして、フラウゼス市を次時代のモデル都市として指定したのである。
主産業は、海洋貿易、造船、鉄鋼業の3つ。
特に大規模な港湾設備のおかげで輸出が盛んだ。それに合わせて、鉄道網も施設されていたこともあり、フラウゼス市は輸出入関税で大いに潤った。
またその収入で都市インフラは類を見ないほどに整備された。道路、水道、病院はもちろんのこと、貧困格差の是正対策に至るまで市の予算は使われた。中でも注目を浴びたのが、貴族と一般民衆が机を並べて学業にいそしむ市立フラウゼス学園だ。
本来、学校とは教会が主導する慈善的な事業である。
しかし、このフラウゼス市では、わずかでも税を納めた市民であれば、誰もが教育を受ける権利が得られる最先端の義務教育機関だったのである。
ファルフェは、その初等部に通っている。
ややパーマがかった黄金色の長い髪と水気のある小さな唇。キュッと引き締まったツリ目にはエメラルドの瞳が収められて、無垢なまでに白い肌が美少女であることを物語っていた。
それがファルフェ=アーベルという10歳の少女だ。
いまは、なにやら退屈しているらしく、つんけんとした様子で机に突っ伏している。しかし、すぐに担任の女性が軽やかに挨拶をしながら入室してきたのを見てか、その態度は一転して改められた。
ふと目をある方向に見遣る。
すると、ファルフェはいつもと違う光景に気付かされた。それは、女性教師が華奢な身体の女の子を連れ立っていたことである。
どうやら、編入生らしい。
それを知って、ファルフェの顔は教壇の方に釘付けになった。
「編入生を紹介します――リリル・シェプランツェさんです」
ファルフェが在籍する4年A組の人数は12名。今日、地方から引っ越してきたというリリルを加えれば13名となる。
そのリリルが壇上に立って、挨拶をし始めた。
「は、初めまして。よろしくお願いします」
だいぶ緊張のせいか、リリルは声がうわずっていた。周囲の煽りもあって、思うように自分を出せないのだろう。
ファルフェは、その様子を机に突っ伏しながら眺めていた。
容姿は、小柄で華奢。3つ編みに編み込んだ赤毛を垂直に降ろし、そばかすと下がり気味の目尻が恥ずかしそうにする仕草を飾り付けている。
如何にも気の弱そうな少女――それがファルフェの印象だった。
とっさに教室中から拍手が鳴り響く。
気付いたときには、見事な縦ロールの金髪少女が立ち上がって祝辞を述べていた。
「フラウゼス学園へようこそ。クラス代表のユリア・ブランデンベルクが歓迎いたしますわ。ここは貴族と平民が共に学び、交流を深める歴史上初の市民平等の学校。シュプランツェさんにとっても良き学問と良き学びの友ができますことをお祈りしますわ」
ファルフェは、その様子を見て「名家の生まれだからって、なんだか偉そう」と心の中でつぶいた。
角張ったツリ目と傲慢な態度からそう取れるのだろう。
やがて、挨拶が終わると、リリルの席が用意されることなった。
その場所は、意外にもファルフェの右隣。担任教師から最も遠い窓側最後列の端に位置する場所だった。
互いに顔を見合わせ、様子をうかがうように言葉を交える。
「あの、よろしく」
「我が名はファルフェ・アーベル。しかし、真の名は紅眼の魔女メイヴィス・ローディス・ラ・ファーゼスト・ギュヒトナーである」
「メ、メイヴィス……?」
「呼びづらければ、ファルフェで構わん。我はいずれ世界を征服する紅眼の魔女にして、歴史に名を残すの英雄の血筋を持つ者だ。なにか不便があれば、遠慮なく申すがよい」
「……う、うん」
「そう固くなるな。私はとても優しいのだぞ?」
「わかったよ、ありがとう」
ファルフェは、編入生に自分をアピールできたと優越感に入り浸った。さらに印象を良くしようとアルマにもらったクッキーをコッソリと差し出す。
すると、リリルが驚いた様子でこちらを見てきた。
かなり緊張していたのだろう。教師が教科書を読み進める中、顔にうれしさをにじませて感謝の気持ちを伝えてきた。
「ありがとう」
ファルフェは感謝の言葉を聞いて、ちょっと照れくさくなった。
次の時間の中休み。
リリルがさっそくと言わんばかりに話しかけてきた。
「ファルフェちゃん」
「なにかね、リリル・シュプランツェよ」
「……あ。ファルフェちゃんって、呼んでもいいよね?」
「うむ。ならば、我が名をもう一度呼んでみよ」
「え?」
「いいから、呼んでみよ」
「ファルフェちゃん?」
「クックック…….。なんと心地のいい響きだ。礼に1つ、我が魔法の中でも最強中の最強の魔法、あらゆる刻を一瞬にして駆けられる『
「えぇ~っ!? 名前呼んだだけなのに、なんでそうなるの?」
ただ、嬉しかった。
人見知りの激しいファルフェはクラスメイトと親交が少なく、そんな風に呼ばれるのは久方ぶりのことだった。
友達を作りたくないのではない。ただ単に「どんな話で親しくしたらいいか」ということをファルフェは知らなかったのである。
ファルフェが饒舌に語る。
「なにを言っておる。リリル・シュプランツェは、すでに親愛なる我が同志なのだ。このぐらいのことを教えられねば、世界征服を為そうとする者のたかが器が知れるわ」
「よ、よくわからないけど……友達ってことでいいんだよね?」
「その通りだ」
「ありがとう。私もどうしようか迷ってたから、そう言ってくれて助かったよ」
「礼には及ばぬ」
「じゃあ、私のこともリリルでいいよ」
「うむ。では、以後そのように呼ぶことにしよう」
と言うと、ファルフェは心の中で叫んだ。
(いますぐ隣の学校にいるお兄ちゃんにこのことを伝えたい!)
その気持ちは、一心に喜びに満ちあふれていた。
同い歳の友達がようやくできたことをヒュースと分かち合いたい。そんな気持ちで溢れ、ファルフェを高揚させていた。
そんな中、ふとリリルの胸元に光り輝くものがあることに気付かされる。
なんらかの刻印が施されたひし形の蒼い宝石が埋め込まれたペンダントらしい。途端に気になったファルフェは持ち主であるリリルに訊ねた。
「ときにリリルよ。その胸元の首飾りはどこで手に入れた?」
「え? このペンダントのこと?」
「そうだ」
「よくは覚えてないんだけど、ずいぶん前にお父さんからもらったモノなの」
「そうなのか……。しかし、似たようなものが世界には存在するのだな。もしや異世界からの流入品ではあるまいな?」
「どういう意味?」
「クックック……。実は我もそれと似たようなものを持っているのだ」
そう言って、ファルフェが首元から衣服の中に手を入れる。
次に取り出されたのは、まごうことのなくリリルの首に提げられたモノと同じ形状をしたペンダントだった。
ただし、ファルフェのペンダントは少し違っている。
同じ形をしているものの、埋め込まれた宝石は白かった。さらに宝石の中には、五芒星と奇妙な文字が描かれており、リリルのペンダントに描かれた紋様とはまったく異なっている。
「わぁ~なんか似てるね!」
だが、そんな細かいことは関係ないらしい。目の前でリリルは、2つのペンダントがそっくりなことに重ね合わせて驚いていた。
もちろん、ファルフェもビックリ。
なにせ、この世でたった1つしかないと思い込んでいた母の形見のペンダントが他にも存在したのだ。驚かない方が無理があるだろう。
ファルフェは、偶然とも思えぬ奇妙な巡り合わせに口を半開きにして感嘆としていた。
「よもやこのようなことがあろうとは……。運命の女神のイタズラとやらか?」
「きっと、そうだよ。たぶん、神様が私たちを友達なる機会をくれたんだね」
「ふむ。悪くはない巡り合わせだな」
「えへへ! 私は、ファルフェちゃんと友達になれてとっても嬉しいよ」
「そ、そうか……?」
「うん、だってこんな偶然滅多にないと思うもの」
「……う……うむ……」
「どうかしたの?」
「気にするな。少しばかり異界にいる我が下僕からの言葉を聞いていただけだ」
「え~っと、よくわからないけど、ファルフェちゃんは凄いんだね?」
「もちろんだ。我は世界を統べる者として、この時代に顕現したのだからな」
「へぇ~そうなんだ」
「――ムムッ、その言い様。リリル・シュプランツェ、貴様は我が言葉を信じておらんな?」
「そう言われてもなぁ~。私、正直よくわかんないし」
「……そうで……あろうな……」
「あ、でも!」
「む?」
「ファルフェちゃんのことは信じてるよ?」
「ふぇ? あ、ありがとう」
唐突に発せられたリリルの言葉。
その言葉に、ファルフェの口調はグチャグチャになっていた。
リリルの真っ直ぐで優しい言葉に翻弄されたからである。いつもは着飾って、中二病まがいの言葉を発するばかりだが、その根底にあるモノは臆病で弱虫な年頃の女の子であることには変わりない。
それだけにリリルの言葉は、素の自分を出さざるえないほどに強く揺さぶられた。
確かな幸せをかみしめて、ファルフェが思う。
(――嗚呼、友達っていいな)
※
王立軍士官学校。
フラウゼス学園に隣接する形で存在するこの学校は、あらゆる軍学を修得し、1人の士官として栄達することを目的とした軍事教育機関である。
ヒュースは、この学校の1回生だ。
軍と名の付くとおり、将来は軍の将校候補が集う学校で様々な分野の研究が為されている。南部方面司令官であるアルマの父の便宜により、陸軍を目指すこととなったヒュースは座学の講義を受けていた。
横では、アルマが一生懸命耳を傾けている。
「──このようにフラウゼス市は、フラウゼス侯爵の陳情とアインシュペイン1世殿下が啓蒙君主論を唱えたことにより誕生したのである」
教壇に上がった講師が熱心に世界史の教鞭を振るう。
示された箇所を生徒達がメモを取り、来週に迫った定期テストに向けて、必死に勉励していた。
だが、ヒュースだけは違う。
気怠そうに机に突っ伏して、授業の終わりをいまかいまかと待ち続けている。
「そこ、聞いているのか?」
だが、そうは問屋が卸さない。
気付いたときには、講師から授業態度を指摘されていた。
一斉に全員の視線がヒュースに集まる。ヒュースは、やむなく立ち上がって態度を示すこととなった。
「すいません。今朝は早くに目覚めてしまいまして、どうにも寝不足なのです」
「それは一向に構いまわん。しかし、授業態度を改めてなければ、教える私も周囲に示しが付かなくなる。休み時間に少しでも寝ておきなさい」
「はい、以後気をつけます」
「ついでだ。歴史について、基本的な2つの問題を出そう」
「なんでしょうか?」
「人類はなにから進化したと思う?」
「もちろん、エルフです」
「──よろしい。我々は、妖精属人型類エルフ科白エルフ目から進化した。人間が魔法を使えるもっともな理由だな。では、なぜ我々人間がエルフから進化したとされているかについてはわかるかね?」
「それは、人間の耳たぶがエルフだった頃の名残として残されているからです」
「その通りだ、アーベル君。エルフには耳たぶがない。これは、人間に進化する過程で森のような周囲を知覚しにくい場所ではなく、だだっ広い平野部に出たことで多くの情報を集める長い耳が不必要となり、進化の過程でできたのではないかと言われている」
不意に教師が右手を上下に動かす。
座っていいという合図だろう。ヒュースは席に座ると、真面目に授業を受けるフリをして窓から外を眺めた。
ところが、阻害するように肩を叩かれた。振り返ってみれば、幼馴染のアルマがムスッとした顔つきでヒュースの体たらくを嘆いていた。
目尻が凛とした鋭角を描くアクアマリンの大きな瞳と、光に当たり明暗をハッキリと分かつ癖の強い亜麻色のショートヘア。バタークリームのような白い肌は甘美な色を輝かせ、シスコンのヒュースですら、時々舐めたいという衝動を抱かせた。
「また四時半に起きたの?」
「仕方ねえだろ。可愛い妹が一緒に寝ているベッドから消えたんだ。両親がいない以上、俺がファルフェを守ってやらねえでどうすんだよ?」
「そりゃわかるわよ。私にとっても、ファルフェは義妹よ。でも、それとアナタが勉強しないことは関係ないわ」
「アルマは優秀だから、そんなことが言えるんだ」
「……なら、私が教えてあげようっか?」
「別にいいって。自分でやってわからねえんだ――最後は補習だ」
「そうやって毎回諦めるから悪いのよ。だったら、私が教えてあげるしかないじゃない?」
「だからいいつーの!」
「なによ? このまままた補習でもいいっての?」
どうしてこうも押し付けがましいのだろう。
アルマとは家が向かい隣ということもあり、生まれた頃から一緒だった。ヒュースは研究者だった母が忙しかったせいで2歳頃からアルマの家に預けられた。
それから、5年ほどしてファルフェが生まれた。
だが、しかし研究に没頭した母は無理がたたってためか、難産の末に重い病を患ってすぐ亡くなってしまった。残されたヒュースは、生まれたばかりのファルフェをカーライルと共に育てていかなけらればならなかった。
肝心の父親は、貿易のために遠洋航海に出たまま、8年ほど前から帰ってきていない。それゆえにヒュースが実質的な当主となっている。
さらにアーベル家には、資産という資産がほとんどなかった。
研究者だった母がすべてを擲って研究をしていたせいか、ハウスキーパーを雇う金すらなかったのだ。唯一、祖父の代から仕えてきたカーライルだけが執事として残り、家事は分担してこなしていた。
そうした経緯を知っているため、アルマの心配性は病的なものになっていた。
「オマエの方が大変だろ。南部方面軍司令官で将軍の伯父さんの七光りもあって、希望通りの将校になれるんだ。勉強しなくちゃいけないのは、アルマの方じゃないのか?」
「同じ大学に通うデキの悪い幼馴染みがいる以上、安心して軍に入隊できるわけないじゃない?」
「それについては、ありがてえは思ってるよ。けど、俺はオマエの将来のことを考えれば、そこまでしなくてもいいと思ってるんだぜ」
「あきれた。アナタって、本当に強情ね」
「強情? そりゃお互い様だろ」
「……そうね。いいわ、じゃあ次の定期テストで赤点だったら、今度こそ私が教えるわ」
「わかった、約束する」
「じゃあ、ヒュースが赤点になることを期待して待ってるわね」
「どうして、いい結果になることを期待しねえんだよ!!」
どうやら、アルマは赤点になることの方が重要らしい。
そのことに気づかされ、ヒュースは急に目眩がしたかのように頭を抱え込んだ。
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